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2012年4月30日月曜日

ランジェリーに答えはない


実は、今からちょうど4年ほど前、友達と2人でランジェリーのブランドを立ち上げようと、資料を集めたり、市場調査したり、いろいろ準備していました。
デザイン画をかき終わったのがちょうどオリンピックのころ。
私はアイデア、コンセプト、デザイン担当、友達はパターン、生産担当で、本当はその年の暮れまでにはサンプルを作り上げる予定でした。
しかし、私がその友達にデザイン画を渡した後、彼女とは、連絡がとれなくなってしまいました・・・。

なぜ、ランジェリーのブランドを立ち上げようと思ったかというと、
自分が欲しい下着が売っていないからです。
というのも、私は今から10年ほど前、手術をしており、その痕が、わき腹に縦に15センチほどあるのですが、手術をして以降、ブラジャーのような、横方向に体を締め付ける下着が、苦しくて、一切、着用できなくなってしまったからなのです。
きっと同じ悩みの人はほかにもいるだろうと考え、オーガニック素材を使い、体を締め付けず、かつ、下着と外着の中間のような、見えても恥ずかしくないデザインのものを作ろうとしていたのでした。

これは1つの例なのですが、
たぶん、女性の数と同じほど、下着に求めるニーズがあります。
締め付けたくない、
締め付けたい、
寄せてあげたい、
解放されたい、
セクシーになりたい、
見せたい、
見せたくない、
補正したい、
自由になりたい。
それぞれのボディが違うわけですから、当然、そのニーズも違ってきます。
だから、このランジェリーが正解だ、という答えはないのです。

そのとき膨大な資料を集めてわかったのですが、
日本の下着メーカーのランジェリーは、総じて固い作りです。
パットとか、ボーンとか、スパンデックスとか、厚い生地とか、締め付け分野が得意です。
しかし、海外のメーカーの、しかも高級ブランドになればなるほど、
軽く、薄く、しなやかになります。
最高級のブラジャーに、パットはついていません。

また、最近のファッションの流れとして、下着のアウター化があります。
真夏にキャミソールを下着としてではなく、服として着るのは当たり前になりました。
また、デザインにしても、下着と見まごうばかりのドレスなどが出てきました。
ブラ内臓のキャミソールの出現により(しかし、これはずっと前からドナ・キャランなどが売っていたのですが)、下着メーカーのブラジャーは売れなくなっているそうです。

こんな状況の中で、下着選びには多大な葛藤があります。
自分のニーズと、実際に市場に出回っているものとの間には、大きな隔たりがあるのではないかと思います。
そんなことないわ、いつもお気に入りがちゃんと売っているわという方は、
大変ラッキーな人だと言えるでしょう。

では、どうしましょうか。
まずは、自分の体と相談です。
何を求めているのか、どうしたいのか、どのような方向へいきたいのか、
それを改めて、自分の体に問います。
それから、自分にふさわしいランジェリーを探しにいきます。

けれども、そこからの旅は険しいです。
探し物はどこにもありません。
代替品を勧められます。
あなたのボディは吟味され、甘い言葉で、軽く否定されます。
(補正すると、形がくずれませんよ、などと)
それを受け入れるのも、1つの選択です。悪いことではありません。
けれども、他人のその勧めに対して、あなたの体は満足しないでしょう。
なぜなら、その勧めは思考の結果であり、体の声ではないからです。

体の声を聞きましょう。
それは自分さえもよく聞こえない、消え入りそうな、かすかな声です。
その結果、ダイエット、もしくは筋肉を鍛えることが必要になってくるかもしれません。
自分の体を女王様のように扱いましょう。
女王が、シルクしか着たくないのだと言うのなら、きっとそれが正解でしょう。
この世であなたの女王を守れるナイトは、あなたただ1人ですから。

最後に。
デザイン画を渡したきり、連絡が途絶えた彼女に対して、私が怒っているかといったら、
まったく怒っていません。
だって、もしそのままランジェリーブランドなどやっていたら、
ここでこうして、こんなブログを書いてなんかいませんから。




2012年4月23日月曜日

みんな、あわてないで、服は余っているよ

成熟した資本主義社会においては、物はいつも過剰に生産されています。
中でも、洋服はもっとも余剰の多い商品の1つです。
この傾向は年々進み、私がアパレル業界にいた90年代より現在は、何倍もの服が市場に出回っています。
それと同時に、アパレル業界がメインターゲットとしている20代から40代の人口は、もう増えていません。特に若者は年々減少しているので、需要と供給のバランスが崩れています。

