人は、誰かと同じになりたいという欲望と、
誰かとは同じにはなりたくないという欲望との2種類の欲望を持っています。
人によって、その比率は異なり、
ほとんどすべてを誰かと同じになりたいと望む人もいれば、
絶対に同じようにはなりたくないと望む人もいます。
ファッション雑誌において、「セレブ」がもてはやされるようになったのは、
いつごろからでしょうか。
私の記憶では、90年代にはそんなことはなかったと思うので、
2000年以降だろうと思います。
デザイナーが注目を浴びる時代が終わり、
デザインそのものより、服をコーディネイトする編集能力が重視されるようになり、
その結果として、「セレブ」が出てきたのではないかと推測できます。
それ以降、ファッション業界は、
人の誰かと同じになりたいという欲望をより効率的に利用するために、
その誰かの対象として「セレブ」を持ちだしてきました。
ルックスも、仕事も、生きている環境も、収入も、
あまりに違うにもかかわらず、
多くの人が「セレブ」と同じものを持ちたいと望むようになったのです。
90年代、あるデザイナーのドレスを有名人が着たとしても、
それは深い意味を持ちませんでした。
しかし現在では、ブランド自身が、誰が自分のところのドレスを着たのかを、
積極的に宣伝に使います。
誰かと同じになりたいという欲望は、
限りなくその人自身を透明な存在へと導きます。
昔、「ルームメイト」というミステリーがあり、
ブリジット・フォンダが主演で映画化もされました。
「同居人募集」の広告を見てやってきた女性のルームメイトが、
主人公へのちょっとした憧れから、
髪形、服装などを主人公そっくりに変えていき、
最終的には、主人公を殺すことでその人格をのっとろうとするスリラーです。
映画の中では、主人公のすべてを真似するそのルームメイトは、
頭の狂った人物として描かれています。
どこまでも誰かの真似をしていく姿は、
一歩間違えば狂気です。
その映画を見て、どこまでも主人公を真似していくルームメイトのようになりたいと思う人は、
まずいないでしょう。
私たちがほんとうになりたいのは、
主人公をそっくり真似ていくルームメイトではなく、
憧れの対象であり、
真似されていく、
美しい主人公のほうです。
誰かと同じものを持ちたいという欲望を刺激され、
それに従って、コントロールされ続けている限り、
本当のおしゃれな人にはなれません。
誰かと同じを目指せば目指すほど、
その人は、代替可能でコントロールしやすい、意思がなく透明で、
名前のない存在になります。
そんな存在は、おしゃれではありません。
おしゃれな人はコントロールなどされません。
おしゃれな人と思われるためには、
誰かと同じではない部分を探し、作っていく必要があります。
「真似したい私」ではなくて、
「真似されたい私」でなければなりません。
コピー品が決して美術館に飾られることがないように、
オリジナルであることは、おしゃれにとっても重要なことなのです。
名前も、顔も、趣味も、嗜好も全く同じ人間など、
この世にいません。
その、この世に1つのユニークな存在を、
今、世の中に存在している似たような多くのものの中からかき集めて、
ユニーク、つまり唯一のものにしていく、
その作業がおしゃれを作ります。
「真似されたい私」になるためにはどうしたらよいでしょうか。
まずは自分を知ること、
そしてその他の世界を知ること、
そして何よりも、
刺激され続ける誰かと同じになりたい欲望から自分を切り離すことが、
それを可能にさせるでしょう。