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2014年3月31日月曜日

脇役の衣装

誰でもが、いつでも自分の人生の主人公でいたいものですが、
残念ながら、そうはいかないときもあります。
自分の人生であるにもかかわらず、脇役を配され、それにふさわしい衣装を着なければならない、そんな状況もときにはあるでしょう。
その場合、どうするか。
そのときは脇役にふさわしい衣装を着なければなりません。

主役ではないとはどういうことかというと、
その場において自分が一番目立ってはいけないということ、
一人芝居ではないのだから、ほかの出演者との兼ね合いを考えるということ、
そして何より、そのシーンにおいての監督、衣装デザイナーの意見に従うということです。

まず、主役より目立ってはいけないことについてですが、よく映画や舞台でも、演技がうまいのをいいことに、主役を食う脇役というものがいるものです。
それは、その脇役の役者にとっては少しばかり得意げなことなのでしょうけれども、
それが全体の芝居を壊すのだとしたら、決してほめられた話ではありません。
主役を立ててこその脇役。
主役より目立とう、うまくやろうということは、してはいけないことなのです。

たとえば結婚式の披露宴。
主役はあくまで新郎新婦。
披露宴に出席したいと自分で望んだならば、脇であることはわかっているわけですから、
花嫁より目立つ衣装は困ります。
また、花嫁の存在をおびやかすような、まるで競っているかのような装いもいけません。
その場において自分はどんな位置づけなのか、
そして何がふさわしいのか、必要以上に目立ってはいないか、失礼ではないか、
そんなことを考える必要があるでしょう。

つぎにほかの人との兼ね合いです。
決定権のある主役というものは、ほとんどの場合、ほかの人との兼ね合いなど考えなくてもよいものです。
自分がそれを好きであるならば、そしてそのとき着たいと思うのならば、
その服装をすることは全く問題がありません。
しかし、その場において主役でないとしたら、やはり周囲との兼ね合いを考慮しなければなりません。

よくあるのはホテルやレストランのドレス・コード。
ホテルやレストランといった舞台を作った監督が、そのシーンにふさわしい服装をそこに集う人たちに要求しています。
そこではホテルやレストランそのものがいわば主役です。
ですから、その建物やインテリア、そしてほかのお客様との兼ね合いで、ふさわしい服装をしなければなりません。
しかし、多くの場合、このドレス・コードは明文化されているので、それを確認すればいいだけですから、問題はありません。

難しいのは職場です。
社長やCEOでもない限り、その職場においては、その人はその場の主役というわけではありません。
頼まれてやっているのならまだしも、
頼みこんで入れてもらったのだとしたら、そこでは脇役です。
脇役の一人としての衣装がふさわしいということになります。

職場によって、ローカル・ルールは違います。
それが明文化されている場合もあれば、暗黙の了解であることもあるかもしれません。
作業着の職場においては作業着がふさわしく、
白衣なら白衣、
スーツならスーツです。
倉庫なら倉庫で働くときの、
受付なら受付の、
会議に出席するなら会議のためのルールがあるはずです。
ルールを決めるのは自分ではありません。
頼みこんでいった、その先のトップにその権限があります。
ですから、それに従わなければなりません。

困ったことに、最近の職場の多くでは、服装のルールは明文化されていないようです。
しかし、明文化されていないからといって、ルールが一切ないというわけでもありません。
服装については全くの自由というルールかもしれませんし、
大体の目安のルールはあるのかもしれません。
誰かが教えてくれるかもしれませんし、
誰も教えてくれず、陰でこそこそ言われるかもしれません。
そんなときはどうするか。
それは周囲の人に合わせる、それしかありません。
周囲が作業着なら作業着が、スーツならスーツがその場にとってはふさわしい衣装です。
多くの、いわゆるオフィスにおいて、男性社員はスーツ、またはスーツの上着を脱いだスタイルで仕事をしているでしょう。

服装については自由でない職場の場合は、男性社員のスーツ姿の横に立っても違和感のないスタイルがふさわしくなります。
では、スーツの男性の横に立ってふさわしいスタイルを探るにはどうすればいいのか。
それは彼らのスタイルの近似値を見つけることです。

