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2017年6月13日火曜日

おしゃれを完成させるのは絵になるロケーション

西洋の衣服を考えるとき、それが絵になるかどうかはいつでも重要なポイントになります。
暗黒の中世が終わりを告げ、後にルネッサンスと呼ばれる時代に入るころ、
正面を向いた自画像で有名なドイツ人の画家デューラーは、
自分の着ている衣服のひだや、それによってできる陰影、
そして生地の質感を丹念に描きました。
衣服と絵画の関係はこのころから強く結ばれ、
それが現代へと続き、ファッションはファッションフォトグラファー、
そしてそれを掲載するメディアであるファッション誌なしでは存在し得なくなりました。

翻って、日本で長く着られているキモノは、
その平面的な生地そのものに絵を描きます。
美術館へ行けば、キモノが衣紋掛けに掛けられ、
そこに描かれた、絵画のようなデザインがわかるように展示されているさまを見ることができます。

作業や労働をするときのようなものではなく、
特に美しい衣服や、それを装飾するジュエリー、アクセサリー、シューズは、
実は全体として絵を作るために作られています。
衣服が重かったり、歩けないシューズだったりしたとしても、
それは全体の美しい絵のために奉仕するためであるので、
さほど問題にはされないのです。

ある程度、ワードローブがそろい、それなりにおしゃれに見える作法を身に付けたとき、
それでも何か物足りないと感じる方も多いのではないのでしょうか。
その原因の1つは、いくら衣服や装飾品、そしてシューズを揃えたとしても、
西洋の衣服というものは、それにふさわしい絵、つまりシーンなしでは成立し得ない、
つまり衣服だけではおしゃれに見えないという、その性質によるものです。
どんなに服、シューズ、バッグをそろえても、
あなたの立つシーンが、例えば田んぼの真ん中や、
蛍光灯がこうこうと光る工場付随の事務室では、
何か物足りなく見えてしまうのです。

多くの地方在住者が抱える悩みはこの点にあるでしょう。
情報やモノは今や、どんな僻地へも平等へ届けられます。
しかし、絵になるようなシーン、つまりロケーションが近くにない場合、
そこに葛藤が生まれます。
それは着ていくところがない、おしゃれする場所がないという葛藤です。

しかし、皆さんが思っているほどに、
東京という都会でさえ、さほど絵になるようなロケーションは多くありません。
それは海外のハイブランドが作るトーキョーフィルムがいつでも、
夜のネオンや、連続する赤い鳥居をくぐるシーンばかりということを見てもわかります。
現代の日本の街づくりは、決して全体として絵になるようにデザインされていないのです。
ヨーロッパの都会から遠く離れた小さな村にあるものが、日本にはほとんどありません。

そうなると、おのずとおしゃれをしていく機会も限られます。
試してみたくても、着ていくロケーションがありません。
ではどうしたらよいでしょうか。

なにも行動せず家にいるだけでは、
ロケーションは向こうからはやってきません。
いくら都会に住んでいても、土日は家にいて、全く外出しないのでは、何も解決はしません。
その解決方法は、自分で進んで絵になるロケーションのあるところへ出かけるか、
もしくは自分でその場を設定するか、
そのどちらかしかありません。

自分で進んで出かける場合、絵になるロケーションはいろいろ考えられるでしょう。
洗練された海岸や高原のエリア、
もしくは美術館、劇場、ホテルやレストランなど、建築やインテリアが美しいところなど、
おしゃれして出かける甲斐がある場所がそんなロケーションとなり得ます。

一方、自分でその場を設定する場合は、
家でパーティーをする、誰かをもてなす、
もしくは何かの会を企画する、発表会をするなど、
自分の住んでいる地域や、している活動によっていろいろな可能性が考えられます。

いずれにしても、実現するためには行動しなければなりません。
そしていつか誰かがそんな場所へ連れていってくれるだろう、
そんな機会を設けてくれるだろうという受け身的な程度では、
その機会はいつになったらやってくるかわかりません。

実のところ、おしゃれと受け身的な態度は相性が悪いのです。
とことん悪いのです。
あなたがいつも思う、あの離婚したほうがいいカップルと、
同じぐらい悪いのです。

受け身的な誰かのフォロワーである限り、
あなたが身につけることができるおしゃれの能力には限界があります。
それでもある程度のところまではいけますが、
それ以上はどこへも届きません。
遠くまで行きたいのならば、自分から行動すること。
もちろんそこそこでいいのなら、
受け身的かつ依存的でも構いません。