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2011年11月28日月曜日

リトル・ブラック・ドレスで女優気分


昨年、1枚のリトル・ブラック・ドレスを買いました。
リトル・ブラック・ドレスとは、はっきりした定義はないと思いますが、黒、または一部白い生地でできた、シンプルで、装飾の少ないドレスです。
日本でも、秋から冬にかけて、店頭に多く出回ります。

私が買ったのは、黒いニットジャージーの、ごくシンプルなドレス。
このドレスをパーティー以外でも、日常に着てしまおうという記事を書こうと思って、日常のためのコーディネートをいろいろ試して出かけてみました。

私が考えた日常のためのコーディネートは、こんな感じです。
サテンやエナメルなど光りすぎるものとはあわせない、あえてコットン素材のものとあわせて、アクセサリーも控えめに、その中に普段、自分が使っている小物をあわせてみる・・・。
こうすれば、ドレスといえども、十分、日常にも使えるのではないかと思いました。
そして、その結果、この方法を使えば大丈夫、皆さんもお試しあれ、と記事を書くつもりでした。

確かに、この方法で日常でも、十分通用しました。
どこかおかしな点もありません。
けれども、変ではないけれども、何かが違いました。
その何かとは、何か。

通常、私は、他人はさほど人の服など気にしていないので、必要以上に他人の目を意識する必要はないとお伝えしています。
その考えは、今でも変わりません。
しかし、リトル・ブラック・ドレスにおいて、これは通用しないことがわかりました。

リトル・ブラック・ドレスと言われて、すぐに思い出すのは女優です。
カトリーヌ・ドヌ―ヴ、オードリー・ヘップバーン、ロミー・シュナイダ―などなど、多くの女優のドレス姿が、まるでそらで暗記しているかのように、目の前のスクリーンに浮かびます。
装飾を排した、そのドレスは、その女優の個性を一層はっきり際立たせます。

リトル・ブラック・ドレスは、隠すドレスではありません。
個性を引き出すということ、つまり、着る人の本質をあらわにしてしまうドレスです。
あなたが何を考えているか、
どうやって生きているか、
信頼できる存在か、
はたまた、単なるうそつきか、
努力家か、そうではないか、
ミニマムで、しかも黒ということは、これらを露呈させます。
もう隠しようがありません。
と同時に、他人に見られているような錯覚を生じさせます。
女優のためのドレスとは、つまりそういうことです。
女優、つまり、日常でも、ドラマでも、常にだれかに注目されている存在、
だれか他人の目のための特別な「女性」の姿を期待され、それにこたえる存在、
そのための努力もするし、そしてそれにプライドを持つ、そんな存在です。
ですから、リトル・ブラック・ドレスを身につけるとき、
気を抜くわけにはいきません。
変なしわができていないか、ストッキングに小さな毛玉はできていないか、後ろ姿は完璧か、
ふさわしい下着を身につけているか、メイクはきちんとしているか、いつも以上に、入念にチェックが必要となります。

確かに、リトル・ブラック・ドレスは、上に書いた方法で、日常でも着用することは可能です。
パーティーなどの場合は、コットンは避け、光っているアクセサリーをつければ、どんな場に出ても通用します。
それだけ万能のドレスです。

でも、1つ忘れてはいけないのです。
リトル・ブラック・ドレスは、まるで試験用紙です。
あなたを試します。
何を食べてるの?
どんな言葉づかいなの?
運動はしてる?
どんな人と付き合ってる?
お料理はできるの?
バッグの中はちゃんと整理整頓されてる?
そして、最後の質問はこれです。
あなたはだれか、または自分にうそをついていない?