男性のスーツは、素材は多くがウール、またはウールの混紡、ジャケットの下にはコットン、またはポリエステル混紡のシャツ。
冬場の寒い時期は、その上にニットを着るかもしれません。
そうだとしたならば、そのスタイルの女性版を考えます。
まず、スーツということは、ジャケットとパンツなど、2ピースが同じ素材ということですから、
同じように、ジャケットとスカートのスーツにする、ブラウスとスカートのセットアップにするなど、合わせます。
ニットを着ているようでしたら、ニットが認められているということなので、ニットの着用も可能とみなします。
ただ、Tシャツ、キャミソール、タンクトップなど、下着をオリジナルにもつアイテムは、その職場の男性社員がTシャツ姿で仕事を許されていないのだとしたら、許されていないと考えたほうが無難です。
(当たり前ですが、職場において下着姿は、下着製造メーカーでもない限り、禁止です。つまり、下着を見せてはいけない、ということです)

では、パンツスーツはどうでしょう。
パンツスーツはスカートのスーツに比べると、格が下に見られています。
なぜなら、歴史的に女性がパンツをはくという行為は、男装であったからです。
パンツをはくということはあくまで男装のためなので、正式ではありません。
よって、パンツスーツは格下です。
格下ではありますが、スーツという意味においては許されていないわけではないでしょう。
それはその職場のルールによります。

しかし、これもあくまでローカル・ルールです。
アパレル業界では、服装はおおむね自由か、もしくはその会社のイメージのものの着用が推奨されるでしょうし、IT企業では、ジーンズやポロシャツでの仕事も認められているでしょう。
(CEOがジーンズ姿なら、それは認められているということです)
アメリカの企業なら、アメリカン・スタイルが、サウジアラビアなら中東のスタイルが、それぞれよしとされるでしょう。
(もちろん、アメリカのスタイルが世界標準だということではありません)
また、立場によっても違います。
正社員なのか、アルバイトなのか、平社員なのか部長なのか、
それぞれに要求されるスタイルがあるでしょう。
とにかく、相手に合わせる、ローカル・ルールに従うことが脇役としてやるべきことであり、ここぞとばかり、自分の好きな装いをしてはいけません。

多くのデザイナーが、女性たちに自分の好きなスタイルをして、そのことにより自信を持ち、ポジティブでいてほしいと考えています。
しかし、時と場合によっては、それがかなわない場合もあるのも、また事実。
極端な話ですが、いつも好きな服を着ていたいなら、
脇役になるようなところへは、なるべく行かなくてすむような人生を作らなければなりません。
それは人それぞれの選択です。

しかし、脇役を自分で選んだのだとしたら、それを悲観的にとらえたり、マイナス面だけを見たりせず、積極的に利用するというのも1つの考え方です。
アカデミー賞にさえ、助演女優賞はあるのですから、
脇には脇なりのやりがいがあり、自分の出し方があります。
出る幕も、セリフも、称賛も、報酬も少ないかもしれませんが、
いなければ舞台は成り立ちません。
それはつぎに主役に選ばれるための、一つのステップである可能性もあります。
また、そのときはそれがその人の役割なのかもしれません。
そういえば、長い脇役時代があって、40代で舞台の主役に選ばれ、
その後、死ぬ直前までずっと主役を演じてこられた女優さんがいらっしゃいました。
その方は、脇役時代、そんな服装をしていたのでしょう。
きっと、主役を食わないように、目立たなく、控え目にしていらしたのではないでしょうか。
そしてそれができたのも、それが自分で選んだことであり、
そしていつか主役ができるときがくると信じていられたからに違いありません。

脇役時代、誰かの決めたルールで、評価されるための服装を選ぶこと。
人生の一時期のそんな経験も、決して無駄にはならないでしょう。
なぜならその経験は、同じような脇役の人のことを理解できるようになるからです。
脇役の中で何ができるか、できないか。
自分というものをどこまで出すか、出さないか。
主役に近づくための、脇役の衣装の選択を、ぬかりなく、したたかにしたならば、
自分が主役の舞台の初日は近づきます。
その日を見据えての戦略ならば、それを考えるのも楽しいもの。
いつか主役になる日をあきらめていない脇役ならば、
その人はそんなルールの中においてさえ、輝いて見えるでしょう。
そしてその輝くを見逃さない観客も、同時に存在していることでしょう。