シンプルでベーシックなものがいいという意見に異論はありませんが、
もし自分が本当に気に入ったのならば、
デザイン性の高い服を着るのは、その人のパーソナリティを表現できる、
他の人とは違うオリジナリティがあるという意味でも大変いいものです。
実際、多くのデザイン性の高い服がこの世には存在しますし、
買うことができます。
なぜならそれには存在する意義があるからです。
しかし、今までデザイン性が高い服をあまり着たことがない人は、
それをどうやって選んだらいいのかよくわからないでしょう。
その方法について書きます。
まず、どんなデザイナーの服が好きなのか、着てみたいのか、
決めましょう。
何が好きなのか、どんな趣味嗜好なのかは、その人自身でないとわかりません。
雑誌で見たスタイル、コレクションのビデオを見ていいと思ったもの、
なんでもいいのでまずはどんなものが着てみたいのか、
実際に買いたいのか決めてください。
さて、では例として、あるブランドものが1点は買ってみたいなと決めました。
サンローランならサンローラン、グッチならグッチ、なんでもいいです。
ほとんどの人はいきなり全身コーディネートを買える状況にはないと思いますから、
次に、自分の必要なアイテム、そして色を決めましょう。
例えばセーターが欲しい、そして色はネイビーというふうに決めます。
ここで何も決めないでいきなりショップへ行っても、
何を選んだらいいかわからなくなりますから、
自分が欲しいものを決めておきます。
次に実際に試着をしにショップへ行きます。
通販でも販売していますが、今まで買ったこともない、
しかもデザイン性の高いブランドのものを、初心者が買うのは無謀です。
返品可能なものではない限り、それはやめておきましょう。
扱っているのは、そのブランドの店舗か、もしくはセレクトショップやデパートの場合もあります。
ショップに入ったら、自分が探しているものを販売員の方に伝えます。
販売員の方がいらっしゃらない場合は、自分で探します。
セーターを探しているのなら、セーターが並ぶ棚へ行きます。
そして色、サイズともぴったりのものがあったら試着します。
ここで気をつけてほしいのは、
デザイン性が高いものは、ハンガーにつる下がった状態では、
着た状態がどんなものかはわからない、ということです。
ですから、ハンガーにかかった状態で、これはいい、悪いと判断しないでください。
着てみないと絶対にわかりません。
とにかく試着です。
デザイン性の高いもの、特にハイブランドのものなどは、
いわゆるドメスティックブランドと言われる日本のブランドのものとはサイズ感が違います。
その多くは、どこかが非常に細かったり、長かったりします。
そのサイズ感はブランドによってさまざまです。
それはそのブランドの目指す理想像であるので、
その理想像をどんな体型にするかによって、サイズは全く違います。
そのサイズ感についての情報は、どこにも書いてありません。
うちのブランドはウエストが細いです、袖丈が長いですなどというような
注意書きは、通常、どこにも記載されていません。
ですから、サイズについても試着しないことにはわかりません。
また、こちらのブランドの36と、あちらのブランドの36、
同じではありません。
私はいつも36よ、などと言っても、細いものは細いですし、
大きいものは大きいです。
サイズは目安でしかありませんから、とにかく試着してみましょう。
デザイン性が高ければ高いほど、試着が必要になります。
試着するときも、デザインによっては自分ではどうやって着たらいいのかよくわからないものもあります。
極端に言えば、どちらが前で後ろなのかわからないスカート、などというのものもありますから、
わからなかったら販売員の方に着方を必ず聞きましょう。
さて試着してみたらサイズのチェックです。
前述したように、サイズ番号は目安にしかなりませんので、
自分の身体に合っているかどうか、チェックしてください。
では、自分の探していたネイビーのセーターがありました、
サイズもぴったりでした。その次にまだ確認することがあります。
これはできれば、自分がネイビーのセーターを何に合わせるのか決めているのなら、
それを着て、買いに行くといいでしょう。
もし合わせるつもりのものをそのときに着ていないのなら、
そのセーターが自分のパンツ、またはスカートに合うかどうか、
イメージしてみましょう。
たぶんここが一番難しいポイントで、イメージすることができない人も多いと思います。
イメージするのが苦手な場合は、最初から合わせるつもりのものを着ていくといいでしょう。
ではここから、もう少し簡単に取り入れる方法です。
デザイン性の高いものは、ほかのものと合わせるのが難しいものが多いです。
その難しさから敬遠している人も多いと思います。
その場合は、ほかのアイテムとほとんど合わせる必要のないワンピースを買ってみるといいでしょう。
特に夏のワンピースはそれ1枚だけで着て、出かけられますから、
コーディネートが苦手な人はワンピース、
もしくはスーツやセットアップを選ぶといいと思います。
例えばデザイン性の高いブラウスに対して、
同素材のスカートやパンツもあるのなら、それも併せて買えば、
コーディネートについて、それほど悩む必要はありません。
またもう既に持っている自分のアイテムと合わせることを考えた場合、
自分が集めている色のものを買うといいでしょう。
色さえ合わせておけば、コーディネートはぐっと簡単になります。
次です。
例えばどこかのブランドのデザイン性の高いシャツを1枚買いました。
それがとても気に入りました。
そうしたら、次に何かを買うときも、また同じブランドで買いましょう。
やはり同じブランドのものはコーディネートもしやすく、おしゃれに見えます。
いろいろなブランドをミックスするのがはやっている現在ですが、
それでも余り考えないで着てもおしゃれに見えるのは、
同じブランドのアイテム同士です。
コーディネートが苦手な人は特に、同じブランドでアイテムを集めていくといいでしょう。
もし世界全体に、いわゆる洋服におけるシンプルでベーシックな服が存在するだけでいいのなら、
多くのデザイナーは失業しますし、ファッション学校も必要ありません。
それに、同じシンプルでベーシックな服をすべての人が着なければならないと言ったら、
それは表現の自由のない独裁国家です。
幸いにも、少なくともこれを読んでいる方々は、同じ服を着ることを強制されるような、
独裁国家の国民ではありません。
そうしてもっと言うのなら、
あなたのパーソナリティはほかの誰かのパーソナリティとは違います。
それを表現する方法の1つとして、
多くのデザイナーたちが提供する、デザイン性の高い服は非常に有効です。
これを使わない手はありません。
もしデザイナーの渾身の1枚を着てみたいと思うのなら、
躊躇することなく、試着してみてください。
服で感動するとはどういうことなのか、わかります。
それは新しい経験です。
デザインとは、世界の新しい見方なのだと、
そして自分を再発見することなのだということがわかるでしょう。
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2017年12月13日水曜日
2017年11月30日木曜日
古着の選び方、買い方
最近、私の周囲でもにわかに古着がブームです。
理由はいろいろ考えられますが、
推察するに、最近の似たようなデザインで、かつ決して高いとは言えないクオリティの服の氾濫と、それらに満足できない人たちの要望、そして古着を扱うショップの増加、ネットを通した古着の売買が可能になったことなどが考えられると思います。
しかし多くの人が漏らすのが、
古着選びの難しさです。
古着をどうやって選べばいいのか、そして買えばいいのか、
考えてみたいと思います。
かくいう私も、昔からヨーロッパへ行った折には、必ず古着屋をのぞいていました。
単純に古いものをいろいろ見るのが楽しいからではあるのですが、
いつも見ているだけで、ヨーロッパで古着を買ったことは一度もありませんでした。
理由は、選ぶのも買うのも難しいからです。
では、そんな選ぶのも買うのも難しい古着と向き合うにはどうしたらよいでしょうか。
まず古着を選ぶ際にはよいものを選ぶ鑑識眼と
衣服の素材、構造、ブランドなどに関する知識が必要です。
何の知識もなく古着を見ても、何がいいものなのか、自分で見分けることは困難でしょう。
最低限、素材の知識は持っておく必要があります。
大まかに言えば、それが自然由来の素材なのか、化学繊維なのかということです。
古着の場合、タグがない場合もありますので、
さわってみて、大体それが自然由来の素材なのか、化学繊維なのかがわかればベストです。
また、膨大な中から自分が探す1枚を見つけるためには、
自分はどんなものを探しているのか、
どういう基準をクリアしたら買うのかというポイントをはっきりさせておかないと
何も決断することができません。
自分が具体的にそのときに何を探しているのか、
例えばトレンチコートを探しているのか、アランニットを探しているのか、
色はネイビーなのかベージュなのかなど、
そしてどのレベル、つまり傷み具合はどれぐらいまでで、
価格は幾らまでなら買うということを細かに事前に決めておかないと、
結局は見ているだけで選べないことになります。
そうならないためにも、古着は目的を持って探したほうがよいでしょう。
ほとんどの古着を扱うショップでは膨大な量の衣服を販売していますから、
ただ漫然と一点ずつ見ていったのでは、いつまでたっても望みのものを見つけることができません。
ただ見て楽しむために古着屋へ行くのでなければ、
事前に自分が探しているもの、欲しいものの条件を決めておくとよいでしょう。
次はどこの古着屋で買うかについてです。
古着屋にも種類がいろいろあり、ヨーロッパのものを扱うところ、アメリカのものを扱うところ、日本の古着など地域ごとの違い、
また、60年代から70年代といったヴィンテージのものを扱うところと、
ごく直近の2000年代以降のものを扱うところなどさまざまです。
これも事前にショップの情報を調べて、自分が探しているものがありそうなところへ行くとよいでしょう。
傾向としては、特定のブランドのヴィンテージを扱うところは状態もよく、価格も高めです。
日本の古着については、80年代、90年代の日本の古着はクオリティが高い傾向にあります。理由はその時代の日本で売られていた服そのもののクオリティが今よりずっと高かったからです。ですから、これら80年代、90年代の日本の古着を扱うショップも価格は高めの傾向にあるでしょう。
一方、同じ日本でも2000年代以降を扱うショップの古着は、総じて全体のクオリティは低く、安い傾向にあります。そのようなショップはショッピングセンターなど、気軽に行けるところにありますが、あの中から掘り出し物を見つけるのは、かなり難しいでしょう。
例えば最初からヴィンテージのバーバリーのコートが欲しいのなら、
ネットで検索して、それらを扱っている店舗へ行くとよいでしょう。
そういったものはどこでも扱っているわけではありませんので、事前のリサーチが必要です。
鑑識眼はさておき、自分である程度の知識を身につけておく、
どういうものが欲しいのか決めておく、
行くショップを限定する、そこまでできたら実際にショップへ行きます。
ショップへ行ったら、まずは探している形のものだけを見ていきましょう。
ピーコートを探しているのなら、ピーコートだけをチェックします。
古着屋は、一般のショップと違って、扱う衣服の色も形もばらばらで、
一点一点すべて違うわけですから、 探しているものを見ていくのがベストです。
あまりほかのものに目移りしていると、集中力も途切れ、
何が欲しかったのか、どういうものがよいのかだんだん自分でもわからなくなりますから、
膨大な点数が並んでいたとしても、目当てのものだけをさっとチェックして、
買えそうなものがあれば即座に試着しましょう。
そして試着して少しでも納得いかない点があるなら、
次のショップへ行きましょう。
また、買うと決めてショップへ行ったとしても、必ずしも望みのものがあるとは限りません。気に入ったものがないのなら無理して買うのはやめましょう。
そこでぴんとくるかどうかは、自分の感覚だけが頼りとなります。
古着の場合、ほんの少しでも違和感があると、その後、着なくなる可能性が新品のものより高いです。
やはりそれは古着なので、よほど気に入ったものでなければ、外へ着ていくことはないでしょう。
ちょっとでも気に入らない、何か変だと感じたら、買わないに限ります。
古着を選ぶのも訓練です。
初めて行ったショップで、望みどおりの自分にぴったりの一着が見つかる確率は低いでしょう。
何となく違うと感じながらも、
あきらめず、根気良く見ていけば、
そのうち目が慣れてきて、膨大な中から必要な1枚が見つかるようになります。
それは新しい知覚の開発です。
今まで使っていなかった能力の一部です。
訓練して初めて使えるようになるものですので、
興味があるのでしたら、見る訓練を続けてください。
古着選びは、いわばテストみたいなものです。
今までどれだけ自分で鑑識眼を養ってきたか、
どれだけブランドや素材についての知識があるかが試されます。
またもう一方で、ぶれない自分があるのかどうかもそこでは要求されます。
誰かがお勧めしてくれるわけでも、
誰かがお墨付きを与えてくれるわけでもありません。
必要なのは、自分自身への信頼です。
信頼しないことには、何も選ぶことができません。
自分を信じて今まで育ててきた人は、
ぜひ古着屋をのぞいてみましょう。
あなたに選ばれるための素敵な一着が、
あなたとの出会いを待っていることでしょう。
理由はいろいろ考えられますが、
推察するに、最近の似たようなデザインで、かつ決して高いとは言えないクオリティの服の氾濫と、それらに満足できない人たちの要望、そして古着を扱うショップの増加、ネットを通した古着の売買が可能になったことなどが考えられると思います。
しかし多くの人が漏らすのが、
古着選びの難しさです。
古着をどうやって選べばいいのか、そして買えばいいのか、
