サンダルは履物の中では、もっとも原始的なものです。
底と、それをつなげるバンドやひも状のものから成り立ち、
ヨーロッパでは、古くはギリシャ時代の彫像に見られますし、
アジアであるならば、日本のわら草履のようなものがあります。
これら、素材は違いますが、
底と、それをつなぐバンドやひも状なものからなるという構造は同じです。
このサンダルですが、2つの方向へ向かって発展していきました。
実用的なものと、そうでないものです。
実用的なものは、ビーチサンダルや健康サンダルに代表される、
フラットなヒールに簡易なバンドもの、
そして、実用的でないものは、イブニングドレス着用時にはかれる、
ヒールが細く高く、豪華な装飾がなされたものです。
しかし、この2つとも、あまり正統な履物とは認められておらず、
たとえば、スーツにサンダル履きというスタイルは、
特に男性においては、よしとされません。
歴史的に古く、世界中の極寒でないどこの地域にも存在し、
スタイルもさまざまなサンダルですが、
洋服の歴史において、その位置づけは、決して靴の王道ではありませんでした。
しかし現在、服の全体的なカジュアル化が進み、
それに伴って、今まで禁忌とされたサンダルが、
どのようなスタイルにも取り入れられるようになりました。
たとえば、底に太めのバンドが2本わたっただけの健康サンダルスタイルのサンダルですが、
今ではこれをドレスにもスーツにも合わせようという提案が、
デザイナーからなされるようになりました。
また少し前からは、ビーチ・サンダルがビーチではなく、
街用の履物として認められ、簡素なものから、
ビジューがついた少し装飾的なものまで、
どんなスタイルにあわせても、
「おかしくない」とみなされるようになりました。
底が厚かったり、薄かったり、
装飾がされていたり、されていなかったりと、
デザインのディテールに多少の差はありますが、
サンダルのデザイン自体は、昔からそれほど大きく変化していません。
変化したのは、サンダルのデザインではなく、
その位置づけであり、スタイリングの仕方です。
その人のスタイルがおしゃれに見えるかどうかは、
必ずしも、その服や靴、バッグが新しいかどうかで判断されるわけではありません。
それはそのときの新しい時代の雰囲気が、
スタイリングからどれだけ感じられるかにかかっています。
もちろん新しい形やデザインの提案もありますが、
昔からあるもの、目新しくはないものでも、
新しいスタイリングとなって出てきたのなら、
それはおしゃれに見えるのです。
たとえば、ビルケンシュトックの2本のベルトがわたったスタイルのサンダルのデザインは、
もう何年も変わっていません。
もう何年も変わっていないから、これはおしゃれに見えないかというと、
そうではなく、
今ならこれを何と合わせるのか、ドレスなのか、スーツなのか、
靴下をはいて冬にはくのか、その組み合わせをどこに持っていくかが、
おしゃれに見えるポイントなのです。
見慣れない感じや、
目新しさがおしゃれに感じるのは、
スタイリングについても同じです。
まだ多くの人がやっていないときに、
いち早くそのスタイルを取り入れれば、
そのスタイリングはおしゃれに見えます。
それはデザイナー側からの提案のこともあれば、
ストリートから発信されることもあります。
もちろん、個人が自分の考えで、新しくスタイリングをしてもいいわけです。
ビーチサンダルも、ビルケンシュトックのような健康サンダルも、
細いヒールでビジューがついた装飾的なサンダルも、
どれも昔からあるデザインです。
それを今ならどうあわせるのか。
それを見つけて、すぐさま実行するならば、
それだけで新しいおしゃれは完成します。
履物の中では王道ではなかったサンダルですが、
現在、それをもはや邪道とは呼べないほど、
活用範囲は広くなっています。
女性の場合は華奢なサンダルをスーツに合わせてもいいし、
健康サンダルスタイルのサンダルをドレスに合わせてもいいのです。
