何が原因かわからない。
古いものを着ているわけでもないし、
格別安いものを着ているわけでもない。
それなのになぜかだらしなく見えるその理由は何でしょうか。
その理由は簡単です。
そのアイテムが下着、または作業着オリジンのものだからです。
下着が元になっているアイテムの代表はTシャツです。
その他、ランニング、キャミソール、すべて下着です。
下着はどうしたって、下着なのです。
一歩間違えばだらしなく見えるのは当たり前のこと。
カジュアル化が進み、どこへでも下着であるTシャツで出かけても許される時代にはなりましたが、
それでも下着であることに変わらないのです。
特にTシャツに使われているメリヤスという素材。
これはもともと下着のためのものです。
細い糸を編んだもので、織り物ではありません。
日本ではそれをカットソーと呼びます。
カットソーとは、これも和製英語であるカット・アンド・ソーの訳で、
言うなれば、切って縫っただけのものという意味です。
メリヤスという素材はもともと下着のためものでした。
今は、下着やTシャツだけではなく、
その他、多くのものがこの素材で作られています。
ワンピース、カーディガン、ブラウス、スカート、パンツ、何でもありです。
しかし、これらはもともと下着用の素材で作られたもの。
リラックスした、カジュアルな場や、もちろん家で着るには全く問題ありません。
しかし、それを外に着ていくということは、
家でのくつろぎを外に持っていくということなのです。
もちろん、着る人にそんな意識はないでしょう。
外ではリラックスなどしていません、緊張しています、という方もいるでしょう。
しかし、メリヤス素材がもともと持っている意味、印象は、
やはり下着なのです。
下着はどうやったって下着です。
一歩間違うと、だらしなさへ転落します。
だらしなく見えるスタイルのもうひとつの原因は、
それが作業着オリジンのものだからです。
作業着オリジンの代表はジーンズです。
あれは、労働着ではあるけれども、ホワイトカラーの労働ではなく、
作業着です。
野良仕事のためのものです。
ですから、野良仕事的な現場へ着ていく分には問題ないのです。
アパレル業界の、特に男性デザイナーが堂々とコレクションのフィナーレでジーンズ姿で登場するのは、ファッションの仕事など、こぎれいなデスクワークなどではなく、しょせん野良仕事だからです。
彼らはそれを認識し、半ば自慢げにジーンズ姿で登場します。
作業着オリジンは、そのほかにもワークパンツ、ワークシャツ、カーゴパンツなどがあります。
どれも工場での仕事や大工仕事のためのものですから、
それをオフィシャルな場に着て出ていくと、
労働の場と公の場を混同している、その判断力のだらしなさが露呈するのです。
そのほか、例えばポロシャツやパーカーはスポーツウエアです。
どんなに襟がついているとはいえ、ポロシャツはスポーツのためのもの。
それ以上のものではありません。
これら、最もオフィシャルな度合いが低いのは下着、次が作業着、その次がスポーツウエアです。
素材で見たら、メリヤスやジャージーがオフィシャルな度合いが低く、続いてニットとなります。
これらの要素が多ければ多いほど、
そして、それがその場にふさわしくなければないほど、
だらしなく見えます。
これは、どんなに周囲の人がそのような格好をしていたところで変わりません。
「うちの職場ではポロシャツは許されています」と言ったところで、
ポロシャツがポロというスポーツのためのウエアであることには、
変わりないのです。
そしてスニーカーは、もともと運動場のためのものです。
ではどうしたらいいか。
だらしなく見えたくないときは、
この要素を極力排除することです。
まずは下着の要素を持ったアイテムを着ないことが肝心です。
どうしても着たい場合は、なるだけ最小限にすること。
例えばインナーとしてTシャツ1枚だけなどと、限定することです。
また、年齢が上がれば上がるほど、
これらの要素を取り入れていると、だらしない度合いは大きく見えます。
逆に言うと、若者には、この一種のだらしなさもお似合いです。
それはひとえに肉体の問題でしょう。
しなやかな筋肉や、みずみずしい肌は、
少しぐらいのだらしなささえ、吹き飛ばすものです。
現代、確かにどこの場所へもTシャツとジーンズ、スニーカーで入れます。
ホテルしかり、仕事場しかり。
だけれども、Tシャツは常にその来歴として、下着であることを持っています。
みんなが着ていても、それが許されているとしても、
それは永遠にそうなのです。その生まれは、隠すことができない、
それは、誰もが知るところなのです。
私が子供のころ、
私の祖母はすべてのお出かけを着物で通していました。
暑い夏も、雪降る冬も。
そこには、だらしなさが微塵のかけらもありませんでした。
着物にとっての下着は襦袢です。
襦袢のまま外出など、考えられません。
私たちは今、洋服という新しい文化の中で、
あたかも襦袢でお出かけ、のようなことをしているのです。
そうするからには、それなりの心構えを持ち、礼儀を知っておくことです。
だらしなく見えるのは、
その礼節をすべて無視するからです。
その礼節を忘れないでいるのかどうかが、
だらしなく見えるかどうかの、
分かれ目だと思います。
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