考えてみたいと思います。
かくいう私も、昔からヨーロッパへ行った折には、必ず古着屋をのぞいていました。
単純に古いものをいろいろ見るのが楽しいからではあるのですが、
いつも見ているだけで、ヨーロッパで古着を買ったことは一度もありませんでした。
理由は、選ぶのも買うのも難しいからです。
では、そんな選ぶのも買うのも難しい古着と向き合うにはどうしたらよいでしょうか。
まず古着を選ぶ際にはよいものを選ぶ鑑識眼と
衣服の素材、構造、ブランドなどに関する知識が必要です。
何の知識もなく古着を見ても、何がいいものなのか、自分で見分けることは困難でしょう。
最低限、素材の知識は持っておく必要があります。
大まかに言えば、それが自然由来の素材なのか、化学繊維なのかということです。
古着の場合、タグがない場合もありますので、
さわってみて、大体それが自然由来の素材なのか、化学繊維なのかがわかればベストです。
また、膨大な中から自分が探す1枚を見つけるためには、
自分はどんなものを探しているのか、
どういう基準をクリアしたら買うのかというポイントをはっきりさせておかないと
何も決断することができません。
自分が具体的にそのときに何を探しているのか、
例えばトレンチコートを探しているのか、アランニットを探しているのか、
色はネイビーなのかベージュなのかなど、
そしてどのレベル、つまり傷み具合はどれぐらいまでで、
価格は幾らまでなら買うということを細かに事前に決めておかないと、
結局は見ているだけで選べないことになります。
そうならないためにも、古着は目的を持って探したほうがよいでしょう。
ほとんどの古着を扱うショップでは膨大な量の衣服を販売していますから、
ただ漫然と一点ずつ見ていったのでは、いつまでたっても望みのものを見つけることができません。
ただ見て楽しむために古着屋へ行くのでなければ、
事前に自分が探しているもの、欲しいものの条件を決めておくとよいでしょう。
次はどこの古着屋で買うかについてです。
古着屋にも種類がいろいろあり、ヨーロッパのものを扱うところ、アメリカのものを扱うところ、日本の古着など地域ごとの違い、
また、60年代から70年代といったヴィンテージのものを扱うところと、
ごく直近の2000年代以降のものを扱うところなどさまざまです。
これも事前にショップの情報を調べて、自分が探しているものがありそうなところへ行くとよいでしょう。
傾向としては、特定のブランドのヴィンテージを扱うところは状態もよく、価格も高めです。
日本の古着については、80年代、90年代の日本の古着はクオリティが高い傾向にあります。理由はその時代の日本で売られていた服そのもののクオリティが今よりずっと高かったからです。ですから、これら80年代、90年代の日本の古着を扱うショップも価格は高めの傾向にあるでしょう。
一方、同じ日本でも2000年代以降を扱うショップの古着は、総じて全体のクオリティは低く、安い傾向にあります。そのようなショップはショッピングセンターなど、気軽に行けるところにありますが、あの中から掘り出し物を見つけるのは、かなり難しいでしょう。
例えば最初からヴィンテージのバーバリーのコートが欲しいのなら、
ネットで検索して、それらを扱っている店舗へ行くとよいでしょう。
そういったものはどこでも扱っているわけではありませんので、事前のリサーチが必要です。
鑑識眼はさておき、自分である程度の知識を身につけておく、
どういうものが欲しいのか決めておく、
行くショップを限定する、そこまでできたら実際にショップへ行きます。
ショップへ行ったら、まずは探している形のものだけを見ていきましょう。
ピーコートを探しているのなら、ピーコートだけをチェックします。
古着屋は、一般のショップと違って、扱う衣服の色も形もばらばらで、
一点一点すべて違うわけですから、 探しているものを見ていくのがベストです。
あまりほかのものに目移りしていると、集中力も途切れ、
何が欲しかったのか、どういうものがよいのかだんだん自分でもわからなくなりますから、
膨大な点数が並んでいたとしても、目当てのものだけをさっとチェックして、
買えそうなものがあれば即座に試着しましょう。
そして試着して少しでも納得いかない点があるなら、
次のショップへ行きましょう。
また、買うと決めてショップへ行ったとしても、必ずしも望みのものがあるとは限りません。気に入ったものがないのなら無理して買うのはやめましょう。
そこでぴんとくるかどうかは、自分の感覚だけが頼りとなります。
古着の場合、ほんの少しでも違和感があると、その後、着なくなる可能性が新品のものより高いです。
やはりそれは古着なので、よほど気に入ったものでなければ、外へ着ていくことはないでしょう。
ちょっとでも気に入らない、何か変だと感じたら、買わないに限ります。
古着を選ぶのも訓練です。
初めて行ったショップで、望みどおりの自分にぴったりの一着が見つかる確率は低いでしょう。
何となく違うと感じながらも、
あきらめず、根気良く見ていけば、
そのうち目が慣れてきて、膨大な中から必要な1枚が見つかるようになります。
それは新しい知覚の開発です。
今まで使っていなかった能力の一部です。
訓練して初めて使えるようになるものですので、
興味があるのでしたら、見る訓練を続けてください。
古着選びは、いわばテストみたいなものです。
今までどれだけ自分で鑑識眼を養ってきたか、
どれだけブランドや素材についての知識があるかが試されます。
またもう一方で、ぶれない自分があるのかどうかもそこでは要求されます。
誰かがお勧めしてくれるわけでも、
誰かがお墨付きを与えてくれるわけでもありません。
必要なのは、自分自身への信頼です。
信頼しないことには、何も選ぶことができません。
自分を信じて今まで育ててきた人は、
ぜひ古着屋をのぞいてみましょう。
あなたに選ばれるための素敵な一着が、
あなたとの出会いを待っていることでしょう。
2017年11月10日金曜日
シックとエレガント
文化出版局から出ている『ファッション辞典』によると、
シックとは、
「粋、伊達、瀟洒な風といった意味。受ける感じが上品であか抜けている、洗練されて神経が行きとどいている装いをいう。」とあります。
一方、エレガントとは、
「服装や作法などが上品、優雅、端麗なこと。男女ともに用いられるが、女性に対しては最高のほめ言葉と考えられている。誇張のない、ごく自然な柔らかい優しさがかもし出す、洗練された落ち着きのある女らしさをいう。」とあります。
どちらも上品で洗練されたという意味があり、実際には、
シックとエレガントはほぼ同義で使われます。
シックが粋であるならば、その反対は野暮なわけですが、
実際にシックとエレガントと対になって使われるのはカジュアルでしょう。
同じ『ファッション辞典』によると、
カジュアルは、
「<偶然の、無頓着な>などの意であるが、衣服の場合、略式の、ふだん着の意味になる。着やすくくつろいだ雰囲気、スポーティな要素の多いものをさし、気軽な感じの日常着を総称してカジュアル・ウエアという。」 とあります。
では、洋服の世界においてシックとエレガントとはどのような様子を指すのでしょうか。
多くの場合、それは全体のコーディネートが3色以内で、
スーツ、または同素材によるセットアップ、そしてワンピースなど、
素材や色が全身で統一されている様子を指します。
日本で言うところのこれは「きちんとしている」に近いものですが、
それ以上の意味がこのシックとエレガントにあります。
それはいわゆる「レディ」、つまり貴婦人や淑女のスタイルである、
ということです。
私たちがシックでエレガントなスタイルをすることによって得られるのは、
貴婦人や淑女のような扱いです。
つまり、その衣服が示すところのレディの性質によって、
敬われ、丁寧に、大事に扱われるということです。
もちろんどんな衣服を着ていても、
人としてこのような扱いを受けることもあります。
ですから、シック、エレガントな装いでないと敬われない、大事に扱われない、
というわけではありません。
しかし、素姓のわからない人に対してのふるまいは、
しばしばその装いにより決定されます。
どんなに高貴な者でも、だらしない格好をしていればぞんざいに扱われる可能性があり、
逆に、いやしい身分の者でも、シックとエレガントに装えば、
貴夫人や淑女のように扱われるということです。
オードリー・ヘップバーン主演の「マイ・フェア・レディ」はまさにそのことを扱った映画であり、
レディとして扱われるためにしゃべる言葉と着る衣服を変えれば、
下町娘も淑女のように扱われるようになると示してみせたのでした。
さて、レディのように扱われるということは、いったいどういうことでしょうか。
レディでない存在、つまり野暮で粗野な存在とは子供であり、若者です。
騒がしい子供や、場をわきまえない若者はレディのようには扱われません。
ですから、子供や若者が「レディのようだ」と言われれば、
それは褒め言葉であり、大人として認められたということになります。
大人になるとは、レディとして扱われるようになるということであり、
そのための装いがシックとエレガントです。
貴族も侯爵夫人もいない日本で、レディとして扱われるとは、
例えばホテルのラウンジでいい席に通されたり、
高級なレストランで気分のよいサービスを受けたり、
ショップで丁寧に扱われるなど、そんなところでしょうか。
そんなふうに扱われるのは大人の特権であり、
それはカジュアルな装いだけをしていたのでは経験できないことです。
確かにどこの場へカジュアルなスタイルで行っても問題はありません。
けれども、それであなたがレディのように扱われるかといったら、
決してそんなことはありません。
ホテルのラウンジに、ジーンズにスニーカー姿の女性と、ワンピースに革靴の女性が2人並んでいたとしたら、
丁寧に扱われるのは、いつだってワンピースと革靴の女性です。
そのジーンズが3万円で、隣の女性のワンピースが2万円だとしても、
丁寧に扱われるのはワンピースの女性なのです。
洋服における成熟とは、
レディとして扱われたいと望むとき、シックとエレガントに装える能力を意味します。
それは大人になればなるほど要求され、
それができないのなら、レディとしては扱われません。
どんな場にもカジュアルなスタイルで登場するならば、
その人はいつでも子供のように、若者のようにぞんざいに扱われます。
おしゃれについて何かが足りない、何か違うような気がすると感じたら、
服装によって自分がどのような扱いを受けているのか、チェックしてみましょう。
あなたは自分の服装によって、
それを見る者を動かしたいはずです。
それはふるまいなのか、言葉なのか、気持ちなのか、どれかはわかりません。
足りないと思う、何かが違うというそれは、
その望む結果が得られないことにより起こります。
大人であるならば、レディとして扱われるように、
自分にとってのシックとエレガントなスタイルについて考えてみましょう。
レディとして扱われないのならば、
あなたはシックでも、エレガントでもないのです。
本当にそれでもいいのか、
いつまでも若者のように扱われてもいいのか、
現状維持なのか、このままでは嫌なので変えるのか、
自分で決めましょう。
シックとは、
「粋、伊達、瀟洒な風といった意味。受ける感じが上品であか抜けている、洗練されて神経が行きとどいている装いをいう。」とあります。
一方、エレガントとは、
「服装や作法などが上品、優雅、端麗なこと。男女ともに用いられるが、女性に対しては最高のほめ言葉と考えられている。誇張のない、ごく自然な柔らかい優しさがかもし出す、洗練された落ち着きのある女らしさをいう。」とあります。
どちらも上品で洗練されたという意味があり、実際には、
シックとエレガントはほぼ同義で使われます。
シックが粋であるならば、その反対は野暮なわけですが、
実際にシックとエレガントと対になって使われるのはカジュアルでしょう。
同じ『ファッション辞典』によると、
カジュアルは、
「<偶然の、無頓着な>などの意であるが、衣服の場合、略式の、ふだん着の意味になる。着やすくくつろいだ雰囲気、スポーティな要素の多いものをさし、気軽な感じの日常着を総称してカジュアル・ウエアという。」 とあります。
では、洋服の世界においてシックとエレガントとはどのような様子を指すのでしょうか。
多くの場合、それは全体のコーディネートが3色以内で、
スーツ、または同素材によるセットアップ、そしてワンピースなど、
素材や色が全身で統一されている様子を指します。
日本で言うところのこれは「きちんとしている」に近いものですが、
それ以上の意味がこのシックとエレガントにあります。
それはいわゆる「レディ」、つまり貴婦人や淑女のスタイルである、
ということです。
私たちがシックでエレガントなスタイルをすることによって得られるのは、
貴婦人や淑女のような扱いです。
つまり、その衣服が示すところのレディの性質によって、
敬われ、丁寧に、大事に扱われるということです。
もちろんどんな衣服を着ていても、
人としてこのような扱いを受けることもあります。
ですから、シック、エレガントな装いでないと敬われない、大事に扱われない、
というわけではありません。
しかし、素姓のわからない人に対してのふるまいは、
しばしばその装いにより決定されます。
どんなに高貴な者でも、だらしない格好をしていればぞんざいに扱われる可能性があり、
逆に、いやしい身分の者でも、シックとエレガントに装えば、
貴夫人や淑女のように扱われるということです。
オードリー・ヘップバーン主演の「マイ・フェア・レディ」はまさにそのことを扱った映画であり、
レディとして扱われるためにしゃべる言葉と着る衣服を変えれば、
下町娘も淑女のように扱われるようになると示してみせたのでした。
さて、レディのように扱われるということは、いったいどういうことでしょうか。
レディでない存在、つまり野暮で粗野な存在とは子供であり、若者です。
騒がしい子供や、場をわきまえない若者はレディのようには扱われません。
ですから、子供や若者が「レディのようだ」と言われれば、