素足で履くには寒い季節でも、ウールのソックスとあわせたサンダル履きで、
上着はコートにしたり、ダウンジャケットにしたり、
工夫次第で、いかようにもスタイリングできます。
今どんなスタイリングが新しく見えるかを知るにはどうしたらいいか。
それは、常に新しい情報に接することです。
発表されたコレクション、
海外の有名なファッション雑誌のスタイリング、
そのどれもが、ネットにさえつながれば、今は無料で手に入ります。
彼らはアイデアを無料で提供してくれているのです。
(本当はアイデアも、無料ではありません)
ですから、彼らが与えてくれる情報を、ありがたくいただきましょう。
そして、たまにはそんな無料で提供してくれる彼らに、
何か買うことによって恩返ししましょう。
そうでないと、一方的なエネルギーの取り込みでは、
エネルギーの循環は悪くなりますから、
どこかで大きな抜けができてしまいます。
今もうすでに持っているサンダルを見直して、
今年の夏はこれを何とスタイリングしたら素敵なのか、
妄想だけでなく、実際にコーディネイトしてみてください。
そしてそのスタイルで街へ出てみましょう。
必要なのは、自信と勇気だけです。
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2014年5月26日月曜日
2014年5月19日月曜日
肩のライン
洋服の流行がどこにいちばんあらわれるかと聞かれれば、
それは肩のラインですと答えます。
もちろん、シルエットがタイトになったり、
ビッグになったりするのですが、
服のすべてを支える肩ラインには、
シルエット以上の流行のすべてがあらわれます。
肩のライン、つまり首の付け根から袖に続く線ですが、
そこをどう形作るかという点に、
その時代の美意識があらわれます。
たとえば、60年代から70年にかけて、
肩幅はナチュラルな状態より多少、狭く設定されていました。
それが80年代に入ると、
肩幅は広がり、肩パッドの厚みも増していきました。
大きいものでは2センチぐらいあったでしょう。
広い肩幅、大きな肩パッド、四角い肩ラインの時代は、
その後、90年代終わりごろまで続き、
再び、2000年に入ると肩幅は狭まり、
肩パッドは完全に撤去されました。
そして2014年現在は、2年ほど前からあらわれた新しいシルエットの流れにしたがって、
肩は丸く、しかし肩パッドは入れずにナチュラルへ、
という方向を進んでいます。
そして、この肩ラインを表現するために、ラグラン・スリーブが多く出現しています。
ラグラン・スリーブとは、肩線と袖がつながった形の袖なのですが、
肩線から袖にかけてなだらかなカーブを作り出すことができます。
それは、セット・イン・スリーブでは描くことができない肩のラインです。
そのなだらかなラインが今の時代の気分であり、
理想の女性像を描くのに最も適していると多くのデザイナーが感じているからこそ、
ラグラン・スリーブは選ばれています。
肩のラインが描き出すのは、
その時代のファッションが志向する女性像です。
肩幅、肩パッドの有無、描き出すラインによって、
その時代の女性がどちらの方向を向いているのか、
理想像は何なのかを表現しています。
それは言語化される前の、多くの人の無意識に流れる、
まだ見ぬ女性像です。
デザイナーたちはいち早くそれをキャッチし、
服の肩ラインに落とし込みます。
ベアショルダーのドレスを除いては、
シャツもブラウスも、ジャケットもコートも、
洋服のパーツを支えるのは肩のラインです。
肩をほどいてしまえば、服はばらばらになってしまいます。
洋服にとっての肝は肩なのです。
そして、その洋服の肝は、構造上、すべてを支えているだけではなく、
印象を決定づける位置でもあります。
同じ身幅、同じ着丈でも、
10年前のものは、肩のラインが今のものとは違います。
そしてその違いが、その10年前の服を古臭く見せます。
古いのはその生地や仕立てではなく、