売るほうの側は何とか商品を売ろうとして、いろいろ戦略を立てます。
1つは、流行のサイクルを早めて、すぐに流行遅れにすること、
もう1つは、生産枚数を極端に少なくして(あるいはそう見せかけて)、買う側の飢餓感をあおることです。

先日も、H&Mでマルニの限定コレクションが発売されましたが、日本の店舗では、どこも午前中ですべて売り切るほどの人気だったそうです。
私はこのことを知って、少し首をかしげました。
マルニは、アウトレットに行けばいつも大量に売れ残っているブランドですし、会員制のセールサイトのギルトなどでもよく出品されます。
また、昔、服飾評論家の深井晃子さんが「マルニの服は素晴らしい。ただ1つの欠点は、デザイナーのコンスエロ・カスティリオーニ以外、似合う人が少ないことだ」とおっしゃっていたように、デザインや品質はすばらしいのですが、着こなすのが非常に難しい服です。誰でも、どこでもというわけにはいかない服なのです。
それが午前中ですべて売り切れるほど人気とは、一体どういうことだろう、と思いました。

こうなったのは、1つは売る側のプロモーションのうまさです。
ソフィア・コッポラが監督したCMは彼女の感性とすごくマッチして、夢見るように素敵でした。確かにあれを見れば、何だか欲しくなります。
それともう一つは、宣伝の規模と反比例する、生産量の少なさが原因でしょう。
(といっても、海外ではもうセールで投げ売りされているらしいですが)
あれだけ広告を打っておきながら、お店に行くとほんの少ししか売っていない。急いで買わないとなくなってしまうという心理を利用して、すべて売り切ったのだと思います。

けれども、ちょっと待ってください。
「おしゃれのルール」の部分に書きましたが、ファッションは1つの情報です。
私も先日、例のH&Mのマルニのドレスを着ている女性を見かけましたが、見た瞬間、
あ、あれはこの間のH&Mで売り出したマルニの●●円のドレスね、ふーんと、ぱっと頭にその情報が流れてきました。もしこのドレスを来年も着たら、あら、あのときのドレス、まだ着ているのね、となってしまいます。

こうなってしまうと、そのドレスはその人に似合うかとか、そのドレス自体が素敵であるかとかいうより、単なる過去のデータとなってしまい、それは着る人にとって、必ずしもプラスの印象ではなくなります。
自分自身の表現ための服とは、できるだけ、この情報から遠く離れたほうがいいのです。
なぜなら、あなたはデータを運ぶ媒体ではないからです。

相手は心理作戦を使ってきますから、こちらもナイーブな消費者ではいられません。
まんまとのせられて買ってしまう前に、一呼吸置いて、冷静になりましょう。
本当に自分が必要かどうか、似合うかどうか、考える時間はあるはずです。

残念ながら、この世の中には、あなたをなんとかだまそうとする人たちが存在します。
甘くたくみな言葉づかいで、まんまとあなたを自分の思い通りにしようとします。
でも、誰かの思い通りにばかりなっていたら、あなたが主人公の舞台は台無しです。
そういう人たちは、必ず最後に逃げるのです。

本当は余っています。
選ぶ権利は、いつでもあなたにあるのです。

2012年4月16日月曜日

リラックス・スタイル



シルエットがゆるい方向へ変化したことに伴って、
2012年の今期より、リラックス・スタイルはどんどん加速します。
リラックス・スタイルとかリラックス・モードと呼ばれているものはどういうものかというと、
言葉どおり、緊張のない、リラックスした、つまりゆるんでいるスタイルのことです。
このリラックス感を表現するものとして、たとえば、ジャージー素材のジャケットやパンツ、トレーナー、ドローストリングス使いなどが挙げられます。
またスタイルで言えば、LAスタイルなどに代表される、海辺の町で着られている服のような感じで、間違っても、ビルが林立する都会のオフィスなどのスタイルではありません。

しかし、この都会のオフィス街には不向きなリラックス・スタイルが都会を浸食するだろうということは、容易に予想できます。

では、このリラックス・スタイルをおしゃれに着こなすにはどうしたらよいでしょうか。
このスタイルが最も似合うのはモデル体型の人、そしてアスリート、ダンサーなどです。
彼女たちは、体型自体にはリラックス感やゆるみが限りなくゼロに近い人たちです。

