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2015年5月15日金曜日
洋服の色合わせ その1
そぎ落とされたシンプルなデザインと、
モノトーンで構成されたスタイルの時代を経て、
複雑な構造とシルエット、
そしてカラフルな色合いのスタイルの時代になりました。
そうなると、モノトーンの時代には考える必要がなかった、
洋服の色合わせについて、
どうしたらいいのかという問題が出てきます。
洋服の色合わせを考えるとき、考慮すべき点は以下のものです。
・洋服そのものの色
・素材
・デザイン、シルエット
・シーン(照明と背景、周囲の人々)
まずは色そのものから説明します。
洋服の色合わせを考えるとき、基本となるのは、
明度と彩度をあわせる、
または明度および彩度のグラデーションです。
これを理解するためにはまず
明度、彩度、そして色そのものである純色について理解しておく必要があります。
明度とは、理想的な黒から理想的な白までのあいだの明るさの度合いです。
英語ではValueとなり、表記は通常Vです。
彩度とは、色味のない無彩色から、
あざやかさがもっとも高い純色までのあざやかさの度合いです。
英語ではChromaとなり、通常、表記はCです。
純色とは、赤、青、黄の色の三原色のほか、
使われる色相環によってその区分けは異なりますが、
そのほか主にオレンジ、紫、緑を足したもので、
その色の混ざりけのない、もっともあざやかな純度の高い色になります。
洋服の色合わせの基本、明度と彩度をあわせるですが、
日本の日本色配色体系は、これをわかりやすく12のトーンに分け、
名前をつけて分類しています。
その分類は以下のとおりです。
ペール、
ライト、
ブライト、
ソフト、
ストロング、
ヴィヴィッド、
ダル、
ディープ、
ダーク、
ライトグレイッシュ、
グレイッシュ、
ダークグレイッシュです。
(参照サイトはこちら)
これら、彩度と明度のある範囲を囲ったトーン内で、
すべてのコーディネイトをあわせる、
というのが1つの色合わせの方法です。
つぎはグラデーションです。
これは明度のグラデーション、彩度のグラデーション、
両方、あり得ます。
わかりやすいのは白から黒のグラデーションに代表される明度のグラデーションです。
これは明度の低いものから高いものですが、
簡単に使われるのはこちらのほうです。
彩度に差をつけていっても、おかしいことはありませんが、
絵具ではないので、徐々に彩度を高くしていくという方法を、
洋服で表現していくのは、物理的に難しくなります。
また洋服にはさし色といって、
まとめたトーンやグラデーションとは違う色を投入する手法がよく使われます。
さし色は通常、全体の面積の中で使われる面積が少なく、
ポイントとなる色のことで、
その選び方に、特にこれといったルールはありません。
同じトーンの中でどれか1色をさし色として使っても構いませんし、
例えば、グレイッシュにヴィヴィッドを1色投入するなどの使い方も可能です。
色には赤と緑、黄色と青のような補色関係がありますが、
さし色を補色にしなければならないということもありません。
ただしもちろん、補色をさし色として持ってくれば、
お互いが引き立て合って、よりいきいきとしたスタイルになることは確かです。
さし色の使い方としては、
全体の中に1点投入する、
または点在させてリレーションを形成するの
2つの方法があります。
全体の中に1点投入した場合は、その1点のものを特に目立たせる効果が、
また、点在させリレーションを形成すれば、おしゃれな感じが自然と表現できます。
それはどちらを選んでも構いません。
またこれらの色合わせのほか、
洋服の世界でよく使われる色遣いに白から黒のモノトーンによるスタイルがあります。
白から黒は流行に左右されにくく、
常に使われる色遣いです。
白から黒のモノトーンには、色のあざやかさである彩度がありません。
白から黒は色ではなく、光の明るさだからです。
ですから、白から黒のモノトーンはどんな色とも合わせることが可能です。
それは白や黒のスクリーンの前にどんな色を持ってきても映えるのと同じことで、