その服が表現しようとしているイメージです。
肩パッドの厚みと肩幅の数ミリの違いが、
そのイメージのすべてを左右します。
そしてそのイメージの違いとは、
夢見た女性像の違いです。
あのころ私たちが素敵だと思った女性は、
今、素敵だと思える女性とは、違うということです。
素敵だと思える女性は、時代によって変化していきます。
同時に、あなた自身も時代とともに変化していきます。
どちらも同時進行です。
戻ることはありません。
その時代にはその時代の、
その年齢にはその年齢の、
いつでも新しい「素敵な女性像」があります。
そして、それが本当に素敵に見えるためには、
それが単なる変化でなく、進化でなくてはいけません。
逆に、それが進化であるならば、
年を重ねるということは、いつでもポジティブな意味になります。
残念ながら、日本には、年を重ねることによって進化した、
女性像の見本が少ないです。
若さに異常な重きを置く文化の中で、
それを見つけるのは難しいです。
ですから、私たちはそれぞれが、自分なりの進化した女性像を作っていく必要があります。
現在、肩のラインはゆるやかで、なだらかです。
肩で風を切るための、分厚い肩パッドも入っていません。
なだらかで優しく、
自然で動きやすく、
束縛から逃れるように、
軽やかに進んでいく、
そんな女性像が今の理想です。
理想は理想のままで置いておかないで、
自分でそれになってしまいましょう。
誰かにお手本を探さないで、
自分がその姿になりましょう。
肩のラインを変えるだけでそうなれる、
優れたデザイナーたちは、そう教えてくれています。
それは肩のラインですと答えます。
もちろん、シルエットがタイトになったり、
ビッグになったりするのですが、
服のすべてを支える肩ラインには、
シルエット以上の流行のすべてがあらわれます。
肩のライン、つまり首の付け根から袖に続く線ですが、
そこをどう形作るかという点に、
その時代の美意識があらわれます。
たとえば、60年代から70年にかけて、
肩幅はナチュラルな状態より多少、狭く設定されていました。
それが80年代に入ると、
肩幅は広がり、肩パッドの厚みも増していきました。
大きいものでは2センチぐらいあったでしょう。
広い肩幅、大きな肩パッド、四角い肩ラインの時代は、
その後、90年代終わりごろまで続き、
再び、2000年に入ると肩幅は狭まり、
肩パッドは完全に撤去されました。
そして2014年現在は、2年ほど前からあらわれた新しいシルエットの流れにしたがって、
肩は丸く、しかし肩パッドは入れずにナチュラルへ、
という方向を進んでいます。
そして、この肩ラインを表現するために、ラグラン・スリーブが多く出現しています。
ラグラン・スリーブとは、肩線と袖がつながった形の袖なのですが、
肩線から袖にかけてなだらかなカーブを作り出すことができます。
それは、セット・イン・スリーブでは描くことができない肩のラインです。
そのなだらかなラインが今の時代の気分であり、
理想の女性像を描くのに最も適していると多くのデザイナーが感じているからこそ、
ラグラン・スリーブは選ばれています。
肩のラインが描き出すのは、
その時代のファッションが志向する女性像です。
肩幅、肩パッドの有無、描き出すラインによって、
その時代の女性がどちらの方向を向いているのか、
理想像は何なのかを表現しています。
それは言語化される前の、多くの人の無意識に流れる、
まだ見ぬ女性像です。
デザイナーたちはいち早くそれをキャッチし、
服の肩ラインに落とし込みます。
ベアショルダーのドレスを除いては、
シャツもブラウスも、ジャケットもコートも、
洋服のパーツを支えるのは肩のラインです。
肩をほどいてしまえば、服はばらばらになってしまいます。
洋服にとっての肝は肩なのです。
そして、その洋服の肝は、構造上、すべてを支えているだけではなく、
印象を決定づける位置でもあります。
同じ身幅、同じ着丈でも、
10年前のものは、肩のラインが今のものとは違います。