他人は、あなたのリトル・ブラック・ドレスを着た姿から、
これらの答えを見つけるでしょう。
正解はありません。
答えは、人それぞれですから。

その答えを、他人に知られても大丈夫と思ったなら、
リトル・ブラック・ドレスを着て出かけましょう。
見られることによって、あなたの中に眠っていた、女優の魂が目覚めるかもしれません。
女優の魂が目覚めたなら、もうあなたは新しいテレビドラマのストーリーを楽しみにする必要などありません。
あなたが楽しみにすべきなのは、あなた自身の物語なのですから。

☆写真は、シャネルのドレスを着たカトリーヌ・ドヌ―ヴ。リトル・ブラック・ドレスで一番に思い出すのは、この方の「昼顔」でのサンローランのドレスです。

2011年11月14日月曜日

冬のホワイト

どのショップをのぞいても、冬物衣料というものは、どうしても暗い色目が多くなってきます。
特にアウターは、黒、チャコールグレー、ダークブラウン、ネイビーが基本となり、しかもそれには、男女の差はありません。
クリスマスの近づいた銀座や新宿といった都会や、また、お正月の風景も、人々の後ろ姿は、ダークな色合いが大半を占め、ほかの色はどこに行ってしまったのかしらと思うほどです。
かろうじて、明るい色のものを着ているのは小さい子供と、今なら冬山へ向かう山ガールでしょうか。

私が30歳ぐらいのころ、私の友達が、サンヨーから発売された、ヨージ・ヤマモトデザインの、真っ白なロングコートを買いました。
そのコートは、店頭では見るかもしれないけれど、実際に着る人などいるのだろうかと思うぐらいインパクトのある、大胆なコートでした。例えば、映画の「マトリックス」の、あの黒いロングコートを真っ白にしたような感じでしょうか。
その彼女が、その白いコートを着て待ち合わせの場所にあらわれると、遠目にもすぐわかりました。何気ない街かどが、いきなり映画のシーンのようになるくらい、そのコートはドラマチックだったのです。
もちろん、そんな白くてロングのコートを着ている大人の女性は街に歩いていません。
彼女が歩くその部分だけが、何か特殊な照明が当たっているかのごとく光り輝いて、まさにそれはドラマの主人公が何かを演じているかのようでした。
そんな彼女を、私は羨望のまなざしで眺めていました。
当時の私は、人間や会社のダークサイドをまざまざと見せつけられ、体調も、そして経済状態も悪く、黒い服ばかりを着ていたからです。
その当時、その白いコートの彼女は作家としてデビューし、本もそこそこ売れ、同年代のOLが住めないようなお部屋に住み、買えないようなコートを買って、いきいきと輝いていたのでした。

私たちは大人になると、特に、30を過ぎてしまうと、とても白いコートなど買う気にはなれません。
そんなものを着ているのは、アニメの登場人物か、韓流ドラマの主人公ぐらい。
また同時に、大人の計算が働きますから、汚れやすい白いウールのコートがすぐみじめったらしい灰色になることもわかってしまいます。それよりも、汚れの目立たない黒やグレーを選ぶほうが、ずっと長持ちするだろうと予測します。
大人が冬に、白いものを着ようとすると、どうしても何かにつっかかって、踏みとどまってしまいます。夏に白を着るよりも、ずっとハードルが高いのです。

冬物の、特にウールの白は、何かとても純粋無垢な感じがします。
それは、木綿の白とも、また違います。
赤ちゃんや、幼児のためのウールの白いコートはたくさんありますし、着ている子供もたくさんいます。そして、それはとてもよく似合います。子供の純真無垢な感じが、ウールのピュアな白とマッチしているからではないかと思います。

けれども、真冬の白は、大人にこそ、ふさわしいのではないかと私は思います。
真冬の白は、大人の余裕と、寛容さを表現することができます。
白いウールは汚れるとわかっている、それでも着ることは、とても粋なことだと思うのです。

もちろん真っ白は難しいです。
ですから、例えば、グレーからライトグレーそして白、またはベージュからエクリュ、そしてクリーム色に近い白と続く、グラデーションのコーディネイトだったら可能ではないでしょうか。
スカートやニットなど1点のみ白にする。またはホワイトジーンズをはくなど、工夫次第で冬に白いものを着る方法はあると思います。
余裕のある方には、真っ白のカシミアニットとライトグレーのボトムとの組み合わせも、とても美しいのでお勧めです。

