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2021年8月31日火曜日

ウエストを強調するかしないか、それが問題だ

 ファッショントレンドにおいて、ウエストを強調するのかしないのかは、
かなり重要な問題となります。

ウエストの強調で思い出されるのはコルセット。
16世紀ごろに身体にぴったり添わせるボディスという形が完成し、
その後、20世紀初頭まであらわれては消えていったコルセット。
もちろん21世紀になっても、ヴィヴィアン・ウエストウッドやジャンポール・ゴルチエ、そして最近のプラダやディオールに至るまで、コルセットが忘れ去られたことはありません。

(ちなみに、ナポレオンの后妃ジョセイフィーヌが着用したことで有名なエンパイアドレスはコルセットを着用しません。)

要するに、ウエスト周りをふんわりさせるか、
もしくはウエストをはっきり強調するかが問題なわけです。

さて、80年代から90年代へ続いたビッグシルエット、
2000年以降の、その反動としてのタイトシルエット、
そして、そのまた反動としての2012、3年以降の再びのビッグシルエットの後、
少しまた違うシルエットの波がやってきつつあります。
それはビッグシルエットを維持しつつ、身体のどこかを強調するスタイル。
特にウエストを強調したい「気分」が世界じゅうにまん延。
理由ははっきりとわかりませんが、男性のスタイルと区別するためにも、
ウエストがことさら大事だと感じている人がふえたせいかもしれません。

ウエストを強調するためにはいくつかの方法があります。
前述のコルセットもその一つ。
昔のように苦しいほどにウエストを締め付けるわけではありませんが、
ウエストにコルセットをわざわざつけることにより、
自然と目はウエストにくぎ付け。

次に、ウエストに何も身に着けないという方法。
ボトムとトップスの間に隙間を作り、肌を見せます。
ただしこれは、「引き締まったウエストを見せる」というのが前提。
細いとか太いとかいうよりも、鍛えて引き締まった肉体が肝です。

次はベルト。
コートやジャケット、カーディガン等、そこにベルトがなくても平気なのに、
わざわざベルトをつけてウエストを強調するスタイルがこれ。
どこかでコートやジャケットを脱いだときにベルトを忘れそうになるからでしょうか。
とても簡単な割にはやっている人は稀なのが特徴です。

そして最後、ウエスト周囲を強調するデザインのもの。
前述したベルトで強調を、より一層際立たせるため、
パンツやスカートのウエストをハイウエストにするスタイル。
またそれだけではなく、ウエストから下にギャザーやタックを入れることにより、
ウエストとヒップに落差を作り、さりげなくウエストの細さをアピール。
例としては最近出てきたペーパーバッグと言われる、紙袋を口をぎゅっと絞ったようなウエストのスタイル。
スカートでもパンツでも、ペーパーバッグウエストのものを一点投入するだけで、
世界にまん延する今の気分、つまり集合的無意識に訴えます。
だから、誰が見てもなんだか新しい気分を感じ取るわけです。

ウエストを強調するかしないか、それは各個人の自由です。
そこにはその人の主義主張があります。
どちらでもいいのです。
それは選べます。

だけれども、多くの人の今の気分に訴えたいなと思ったら、
その気分が世界じゅうにうずまいているときに、
ジャケットの上にベルトの1本でもしてみるといいのです。
そのスタイルは言葉が通じない相手にも通じます。
少なくとも、同じ時代の空気を吸っている人なら、
ぼんやりとでも、その今の気分に気づくことでしょう。

気づくのはぼんやりでも、
印象は刻印されます。




2021年8月29日日曜日

好きと過剰

雑誌や、あるいはブランドのヴィジュアルでは、細部にわたって気を配った、
完ぺきなコーディネートが提示されます。
着ているものも、靴もバッグも、
アクセサリーや、そしてメイクはヘアスタイルも完璧で、
手を抜いているところはありません。

一方、私たちの日常生活において、すべてを完璧に整える機会は、
そう多くはないでしょう。
家で過ごしたり、仕事をしたりするときには、
アクセサリーやジュエリーはつけないかもしれませんし、
誰かに見られないのなら、なおさらのこと、
すべてを完璧にする必要性はありません。

このように必ずしも完璧に装う必要がないときに、意識せずともあらわれてくるのは、
その人の好き、つまり趣味嗜好でしょう。

誰でも好きなものに対しては過剰になるものです。

例えばTシャツが好きな人はTシャツが、
ジーンズが好きな人はジーンズが、
ピアスが好きな人にとってはピアスが重要な意味を持ち、
抜かしてはならないものになるとともに、
所持する数においても、過剰な傾向になるでしょう。

過剰があれば、その反対に不足気味のものもあるわけで、
Tシャツ好きは布帛のシャツについてはこだわりも薄く、枚数も少な目かもしれませんし、
ジーンズ好きはスカートのことなど念頭にないかもしれません。
またピアス好きに至っては、服よりもジュエリーのほうが重要かもしれません。

私が考えるに、これはごく普通のことであり、
全く問題のないことです。

雑誌やブランドの広告ヴィジュアルは彼らの目的のために完璧なルックを作っているのであって、それは私たちの目的とは違います。

私たちの目的はそれぞれ違うでしょう。
けれども、大方は、毎日が気分よく過ごせるように、
あるいは、快適に過ごせるようにと、
自分のポジティブな感情を維持するために身に着けるものを選んでいるのではないでしょうか。

自分の感情をポジティブに維持するのは自分の問題であり、
自分がその責任者です。
ですから、その責任を果たすためにも、好きなものについては多少、過剰気味であったとしても、誰からも文句を言われる筋合いはありません。

服好きはジュエリーにはそれほど興味がないかもしれないし、
靴好きは、服にはそれほど力を入れないかもしれません。

皆それぞれ何が好きかは違います。
そして自分の好きなことについて、誰かが強要することはできません。

自分の好きと過剰について、自分に許すということは、
その人が自分の感情についてきちんと責任をとるということです。

私たちの好きについては、私たち自身が任されました。
詳しい事情について知っているのも私たち自身です。
その事情は他人にはわかり得ないものです。

好きと過剰があなたのスタイルを作り上げます。

自分の好きと、その過剰さは大事にしましょう。
なぜなら、そういうものこそが、これから先もずっと、
私たちの気持ちに寄り添ってくれるものだからです。