このブログをずっと読んでくださっている方はそろそろお気づきではないかと思いますが、
リラックス・スタイルをおしゃれに持っていくには、リラックスと反対のもの、つまり緊張感が必要なのです。

では、モデル体型でも、アスリートでもダンサーでもない人はどうしましょう。
もうおわかりでしょう。
リラックスとは反対の緊張感のある服、たとえばジャージー素材のパンツをはいたなら、上着はきちんとしたジャケットを着る、逆にくたっとしたジャケットなら、かっちりしたパンツをはく、全体にゆるい服を選んだなら、靴とバッグをかっちりしたものにするなど、ゆるみと緊張を組み合わせます。
このバランスがうまくいくと、おしゃれに見えるようになります。

おうちでリラックスするときに、体がゆるんでいるのは問題ないのです。
けれども、おしゃれに見せる、見えるためには、どこかしら緊張感が必要です。
その緊張感こそが、スウェットの上下でコンビニへ買い物へ行く、単なるゆるんだ、おしゃれでもなんでもない着こなしとの差を作ります。

だんだん暖かくなり、体はどんどんゆるんできます。
けれども、ちょっとおめかし気分のときは、どうぞどこかしら緊張してください。
ここ一番という舞台というのは、いつでも緊張感がつきまとうものです。
そして、それがあるこそ、見る人は感動してくれるのです。

☆写真はアングルの「泉」。緊張と弛緩と言えば、この作品。西洋の美というのは、こういうバランスの中に見出されるものらしいです。

2012年4月9日月曜日

マスターピースを探す

これまでの記事で、
10年着られる服を探そう、
また、流行のシルエットを取り入れようと提案してきました。
けれども、これは全く矛盾する話です。
そうです。ファッションの世界は、矛盾ばかりです。
流行のシルエットは取り入れたほうがいい、だけれども、10年着られる服も探してほしい、
これほど難しいことはありません。

これまで、10年着られる服とはどんな服なのか、具体的に説明していませんので、
今日はそれについて書きたいと思います。

10年着られる服には、2種類あります。
まずは、一般的な服のマスターピースです。
これらは、ロンドンのヴィクトリア&アルバートミュージアムなどで展示されている、
それこそ、作品と呼んでいい服のことです。
ディオール、サンローラン、バレンシアガ、ヴィオネなど、
何年たっても古びない、まさに傑作。
これらのものは10年以上の年月に耐えられるものです。
しかし、これを見つけるには、相当な目利きでないといけません。
目利きになるためには、それなりの経験、知識、感性が必要です。
また、やはり名の知れたデザイナーの作品のほうが、こういったマスターピースになる可能性は高いです。ですので、高価なものが多いというのも事実です。
こちらのほうは、なかなか一般の人が探して身につけるのは大変だと思います。

一方、もう一つのマスターピースとは、自分にとってのみの傑作です。
まさに自分のために作られた服、こんな感じを受ける服のことです。
これらは時には流行遅れになるかもしれません。
けれども、自分にぴったりのその傑作は、何年たってもずっとお気に入りであり、
穴が開いたら、繕ってでも、着たいと思うでしょう。

こちらの、自分にとってのマスターピースを見つけるために最も重要なことは、自分のことをよく知ることです。
自分はどんなものが心地よいか、どんな体型か、どこへ行くか、何を目指しているか、
好きな素材や色は何か、何をしている時間が自分にとって最も大事か、
そんなことをよく知っていないと、なかなか自分にとってのマスターピースを見つけることはできません。

ここで一番注意してほしいのは、それは自分の欲するものか、他人の欲するものか、という点です。
他人の欲するもの、つまり、他人の視線によって選ばれた服は、10年以上着ることなど、不可能です。
他人がこれを着なさいと言って選んだものは、他人があなたに与えた仮面であり、
その仮面を演じ続けることは、できないからです。
そういう服は結局のところ、2、3年で要らなくなります。
なんとなくもう着たくない、まだいたんではいないのだけれど、まったく着る気がしない、
そんな服は、もしかしたら自分の欲求でなく、他人の欲求を優先して選んでしまったものかもしれません。
他人というのは、あなた以外のものすべてです。
雑誌の情報、会社の命令、親の好み、社会の要請など、さまざまなものが、あなたに何かを着るよう押しつけます。
自分も、そのときは何だかいいような気がしたりしますが、時間がたてばたつほど、これは自分のものではないという違和感を感じるようになるのです。
そんな服ばかりに囲まれていたら幸福感など得られないでしょうし、
10年も着続けるなんて、ありえない話です。