そしてその違いが、その10年前の服を古臭く見せます。
古いのはその生地や仕立てではなく、
その服が表現しようとしているイメージです。
肩パッドの厚みと肩幅の数ミリの違いが、
そのイメージのすべてを左右します。
そしてそのイメージの違いとは、
夢見た女性像の違いです。
あのころ私たちが素敵だと思った女性は、
今、素敵だと思える女性とは、違うということです。
素敵だと思える女性は、時代によって変化していきます。
同時に、あなた自身も時代とともに変化していきます。
どちらも同時進行です。
戻ることはありません。
その時代にはその時代の、
その年齢にはその年齢の、
いつでも新しい「素敵な女性像」があります。
そして、それが本当に素敵に見えるためには、
それが単なる変化でなく、進化でなくてはいけません。
逆に、それが進化であるならば、
年を重ねるということは、いつでもポジティブな意味になります。
残念ながら、日本には、年を重ねることによって進化した、
女性像の見本が少ないです。
若さに異常な重きを置く文化の中で、
それを見つけるのは難しいです。
ですから、私たちはそれぞれが、自分なりの進化した女性像を作っていく必要があります。
現在、肩のラインはゆるやかで、なだらかです。
肩で風を切るための、分厚い肩パッドも入っていません。
なだらかで優しく、
自然で動きやすく、
束縛から逃れるように、
軽やかに進んでいく、
そんな女性像が今の理想です。
理想は理想のままで置いておかないで、
自分でそれになってしまいましょう。
誰かにお手本を探さないで、
自分がその姿になりましょう。
肩のラインを変えるだけでそうなれる、
優れたデザイナーたちは、そう教えてくれています。
2014年5月12日月曜日
コンサバ
実際のところ、ファッションにおける「コンサバ」のはっきりした定義はありません。
どれもただ何となく、ある一定のスタイルをコンサバティブの略であるコンサバ、
つまり保守的なファッションであると呼んでいます。
世界のファッション用語に「コンサバ」という言葉はありません。
外国の雑誌を見ている限り、そんな表現のスタイルにはお目にかかれません。
では、ファッションにおける「保守的」とは一体、何なのでしょうか。
コンサバと呼ばれるようになったスタイルをまず最初に提案したのは、
どうやら雑誌の「JJ」のようです。
いわゆる女子大生ルックとか、お嬢様スタイルと呼ばれたスタイルが、
「JJ」には数多く取り上げられていました。
もともとはトラッドを基本としていたものを「コンサバ」と呼んでいたようですが、
知らない間に、「コンサバ」の領域が広がり、
トラッドとそのバリエーション、そして変化形まで、取り入れられるようになりました。
そのため、「コンサバ」と一言でいっても、さまざまなスタイルがあり、
その解釈も人それぞれです。
ただし、大きく言えることは、「コンサバ」である限り、
モードではない、ということです。
流行は否定はしないが、決してモードにはならない。
モードではないとはどういうことか。
それは決して、何事においても行きすぎない、ということです。
もし、「コンサバ」を志向するならば、
外しも、
着崩しも、
フェミニンとマスキュリンのミックスも、
抜け感も、
リラックスも、
アヴァンギャルドも、
決して選びません。
左右はいつも対象で、
シャツのボタンはきっちりととめ、
外しアイテムのような無用なアイテムは取り入れず、
マスキュリンの装いをするなど、もってのほかです。
私のイメージする、もっとも「コンサバ」なスタイルは、
皇室の女性の方々の装いです。
あの方々のスタイルを想像していただければ、
「コンサバ」の何たるかがおわかりだろうと思います。
決して乱れず崩れず、
どなたに対しても不快感を与えないように、
礼儀正しく清潔に、
きちんとしている服装、
それが「コンサバ」の王道だと思います。
「コンサバ」において重要なのは、徹底的な他人目線の追求で、