どんな色をそこに持ってきても許されます。
同様に、白から黒の中間であるグレーも、
どんな色でも合わせられます。
これらは光と影の陰影なので、色味がないからです。
ただし、どれもその条件を満たすのは、
純粋で色味のない、混じりけのない白から黒であり、
少しでも黄色が混ざっていたり、青が混ざっていたりすると、
合う色は変わってきます。
クリーム色もグレイッシュなベージュも、純粋なモノトーンではありません。
さて、服の色は画用紙の上の絵具と同じではありません。
その色はどれも布地の上にのっかります。
素材の特質によって、純粋な色はまた違ったように見えてきます。
それが絵画や印刷物とは違う、洋服の面白さでもあるのです。
長くなりましたので、
後半部はその2に続きます。
参考文献:「COLOR BOOK based on the Munsell system」 Bunka Collage of Fashion
写真:オスワルトの色相環。向かい合う色が補色関係になる。
★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。
2015年5月1日金曜日
デザイン、生地、色
服がデザインされて製品化されるまでには、
段階があります。
その段階で最も重要なのは、
生地の選定、
色だし、
デザインの決定です。
これはブランドによって違うのですが、
デザインを決定する際、
先行して生地がもう既に存在している場合と、
デザインにあわせて生地を探し選定、または一から作る場合とがあります。
生地の色については、そのデザインにあわせて色だし(染め)をする場合と、
これもやはりもう既にある色の中から選択する場合とがあります。
どちらにも共通して言えるのは、
生地とデザインは切っても切れない関係であるということです。
生地とデザインがなぜ切っても切れない関係なのかということは、
生地の性質によって、
そのデザインが成り立つかどうかが決定してしまうからです。
例えば、デザインを先に考えて、
美しいドレープを出したい場合は、
生地にこしがなく、かつ薄手のジョーゼットやクレープを選ばなくてはなりませんし、
逆に構築的、立体的な形を出したければ、
厚手のしっかりしたフェルトやメルトンを使わなければなりません。
デザインではなく、使いたい生地が先にあった場合には、
その生地に合ったデザインを考えます。
シルクシフォンなら、ふんわりして、軽やかなギャザーやドレープが可能になりますし、
しっかりしたツイードなら、ジャケットやタイトスカートに向いています。
デザイナーは、その生地の特性、質感、適するデザインについて熟知している必要があります。
そうでなければ、服をデザインして製品にすることはできません。
生地とデザインの関係が決定したら、
つぎは色の選定です。
時代の色というものも必ずありますし、
また、デザインの上で必要な色というものもあります。
若さを表現したいのなら、ヴィヴィッドでポップな色合いに、
シックでエレガントなら、モノトーンやグレイッシュトーンに、
エスニックやトライブと言われる民族衣装をオリジナルとしたものなら、
その地域や文化圏の色が選ばれます。
このように1つのデザインされた服を完成させるためには、
この3つの要素はそれぞれに必要で、
交換不能な関係を持ちます。
交換不能な理由は、そこには意図があるからです。
若さなのか、
シックなのか、
エレガントなのか、
フェミニティなのか、
ジェンダーフリーなのか、
時代の最先端なのか、
リバイバルなのか、
意図があるからこそ、それらが選択されます。
もしここに意図がないのなら、それらはどうでもいいことです。
その時点で、それはデザインではありません。
デザインにはそれぞれ意図があり、
製品としての服になります。
その結果、意図の数だけ服のバラエティが豊かになります。
ファッションとはまさにそのことです。
多様性であり、豊かさです。
これがデザインする側、
ファッションを志向する側の姿勢です。
しかし同時に、それとは逆の姿勢の勢力も存在するのが現代です。
多様性や豊かさを否定し、
大量生産大量消費を礼賛します。
