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2015年11月16日月曜日

さし色をさし色としてではなく使う

何事にも基本的なルールというものはあります。
ファッションに関して言えば、それは3色ルールです。

もちろん、すべてのスタイルが3色以内で構成されているわけではありません。
特に、若さ、ポップ、エステニック、ボヘミアンなどが流行っているときは、
多色使いが多く出現します。

若さ、ポップ、エスニック、ボヘミアンとは何か。
それはセンターではないということ。
つまり、エキセントリックということです。

しかし、シック、エレガントと呼ばれるスタイルは、
一時的に世間がポップやエスニックに流れようと、
結局は全体を3色以内で構成する、3色ルールに戻ってきます。
なぜならそれが基本だからです。

スタイルを3色以内で構成するとき、
3色の中の1色は、いわゆるさし色と呼ばれ、
基本的にはその他の2色より、小さい面積を占める色を指します。
それがどれぐらいの割合かと言われれば、
1割程度といったところでしょうか。

しかし、これも確固とした規則というわけではなく、
常に例外や変則が存在します。
それは、さし色にもかかわらず、その1色がより大きな面積を占める場合です。
そういうスタイルはだめなのかと言えば、
全くそういうことはなく、
かえって、ありきたりで、見慣れたスタイルを新鮮に見せ、
大きな効果を与えます。

具体的にどういうことなのか、以下、説明します。
例えば、紺、白、赤のトリコロールのスタイルの場合、
多くは赤がさし色となります。
いまだ、どういう色がさし色なのかわからない方がいらっしゃいますが、
基本的に自分が選んださし色のスーツやコートは買いません。
紺、白、赤の場合、赤のスーツやコートは買わないということです。
さし色として赤を考えるならば、
赤でそろえるのは靴、バッグ、マフラー、帽子、手袋など、
または洋服の一部に、ごく小さい面積、赤が使われいるものなど、です。

しかし、ここで通常のさし色の赤としての使い方を変えることは可能です。
靴、バッグ、帽子などの小さな面積だった赤のニットを着てみる、
もっと大胆な色遣いにしたいのなら、
コートとして持ってきたとしても、実は問題がないのです。

例えば、真冬には多くの人が、それは男女、大人子供問わず、
ネイビーやグレーのコートを着ます。
視界の中にたくさんの人が存在せず、
真冬の美しい街角にネイビーのコートは、決して似合わないということはないのですが、
それが集団となったとき、意味が変わってきます。
街角に一人だったときには素敵に見えたネイビーのコートが、
たくさんの中に入ってしまったら、
それはただ埋もれるだけで、特別おしゃれに見えなくなります。

集団の中にたたずむモデルのファッション写真というものはありません。
それはいつでも1人か2人か、せいぜい数えられる人数でしかありません。
しかし、私たちが住む世界には、それ以上の人たちが存在します。
渋谷の駅前の交差点に立ったならば、そのことがよくわかるでしょう。

その中で、さし色としてふだん使っていた赤をコートとして持ってくることには、
非常に大きな意味があるのです。
それははいわば、集団の中のさし色です。

同じように、ヴィヴィッドなピンクでも、あざやかな黄色でも、
その色のコートやニット、ドレスを着ることは可能です。
ふだんはさし色としてしか使わなかったこれらの色の面積を大きくする。
このことは、私たちが決して1人で生きているわけではないことを思い出させます。
ファッションは、1人では存在しないのです。

シーンがあって、
登場人物がいて、
照明が決まり、
着る人の意図や目的があってこそ、
最終的なスタイルが決定されます。

そのときに、そのさし色を生かしたいと考えたならば、
場合によっては、もっと大きな面積に使っても構わないのです。
おしゃれとは、誰かの間にまぎれて埋没することではありません。
それは、着る人を際立たせ、存在意義を確立する行為です。

大勢の中の1人になりたいのか、
一人の独立した存在として、世界に存在したいのか、
それを考え、選択するとき、
さし色の使い方も変わってきます。

普通でいたい、
常識から外れたくない、
目立たないで、
みんなと同じで、
仲間はずれにならないように、
そんなふうになりたいのなら、
あえて、さし色を大きい面積に持ってくる必要はありません。
しかし、もしそうでないのなら、
この世に自分は1人だけであると、
それを示したいのなら、
集団の中のさし色として、
それはやる意義があるのです。

真冬の東京の
イルミネーションが輝き、
たくさんの人が行きかう街角で、
誰かに見つけて欲しいのなら、
さし色の面積を広くしてみてください。
そうすれば、見つかります。
はぐれることはありません。

通行人の一人ではなく、
名前のある登場人物になりたいのなら、
さし色をさし色ではなく使うことをお勧めします。
そうしたならば、誰かがあなたのことを名前で呼ぶでしょう。
誰がやっても構わない、通行人の一人では、なくなるでしょう。