それは褒め言葉であり、大人として認められたということになります。
大人になるとは、レディとして扱われるようになるということであり、
そのための装いがシックとエレガントです。
貴族も侯爵夫人もいない日本で、レディとして扱われるとは、
例えばホテルのラウンジでいい席に通されたり、
高級なレストランで気分のよいサービスを受けたり、
ショップで丁寧に扱われるなど、そんなところでしょうか。
そんなふうに扱われるのは大人の特権であり、
それはカジュアルな装いだけをしていたのでは経験できないことです。
確かにどこの場へカジュアルなスタイルで行っても問題はありません。
けれども、それであなたがレディのように扱われるかといったら、
決してそんなことはありません。
ホテルのラウンジに、ジーンズにスニーカー姿の女性と、ワンピースに革靴の女性が2人並んでいたとしたら、
丁寧に扱われるのは、いつだってワンピースと革靴の女性です。
そのジーンズが3万円で、隣の女性のワンピースが2万円だとしても、
丁寧に扱われるのはワンピースの女性なのです。
洋服における成熟とは、
レディとして扱われたいと望むとき、シックとエレガントに装える能力を意味します。
それは大人になればなるほど要求され、
それができないのなら、レディとしては扱われません。
どんな場にもカジュアルなスタイルで登場するならば、
その人はいつでも子供のように、若者のようにぞんざいに扱われます。
おしゃれについて何かが足りない、何か違うような気がすると感じたら、
服装によって自分がどのような扱いを受けているのか、チェックしてみましょう。
あなたは自分の服装によって、
それを見る者を動かしたいはずです。
それはふるまいなのか、言葉なのか、気持ちなのか、どれかはわかりません。
足りないと思う、何かが違うというそれは、
その望む結果が得られないことにより起こります。
大人であるならば、レディとして扱われるように、
自分にとってのシックとエレガントなスタイルについて考えてみましょう。
レディとして扱われないのならば、
あなたはシックでも、エレガントでもないのです。
本当にそれでもいいのか、
いつまでも若者のように扱われてもいいのか、
現状維持なのか、このままでは嫌なので変えるのか、
自分で決めましょう。
2017年11月9日木曜日
2017年12月9日(土)グループファッションレッスン(基礎)のお知らせ
2017年12月9日(土)に、グループファッションレッスン(基礎)を開催いたします。
終了いたしました。
内容は、「わたし史上最高のおしゃれになる!」にあるメソッドについてのものを
グループレッスン用に再編集したものです。
でき上がったマップと、ワードローブ分類表について私がチェック、アドバイスします。
ワードローブ構築がわからない方、
被服費を減らしたい方、
おしゃれに見える方法を知りたい方、
「服はたくさんある、だけれども、着るものがない」方など、
ごく普通の人のための講座内容ですので、
お気軽にご参加くださいませ。
日時:2017年12月9日(土)
場所:神奈川県藤沢市、小田急江ノ島線湘南台駅付近
時間:10:30~16:30
定員:10名
対象:どなたでも
参加費用:2万円(当日現金払い)
主催 小林
注意事項:主要交通機関が止まるような天候等の場合、中止にいたします。
※当日、ご自分のワードローブの分類表を作ります。そのためご自分のもう既に持っていて、これからも着る予定のアイテムを撮影した写真が必要となります。
お申し込みは
fateshowthyforce@gmail.com
まで、
メールのタイトル「12月9日ファッション」
・お名前(本名)
・年齢(20歳代、30歳代、40歳代、50歳代など)
・ファッション誌で買うとしたら何かその雑誌名(ない場合は結構です)
をご記入の上、お申し込みください。
定員に達しましたら締め切ります。
終了いたしました。
内容は、「わたし史上最高のおしゃれになる!」にあるメソッドについてのものを
グループレッスン用に再編集したものです。
でき上がったマップと、ワードローブ分類表について私がチェック、アドバイスします。
ワードローブ構築がわからない方、
被服費を減らしたい方、
おしゃれに見える方法を知りたい方、
「服はたくさんある、だけれども、着るものがない」方など、
ごく普通の人のための講座内容ですので、
お気軽にご参加くださいませ。
日時:2017年12月9日(土)
場所:神奈川県藤沢市、小田急江ノ島線湘南台駅付近
時間:10:30~16:30
定員:10名
対象:どなたでも
参加費用:2万円(当日現金払い)
主催 小林
注意事項:主要交通機関が止まるような天候等の場合、中止にいたします。
※当日、ご自分のワードローブの分類表を作ります。そのためご自分のもう既に持っていて、これからも着る予定のアイテムを撮影した写真が必要となります。
お申し込みは
fateshowthyforce@gmail.com
まで、
メールのタイトル「12月9日ファッション」
・お名前(本名)
・年齢(20歳代、30歳代、40歳代、50歳代など)
・ファッション誌で買うとしたら何かその雑誌名(ない場合は結構です)
をご記入の上、お申し込みください。
定員に達しましたら締め切ります。
2017年10月12日木曜日
服を着て夢に近付く方法
服を着て夢が叶うかどうかと聞かれたら、
絶対に叶うとは言い切れないが叶う可能性は1パーセント上昇する、
と答えます。
もし叶えたい夢があるのなら、
自分の現状に満足できないのなら、
今の自分が嫌いならば、
服を通してできることがあります。
それは何かというと、
今の自分に100パーセントお似合いの服を選ばないことです。
今の自分に満足できないのに、
今の自分が好きでないのに、
その自分にお似合いの服を選び続ける、
つまり同じ選択、同じ行動パターンを続けるのならば、
夢は叶いません。
今と同じ選択、同じ行動がもたらすのはよくて現状維持、
悪くすると退化です。
肉体は老化します。
これは人間である以上、すべての人に当てはまります。
もし肉体の老化が嫌で、それを少しでも遅らせたいのならば、
食生活を変えるなり、筋トレをするなりをしなければなりません。
それはどういうことかというと、日常の選択と行動を変えるということです。
そのことによってのみ、老化を遅らせることが可能になります。
同じように、今の自分の現状とは違う状態になりたいのならば、
今までの選択を変え、
何かしらの行動を起こさなければなりません。
ただ脳内で妄想しているだけでは、変化は起きません。
変化は肉体という物理的なものを伴った行動によってのみ、可能となります。
例えば憧れの人がいるとします。
憧れの人とは、今の自分からは離れた存在です。
そのままそこに立っているだけでは、決してたどり着かない存在です。
憧れの人のようになりたいのに、
いつもの場所にただ立っているだけでは、決して憧れの人のようになることはありません。
私たちの夢は、今ここの私たちから離れた場所にあります。
嫌いな自分がいつも夢見るなりたい自分は、
今の自分が立っているその場所にはいません。
今やっていることで満足できないのなら、違うことをやる以外にありません。
今の自分に100パーセントお似合いの服は、
あなたの過去の選択と行動の結果です。
それは過去なので変えられません。
けれども、今の自分の選択と行動は変えられます。
会社に制服があって、
その会社が大嫌いで、もう辞めたくて、
けれどもいつも会社の人から「制服がよくお似合いね」と言われて、
そんなうれしくもないお似合いが心底嫌ならば、
そんな大嫌いな制服が似合わない自分になるという選択が必要です。
つまり今の自分に100パーセントお似合いの服ではない服、
憧れに近い服を選ぶのです。
それはもしかして今の自分に100パーセント似合わないかもしれないけれども、
憧れへ一歩近づくために、
今の100パーセントお似合いから一歩遠のいた選択です。
今の自分が理想の自分ではない場合、
次に買うジャケットは、理想の自分に一歩近づくための、
そして夢を現実化するためのジャケットを選ぶ、
そのことがあなたを夢に近付けます。
なぜなら、あなたは夢の実現のために新しい選択をし、行動したからです。
今の自分に100パーセントお似合いではない服を選ぶという、
ささやかな一歩があなたを夢へと近付けます。
妄想と行動では、天と地ほど違います。
妄想はどこまでいっても妄想です。
服を着て夢を叶えたい人は、
今の夢が叶っていない自分に100パーセントお似合いの服ではなく、
今はちょっとしっくりこなくて、ずれていると感じるかもしれないけれども、
自分が目指す自分にふさわしい服を選びましょう。
そうやって、「お似合い」という甘い飴細工でできた檻から抜け出しましょう。
その選択と行動ができたとき、
あなたの夢が叶う可能性の確率は1パーセント上昇します。
役者は衣装を着たら、その役になりきり、その役を生きることが可能になります。
いつもの自分の服では、これから演ずるその役にはなれません。
それと同じです。
あえて今の自分には似合わない服に挑戦しましょう。
誰かがあなたに、その服は似合わないと言ったとしても、
行動したあなたは自分を誇りに思っていいのです。
行動もせず批判だけし続ける人など、無視しても構いません。
夢の実現をお手伝いするのも服の1つの役割です。
そのためのありとあらゆるバラエティの衣装を、デザイナーたちは用意してくれています。
それを利用しない手はないでしょう。
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絶対に叶うとは言い切れないが叶う可能性は1パーセント上昇する、
と答えます。
もし叶えたい夢があるのなら、
自分の現状に満足できないのなら、
今の自分が嫌いならば、
服を通してできることがあります。
それは何かというと、
今の自分に100パーセントお似合いの服を選ばないことです。
今の自分に満足できないのに、
今の自分が好きでないのに、
その自分にお似合いの服を選び続ける、
つまり同じ選択、同じ行動パターンを続けるのならば、
夢は叶いません。
今と同じ選択、同じ行動がもたらすのはよくて現状維持、
悪くすると退化です。
肉体は老化します。
これは人間である以上、すべての人に当てはまります。
もし肉体の老化が嫌で、それを少しでも遅らせたいのならば、
食生活を変えるなり、筋トレをするなりをしなければなりません。
それはどういうことかというと、日常の選択と行動を変えるということです。
そのことによってのみ、老化を遅らせることが可能になります。
同じように、今の自分の現状とは違う状態になりたいのならば、
今までの選択を変え、
何かしらの行動を起こさなければなりません。
ただ脳内で妄想しているだけでは、変化は起きません。
変化は肉体という物理的なものを伴った行動によってのみ、可能となります。
例えば憧れの人がいるとします。
憧れの人とは、今の自分からは離れた存在です。
そのままそこに立っているだけでは、決してたどり着かない存在です。
憧れの人のようになりたいのに、
いつもの場所にただ立っているだけでは、決して憧れの人のようになることはありません。
私たちの夢は、今ここの私たちから離れた場所にあります。
嫌いな自分がいつも夢見るなりたい自分は、
今の自分が立っているその場所にはいません。
今やっていることで満足できないのなら、違うことをやる以外にありません。
今の自分に100パーセントお似合いの服は、
あなたの過去の選択と行動の結果です。
それは過去なので変えられません。
けれども、今の自分の選択と行動は変えられます。
会社に制服があって、
その会社が大嫌いで、もう辞めたくて、
けれどもいつも会社の人から「制服がよくお似合いね」と言われて、
そんなうれしくもないお似合いが心底嫌ならば、
そんな大嫌いな制服が似合わない自分になるという選択が必要です。
つまり今の自分に100パーセントお似合いの服ではない服、
憧れに近い服を選ぶのです。
それはもしかして今の自分に100パーセント似合わないかもしれないけれども、
憧れへ一歩近づくために、
今の100パーセントお似合いから一歩遠のいた選択です。
今の自分が理想の自分ではない場合、
次に買うジャケットは、理想の自分に一歩近づくための、
そして夢を現実化するためのジャケットを選ぶ、
そのことがあなたを夢に近付けます。
なぜなら、あなたは夢の実現のために新しい選択をし、行動したからです。
今の自分に100パーセントお似合いではない服を選ぶという、
ささやかな一歩があなたを夢へと近付けます。
妄想と行動では、天と地ほど違います。
妄想はどこまでいっても妄想です。
服を着て夢を叶えたい人は、
今の夢が叶っていない自分に100パーセントお似合いの服ではなく、
今はちょっとしっくりこなくて、ずれていると感じるかもしれないけれども、
自分が目指す自分にふさわしい服を選びましょう。
そうやって、「お似合い」という甘い飴細工でできた檻から抜け出しましょう。
その選択と行動ができたとき、
あなたの夢が叶う可能性の確率は1パーセント上昇します。
役者は衣装を着たら、その役になりきり、その役を生きることが可能になります。
いつもの自分の服では、これから演ずるその役にはなれません。
それと同じです。
あえて今の自分には似合わない服に挑戦しましょう。
誰かがあなたに、その服は似合わないと言ったとしても、
行動したあなたは自分を誇りに思っていいのです。
行動もせず批判だけし続ける人など、無視しても構いません。
夢の実現をお手伝いするのも服の1つの役割です。
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2017年10月10日火曜日
コートの選び方、買い方
ジャケット、スカート、パンツなど、
洋服はさまざまアイテムによって構成されていますが、
その中でも最も高価なものはコートでしょう。
よって、被服費の予算を立てる場合でもコートにかける金額は多くなると思います。
しかし案外、コートのお買いものに失敗する方が多いようです。
では今回は基本に戻り、