限りなく自分の主張を消していくこと。
そのために日本人がふさわしいと考えたスタイルこそが「コンサバ」なのではないでしょうか。
真に保守的であるためには、どこにも肩入れしないこと。
そして、自分の周囲全体の調和をもっとも重んじること。
ひいては、自分が出会う人たちすべての人に、
快く思っていただけるような装いとは何か、
その1つの答えが「コンサバ」なのではないかと思います。
そう考えるならば、皇室の女性の方々が、
真に保守的なスタイルをお選びになるのも、しごく当然なことです。
今、呼ばれている「コンサバ」が、
真の保守的なものであるのかどうなのか、わかりません。
しかし、真の保守であるところの「コンサバ」を目指すのならば、
流行を追いかけることも、
ブランド物をとっかえひっかえ買いあさることも、
たくさんの服を毎年買うことも、
全く必要ありません。
必要なのは、
自分が周囲に提供するスタイルによって、
すべての人が幸せになること、その1点のみです。
それができたのなら、そのときそれがどんなブランドのものであっても、
どんなに古いものであっても、
王道の「コンサバ」となることでしょう。
真の保守である「コンサバ」とは、洋服のスタイルで完成するものでありません。
自分だけがハッピーであるだけでは足りないと知ること。
そしてすべての人のハッピーを願うこと。
真の保守である「コンサバ」とは、その人の生きるスタイルです。
どれもただ何となく、ある一定のスタイルをコンサバティブの略であるコンサバ、
つまり保守的なファッションであると呼んでいます。
世界のファッション用語に「コンサバ」という言葉はありません。
外国の雑誌を見ている限り、そんな表現のスタイルにはお目にかかれません。
では、ファッションにおける「保守的」とは一体、何なのでしょうか。
コンサバと呼ばれるようになったスタイルをまず最初に提案したのは、
どうやら雑誌の「JJ」のようです。
いわゆる女子大生ルックとか、お嬢様スタイルと呼ばれたスタイルが、
「JJ」には数多く取り上げられていました。
もともとはトラッドを基本としていたものを「コンサバ」と呼んでいたようですが、
知らない間に、「コンサバ」の領域が広がり、
トラッドとそのバリエーション、そして変化形まで、取り入れられるようになりました。
そのため、「コンサバ」と一言でいっても、さまざまなスタイルがあり、
その解釈も人それぞれです。
ただし、大きく言えることは、「コンサバ」である限り、
モードではない、ということです。
流行は否定はしないが、決してモードにはならない。
モードではないとはどういうことか。
それは決して、何事においても行きすぎない、ということです。
もし、「コンサバ」を志向するならば、
外しも、
着崩しも、
フェミニンとマスキュリンのミックスも、
抜け感も、
リラックスも、
アヴァンギャルドも、
決して選びません。
左右はいつも対象で、
シャツのボタンはきっちりととめ、
外しアイテムのような無用なアイテムは取り入れず、
マスキュリンの装いをするなど、もってのほかです。
私のイメージする、もっとも「コンサバ」なスタイルは、
皇室の女性の方々の装いです。
あの方々のスタイルを想像していただければ、
「コンサバ」の何たるかがおわかりだろうと思います。
決して乱れず崩れず、
どなたに対しても不快感を与えないように、
礼儀正しく清潔に、
きちんとしている服装、
それが「コンサバ」の王道だと思います。
「コンサバ」において重要なのは、徹底的な他人目線の追求で、
限りなく自分の主張を消していくこと。
そのために日本人がふさわしいと考えたスタイルこそが「コンサバ」なのではないでしょうか。
真に保守的であるためには、どこにも肩入れしないこと。
そして、自分の周囲全体の調和をもっとも重んじること。
ひいては、自分が出会う人たちすべての人に、
快く思っていただけるような装いとは何か、
その1つの答えが「コンサバ」なのではないかと思います。