少し時間をとって、自分は本当はどんな服を着たいのか、どうしたいのか、考えてみましょう。
それは他人に聞いてもわかりません。
自分の欲求は、他人の欲求ではないか、
本当に自分にとって大事なものは何なのか、見つめてみましょう。
そうやって見つけた洋服は、あなただけのマスターピースになり、
10年、いえ、もっとそれ以上、長持ちするかもしれません。

そういう服を見つけて、それを身につけて自分が心地よいのなら、
それがおしゃれに見えるかどうかは、どうでもいいことです。
自分が自分を生きているという実感のほうが、はるかにあなたを幸せにします。

2012年4月2日月曜日

シルエットが変わりました



2012年の春を迎えました。
ここへきて、シルエットが変わりました。
ゆるやかな角を完全に曲がり切りました。
曲がりきった先には、新しい道が続いています。
この道は、まっすぐでもないし、横道もたくさんありますが、
決して戻ることはしません。
また、過去の景色と似たように見える箇所もありますが、同じ道ではありません。

ここ2年ぐらい、勘のいいデザイナーたちはずっと、この新しいシルエットを提案してきましたが、なかなか一般の市場はついてきませんでした。
けれども、ここへきて、一気に変えることに成功しました。

これまでの10年から14年間、服と体の間の空気は、どんどん抜かれていって、
スリム、タイトのスタイルが完成しました。
けれども、これからは、この服と体の間の空気の分量が変わります。
どんどんふえていくのです。

これは一見、80年代に流行ったビッグシルエットと似ているのですが、
同じではありません。
あのときは、硬く、四角いビッグシルエットで、大きな肩パットと接着芯の多用が特徴でした。
これから始まるのは、もっと軽やかで、ふんわりした布が、皮膚と距離感を作ります。
その空間は、ドレープ、フリル、ギャザーなどによって生み出されるものです。

この傾向は、おおよそ12年ぐらいは続くと思われます。
12年が過ぎたころ、次のトレンドが少しずつ入ってくるでしょう。
しかし、これから先12年は、このシルエットが主流になることは間違いないと、私は見ています。

さて、前にも書きましたが、一番、流行があらわれるのは、このシルエットです。
ですから、この新しいシルエットをまったく無視したスタイルをすると、
それは今度、流行遅れのスタイルに見えてくるようになります。
そして、この流行遅れのスタイルは、ふけて見えることの一因となります。

2012年になっても、いまだに黒く四角いビッグシルエットの服を着ている人たちを見かけます。私はそういう方々を見ると、ああ、80年代が青春だったのだなと思います。
自分が輝いていたと、自分で思っているその時期の服装を人はなかなか忘れられません。

私は、ファッション関係者でもない限り、すべて流行の服にする必要はないと考えています。
だからといって、余りに流行を無視し過ぎると、やはりそれは昔の人のように見えてしまいます。
これから新しい服を買う場合は、うまくこの次の12年続くシルエットのものを取り入れるようにしましょう。
それは全部そうする必要はありませんが、1点投入するだけでも、かなり見え方が変わります。

また、ここのところ、雑誌の表紙のモデルさん(この場合、日本人です)のヘアスタイルにショートが多くあらわれるようになりました。
思い起こせば、パステルカラーにフリルのドレスを着ていた80年代のアイドルのほとんどはショートカットでしたね。これは、パステルとフリルに重く長い黒髪ではバランスをとりにくいからです。

服のシルエットが変わってしまった今年を境にして、ヘアスタイルもメイクも変化していくでしょう。

過去の自分の栄光を、自慢げに誰かにしゃべったりする自分に気づいたら、要注意です。
その行為は、確実にあなたをふけさせます。
あなたがたとえ30代であっても、年をとった人に見えます。
80年代でも、90年代でも、2000年代でもなく、2012年を生きましょう。
いつも今の一瞬を生きていれば、昔の自分が選んでいたような服を選ぶはずがありません。
若く見えるか、年取って見えるかは、実年齢の問題ではないのです。
過去の自分に戻らない、常に今の自分を生きることが、年齢とは関係のない「若さ」であり、輝きです。

☆写真はボッティチェルリの「春(ラ・プリマべ―ラ)」。ゴッデス・ドレスは次にくるシルエット。