どのようにコートを選んだらいいのか、買ったらいいのか考えていきましょう。
①予算を決める。
誰かに買ってもらうというのでなければ、
まず幾ら以内でコートを買うのか決めましょう。
それによって買いに行く場所、時期などが決まってきます。
例えば予算が50万などという場合は、
それこそコートがずらっと並び、サイズがそろい、売り切れもない10月ごろ、
ハイブランドを始めとした好きなショップへ行けばいいでしょう。
しかし、そんな予算はない場合、つまりもっと少ない予算で買う場合は、
買いに行く場所、時期について考える必要が出てきますので、
最初に予算を決めてください。
②用途を決める。
通勤用、ふだん着として、近所へ買い物へ行くとき用、おしゃれしてお出かけするとき用など、
冬の防寒着としてのコートにもさまざまな用途があるでしょう。
近所へ買い物へ行くためのコートと、少しおしゃれしてお出かけする場合では、
通常、同じではありませんので、用途をはっきりさせましょう。
③素材を決める。
コートと一言で言っても、皮革、ウール、ダウンなど、
素材もさまざまです。
これらは予算と用途によって、何を選択するかが決まります。
今回はウールのコートが欲しいのか、それともダウンコートが欲しいのか、
決めましょう。
④スタイルを決める。
ロング丈なのか、ショート丈なのか、
ダッフルコートやPコートなど、軍服がオリジナルなものなのか、
それともデザイン性の高いものが欲しいのか、
フェミニンなものか、マスキュリンなものか、
中にジャケットは着るのか着ないのかなど、
自分が欲しいスタイルを大体のところまで決めておきましょう。
ここまでが事前に決めておくことです。
ここまで決まると、買いに行く場所と買う時期が決まります。
潤沢な予算がなければセールやアウトレットで買うことになりますし、
ダッフルコートやPコートが欲しければ、トラッドを多く扱うショップへ行く、
フェミニンなコートが欲しければ、デパートの婦人服売り場やセレクトショップへ行く、
ダウンコートでスポーティなものが欲しければ、アウトドアウエアやスポーツウエアのショップへ行くなど、おのずと決まります。
中には思いつくまま、気ままにコートを買う方もいらっしゃいます。
それはそれで結構です。
しかし、そうすると数々の失敗の可能性が生まれます。
数々の失敗とは、買ったけれども着ない、長もちしない、自分の持っている服と合わないなどです。
失敗を避けるためには事前の準備が必要です。
さて、では実際にお買い物へ出かけましょう。
では、次に買うときの注意点です。
①すぐに買わない。
コートのように高価なものについては、基本的には何軒かショップを見て、
試着してみてから買いましょう。
もちろん、その日に決めないで1週間後に行ってみたらもうなかったということもあるので、
あまり長いこと決めないでいるのも考えものですが、
少なくともお買い物に行った時間内には、何枚か試着したほうがいいでしょう。
洋服は立体なので、着てみてわかることがたくさんあります。
マネキンが着ていたのを見るだけでは、ましてや雑誌やネットに載っているモデルが着ている写真を見ただけでは、多くのことを知ることはできません。
素材、パターン、そして着る人自身の肉体の三者がそろうと、
そこに初めて意味が生まれます。
その意味は着てみないことには決してわかりません。
写真を見ただけ、さわってみただけ、ましてや誰かがお勧めしていただけで、
コートを買うのはあまりに無謀です。必ず試着してみてください。
③試着してみる。
自分の決めた条件に合うものはとりあえず試着してみましょう。
試着の段階では、見た感じの好き嫌いにあまりこだわらないほうがいいでしょう。
着てみると、意外な美しさのあるコートが数多くあります。
色と雰囲気が嫌いでなかったら、とりあえず着てみることをお勧めします。
④試着の注意ポイントをチェックする。
試着についてはこちらに記述いたしましたので、
自分でチェックしましょう。
販売員の方は、必ずしも合っているかどうかを見ていません。
自分の身体より小さいサイズのものを無理やり着ている方が多くいらっしゃいますが、
そんなことをしても痩せて見えるわけではありませんし、かえって不格好です。
肩が浮いていないか、変なしわが出ていないか、
脇線は垂直におりているか、しっかりチェックしましょう。
⑤何を買うか決定する。
予算内で、しかもサイズもぴったりのものが数点ある場合はその中から決めていきましょう。
ない場合は、その日は出会いがない日なのだと、潔くあきらめましょう。
さて、では数点残ったものからどうやって1点に絞るかです。
・色をチェックする。
どんなに予算内でも、自分のサイズにぴったりで気に入ったとしても、
自分のワードローブの色彩とずれていると、結局コーディネートすることができず、
死蔵のコートになってしまいます。
実際、買ったはいいけれども自分でコーディネートをすることができないコートを持っている方をたくさん見てきました。
ブラウス1枚程度なら、そんなものがあってもさほどダメージはありませんが、
大枚はたいて買ったコートがクローゼットに幽閉状態ではいけません。
今の自分のワードローブに合う色のものを選びましょう。
・シルエットをチェックする。
高いコートを買って長もちさせるためには、シルエットのチェックが重要になります。
予算内で、気に入って、サイズもぴったりで、色も合っている、
けれどもシルエット的にもう時代遅れだとしたら、物理的ではない意味で長もちさせることができません。
ビッグシルエットはもう10年ぐらいは続くと予想されますので、今ビッグシルエットを買う分には問題ありません。
ただし、自分はこういうスタイルというものが既にあって、
流行のシルエットなど関係ないという場合は、時代のシルエットではなく、
自分のいつものスタイルのシルエットと合致するかどうか点検するといいでしょう。
・未来の自分に合うか合わないか想像する。
残念ながら私たちは、今以上に若くなるということはありません。
ですからコートを長もちさせたいのであれば、
年齢を重ねた自分がそれを着ている姿を想像する必要が出てきます。
例えばコートは5年はもたせたいと思うのなら、5年後の姿です。
5年後、あなたはそのコートを着てどこへお出かけしますか?
誰と一緒ですか?
何をしていますか?
そのときに、そのコートはあなたに自信を与えてくれるでしょうか?
それを着ていて恥ずかしくないでしょうか?
そんなことを自分で想像し、チェックしてみましょう。
この作業は長もちさせたいものについてはすべて必要ですが、
今だけでいいものについてはする必要がありません。
さて、以上に挙げたチェックポイント、すべてクリアするのなら、
それは買ってもよいコートです。
けれども、実際にやってみたらおわかりになると思いますが、
なかなかそんなコートは売っていません。
長く付き合いたい相手と同様、
あなたが長時間、持っていたいコートというものもそんなに簡単に出会えないのです。
ベストではなくベターという選択もあります。
どちらをとるかは、そのときの状況によります。
緊急に必要、今何とかしなければならないなら、
それは仕方がありません。
選択の結果が今のあなたのワードローブです。
ブラウス1枚、Tシャツ1枚が、あなたの選択の結果であり、現実です。
あなたはその現実を受け入れなければなりません。
客観的に現実を見て、それを受け入れることによってのみ、
より望ましい、理想の未来、つまり理想のワードローブは手に入ります。
理想を実現したいのなら、
今の現実を見ないふりをしているわけにはいかないのです。
真冬の澄みわたる青空の下、
人々が見るのはあなたのコートです。
そのコートであなたの第一印象は決まってしまうかもしれません。
くれぐれも買うときは慎重に。
後悔したくないのなら、
そのときにできることをすべてやってから、
今の自分にとってのベストを選択していきましょう。
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2017年9月28日木曜日
2017年10月28日(土)グループファッションレッスン(基礎)(募集終了)
※定員に達しましたので、募集終了いたしました。
次回は12月9日(土)、湘南台駅近くで開催いたします。1カ月前に予約スタートです。
2017年10月28日(土)に、
藤沢市のギャラリーくじら館におきまして、
グループファッションレッスン(基礎)を開催いたします。
内容は、「わたし史上最高のおしゃれになる!」にあるメソッドについてのものを
グループレッスン用に再編集したものです。
でき上がったマップと、ワードローブ分類表について私がチェック、アドバイスします。
ワードローブ構築がわからない方、
被服費を減らしたい方、
おしゃれに見える方法を知りたい方、
「服はたくさんある、だけれども、着るものがない」方など、
ごく普通の人のための講座内容ですので、
お気軽にご参加くださいませ。
★ファッションレッスンは今後、中級、上級と予定しています。
中級、上級を受けるためには基礎を受講してからとなります。
次回は12月9日(土)、湘南台駅近くで開催いたします。1カ月前に予約スタートです。
2017年10月28日(土)に、
藤沢市のギャラリーくじら館におきまして、
グループファッションレッスン(基礎)を開催いたします。
内容は、「わたし史上最高のおしゃれになる!」にあるメソッドについてのものを
グループレッスン用に再編集したものです。
でき上がったマップと、ワードローブ分類表について私がチェック、アドバイスします。
ワードローブ構築がわからない方、
被服費を減らしたい方、
おしゃれに見える方法を知りたい方、
「服はたくさんある、だけれども、着るものがない」方など、
ごく普通の人のための講座内容ですので、
お気軽にご参加くださいませ。
日時:2017年10月28日(土)
場所:神奈川県藤沢市「ギャラリーくじら館」(小田急江ノ島線長後駅より徒歩5分)
時間:11:30~16:30
定員:7名
対象:どなたでも
参加費用:2万円(当日現金払い)
主催 小林
注意事項:主要交通機関が止まるような天候等の場合、中止にいたします。
※当日、ご自分のワードローブの分類表を作ります。そのためご自分のもう既に持っていて、これからも着る予定のアイテムを撮影した写真が必要となります。
※当日、ご自分のワードローブの分類表を作ります。そのためご自分のもう既に持っていて、これからも着る予定のアイテムを撮影した写真が必要となります。
お申し込みは
fateshowthyforce@gmail.com
まで、
メールのタイトル「10月28日ファッション」
・お名前(本名)
・年齢(20歳代、30歳代、40歳代、50歳代など)
・ファッション誌で買うとしたら何かその雑誌名(ない場合は結構です)
をご記入の上、お申し込みください。
定員に達しましたら締め切ります。
fateshowthyforce@gmail.com
まで、
メールのタイトル「10月28日ファッション」
・お名前(本名)
・年齢(20歳代、30歳代、40歳代、50歳代など)
・ファッション誌で買うとしたら何かその雑誌名(ない場合は結構です)
をご記入の上、お申し込みください。
定員に達しましたら締め切ります。
★ファッションレッスンは今後、中級、上級と予定しています。
中級、上級を受けるためには基礎を受講してからとなります。
2017年9月19日火曜日
21世紀のチープシック
おしゃれである、ファッショナブルであるということのほとんどはお金で解決できます。
お金をかけて、最新流行のものを買いそろえば、
誰でもそれなりにおしゃれに見えます。
それは疑いようのない事実です。
また、多くの人が、金額が高いか、安いかにかかわらず、
お金で新しいものを次々と買いかえていくという方法で、
おしゃれであることを獲得しています。
高いものを買い続ける人の中には、それこそ年間何百万円も使う方もいらっしゃいます。
では、高くはないもの、例えばファストファッションを買う方は、
金額的に少ないのでしょうか。
これは私の観察結果なのですが、
ファストファッションで常に新しいものを買いかえていく方々もまた、
年間を通しては、その収入のうちのかなりの部分を使います。
金額が高かろうが、安かろうが、
新しいものを常にどんどん買いかえていくという方法でおしゃれになろうというやり方は、
相当な金額を要するのです。
安いものを買っているから、そこから逃れられるというわけではありません。
一方、新しいものを次々と買いかえることなく、
他人におしゃれであるという印象を与えることは可能です。
3色ルールと色、またはシンボルのリレーションができるようにワードローブをそろえておく、
季節を先取りする、
はずしのテクニックを取り入れるなど、
工夫と技術を駆使することで、新しいものを次々買いかえておしゃれを獲得していく方法と同等、
またはそれ以上の効果を得られます。
さて、21世紀のチープシックです。
私たちはそろそろこのテーマについて考えなくてはなりません。
なぜなら、私たちはお金で解決するのが難しくなるであろう時代の
すぐ手前までやってきているからです。
これ以降は、これからも新しいものを次々と買いかえお金でおしゃれを解決していく手法を採用する方々には関係のない内容ですので、お読みにならなくて結構です。
チープシックは、いわば貴族のライフスタイルです。
貴族は、土地や家柄はあったとしても、動かせる現金が豊富ではありません。
また、受け継いだのは土地や家柄だけではなく、品格や趣味のよさ、
教養などもまた、彼らの見えない形の財産です。
ですから、動かせる現金がないからといって、決して趣味の悪い、みすぼらしい格好をするわけにはいきません。
趣味よく、上品に、決して成金趣味に陥らず、おしゃれに見える方法、
それがチープシックと言えるでしょう。
では、そのチープシックを実践するためにはどうしたらいいでしょうか。
3色ルールやリレーションを作るなど、そんなことは当たり前です。
いいものを買って長もちさせる。そんなことも常識です。
そのほかにできることは何でしょうか?
