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2012年10月29日月曜日

「はずし」のテクニック


おしゃれな人がよくやるテクニックで、「はずし」というものがあります。
「はずし」とは何をはずすのかというと、完璧になることからはずす、ということです。

コーディネイトをする際に、すきがない、すべて完璧というスタイルを、おしゃれな人は嫌います。
完璧すぎるというのも、どこかバランスが崩れているということなのです。

しかし、この「はずし」というテクニック、
昔からあるものというものでもないようです。
50年代、60年代の映画を見ても、
あ、これははずしているなというスタイルは出てきません。
きっちり完璧、パーフェクトにエレガントです。
その後、70年代になって、服装が一気にカジュアル化していく中で、
その名残が80年代へと受け継がれ、
そのころから、この「はずし」が言われるようになったようです。

「はずし」をするためには、何通りかの方法があります。
1つ目は、「はずし」アイテムを1つ付け加える方法。
例としては、まず、完璧なエレガント・スタイルを作ります。
そこから今度は、何か1つのアイテムを「はずし」アイテムと交換、
または付け足します。
「はずし」アイテムは、普通なら、これはこのコーディネイトに取り入れない、と考えるものです。
たとえば、シルクのインナーだったものを、ポップなイラスト入りTシャツにかえる、
または、バッグのチャームにスワロフスキーのキティちゃんを付け足す、
全身黒のコーディネイトに、時計だけ蛍光色のバンドのものをする、
などです。
全体として、どう考えても、普通だったら取り入れない、というものをあえて付け足す。
これが「はずし」のテクニックです。
この場合、「はずし」 か所は1か所におさえておきます。
それ以上、取り入れると、「はずし」にはなりません。

2つ目は、着崩す方法です。
着崩すというのも、「はずし」の中に入ると思います。
なぜなら、完璧な着こなしを壊す行為だからです。
「崩す」ですから、壊します。
やり方は、まず普通に着る。
そこから、袖をまくってみる、
襟をたててみる、
シャツのボタンをはずす、
パンツのすそを折るなど、
完成された服の形そのままで着ないで、
「崩す」部分を作っていきます。
これをやる場合は、必ず鏡の前で、全体のバランスを見ながら決定していってください。
袖をまくる長さも、
パンツの裾を折る長さも、
それぞれみんな同じということはありません。
その人にぴったりのバランスというものがあります。
他人の真似ではうまくいきません。
自分でいろいろ実験してみて、ここだというバランスを探してみてください。

この「着崩し」で、最も参考になるのが、前にも出しましたが、
「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンの着こなしです。
機会があれば、アン王女の着崩しの過程のみに注目して、
もう一度、映画を見てみてください。
最初はシャツをきっちり着ていますが、
ボタンをはずしたり、袖をまくったりと、
だんだん着崩していっている姿がわかります。


どうしてこうも、おしゃれにおいて、完璧を嫌うのでしょうか。
理由は、完璧ということは、防衛的であり、
行き過ぎた防衛は、攻撃になるからです。
完璧なものは近寄りがたいです。
触れようとは思いません。
声をかけることも、できません。
そして、たとえば、全身、それとわかるハイ・ブランドで固めたスタイルは、
防衛を通り越して、攻撃的にさえ見えます。
私たちは、その攻撃性を察して、近づかないのです。

「ローマの休日」を見ればわかるように、
完璧な着こなしのアン王女には、自由がありません。
誰かが声をかけるような、気軽さもありません。
しかし、着こなしが崩れていくとともに、
自由でのびのびと、楽しげになっていきます。
そして、新聞記者のグレゴリー・ペックとの関係も深まっていきます。

誰にも声をかけられないような完璧なスタイルは、
もうおしゃれではないと、おしゃれな人たちは気付いているのです。
バッグのチャームがキティちゃんだったら、
誰かが、
「それ、かわいいね」と声をかけるでしょう。
そこから話も広がります。
話しかけられるすきをわざと作る、
それがおしゃれなのです。

完璧なコーディネイトで街をただ1人で歩いても、
それでは意味がないのです。
服は主役ではないのです。
着ている人こそ、主役です。
主役に誰も声をかけないなど、考えられません。
砂漠で一人、ダンスをするのと同じです。
完璧すぎて誰からも声をかけられなくなったら、
服に主役を奪われたということ。
だったら、服からその主役の座を奪い返さなければなりません。
そのための1つの方法が「はずし」なのです。

客席から主役の衣装を点検するつもりで、
鏡の中の自分を見てください。
自分より出しゃばっている服はありませんか。
勝手に自己主張している服はありませんか。
そんな服は、主役の足を引っ張ります。
服はあなたより目立ってはいけないのです。
服はいつだって、単なる服です。
せりふを言うのは、あなたです。

☆写真:「ローマの休日」のワン・シーン。これ、色ついてますね。もう既に着崩したスタイル。最初はもっときっちり着ています。