なぜなら、単純な同じものを大量に作ったほうが、
莫大な利益が得られるからです。
彼らにとって重要なのは、デザイナーの意図などではなく、
利益の追求です。
そのためにはデザインを極力シンプルに、
生地はなるべく同じものに、
色も決められた、ほんの少しの色の中から選びます。
デザインの意図などなく、
志向しているのは効率、安価、インスタントであることです。
2000年以降、
アパレル業界は、この2つの潮流に分かれました。
残念ながら、「莫大な利益」を得た側の影響力は強いです。
大量の宣伝、プロモーション、啓蒙活動が功を奏して、
多くの人が、ファッションの多様性、豊かさを選ばないままやってきました。
疑いもなく。
その結果、得られたものは、
感覚の鈍感さです。
明らかに、私たちの感覚は鈍感になっています。
芸術家、建築家、インテリアデザイナー、庭園デザイナーなど、
色と質感とデザインを扱う職業や、その勉強をしている人たちでない限り、
色の違いや、質感の違いに対する感度が鈍く、
差が認識できなくなっています。
何千種類ものウールの手触りを、
当たる光によって変化するヴェルヴェットの陰影の多彩さを、
デザイン、生地、色、すべてがマッチしたときの完璧な服の存在を、
そんなものすべてを振り切って、
簡単で、わかりやすく、インスタントなものを求めた結果、
私たちは豊かさを失いました。
多くの、傷んではないけれども、もう着られない服の山の真ん中で、
感じるのは、たくさんあることの豊かさではなく、
貧しさです。
それは、やせた感覚の貧しさです。
さて、貧しい人生など、ここらでやめてみてはいかがでしょうか?
かけたお金は少なくはありません。
金銭的に見てみたら、決して貧しくはありません。
貧しかったのは、その感性です。
何千種類ものウールの手触りを、さわっただけで瞬時に判断できるように、
バラとフランネル草とスイレンの葉の緑の違いのようなツイードの色彩が、
朝と昼と夕方では違うのだとわかるように、
袖を通した瞬間に、その服をデザインしたデザイナーと気持ちが通じるように、
失った15年の感性を、今から取り戻せばいいのです。
それは簡単なことではありません。
それは一朝一夕ではできません。
感性を眠らせている間にすぎていった時間を取り戻すのですから、
あるいは同じだけの時間がかかるかもしれません。
それでも、その価値はあるのです。
なぜなら、それこそが豊かであるということだから。
そして、
皮革とサテンとヴェルヴェットとウールギャバジンの黒の見え方の違いがわかる、
豊かな感性の持ち主こそが、おしゃれな人であるからです。
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段階があります。
その段階で最も重要なのは、
生地の選定、
色だし、
デザインの決定です。
これはブランドによって違うのですが、
デザインを決定する際、
先行して生地がもう既に存在している場合と、
デザインにあわせて生地を探し選定、または一から作る場合とがあります。
生地の色については、そのデザインにあわせて色だし(染め)をする場合と、
これもやはりもう既にある色の中から選択する場合とがあります。
どちらにも共通して言えるのは、
生地とデザインは切っても切れない関係であるということです。
生地とデザインがなぜ切っても切れない関係なのかということは、
生地の性質によって、
そのデザインが成り立つかどうかが決定してしまうからです。
例えば、デザインを先に考えて、
美しいドレープを出したい場合は、
生地にこしがなく、かつ薄手のジョーゼットやクレープを選ばなくてはなりませんし、
逆に構築的、立体的な形を出したければ、
厚手のしっかりしたフェルトやメルトンを使わなければなりません。
デザインではなく、使いたい生地が先にあった場合には、
その生地に合ったデザインを考えます。
シルクシフォンなら、ふんわりして、軽やかなギャザーやドレープが可能になりますし、
しっかりしたツイードなら、ジャケットやタイトスカートに向いています。
デザイナーは、その生地の特性、質感、適するデザインについて熟知している必要があります。