子供のような純真無垢な白ではなく、世界のダークサイドを通ってきた大人の女性が着る白には、硬い岩盤から無理やり掘り起こされ、研磨とカットを施して、初めて美しくなるダイヤモンドのような、特別な輝きがあるのではないかと思います。
子供にダイヤモンドは似合いません。
大人が白を着て、それでもなお輝くということは、きっとあなたが暗い闇を通ってきたからでしょう。
暗い地底から掘り起こされてきたダイヤモンドのようなその輝きは、だれかがあなたから奪い取ろうとしても、決して奪えないものなのです。

2011年11月7日月曜日

ロマンチックをひとさじ



久々に、所用で表参道へ行きました。
雑誌のインタビューで、外国から来たデザイナーが、青山は昔ほどおしゃれな街ではなくなった、というようなことを言っていましたが、それは私も感じます。
私が表参道あたりで働いていた、90年代は、それこそ、全身、最新流行ファッションに身を包んだ大人たちが、あたかもそこが映画の1シーンであるかのごとく、颯爽と歩く街でした。
しかし、日本の不景気とともに、そのパワーはだんだんと弱まり、
現在は、よく言えば力の抜けた、悪く言えばパワーのない、外国ブランドの豪華な建築のショップと観光客ばかりが目につく街になりました。
しかし、それでもなお、表参道は日本のファッションの中心地であることには変わりなく、トップレベルのおしゃれな人々に、そこに行けば出会えます。

今回、行ったのはプラダブティックの周辺でしたが、なぜか目立つのはスーツ姿のおじさまたちの集団と、ほかの街とさほど変わらない下校途中の小学生で、昔たくさんいた、おしゃれな働く大人たちには出会えませんでした。また、昔のように、はっと目を引くおしゃれな人もいませんでした。

そんな中、それでもなんとか、現在の東京のファッションのトレンドを知りたいと思い、働いている若い人や、町を歩く人を観察したところ、私の目にとまったのは、ひとさじのロマンチックでした。

ここのところ、私は、次はロマンチックが来るよ、来るよと言いながら、
じゃあ、どこに来てるの、具体的になんなのよということを書いていませんでしたが、
さすが、表参道、もうロマンチックを取り入れている人たちがいました。

私が最も注目したのは、ひざ下丈のオーガンジーやチュール素材のギャザースカートです。
(わからない方は、バレエの「ジゼル」でジゼルがはいているスカートを思い出してください。あのひざ丈バージョンです)
このスカートをはいている人を2人見ました。
(2人は十分多いのです)
オーガンジーのような透ける素材、そしてふんわりした、バレリーナを連想させるギャザースカートはロマンチックファッションを代表するアイテムです。
このスカートがとあるブランドから売り出されているのは知っていましたが、
街で実際に着ている人は初めてみました。
しかも、それはパーティーといった特殊なシチュエーションではなく、ごく普通の普段着としてです。

そのほかにも多く目に着いたのは、ひざ丈までのふんわりしたスカートです。
シフォン素材でふんわりした感じのひざ丈スカートを多く見ました。
これも、ロマンチックです。
私が言うところの、仕事には向かない洋服です。

これからこういった、オーガンジー、シフォン、それからレースなど、およそ女性しか身につけない素材の、ふわふわしたスカートやブラウスなど、市場にどんどん出てくると思います。

では、今現在、それをどうやって取り入れましょうか。
簡単です。

例えば、ダッフルコートにレースのスカート、
トレンチコートにオーガンジーのギャザースカートなど、
今まで着ていた、どちらかというと、働くスタイルの服に、ひとさじのロマンチックアイテムを付け加えていけばいいのです。
それだけで、次の時代の気分の先取りです。
色も、パステルや、グレイッシュ、スモーキーを選べば、もっと気分は高まります。

流行は、ある日突然、いっせいのせ、で変わるわけではありません。
じわじわと水が浸食して岩の形が変形するように、これからはロマンチックの波が、
硬くて、四角くて、冷たく機能的な服を壊していくでしょう。
その甘美な浸食は、もう既に始まっているのです。

☆写真はオーガンジーとレース。ロマンチックの重要素材です。

★ちなみに、バレリーナスカートは作るのが簡単です。だいたいがウエストゴムですから、
ありもののギャザースカートのパターンを利用して、素材をチュール、またはオーガンジ―にするだけです。あとは裏をつけるだけ。作れる人は作ってみてはいかが?