そう考えるならば、皇室の女性の方々が、
真に保守的なスタイルをお選びになるのも、しごく当然なことです。
今、呼ばれている「コンサバ」が、
真の保守的なものであるのかどうなのか、わかりません。
しかし、真の保守であるところの「コンサバ」を目指すのならば、
流行を追いかけることも、
ブランド物をとっかえひっかえ買いあさることも、
たくさんの服を毎年買うことも、
全く必要ありません。
必要なのは、
自分が周囲に提供するスタイルによって、
すべての人が幸せになること、その1点のみです。
それができたのなら、そのときそれがどんなブランドのものであっても、
どんなに古いものであっても、
王道の「コンサバ」となることでしょう。
真の保守である「コンサバ」とは、洋服のスタイルで完成するものでありません。
自分だけがハッピーであるだけでは足りないと知ること。
そしてすべての人のハッピーを願うこと。
真の保守である「コンサバ」とは、その人の生きるスタイルです。
2014年5月5日月曜日
大人のTシャツ選び
ティーンエイジャーのころは、
近所で売っている、どんなに安いTシャツを着ても、
誰でも輝いて見えました。
毎日洗った洗いざらしのTシャツは、
かえってその若さの輝きを強調したものです。
Tシャツ1枚選ぶのに、迷った記憶など、ないと思います。
好きか嫌いか、それさえわかればよかったはず。
しかし、大人になったら、そういうわけにはいきません。
さて、大人のTシャツ選びです。
いまや赤ちゃんからお年寄りまで、Tシャツを着ます。
一生に一度もTシャツを着ない人など、いないでしょう。
(まず、体操着がTシャツですし)
それほど幅広い年代に着られているにもかかわらず、
子供用と大人用以外には、
Tシャツの区分はありません。
Tシャツ、特に半袖Tシャツは、真夏の定番とはいえ、
一歩間違えると、何ともだらしなく、おしゃれとは程遠いものになります。
まず思いだしていただきたいのは、
Tシャツは、もともと肌着だということです。
そしてその特性は今でも有しているので、
だらしなく見える可能性を持っているのです。
では、大人がTシャツを選ぶとき、何に注意すればよいでしょうか。
ポイントは3つあります。
素材、デザイン、袖口、襟ぐりなどの開きの部分です。
まずは素材。
ほとんどのTシャツはコットン100パーセント、またはコットン+ポリウレタン数パーセントです。
また暑いシーズンに着る特性上、洗濯回数が多いアイテムです。
コットンを何回も洗濯すれば、当然、素材がくたびれてきますから、
若者でない限り、ある程度、着用したら、それ以上は着られません。
コットンにも等級はいろいろあります。
スーピマ・コットンから海島綿、エジプト綿、
またはオーガニック・コットンなど。
高級になれば価格も高くなります。
高級コットンの特徴は、そのなめらかさと光沢です。
そしてその質感は、大人がもっとも必要とするものです。
残念ながら、人間であるかぎり、肌の衰えから逃げることはできません。
ですから、年齢を重ねれば重ねるほど、
ある程度、光沢のある素材でできたTシャツを選んだほうがいいでしょう。
光沢という意味では、コットンだけでなく、絹やレーヨンとの混紡のものも考えられます。
これらの混紡素材は、
コットンだけでは出せない光沢がありますから、
より大人にはふさわしいものです。
とにかく、生地が毛羽だって、著しく光沢のなくなったTシャツは、
消耗品だと見限って、もうそれ以上着るのはやめましょう。
また、黒やネイビーなどの濃い色で、色落ちしてきたものも、
やはり大人には似合いません。
洗濯しすぎでよれよれになったもの、色落ちしてしまったものは、
ともにだらしなく見えます。
気をつけましょう。
つぎにデザインです。
最近、デザイン性の強いTシャツがいろいろ出てきました。
袖口の形が変形したもの(たとえばフレアになっているとか、そこだけレースであるとか)、
全体にドレープが入ったものや、切り替えがあるものなど。