★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。

















2015年11月1日日曜日

素材感を変えていく

ファッションに関連する仕事に携わっていない一般の人々は、
素材について勉強をしたことがない場合がほとんどです。
勉強したわけではないのですから、
知識はほとんどありません。
ウール、コットン、リネンなど、
名前は知っているでしょう。
しかし織りの種類によって変化する表面の感じ、
ドレープの出方、透け方、伸びる特質など、
それらについて詳しく知っている人は、多くはいないでしょう。

雑誌の写真を見たところで、
解説の文章を読んだところで、
その生地について知り得たとは言えません。
生地について知るためには、必ず経験が伴います。
実物をさわってみなければ、
それを知っているとは言えません。
同じライフスタイル、
同じ地域、
似たような仕事の中で、
生地への知識はふえてはいきません。

色についてもきっちり計画し、
シルエットも決して古びていないのに、
何となく凡庸な仕上がりのスタイルになるとき、
何が面白くないのかと言えば、
その素材感の変化のなさです。

ジーンズにボーダー柄のカットソー、
コットンギャバのトレンチコートにコンバースの平凡さ、子供っぽさは、
そのすべてが木綿から作られていることにゆえんします。

街は、安価な木綿とポリエステルの素材であふれています。
安さだけを求めていると、
手に入るのは木綿のカットソーばかりです。
安さの名のもとに、
いつの間にか素材のバラエティは失われ、
似たような素材、生地のアイテムがワードローブに並ぶようになります。
それらはどんなに素敵に組み合わせたところで、
私たちが見るような、コレクションで発表されたスタイルにはならないのです。
なぜなら、素材があまりに違うから。

木綿素材は洗濯が簡易なため、
子供服に多様され、おのずと子供服は木綿ばかりとなります。
それは構わないのです。
子供はいつでも服を汚しますから、子供服は洗濯に耐えるものでなければいけません。

活動的な若者にも、木綿だけのスタイルは似合います。
洗いざらしのTシャツによれよれのジーンズは、
若者の代表的なスタイルです。

しかし、よりおしゃれに見せるのなら、
そしてその凡庸さから抜け出したいのなら、
1つのスタイルを作るとき、素材感を変える必要が出てきます。

素材感を変えるとは、
例えばすべて木綿のアイテムだけでコーディネイトするのではなく、
木綿、ウール、シルク、皮革などというように、
素材を変えること、
もしくは、サテン、オーガンジー、ツイード、エナメルというように、
織りを変えて、生地の表面やテクスチャーが違ったものを組み合わせる、
ということです。

素材感を変えることによって、
同じ色でも陰影が出てきます。
例えば同じ黒でも、サテン、オーガンジー、レースというように
素材を変えることによって、生地に凹凸が生じ、陰影が生まれ、
それはあたかもリズムのようであり、
物語の起承転結のようであり、
一筋縄ではいかない、
複雑で、多くの意味を、そのスタイルにもたらします。
そして、その複雑さ、一度では理解できない難解さがファッションです。

確かに、木綿だけのコーディネイトはわかりやすいです。
疑問も質問も生まれません。
しかし、疑問も質問も生まれないということは、
そこには物語がない、ということ。
1度見たら終わりの、
1度聞いたら終わりの、
1度会ったら終わりの、
そのつまらなさは、
記憶には残らず、忘れ去られます。

1ページ足らずのレジュメでは、物語とは言えず、
一読すれば終わりの、そのコーディネイトを、
おしゃれとは呼ばないのです。
それはライトノベルです。
何度も読まれる名作ではありません。

凡庸を抜け、
相手に疑問を抱かせ、
質問を誘発し、
幾通りもの解釈を可能にするためにも、
1つのスタイルを完成させるときは、
素材感を変えていくことをお勧めします。

厚ぼったいだけではなく、
マットな光だけではなく、
光を入れて、
薄さを足して、
レースやツイードで凹凸をつけ、
表面を立体的にし、光を乱反射させる。

スタイルとして考えたときは、
その光はもちろんジュエリーでも構わないし、
エナメルのショートブーツでも、
帽子のサテンのリボンでも構いません。

素材がよくわからないのなら、
生地屋へ行ってみるのもいいでしょう。
一枚一枚さわってみるその経験が、
やがて素材の知識へと変わります。

できるならば、なるべく多くの素材のものを試着して、
その軽さ、重さ、照明の見え具合、さわり心地を確認することをお勧めします。

(けれども、すべての人がそれをするには難しい状況だ、ということもわかります)

安さと手軽さ、わかりやすさの罠にはまったままでは、
おしゃれには見えません。
それは努力を要するのです。
簡単だなんて、一度たりとも言ってはいません。
いつでも、
それをするかしないかです。
しないのなら、しないなり、ということです。



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