自分で作る、
古いものをリメイクして生き返らせる、
新たに刺繍を施す、
家族のあいだで1つのバッグをシェアする、
着ないものを交換する、
親の代から引き継がれたジュエリーを身につけるなどなどの方法が考えられます。
これらは物理的な問題に対する解決方法です。
実はそのほかにも心理的な問題があります。
おしゃれに見えるかどうかは、他人にどのように心理的な影響を与えるかの問題なので、
チープシックを実践するためには、この心理的な問題をおさえておく必要があります。
その心理的な側面への解決方法は何かというと、
「見せびらかし」をやめることです。
貴族や、または本当のお金持ちは、
ぱっと見てすぐどこそこのブランドとわかるロゴやマークの入っているものは、
極力持たないと言われています。
もちろんデザインが気に入って、またはデザイナーをリスペクトして買う、
所有するという場合もあるでしょうから、
絶対に買わない、持たないというわけではありません。
しかしそれを持ったとしても、決して見せびらかすということはしません。
なぜか。
見せびらかしは、そのものの情報としての寿命を短くするからです。
それは人々に記憶され、消費されていきます。
例えばインスタグラムに買った服やバッグを次々とアップする人を観察してみてください。
彼らは以前アップしたものを何度もアップするということはしません。
せいぜい2、3回程度です。
それは彼らが、常にインスタグラムという媒体でそのものの情報を人目にさらすことによって、
その情報の鮮度が落ちる、または飽きをもたらすということ、
つまり、おしゃれに見えなくなるということをよく理解しているからです。
本当の貴族やお金持ちは、そんな見せびらかし競争には決して参加しません。
そんなことをしたら、大事な、長もちさせたいバッグの
おしゃれ寿命が簡単に尽きてしまうと知っているからです。
21世紀のチープシックは、
インターネット以前の時代よりも、
より一層このことに留意しなくてはなりません。
新しいものをどんどん買いかえて、お金を使っておしゃれであることを獲得していく方々は、
今後も見せびらかしを続けるでしょう。
それも1つのおしゃれの方法です。
けれどもそうではない、お金で解決しない方法を選ぶ方々は、
この過度な露出による「見せびらかし」に注意しましょう。
それはあなたというテキストを情報として消費させます。
その結果、あなたはいとも簡単におしゃれに見えなくなってしまいます。
私たちは、他人に残す印象をみずからコントロールできれば、
見せびらかすことなどしなくても、
いつでもおしゃれな存在でいられます。
その能力は訓練によって、後天的に得ることが可能です。
そして、それができるようになったということは、
私たちがそのお金では買えない能力を身に付けたということ。
多くの人がうらやむのは、そのお金では買えない能力です。
お金をかけて、最新流行のものを買いそろえば、
誰でもそれなりにおしゃれに見えます。
それは疑いようのない事実です。
また、多くの人が、金額が高いか、安いかにかかわらず、
お金で新しいものを次々と買いかえていくという方法で、
おしゃれであることを獲得しています。
高いものを買い続ける人の中には、それこそ年間何百万円も使う方もいらっしゃいます。
では、高くはないもの、例えばファストファッションを買う方は、
金額的に少ないのでしょうか。
これは私の観察結果なのですが、
ファストファッションで常に新しいものを買いかえていく方々もまた、
年間を通しては、その収入のうちのかなりの部分を使います。
金額が高かろうが、安かろうが、
新しいものを常にどんどん買いかえていくという方法でおしゃれになろうというやり方は、
相当な金額を要するのです。
安いものを買っているから、そこから逃れられるというわけではありません。
一方、新しいものを次々と買いかえることなく、
他人におしゃれであるという印象を与えることは可能です。
3色ルールと色、またはシンボルのリレーションができるようにワードローブをそろえておく、
季節を先取りする、
はずしのテクニックを取り入れるなど、
工夫と技術を駆使することで、新しいものを次々買いかえておしゃれを獲得していく方法と同等、
またはそれ以上の効果を得られます。
さて、21世紀のチープシックです。
私たちはそろそろこのテーマについて考えなくてはなりません。
なぜなら、私たちはお金で解決するのが難しくなるであろう時代の
すぐ手前までやってきているからです。
これ以降は、これからも新しいものを次々と買いかえお金でおしゃれを解決していく手法を採用する方々には関係のない内容ですので、お読みにならなくて結構です。
チープシックは、いわば貴族のライフスタイルです。
貴族は、土地や家柄はあったとしても、動かせる現金が豊富ではありません。
また、受け継いだのは土地や家柄だけではなく、品格や趣味のよさ、
教養などもまた、彼らの見えない形の財産です。
ですから、動かせる現金がないからといって、決して趣味の悪い、みすぼらしい格好をするわけにはいきません。
趣味よく、上品に、決して成金趣味に陥らず、おしゃれに見える方法、
それがチープシックと言えるでしょう。
では、そのチープシックを実践するためにはどうしたらいいでしょうか。
3色ルールやリレーションを作るなど、そんなことは当たり前です。
いいものを買って長もちさせる。そんなことも常識です。
そのほかにできることは何でしょうか?
自分で作る、
古いものをリメイクして生き返らせる、
新たに刺繍を施す、
家族のあいだで1つのバッグをシェアする、
着ないものを交換する、
親の代から引き継がれたジュエリーを身につけるなどなどの方法が考えられます。
これらは物理的な問題に対する解決方法です。
実はそのほかにも心理的な問題があります。
おしゃれに見えるかどうかは、他人にどのように心理的な影響を与えるかの問題なので、
チープシックを実践するためには、この心理的な問題をおさえておく必要があります。
その心理的な側面への解決方法は何かというと、
「見せびらかし」をやめることです。
貴族や、または本当のお金持ちは、
ぱっと見てすぐどこそこのブランドとわかるロゴやマークの入っているものは、
極力持たないと言われています。
もちろんデザインが気に入って、またはデザイナーをリスペクトして買う、
所有するという場合もあるでしょうから、
絶対に買わない、持たないというわけではありません。
しかしそれを持ったとしても、決して見せびらかすということはしません。
なぜか。
見せびらかしは、そのものの情報としての寿命を短くするからです。
それは人々に記憶され、消費されていきます。
例えばインスタグラムに買った服やバッグを次々とアップする人を観察してみてください。
彼らは以前アップしたものを何度もアップするということはしません。
せいぜい2、3回程度です。
それは彼らが、常にインスタグラムという媒体でそのものの情報を人目にさらすことによって、
その情報の鮮度が落ちる、または飽きをもたらすということ、
つまり、おしゃれに見えなくなるということをよく理解しているからです。
本当の貴族やお金持ちは、そんな見せびらかし競争には決して参加しません。
そんなことをしたら、大事な、長もちさせたいバッグの
おしゃれ寿命が簡単に尽きてしまうと知っているからです。
21世紀のチープシックは、
インターネット以前の時代よりも、
より一層このことに留意しなくてはなりません。
新しいものをどんどん買いかえて、お金を使っておしゃれであることを獲得していく方々は、
今後も見せびらかしを続けるでしょう。
それも1つのおしゃれの方法です。
けれどもそうではない、お金で解決しない方法を選ぶ方々は、
この過度な露出による「見せびらかし」に注意しましょう。
それはあなたというテキストを情報として消費させます。
その結果、あなたはいとも簡単におしゃれに見えなくなってしまいます。
私たちは、他人に残す印象をみずからコントロールできれば、
見せびらかすことなどしなくても、
いつでもおしゃれな存在でいられます。
その能力は訓練によって、後天的に得ることが可能です。
そして、それができるようになったということは、
私たちがそのお金では買えない能力を身に付けたということ。
多くの人がうらやむのは、そのお金では買えない能力です。
2017年9月7日木曜日
『わたし史上最高のおしゃれになる!』はじめに公開
はじめに
毎日、ご飯を食べるように、私たちは毎日、服を着ます。それこそ、生まれてから死ぬまで、何も衣服をまとわないで過ごす日など、ありません。女でも、男でも、若くても、若くなくても、何かを着ることは社会で生きる人間の宿命です。
毎日のご飯を自分で用意するように、毎日の衣服について私たちは考えます。ご飯であったならば、少しでもおいしくなるように、必要な栄養が摂れるように、そして心が満たされるようにしようと。同じように衣服についても考えます。暑さ寒さをしのげるように、雨や風から身体を守るように、少しおしゃれに見えるように、1日気分よく、心が満たされて過ごせるようにと。けれども、現実はどうでしょうか。
毎朝、何を着たらいいかわからない。タンスの中は服でいっぱいなのに、何を着てもおしゃれに見えるような気がしない。適当にあるものを着て出かけてはみたものの、何やら気分は優れず、自分以外のおしゃれな人を見るたびに少し落ち込み、明日になったら、また同じことの繰り返し。
どうしたらおしゃれに見えるかわからないから、適当に、そのときの気分で、あるいは今これが流行っているからという理由で、「必要」という言葉で自分を納得させ、もう何十回目の一目ぼれで恋に落ちたことにして、服やバッグや靴を買って家へ連れて帰る。お財布は軽くなるのに、タンスのこやしはふえていき、それでもなぜだかおしゃれには見えない。
そんなことを続けている間に、ワードローブはどんどんふえ続け、ほとんど着ていない、けれども傷んでいないから捨てられないものばかりが半分以上、もしくは7割を超えるようになり、そんな現実は見なかったこと、知らなかったことにしようと、タンスの戸を閉めてはみたものの、妙な罪悪感と、それでもおしゃれに見えない焦燥感で、毎日ゆううつな気分を抱えながら、また適当にそこら辺にあるものを、手っ取り早くかき集め、服を着て家を出る。
全部捨てればいいというアドバイスを聞いて、とりあえず何でも捨ててはみたものの、やっぱり明日何を着ていいかわからないという問題は解決せず、それでも同じような買い物の仕方、つまり報われない一目惚れを繰り返し、もうこんな思いはこりごり、金輪際ごめんだわと、さんざん反省したにもかかわらず、1年後にはまた同じ状態で、使ったお金のことは考えないことにして、家計簿はつけないわと開き直り、新しいファッション雑誌を買ってみて、そして次の年になり、新しい季節がめぐってきて、確かに年は一つ取ったけれども、何も成長していない自分に元通り。
どうしたらおしゃれに見えるかわからないから、適当に、そのときの気分で、あるいは今これが流行っているからという理由で、「必要」という言葉で自分を納得させ、もう何十回目の一目ぼれで恋に落ちたことにして、服やバッグや靴を買って家へ連れて帰る。お財布は軽くなるのに、タンスのこやしはふえていき、それでもなぜだかおしゃれには見えない。
そんなことを続けている間に、ワードローブはどんどんふえ続け、ほとんど着ていない、けれども傷んでいないから捨てられないものばかりが半分以上、もしくは7割を超えるようになり、そんな現実は見なかったこと、知らなかったことにしようと、タンスの戸を閉めてはみたものの、妙な罪悪感と、それでもおしゃれに見えない焦燥感で、毎日ゆううつな気分を抱えながら、また適当にそこら辺にあるものを、手っ取り早くかき集め、服を着て家を出る。
全部捨てればいいというアドバイスを聞いて、とりあえず何でも捨ててはみたものの、やっぱり明日何を着ていいかわからないという問題は解決せず、それでも同じような買い物の仕方、つまり報われない一目惚れを繰り返し、もうこんな思いはこりごり、金輪際ごめんだわと、さんざん反省したにもかかわらず、1年後にはまた同じ状態で、使ったお金のことは考えないことにして、家計簿はつけないわと開き直り、新しいファッション雑誌を買ってみて、そして次の年になり、新しい季節がめぐってきて、確かに年は一つ取ったけれども、何も成長していない自分に元通り。
こんな感じの方が多いのではないでしょうか。