デザイン性があるものは、自分の身体そのものを目立たせたくない場合、
大いに使えます。
人はどうしてもそのデザインに目がいきますから、
シンプルなものよりも、身体のラインは目立ちません。
身体に注目してほしくなかったら、少しデザインのあるものを選ぶのもいいと思います。
Tシャツの場合、特に背中のブラジャーの食い込みが目立ちます。
そこを見てもらいたくないのなら、プレーンなタイプは避けたほうがいいでしょう。
また、デザインという意味では柄やロゴもデザインです。
ただ、全体に柄が施されたもの以外、
たとえば前面だけにキャラクターがプリントされたものや、
何かのロゴが入ったものは、どちらかといえば、若者や子供向け。
くれぐれも注意していただきたいのは、
英語やフランス語の文章の入ったもの。
日本語に訳してみて、どう考えてもその意味のものを着ないほうがいいと思ったら、
大人なのだから、それはやめるべきです。
あまりに意味のない言葉やロゴは品性を疑われます。
最後に、ここが最大のポイントなのですが、襟ぐり、袖口の問題。
まず、Tシャツで何より目立つ二の腕。
若者のように適度に筋肉のついた、しなやかな二の腕は、
見ていてほれぼれしますが、
そうでなくなったとき、中途半端なところで切れた半袖の袖口は、
二の腕の欠点を余計強調させます。
人それぞれ、どこで袖口が終われば、自分の腕が一番美しく見えるかという位置があると思いますので、
それぞれがその位置について研究し、適度に二の腕が隠れる袖のものを選ぶといいでしょう。
私の考えですが、中途半端な場所で二の腕に水平ラインが横切るぐらいなら、
袖がないもののほうがましです。
Tシャツの袖口と自分の二の腕の関係は、自分で把握しておいてください。
もう一つの開きは襟ぐりです。
これも詰まったもの、あいたもの、Vネック、ボートネック、クルーネックなどさまざまです。
自分の首の長さ、頭の形に対して、
もっとも見栄えのいい襟ぐりがあります。
首を長く見せるたいのなら、Vネックや、クルーネックでも少し開きが深いものがいいのですが、
これが逆に深すぎると、下着が見えてしまい逆効果です。
またあまり詰まった感ものも、何か体操着みたいな感じで、
大人っぽくありません。
下着が見えないぐらいの、適度に深い、または広い開きのもののほうが、
大人にはふさわしいと思います。
いずれにせよ、これも人それぞれの体型によりますので、
自分にとって最も具合のいい開きの形と深さを知っておきましょう。
Tシャツはいつでもどこでも手軽に買えるものですが、
自分がこだわりを持って、もっとも似合うものを探そうとしたならば、
なかなかこれといった1枚が見つからないものです。
どれも何かしら気に入らない点があって、100パーセント満足のものには、
なかなかめぐり合えません。
また、Tシャツの試着もあまりしないものなので、試着しないで買って失敗ということもあるでしょう。
Tシャツの素材のほとんどはジャージーです。
ジャージー素材は、体型をカバーする力を持っていません。
ですから選択はより難しいものになります。
年齢とともに、
体型の変化とともに、
似合うTシャツの形や素材、色は変わってきます。
それが若いころと同じということは、決してありません。
潔く変化を受け入れて、
若いころとは違った気分でTシャツを選んでみてください。
変化は退化ではありません。
以前は似合わなかったような色、素材、デザインが、
新たに似合うようになるということです。
蝶は子供のときはいもむしで、変容して大人になり、やっと蝶になります。
いもむしと蝶が同じものを着ていたのでは、それはおかしな話です。
いもむし時代に似合っていたTシャツはさっさと捨てて、
蝶になった自分にふさわしいTシャツを新しく選びましょう。
それはきっと、前よりも、より進化して美しいものであるでしょう。
近所で売っている、どんなに安いTシャツを着ても、
誰でも輝いて見えました。
毎日洗った洗いざらしのTシャツは、