そうでなければ、服をデザインして製品にすることはできません。
生地とデザインの関係が決定したら、
つぎは色の選定です。
時代の色というものも必ずありますし、
また、デザインの上で必要な色というものもあります。
若さを表現したいのなら、ヴィヴィッドでポップな色合いに、
シックでエレガントなら、モノトーンやグレイッシュトーンに、
エスニックやトライブと言われる民族衣装をオリジナルとしたものなら、
その地域や文化圏の色が選ばれます。
このように1つのデザインされた服を完成させるためには、
この3つの要素はそれぞれに必要で、
交換不能な関係を持ちます。
交換不能な理由は、そこには意図があるからです。
若さなのか、
シックなのか、
エレガントなのか、
フェミニティなのか、
ジェンダーフリーなのか、
時代の最先端なのか、
リバイバルなのか、
意図があるからこそ、それらが選択されます。
もしここに意図がないのなら、それらはどうでもいいことです。
その時点で、それはデザインではありません。
デザインにはそれぞれ意図があり、
製品としての服になります。
その結果、意図の数だけ服のバラエティが豊かになります。
ファッションとはまさにそのことです。
多様性であり、豊かさです。
これがデザインする側、
ファッションを志向する側の姿勢です。
しかし同時に、それとは逆の姿勢の勢力も存在するのが現代です。
多様性や豊かさを否定し、
大量生産大量消費を礼賛します。
なぜなら、単純な同じものを大量に作ったほうが、
莫大な利益が得られるからです。
彼らにとって重要なのは、デザイナーの意図などではなく、
利益の追求です。
そのためにはデザインを極力シンプルに、
生地はなるべく同じものに、
色も決められた、ほんの少しの色の中から選びます。
デザインの意図などなく、
志向しているのは効率、安価、インスタントであることです。
2000年以降、
アパレル業界は、この2つの潮流に分かれました。
残念ながら、「莫大な利益」を得た側の影響力は強いです。
大量の宣伝、プロモーション、啓蒙活動が功を奏して、
多くの人が、ファッションの多様性、豊かさを選ばないままやってきました。
疑いもなく。
その結果、得られたものは、
感覚の鈍感さです。
明らかに、私たちの感覚は鈍感になっています。
芸術家、建築家、インテリアデザイナー、庭園デザイナーなど、
色と質感とデザインを扱う職業や、その勉強をしている人たちでない限り、
色の違いや、質感の違いに対する感度が鈍く、
差が認識できなくなっています。
何千種類ものウールの手触りを、
当たる光によって変化するヴェルヴェットの陰影の多彩さを、
デザイン、生地、色、すべてがマッチしたときの完璧な服の存在を、
そんなものすべてを振り切って、
簡単で、わかりやすく、インスタントなものを求めた結果、
私たちは豊かさを失いました。
多くの、傷んではないけれども、もう着られない服の山の真ん中で、
感じるのは、たくさんあることの豊かさではなく、
貧しさです。
それは、やせた感覚の貧しさです。
さて、貧しい人生など、ここらでやめてみてはいかがでしょうか?
かけたお金は少なくはありません。
金銭的に見てみたら、決して貧しくはありません。
貧しかったのは、その感性です。
何千種類ものウールの手触りを、さわっただけで瞬時に判断できるように、
バラとフランネル草とスイレンの葉の緑の違いのようなツイードの色彩が、
朝と昼と夕方では違うのだとわかるように、
袖を通した瞬間に、その服をデザインしたデザイナーと気持ちが通じるように、
失った15年の感性を、今から取り戻せばいいのです。
それは簡単なことではありません。
それは一朝一夕ではできません。
感性を眠らせている間にすぎていった時間を取り戻すのですから、
あるいは同じだけの時間がかかるかもしれません。
それでも、その価値はあるのです。
なぜなら、それこそが豊かであるということだから。
そして、
皮革とサテンとヴェルヴェットとウールギャバジンの黒の見え方の違いがわかる、
豊かな感性の持ち主こそが、おしゃれな人であるからです。
★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。