おいしいご飯を毎日、自分で作りたかったならばどうするでしょうか。おいしいご飯を毎日、自分で何とかしいのならば、料理の本を買って勉強をしたり、料理教室に行って習うでしょう。食材についての知識をふやし、毎日の献立を考え、賢くお買い物し、エンゲル係数に注意して、気分よく、毎日暮らせるようにするでしょう。食べ物は生きることの基本ですから、それができるようになれば、気持ちは安定し、どんなに嫌なことがあっても、不安な状況に陥っても、何とか乗り越えられる自分になれるでしょう。
おしゃれだって同じです。おしゃれになりたいのならば、勉強すればいいのです。
しかし、多くの人が今まで一度もおしゃれについて勉強したことなどないと言います。まず第一に、「おしゃれについての勉強」などという概念がありません。おしゃれとはセンスのいい人が適当に何かを身につければなるもの、あるいは、手っ取り早くそのシーズンのものをひと揃え買ってくればすむものと多くの人が考えています。つまりそれは、先天的な才能の問題、もしくはお金があるかないかという経済の問題として片付けられます。
なぜでしょうか。答えは簡単です。おしゃれの基本についてやワードローブの構築方法についての詳しく書いてある教科書など売っていないからです。似合う色や似合うスタイルについて教えてくれる人や、お買い物に付き添って何を買ったらいいか指示してくれる人はたくさんいるけれども、ワードローブをどうやって揃えていったらいいか、何が自分には足りないか、どうやって考えたらいいか、教えてくれる人はいなかったからです。
ファッション雑誌は最新流行と情報は教えてくれるけれども、賢いワードローブ構築の方法を教えてくれるためのものではありません。ファッション雑誌は一種の娯楽のための読みものであって、おしゃれの教科書ではないのです。
多くの人が一度もおしゃれについて学んだことのないまま、毎日、服を着て、毎シーズン、服を買います。考えてもわからないので、わからないそのままに、生まれてから今まで着るものに悩まされ続けています。お金と時間をかけて、エネルギーを注いで、それでも全く解決しないまま、長年やり過ごしてきました。半ばもうあきらめの境地で、こんなものだと思いながら。
解決方法は一つしかありません。おしゃれについて勉強することです。お料理の基礎を習ったように、おしゃれの基礎を勉強すればいいのです。何とかしたいと思うのならば、このままでは嫌だと願うのならば、勉強して、今の状態を脱しましょう。
私たちは何も毎日、三ツ星レストランで出されるような高級な料理を食べたいわけではありません。毎日、簡単に作ることができ、ささやかな、けれども栄養満点の、そして安心で満足できる、そんなご飯を食べたいのです。
衣服についても同じです。私たちは何も毎日、パリ・コレクションのランウェイで発表されるような最新のモードの服で、家の玄関から世界という舞台に颯爽と登場したいわけではありません。ハリウッド・セレブのように、ハイブランドの服に身を包み、大きなサングラスをかけて、10センチのピンヒールをはいて、写真に撮られるための衣装で、毎日過ごしたいわけではありませんし、そんな必要はありません。
衣服についても同じです。私たちは何も毎日、パリ・コレクションのランウェイで発表されるような最新のモードの服で、家の玄関から世界という舞台に颯爽と登場したいわけではありません。ハリウッド・セレブのように、ハイブランドの服に身を包み、大きなサングラスをかけて、10センチのピンヒールをはいて、写真に撮られるための衣装で、毎日過ごしたいわけではありませんし、そんな必要はありません。
私たちの望みは、着る服が少しでもおしゃれに見えるようになること、そしてたくさんのお金を使うことなく、毎日、短時間でコーディネートできて、無駄のない、シンプルなワードローブを持つことではないでしょうか。毎朝、悩まずにすむような、ほんのちょっと工夫しただけでおしゃれに見えるような、そんなワードローブが欲しいのではないでしょうか。
「すべてこの世は舞台。私たちは単なる役者にすぎない」と、シェイクスピアは『お気に召すまま』の中で役者に語らせています。確かに私たちは単なる役者にすぎません。けれども、この世は舞台であり、私たちはその舞台の主人公です。主人公とは、自分で自分に対して自分がどうしたいのか問いかけ、自分で決定し、目的に向かって行動する存在です。つまり私たちは自分という人生のドラマの主人公を演じる役者であるだけではなく、自分の人生の脚本家であり演出家、そして衣装デザイナーでもあるのです。
残念ながら、太陽という照明をコントロールことはできませんから、照明デザイナーにはなれません。また、雨の音や風の音、カフェで聞こえてくる音楽を自分で決定することはできませんから、音響も自分で決められません。けれども、衣装は自分で決めることができます。毎朝、主人公である自分のために、衣装を用意することができます。要するに、私たちには、自分の人生という舞台の衣装を自分で決める自由と権利があるのです。
残念ながら、太陽という照明をコントロールことはできませんから、照明デザイナーにはなれません。また、雨の音や風の音、カフェで聞こえてくる音楽を自分で決定することはできませんから、音響も自分で決められません。けれども、衣装は自分で決めることができます。毎朝、主人公である自分のために、衣装を用意することができます。要するに、私たちには、自分の人生という舞台の衣装を自分で決める自由と権利があるのです。
確かに観客である他人はとやかく言うでしょう。あなたにはそれが似合う、あなたにはそれが似合わない、それは今の流行だ、流行遅れだ、などなど。けれども、実際の舞台がそうであるように、観客の意見は百人いたら、百人違います。全員同じなどということはあり得ません。それなのに、もし私たちが観客一人一人の意見を取り入れようとしたなら、演出家の意図はどこかに消え、舞台はめちゃくちゃになってしまうことでしょう。
主人公の自由と権利より、他人の意見を常に重視したら、自分の人生もまためちゃくちゃになります。いつでも誰かの意見に従う人生は、もはやその人のものではありません。
主人公の自由と権利より、他人の意見を常に重視したら、自分の人生もまためちゃくちゃになります。いつでも誰かの意見に従う人生は、もはやその人のものではありません。
他人の意見がすべて同じにはなり得ないのですから、観客全員からよい評価をもらおうと努力をしてみたところで、観客全員が同じように、その衣装がよかったと思うことなど決してありません。すべての人の意見を取り入れることなど、しょせん不可能なのです。みんなによく思われたいなどということは、むしろ傲慢です。
私たちは主人公を演じる役者であると同時に、自分の人生の舞台の演出家です。演出家は客席の一番後ろに座り、観客よりも、より客観的な視点ですべてを把握しなければなりません。私たちがやるべきなのは、他人の意見に振り回されることではなく、観客よりも、より客観的な視点を常に持ち続けることです。
いつも誰かの意見に振り回される脇役人生はもう卒業しましょう。自分の人生の脚本を自分で書き、自分で主人公になり、衣装を決めて、自分の才能を100パーセント発揮し、能動的に行動する主人公を演じる自分になりましょう。それこそがあなたの生きる使命です。それだけが人生で最も大切なことです。それ以外にはありません。
おしゃれは人生で最も大切なことではありません。私たちの時間も、お金も、エネルギーも、人生でもっと重要なことに使うべきです。おしゃれなどというものは、主人公の人生がうまくゆくためにあるものであって、それ自体が人生の目的ではないのです。毎日の服のコーディネートに悩んだり、大量に買ってしまった服を前に途方に暮れている時間はあまりにもったいない。そんな楽屋仕事に時間とお金を使っている場合ではありません。人生にはもっとほかにやることがたくさんあります。情熱をかけるべき対象が、すべての人にあるはずです。
自分の人生の主人公の座を取り返すためにも、効率的なワードローブの構築方法について学びましょう。批判的な観客の意見に右往左往しているだけの、凡庸で、ありふれた、誰も覚えていないような、魅力のない主人公が登場する物語は、ここで終わりにしてしまいましょう。そうして、毎日、衣装のことで煩わされなくなったら、堂々と自分の人生という舞台の中央に立ちましょう。
どんな主人公にも、太陽の光という照明は平等に降り注ぎます。立ったその場所が、あなたという人生の舞台の中心です。街ですれ違う人、仕事場で隣に座る人、それだけではなく、テレビや雑誌で取り上げられるお金持ちで有名な人でさえ、すべてあなたにとっては脇役や端役です。脇役や端役のことなど、気にすることはありません。
どんな主人公にも、太陽の光という照明は平等に降り注ぎます。立ったその場所が、あなたという人生の舞台の中心です。街ですれ違う人、仕事場で隣に座る人、それだけではなく、テレビや雑誌で取り上げられるお金持ちで有名な人でさえ、すべてあなたにとっては脇役や端役です。脇役や端役のことなど、気にすることはありません。
主人公には達成すべき人生の目的があります。その目的は人それぞれです。何かを成し遂げるのが目的の人もいれば、まわりの人とともに幸せでいることが目的である人もいるでしょう。人生の目的を他人と比べることはできません。人生の目的が違ってくれば、当然のことながら、必要な衣装も違います。
同様に、自分がどれだけおしゃれかを他人と比べる必要はありません。ファッション競争は、しょせんお金のある人の勝ちです。シーズンの最初にハイブランドの最新スタイルを靴やバッグも含めて上から下まで揃えれば、それだけでおしゃれに見えます。それは疑いようのない事実です。ですからこのファッション競争に参加したのならば、勝つのは世界のお金持ちだけ。けれども、そんなファッション競争に参加して勝つことなど、多くの人にとって重要ではないはずです。
重要なのは、自分が自分の人生の主人公になること、そしてそのために日々、成長することではないでしょうか。
重要なのは、自分が自分の人生の主人公になること、そしてそのために日々、成長することではないでしょうか。
私たちが目指すべきなのはいつも、「わたし史上最高のおしゃれになる」こと。そして、その史上最高を更新し続けること。おしゃれをしたことにより、何かがうまくいったり、幸せを感じられたりすることのほうが、お金をかけてファッション競争に参加するよりもよほど大事なはず。脇役や端役のおしゃれなど、どうでもいいこと。自分の人生の中で今どれだけ進化したか、どれだけ努力しておしゃれができるようになったか、そしてその結果、どれだけ人生の目的に近付けたか、私たちが考えなくてはならないのは、そして死ぬ間際に思い出すのは、きっとそのことです。
そんな人生の主人公である私たちに必要なのは、自分の人生の目的を達成するための、主人公のためのワードローブです。人生の目的達成のためにすべてのエネルギーを注げるような、そんなワードローブを構築するために、今から学びましょう。今からでも遅くはありません。必要なのは、ただ決意することです。他人の意見を聞いて右往左往する脇役人生をやめ、これからは主人公として生きていくのだと決意すること、ただそれだけです。
さてこれからご紹介するメソッドは私が自分のために考案し、自分自身で長年実践してきた方法です。中学から大学まで演劇部だった私は、脚本を読み、キャラクターを分析してから衣装について考えるということを続けてきました。このやり方は、別にお芝居の中だけではなく、私たちの日常生活のワードローブ構築にも通用します。
また、2010年以降から現在まで、私はこの自分で考えたメソッドのレッスン、ワークショップなどを開催し、今までに多くの方にこの方法を伝え、実践してもらってきました。このメソッドは誰にでもできると実証済みです。
お金がなくても、絶望の中にいても、病気であっても、パリに住んでいなくても、若くなくても、きれいでなくても、ヘテロセクシャルでなくても、どんな人もこの方法を実践すれば、おしゃれなワードローブを構築することができます。
また、2010年以降から現在まで、私はこの自分で考えたメソッドのレッスン、ワークショップなどを開催し、今までに多くの方にこの方法を伝え、実践してもらってきました。このメソッドは誰にでもできると実証済みです。
お金がなくても、絶望の中にいても、病気であっても、パリに住んでいなくても、若くなくても、きれいでなくても、ヘテロセクシャルでなくても、どんな人もこの方法を実践すれば、おしゃれなワードローブを構築することができます。
