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2015年2月16日月曜日

「ハレ」の日の衣装(例えばデートの場合)

日常のことを「ケ」、
そしてはれのの日のことを「ハレ」と言います。
現代は、この「ハレ」と「ケ」のうち、
「ハレ」の日が少なくなり、
どこまでも続くような、変わらない日常が1年の多くを占めるようになりました。
それでもまだ、「デート」というものは、この数少ない「ハレ」の日であると思います。
今回は、「デート」を例にとって、
どんなふうにその日の服装を組み立てていったらいいか、
考えてみることにします。

考慮する必要があるのは以下の点です。
季節、
場所、
時間、
かかわる相手、
目的です。
考え方としては、自分が主人公の映画のワンシーンで、
自分が監督で、自分が衣装デザイナーです。
デートのシーンが絵になるものになるように心がけます。

まずは、「デート」という1つのシーンがどのような季節の、どこであるのかを考えます。
例えば季節が同じ早春だとしても、
それが都会なのか、海なのか、山なのか、田園なのか、地方なのかによって、
着るものは変わります。
なぜなら光の加減も、背景となる風景も違うからです。
どちらかというと、都会はその点で許容範囲が広いです。
特にそこが観光地であった場合、どこでも同じ服装の観光客は許されます。
しかし、幾ら都会の許容範囲が広いとは言え、
高級ホテルのラウンジで映えるスタイルと、
湘南の海辺のレストランに似合うスタイルは違います。
都会であったら、ガラスとコンクリート、凝った照明ですが、
海辺であったら、まずは海と輝く真昼の太陽、または夕陽や、
灯台に照らされる海などになるでしょう。

また、デートなのですから、季節感無視のスタイルもおかしいです。
お気に入りの映画やテレビのドラマを思い出してください。
主人公は、季節に合った服装をしてあらわれます。
暑さ寒さに対する対応が優先の日常とは違います。

次に時間です。
朝、昼、夕、夜などの時間帯のうちどこなのか、
または半日なのか、1日なのかを考えます。
午前中、レストランでブランチをとるのと、
夜のディナーを楽しむのとでは、装いは変わってきます。
午前中だったらよりリラックスした感じで、
夜だったら、少し緊張感のある、よりおしゃれした感じがふさわしいです。
また、1日にかけてのものであったら、
1日のうち、どのように衣装を変えていくか、考える必要も出てきます。

季節、場所、時間がわかったら、
次は相手との関係について考えます。
初めてデートする相手と、1年付き合った相手と、
結婚した相手では、選ぶスタイルは違ったものになるでしょう。
初めてデートする相手だとしたら、それなりにきちんとした、
かつ自分らしさが伝わるスタイルで、
付き合って何年もたつ相手なら、よりリラックスした、カジュアルな雰囲気になるでしょう。
けれども、まだここで決定することはできません。

最後に最も重要なのはその日のデートの目的、そして意図するところです。
初めてのデートなら、自分を知ってもらうためでしょうし、
誕生日のデートなら、どちらかをお祝いするためです。
自分を知ってもらうために、その方法としてカジュアルな普段着のスタイルを見てもらうのか、
それとも、かしこまった感じのよそ行きスタイルを見てもらうのか、
それは自分でどちらを意図するかによります。
また、誕生日のお祝いを三ツ星レストランでするのか、
ドライブをしてから海辺のレストランでするのか、
雪深いゲレンデ近くのホテルのレストランでするのかによっても変わってきます。

さて、これら考慮すべき点を出そろったら、
次は自分の持っているワードローブで、どうやってそれを表現するかの問題です。
現在、多くの人のワードローブは、
普段着、通勤着、遊びへ行くときのスタイルで構成されています。
「ハレ」の場面が少ない生活をしていると、
そういった日のためのワードローブは一切持っていないということも多いです。

しかし、人間の歴史のどの時代、どの地域においても、
「ハレ」の日のための衣装というものは存在しています。
私たちが「貧しい」と呼ぶその地域でさえ、
私たちの日常着よりはずっと豪華なお祭り用の衣装一式を持っています。
何か特別の日のために「着飾る」という行為は、
人間の長い歴史の中で、たった一度も忘れられたことはありません。
それは根源的な私たちの無視できない欲動です。
それは抑圧されればされるほど、反動となってあらわれます。
たくさんの服を所有したり、
買っては捨ててを繰り返すのもその1つのあらわれです。

「ハレ」の日には「ハレ」の日にふさわしい服装をするのが人間の文化です。
どんなに貧しいと呼ばれる地域や国々でも、それはできるのです。
確かに現在の生活の中では、大きなお祭りも夜通し祝い続けるような結婚式もありません。
であるからこそ、自分の生活の中に「ハレ」の日を作らないと、
人間としての心が枯れていきます。

「ハレ」の日のための衣装が何もない場合、
自分なりに工夫して、何かを付け加える必要が出てくるでしょう。
それがダイヤモンドのピアスなのか、
ラインストーンのネックレスなのか、
シルクサテンの花柄のドレスなのか、
黒いスエードのハイヒールなのか、
それはその人のライフスタイルや年代にもよります。
学生であれば学生なりにできる範囲での、
また年齢を重ねたのであれば、それにふさわしい選択というものがあります。

そして、洋服ではありませんが、
日本人であれば、それが着物だということもあるでしょう。
着物を着るだけで、それは十分に「ハレ」の日です。

ポイントは非日常です。
普段は着ないものです。
「ハレ」の日のためだけに用意された、
日常を超える衣装。
毎日のためのものではなく、
1年にたった数日の、特別な日のためのもの。
そんなものがあるだけで、
私たちは退屈な日常から抜け出すことができ、
着飾りたいという人間の根源的欲求が満たされます。

今回は例えばデートの場合でしたけれども、
何もデートに限ったことではありません。
音楽会へ行くとき、
予約をしてディナーをレストランでいただくとき、
または自分が主催して誕生日パーティーを開くとき、
そんな、普段着ではないときのためだけの衣装があることで、
私たちのモノクロの日常が、いきなりカラーに変わるのです。

観客でいることはやめて、
主人公になりましょう。
誰かが主人公の映画もドラマも雑誌も適当にしておいて、
自分が主役の物語を紡ぎましょう。
映画のワンシーンのように、
シーンをつなぎ合わせれば、
自分だけの物語ができ上がります。
主人公の「ハレ」の日の場面のために、
衣装を用意してあげましょう。
なぜなら、すべてこの世は舞台だからです。


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