それぞれの時代にはそれぞれの気分があります。
ファッションの変遷は、その気分の変遷でもあります。
すぐれたデザイナーたちは、その気分をデザインに反映させます。
そして、これが重要なことなのですが、
その気分は多くのデザイナーに共有されたものなのです。
それは示し合わせたわけではありませんが、必ず一致します。
なぜなら、その気分は人類の集合的無意識を静かに流れているからです。
その深い淵まで届く能力を持つものが、すぐれたデザイナーと呼ばれます。
さて、2012年に始まった新しいファッションの流れの中で、
女性性が再評価され、無駄なもの、非効率的だと思われていた装飾が戻ってきました。
その装飾は、最初、生地においてあらわれました。
フリル、プリーツ、ドレープ、フレアなど、ふんだんに生地を使った装飾が、
ミニマムなスカートやドレスを一掃しました。
そして、これら生地による過剰な装飾がひととおり試された後、
あらわれたのは色と柄でした。
2012年の前の約14年、服がタイトになったのとあわせて、
柄物は不利になりました。
なぜなら、小さな面積に大きな柄がのらないからです。
そのため、これまで多くあったのは小花であり、細かなチェックとストライプでした。
しかし、服のシルエットが大きくなり、服の上にはどんな大きな柄でも、
途切れることなくのるようになりました。
いわば、服は絵をのせるキャンバスになったのです。
服がキャンバスだと認識した、時代の気分を先読みするデザイナーたちは、
その上にさまざまな柄や絵を描くことを提案するようになりました。
こうして、図柄やロゴ、絵はTシャツの上だけではなく、
ドレス、コート、ジャケット、スカートなど、どんなアイテムにも描かれるようになったのです。
服はキャンバス同然になったのですから、一色に塗りつぶされることはありません。
そこでは、ありとあらゆる色の組み合わせが試されます。
長いあいだ、シンプルで、装飾のないスタイルになれてしまった私たちは、
色と色をあわせる技術、柄を取り入れる技術を磨いてきませんでした。
その人がおしゃれに見えるかどうかの大きなポイントは色遣いなのですが、
黒一色のコーディネイトの流行が長く続いたため、私たちは、色遣いについてはあまり注意を払ってきませんでした。
しかし、もうそんなことは言っていられません。
色と柄の大きな流れはすぐそこまできています。
実際のところ、色を見分ける目を持っている人はとても少ないです。
この色とあの色が合うかどうかは、訓練をしている目ではないと、判断しづらいのです。
残念ながら、インスタントな近道はありません。
日々、すぐれた色合いを見て、見分ける目を養うしかありません。
幸いなことに、日本人は長い年月をかけて、柄と柄、色と色を複雑に合わせる着物の文化を育ててきました。
着物の柄と色の組み合わせは、洋服のそれとは違って、独特の美意識を持っています。
洋服ではあり得ない柄あわせ、色の組み合わせの世界がそこにはあります。
私たちは、その感性を再び思い出し、使えばいいのです。
そのためにも、まずは自分の好きな色から、色を見分ける訓練、組み合わせる訓練を始めましょう。
気に入った柄があったら、とっておいて、その色の構成を分析しましょう。
絵画を見に行きましょう。
美しいテキスタイルに触れましょう。
自然の中の、はっとするような美しい色の組み合わせを目に記憶させましょう。
探そうと思えば、お手本はいたるところに見つかります。
そして、それがある程度できるようになったら、
今度はそれを生地に置き換えてみましょう。
紙の上で表現された色と、生地の上で質感を伴った色とでは、ニュアンスが変わってきます。
色と素材感があわさったとき、色はどんなふうに変わるのか、観察しましょう。
そして最後に実際に自分のワードローブに大胆な色や柄を取り入れましょう。
最初にお勧めなのは、1枚でコーディネートが完成する夏のワンピースやオールインワン、
または、面積が小さいバッグやスカーフなどの小物です。
柄と柄、そして多色使いは難易度の高いおしゃれです。
そう簡単に誰でもできるものではありません。
しかし、だからといって、やってできないものではありません。
やってもみないうちから、できないと言ってあきらめないでください。
失敗を予想して、やってもみないうちからあれこれ言うよりは、
やってみて失敗したほうが、数千倍いいのです。
やってもみないであれこれ批判を言う観客より、
堂々と舞台の上で失敗する主役を選びましょう。
何が成功で幸せかを、観客に判断させる必要など、微塵もありません。
私が提案するのは「主人公のためのワードローブ」です。
人生の主人公は失敗を恐れません。
なぜなら、失敗の先にこそ、本当の意味での幸せと成功が待っていると、
知っているからです。
失敗など、成功の前にあらわれる、単なる短いエピソード。
物語の本当に楽しいところは、そのあとから始まるのです。