では、これからおしゃれな主人公になる方法を学んでいきましょう。
2017年8月30日水曜日
赤を着よう
(Diorのレッドドレス)
色にも流行があります。
まず国際的な機関であるインターカラ―が発信する色を取りきめ、
プロモスティルなどの情報発信会社がトレンドブックを発売、
それらの情報を収集して、ファブリックメーカーが生地を作ります。
そのため同時期の生地の展示会に同じ色の生地が並び、
これら生地を使って各種メゾンが服という形にするため、
その年に多く使われる色というものが出現するという仕組みです。
ファッションの歴史を振り返ってみればわかるように、
60年代には60年代の、70年代には70年代の色調があります。
同じ赤といっても、60年代のような赤と、70年代の赤とではまた違っています。
ですから、「赤」と大きくひとくくりしても、今買う赤は、やはり70年代の赤とは違うのです。
赤い服はいつの時代でも作られています。
紺、白、赤というトリコロールの並びや、
トラッドの茶に合わせる赤いツインセットなど、
商品のラインアップから完全に赤が消えたシーズンというものは過去にないでしょう。
けれども、赤い服を多くの人が着ていたという印象はあまりないと思います。
なぜなら、赤い服はいつも作られてはいるけれども、売れ残るからです。
なぜ赤はいつも売れ残るのでしょうか。
多くの人が「使える色」や「人気の色」を探しています。
「使える色」とはどういう場面で何のために使うのかはっきりしませんが、
汎用性が高いというぐらいの意味でしょう。
また、人気の色とは、多くの人が選ぶ色ということでしょう。
目的は不明ではあるが汎用性が高く、多くの人が望む色こそが、
多くの人が探している色です。
赤が売れ残るということは、つまり赤は汎用性が高くなく、
何より人気がないからでしょう。
汎用性が高く、多くの人が持つということは、
いつでもどこでもそれは散見できる、つまりありふれているということです。
どんな場面でも、多くの人が着たり、持ったりするのですから、それは街にあふれます。
多くの人は、ありふれていることを望んでいます。
ありふれているものを望む人たちは、
目立つことを嫌がります。
確かに赤は目立つ色です。
男性の中のただ一人の女性を紅一点と言うように、赤はひときわ目立つのです。
汎用性が高く、人気がある色とは、
決してその人が好きな色ということではありません。
また、自分もしくは誰かがその人に似合うと思っている、その色でもありません。
ありふれていて、好きでも似合うというわけでもないその色を選ぶ人たちは、
目立たなく、多くの人と同じことを望みます。
逸脱しないように、街に溶け込むように。
しかし同時にこの人たちは、
選ばれることを熱望するのです。
多くの少女マンガに見られるあのパターン。
いつでもひょんなことが起こり、
カッコいい男子に見染められ、
自分の意思に反して物語が進行する、あの使い古されたパターンのように、
誰かから選ばれて、運命が開けていくことを切望するのです。
けれども、多くの、このありふれた色を望む人たちには、
そんなことは現実に起きなかったでしょう。
自分が好きでも似合うわけでもない、ありふれた色を選び続けた
その人たちの衣装というテキストは、その人が代替可能な人物であると、多くの人に知らせたのです。
ひょんなことなんて起こりません。
カッコいい男子も王子様もやってきません。
運命の扉が自動ドアのように勝手には開くこともありません。
さて、ではそうではない者、
自分が何が好きかわかっていて、
他人の嗜好を知るための人気ランキングなど完全無視し、
自分の意思で選択し、その責任を取る、そんな人が赤が好きなら、
迷わず赤い服を着ましょう。
赤は情熱の色、行動の色です。
ハートはいつも赤い色で表現されます。
赤はLOVEの象徴です。
自分であることを包み隠さず、凛とした姿で自分の人生を歩いていく、
そんなあなたに赤はうってつけです。
そういう人の中に人々は美を見出し、引きつけられます。
運命の女神フォルトゥーナはほほ笑み、
あなたは選ばれます。
多くの中から選ばれるその理由は、まさにあなたが代替不能だからです。
赤が好きな人は赤を着ましょう。
赤いドレスでも、赤いコートでも、赤いセーターでも、赤いブーツでも、赤いバッグでも、何でも構いません。
赤を選びましょう。
そして、その勇気を持って、自分の未来を自分で切り開いていきましょう。
2017年8月17日木曜日
買っても買っても満足できないあなたへ
いつでもあなたは探していました。
どこへでも連れていってくれる靴を。
誰もが認めるバッグを。
幸せになるドレスを。
あなたはその人の言葉を信じていました。
その靴はどこへでも連れていってくれると。
そのバッグを持てば、誰からも認められると。
そのドレスさえ着れば、幸せになれると。
そうしてあなたは買いました。
その靴を履いてどこへでも好きなところへ行けるだろうと。
そのバッグを持てば、誰からも称賛されるだろうと。
そのドレスを着れば、幸せになるだろうと。
そう信じているにもかかわらず、
あなたはまた落ち込むのです。
昼間あんなに輝いて見えた靴も、
夜、自分の部屋へ戻って、蛍光灯の下で見たときは、
もう既に魔法が解けて、何の変哲もない普通の靴になっています。
きっとこれは何かの間違いだと、
どこかで自分が勘違いしたのだと、
あなたは自分を責めます。
なぜなら、あの人の言うことは正しいのだから、
間違うはずは、ないのだから。
けれども、余りにもそんなことが続くと、
次は、信じるその人をかえてみます。
付き合った恋人が悪かったため、自分が不幸せになった、
あのときと同じように、
信じる相手をかえれば、何もかもうまくいくと考えます。
こんどこそきっとうまくいくと。
次は絶対に失敗しないと。
しかし、何枚買っても、何足買っても、一向に欲しいものは得られません。
気分の上昇は、同じだけの落ち込みをもたらします。
何度もそれを繰り返すうちに、もはやそこには何の喜びも感じられません。
ひどい落ち込みと罪悪感と、頭の中の止まらない自分を責める声。
そのうちに思い出すのです。
小さいころ、あなたがお気に入りのドレスを着て踊っていたとき、
お母さんがあなたに向けた冷たい視線を。
または、「お姉ちゃんはかわいいのに、あなたはかわいくないね」と言った、
あの言葉を。
そしてそれを聞いたお父さんは、何も言ってくれなかったことを。
お父さんが、かわいいねと、言ってくれなかったあのときのことを。
もう自分ではわかりません。
何を着たら、お父さんがかわいいと言ってくれるか、全くわかりません。
そして、ずっとわからないまま、あなたは大人になりました。
だからそれを教えてくれるあの人を信じたのです。
あの人がお勧めする、そのドレスさえ着れば、幸せになれると信じたのです。
けれども、その試みは失敗しました。
得られたのは見たくもない請求書とレシート。
そして、終わらない悪夢。
買ったたくさんの靴とバッグとドレスを見ても、
あなたは何も感じません。
どうしていいかもわかりません。
そしてあなたは途方に暮れました。
まるで、氷の道の上に立っているようです。
どこまでも続く、暗く、冷たく、かたい道を歩くような毎日。
あなたが本当に欲しかったのは靴でも、バッグでも、ドレスでもありませんでした。
あなたが本当に欲しかったのは、
お父さんに「かわいいね」って言われることでした。
あなたがどんな靴を履いていても、どんなバッグを持っていても、どんなドレスを着ていても、
それでもかわいいねと言ってくれる、お父さんの言葉でした。
あなたの本当のお父さんはそう言ってくれなかったので、
あなたは、そのドレスさえ着れば、誰かがそう言ってくれると信じたのです。
だけれども、そんな人はそう簡単にあらわれないのでした。
買っても買っても、そんな人はあらわれませんでした。
そうしてあなたは今日も、その渇望感で死にそうです。
どうしたらいいのでしょうか?
何かいい方法は、あるのでしょうか?
誰も言ってくれないのならば、あなたがあなたに言えばいいのです。
大人のあなたが小さなあなたに、
どんな靴を履いていても、どんなバッグを持っていても、どんなドレスを着ていても、
あなたはいつでもかわいいと、言ってあげればいい。
かけっこが遅くても、成績が悪くても、
あなたはいつでもかわいいと言ってあげればいい。
泣いていても、笑っていても、怒っていても、いつでもかわいいって、
自分で自分に言ってあげればいいのです。
そんなにたくさん買わなくていいのです。
どんな靴でも、どんなバッグでも、どんなドレスでもいいのです。
だってあなたはかわいいから。
誰も認めてくれなくったって(本当はそんなことありませんが)、
あなたは十分にかわいいから。
それは誰とも比べられないから。
そして、それは永遠に続くから。
疑いようもなく、それは真実だから。
※男子はドレスを「シャツ」に、かわいいを「かっこいい」にかえて読んでみてね!
どこへでも連れていってくれる靴を。
誰もが認めるバッグを。
幸せになるドレスを。
あなたはその人の言葉を信じていました。
その靴はどこへでも連れていってくれると。
そのバッグを持てば、誰からも認められると。
そのドレスさえ着れば、幸せになれると。
そうしてあなたは買いました。
その靴を履いてどこへでも好きなところへ行けるだろうと。
そのバッグを持てば、誰からも称賛されるだろうと。
そのドレスを着れば、幸せになるだろうと。
そう信じているにもかかわらず、
あなたはまた落ち込むのです。
昼間あんなに輝いて見えた靴も、
夜、自分の部屋へ戻って、蛍光灯の下で見たときは、
もう既に魔法が解けて、何の変哲もない普通の靴になっています。
きっとこれは何かの間違いだと、
どこかで自分が勘違いしたのだと、
あなたは自分を責めます。
なぜなら、あの人の言うことは正しいのだから、
間違うはずは、ないのだから。
けれども、余りにもそんなことが続くと、
次は、信じるその人をかえてみます。
付き合った恋人が悪かったため、自分が不幸せになった、
あのときと同じように、
信じる相手をかえれば、何もかもうまくいくと考えます。
こんどこそきっとうまくいくと。
次は絶対に失敗しないと。
しかし、何枚買っても、何足買っても、一向に欲しいものは得られません。
気分の上昇は、同じだけの落ち込みをもたらします。
何度もそれを繰り返すうちに、もはやそこには何の喜びも感じられません。
ひどい落ち込みと罪悪感と、頭の中の止まらない自分を責める声。
そのうちに思い出すのです。
小さいころ、あなたがお気に入りのドレスを着て踊っていたとき、
お母さんがあなたに向けた冷たい視線を。
または、「お姉ちゃんはかわいいのに、あなたはかわいくないね」と言った、
あの言葉を。
そしてそれを聞いたお父さんは、何も言ってくれなかったことを。
お父さんが、かわいいねと、言ってくれなかったあのときのことを。
もう自分ではわかりません。
何を着たら、お父さんがかわいいと言ってくれるか、全くわかりません。
そして、ずっとわからないまま、あなたは大人になりました。
だからそれを教えてくれるあの人を信じたのです。
あの人がお勧めする、そのドレスさえ着れば、幸せになれると信じたのです。
けれども、その試みは失敗しました。
得られたのは見たくもない請求書とレシート。
そして、終わらない悪夢。
買ったたくさんの靴とバッグとドレスを見ても、
あなたは何も感じません。
どうしていいかもわかりません。
そしてあなたは途方に暮れました。
まるで、氷の道の上に立っているようです。
どこまでも続く、暗く、冷たく、かたい道を歩くような毎日。
あなたが本当に欲しかったのは靴でも、バッグでも、ドレスでもありませんでした。
あなたが本当に欲しかったのは、
お父さんに「かわいいね」って言われることでした。
あなたがどんな靴を履いていても、どんなバッグを持っていても、どんなドレスを着ていても、
それでもかわいいねと言ってくれる、お父さんの言葉でした。
あなたの本当のお父さんはそう言ってくれなかったので、
あなたは、そのドレスさえ着れば、誰かがそう言ってくれると信じたのです。
だけれども、そんな人はそう簡単にあらわれないのでした。
買っても買っても、そんな人はあらわれませんでした。
そうしてあなたは今日も、その渇望感で死にそうです。
どうしたらいいのでしょうか?
何かいい方法は、あるのでしょうか?
誰も言ってくれないのならば、あなたがあなたに言えばいいのです。
大人のあなたが小さなあなたに、
どんな靴を履いていても、どんなバッグを持っていても、どんなドレスを着ていても、
あなたはいつでもかわいいと、言ってあげればいい。
かけっこが遅くても、成績が悪くても、
あなたはいつでもかわいいと言ってあげればいい。
泣いていても、笑っていても、怒っていても、いつでもかわいいって、
自分で自分に言ってあげればいいのです。
そんなにたくさん買わなくていいのです。
どんな靴でも、どんなバッグでも、どんなドレスでもいいのです。
だってあなたはかわいいから。
誰も認めてくれなくったって(本当はそんなことありませんが)、
あなたは十分にかわいいから。
それは誰とも比べられないから。
そして、それは永遠に続くから。
疑いようもなく、それは真実だから。
※男子はドレスを「シャツ」に、かわいいを「かっこいい」にかえて読んでみてね!
2017年8月7日月曜日
コルセットと細いウエスト
(Manet, Edouard - Olympia, 1863)
西洋の女性の衣服の歴史を振り返ってみたときに、外せないのはコルセットの存在です。
特にルネッサンス期以降、スカートのボリュームが大きくなるにつれて、
胸の下からウエストにかけてコルセットと呼ばれる胴着を装着し、
ウエストとヒップの差を強調したシルエットが主流となっていきます。
その後、コルセット着用の流れはナポレオン第一帝政時代、ナポレオンの妻であったジョセフィーヌが着用したことで有名なエンパイアドレスやイギリスのジョージアンスタイルのドレスなど、
一時途切れ、その後、復活しますが、1906年にポール・ポワレがコルセットなしのドレスを発表をもって終了したと言われています。
コルセット着用の理由は、
一人で着用することが難しいことから裕福であることを示すため、
胸とヒップを強調することによる男性へのアピールのため、
そうではなく、女性みずからが好んでウエストを強調するためなどと、
諸説ありますが、はっきりしたことはわかっていないようです。
ポール・ポワレによってストレートなラインのドレスが発表された後、
ウエストの強調、もしくはウエストマークはいったんなくなったかに見えた女性の衣服ですが、
決してそんなことはありませんでした。
現在に至るまで、細いウエストと膨らんだスカートや、
ビスチエと言われる胸から下にかけての胴着など、
胸から下の胸郭からウエストの強調が消えることはありません。
細い胸郭からウエストは何をあらわすのでしょうか。
そのうちの1つは女性らしさです。
胸から腰にかけて、どちらかというと寸胴の男性に比べて、
女性のウエストは、太ってさえいなければ、細いものです。
それは男性にはない特徴として、女性らしさをあらわします。
次に考えられるのは、若さの象徴としてのウエストの細さです。
男性よりはウエストが細い女性と言えども、年をとってくると、
どうしてもウエストの周囲に肉がつき、その細さは失われていきます。
ウエストが細いということは、若い女性の象徴でもあるのです。
細いウエストを持ち、若く、女性らしいということは、
太いウエストの女性よりもよりエロチックです。
確かに西洋の絵画に見られるヴィーナスのウエストは決して細くはありません。
ティッツィア―ノの「ウルビーノのヴィーナス」のウエストも、
ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスのウエストも、
ルーベンスの「鏡を見るヴィーナス」に見られるヴィーナスのウエストも、
ふくよかであり、豊穣ではありますが、エロチックではありません。
一方、マネが描いた「オランピア」に見られるウエストの細い裸体の女性はエロチックです。
オランピアは娼婦です。
ヴィーナスには「エロス」という子供がいますが、
オランピアには子供はいないでしょう。
しかし、「エロス」という子供のいないオランピアのほうが、
皮肉なことにエロチックです。
それはその細いウエストゆえです。
それが示すのは未婚であること、そして何よりも恋愛の可能性です。
女性はそのことを無意識のうちに知っているのでしょうか。
コルセットが必要でなくなった現代においても、決して細いウエストを捨てたりはしませんでした。
細いウエストを見せるつけるために女性たちがやるのは、
ウエストにベルトをする、または胸の下から細いウエストまでを見せることです。
まずはベルトについて。
ベルトは通常、スカートまたはパンツがウエストからずり落ちないためにするものですが、
女性の衣服の場合、それとは別の用途で、
つまり、ずり落ちるものなど何もないのに、一種の装飾としてベルトを用います。
ブラウスにも、ワンピースにも、コートにも、ジャケットにも、
太いベルトでも、細いベルトでも、ウエストマークをするためにベルトをします。
このとき女性たちは、コルセットの名残としてベルトを使います。
これは誰にでも取り入れることができる、手っ取り早い女性らしさと若さの表現です。
そしてもっと進んだ形でウエストの細さを強調するのが、
ミドリフ丈のトップスの着用による、胸下からウエストにかけて露出させるスタイルです。
(ミドリフとは横隔膜という意味)
モデルたちがこの部分を露出するスタイルをしているのをよく見かけます。
彼女たちはもはやコルセットなど必要としないのです。
ワークアウトによって手に入れた、コルセットなしの細いウエストを見せることによって
コルセットと同じ効果、すなわち女性らしさ、若さ、そしてエロチックさを彼女たちは見せつけます。
それとなく、涼しげに。
コルセットが消えた現在においても、
女性は決して細いウエストを手放してはいません。
細いウエストに無頓着になるということは、
女らしさと若々しさ、そして恋愛の可能性を捨てたということを意味します。
そんなことは意図していないとしても、
私たちはそう読みとります。
衣装はテキストの一形態です。
それは読みとられ、解釈されます。
女らしさ、若さ、そして恋愛の可能性を表現したいのなら、
ウエストの細さを作ることです。
それはベルトを使っても、ワークアウトで肉体を細くしても、
どちらでも構いません。
それを作ったなら、人々はあなたというテキストを読みとくでしょう。
あなたが女らしく、若々しい存在であると。
そして何よりも、あなたは恋愛の対象者となり得ると。
望むのなら、あなたはそれを意図して、作ることができるでしょう。
2017年7月27日木曜日
バッグと靴の色の選び方『わたし史上最高におしゃれになる!』より抜粋
検索の多いバッグと靴の色の選び方について、
『わたし史上最高のおしゃれになる!』P182ページより該当部分を抜粋します。
バッグと靴の色の選び方
バッグと靴の選び方も、基本的には全体の色を3色以内で構成する3色ルール、そしてリレーションを作ることと同じ考え方です。つまり、靴もバッグも自分が選んだ3色の中のどれか1つの色から選べばいいわけです。例えば、自分が選んだメインカラーがネイビー、赤、白で、サブカラーとして茶色を使うなら、リレーションを作りたい場合は靴とバッグの色を揃えて茶色にしたり、白にしたりすればよいですし、リレーションを作らない場合は、ともかく全体の色が3色以内になるのであれば、靴もバッグも自分が決めた色である、ネイビー、赤、白、茶色、どれを選んでもよいということです。
ただし黒と茶に関しては少し注意が必要です。昔からあるコーディネートの基本的な考え方として、バッグ、靴、ベルトの色は合わせる、というルールがあります。最近はこの考え方がだいぶ崩れてきて、バッグと靴が違う色のスタイリングも多く提案されています。ただし、黒と茶色に関しては、少なくとも靴とバッグは合わせるという考え方が根強く、最新のモードなスタイルを選ばない場合は、靴とバッグを黒なら黒、茶色なら茶色と合わせたほうが無難です。古典的で保守的なスタイルほどこの傾向が強いので、あまり冒険したくない場合は黒と茶に関してはバッグと靴の色を合わせるとよいでしょう。また、黒なら黒で靴、バッグ、ベルト、時計のベルト、アクセサリーまでしっかり揃えてくると、よりクラッシックで、正統な雰囲気を出すことができるので、オフィシャルな度合いが高い場面などでは、統一することをお勧めします。
しかし、これとは逆によりモードっぽい雰囲気を出すには、靴とバッグをわざと違う色にするという手法が最近は多く見られます。特に靴に関しては、黒や茶色など、ありきたりな色ではない色、例えば赤、ピンク、青、黄色、紫、緑などを持ってくるほうがよりおしゃれに見えます。3色ルール以内で、リレーションができるのでしたら、靴とバッグの色を変えて、靴をこういった色にしても問題ありませんので、よりおしゃれに見せたい場合は、そういった色の靴をワードローブに追加してみましょう。いきなり高い靴でこういった色を買うのは勇気が要るので、まずはスニーカーやバレエシューズで試してみるのがお勧めです。
靴とバッグ選びに関しては、注意していただきたい点があります。
多くの方がやってしまうのは、自分のワードローブの色彩計画など考慮せずに、いきなり赤いバッグや、ベージュの靴を買ってしまうというやり方です。例えば、赤いバッグに合うコーディネートは何ですかという質問をされる方が大変多いのです。察するに、自分の色彩計画など持たずに、気まぐれで、もしくは誰かにお勧めされたからか、流行っているとかの理由で、いきなり赤いバッグを買ってしまったようです。
自分で色彩計画を立てて、サブカラーとして赤を選んでいるのなら、赤いバッグだろうが、赤い靴だろうが、赤いコートだろうが、合わせるのは可能ですし、簡単です。けれども、自分が集めている色の中に赤がない場合、もしくは、何か色を集めるという考えさえなく、ただ思いつきで漫然と、その時々の気分で好きな色を好きなだけ買っている場合は、それが赤だろうが、黄色だろうが、どんな色合わせも難しくなるでしょう。
これはお料理にたとえて言うと、こんな感じです。自分がリンゴのタルトを食べたいとして、リンゴのタルトを作ることが目的だとしたら、必要な材料はリンゴ、砂糖、小麦粉、バターとなります。そしてリンゴのタルトに必要なものを買いに行きます。それなのに、ただ単においしそうだから、今日は安かったから、誰かに勧めたからという理由でキウイを買ってきたとするならば、今度はそのキウイが最もおいしく食べられるお菓子のための材料を、新たに用意しなければならないのです。
洋服についても同じです。まず何を作るかを考えてから食材を用意するのと同じように、まず全体のイメージがあって、その上でアイテムを集めていかなければ、望むような結果は得られません。何だかよさそうだから、流行っているから、勧められたからという理由で、自分の望むイメージと全く関係のないものを入れようとしても、それではうまくいきません。うまくいかせるためには、すべて一から揃え直す必要が出てきます。
自分は赤でリレーションを作る、それでコーディネートを完成させるのだという目的があるのなら、それに合った赤いバッグなり、赤い靴なりを付け足せばよいのです。いつでも最終のイメージの完成ために何かを付け足すようにしてください。
また同様に、何にでも似合う、合わせやすいバッグの色は何ですかという質問もよくいただきます。これも、自分が決めた色の中だったら、何を持ってきても構いませんが、行き当たりばったりで服も靴もバッグも買っているのだったら、そんな色はありません。ただ無難にまとめたいのなら、黒でリレーションを作ると決めて、黒で靴もバッグもベルトも揃えておくとよいでしょう。黒でしたら、靴にしても、バッグにしても、ほとんどの型や大きさのものがいつでも売られていますので、探すのも、集めるのも簡単です。
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