かえってその若さの輝きを強調したものです。
Tシャツ1枚選ぶのに、迷った記憶など、ないと思います。
好きか嫌いか、それさえわかればよかったはず。
しかし、大人になったら、そういうわけにはいきません。
さて、大人のTシャツ選びです。
いまや赤ちゃんからお年寄りまで、Tシャツを着ます。
一生に一度もTシャツを着ない人など、いないでしょう。
(まず、体操着がTシャツですし)
それほど幅広い年代に着られているにもかかわらず、
子供用と大人用以外には、
Tシャツの区分はありません。
Tシャツ、特に半袖Tシャツは、真夏の定番とはいえ、
一歩間違えると、何ともだらしなく、おしゃれとは程遠いものになります。
まず思いだしていただきたいのは、
Tシャツは、もともと肌着だということです。
そしてその特性は今でも有しているので、
だらしなく見える可能性を持っているのです。
では、大人がTシャツを選ぶとき、何に注意すればよいでしょうか。
ポイントは3つあります。
素材、デザイン、袖口、襟ぐりなどの開きの部分です。
まずは素材。
ほとんどのTシャツはコットン100パーセント、またはコットン+ポリウレタン数パーセントです。
また暑いシーズンに着る特性上、洗濯回数が多いアイテムです。
コットンを何回も洗濯すれば、当然、素材がくたびれてきますから、
若者でない限り、ある程度、着用したら、それ以上は着られません。
コットンにも等級はいろいろあります。
スーピマ・コットンから海島綿、エジプト綿、
またはオーガニック・コットンなど。
高級になれば価格も高くなります。
高級コットンの特徴は、そのなめらかさと光沢です。
そしてその質感は、大人がもっとも必要とするものです。
残念ながら、人間であるかぎり、肌の衰えから逃げることはできません。
ですから、年齢を重ねれば重ねるほど、
ある程度、光沢のある素材でできたTシャツを選んだほうがいいでしょう。
光沢という意味では、コットンだけでなく、絹やレーヨンとの混紡のものも考えられます。
これらの混紡素材は、
コットンだけでは出せない光沢がありますから、
より大人にはふさわしいものです。
とにかく、生地が毛羽だって、著しく光沢のなくなったTシャツは、
消耗品だと見限って、もうそれ以上着るのはやめましょう。
また、黒やネイビーなどの濃い色で、色落ちしてきたものも、
やはり大人には似合いません。
洗濯しすぎでよれよれになったもの、色落ちしてしまったものは、
ともにだらしなく見えます。
気をつけましょう。
つぎにデザインです。
最近、デザイン性の強いTシャツがいろいろ出てきました。
袖口の形が変形したもの(たとえばフレアになっているとか、そこだけレースであるとか)、
全体にドレープが入ったものや、切り替えがあるものなど。
デザイン性があるものは、自分の身体そのものを目立たせたくない場合、
大いに使えます。
人はどうしてもそのデザインに目がいきますから、
シンプルなものよりも、身体のラインは目立ちません。
身体に注目してほしくなかったら、少しデザインのあるものを選ぶのもいいと思います。
Tシャツの場合、特に背中のブラジャーの食い込みが目立ちます。
そこを見てもらいたくないのなら、プレーンなタイプは避けたほうがいいでしょう。
また、デザインという意味では柄やロゴもデザインです。
ただ、全体に柄が施されたもの以外、
たとえば前面だけにキャラクターがプリントされたものや、
何かのロゴが入ったものは、どちらかといえば、若者や子供向け。
くれぐれも注意していただきたいのは、
英語やフランス語の文章の入ったもの。
日本語に訳してみて、どう考えてもその意味のものを着ないほうがいいと思ったら、
大人なのだから、それはやめるべきです。
あまりに意味のない言葉やロゴは品性を疑われます。
最後に、ここが最大のポイントなのですが、襟ぐり、袖口の問題。
まず、Tシャツで何より目立つ二の腕。
若者のように適度に筋肉のついた、しなやかな二の腕は、
見ていてほれぼれしますが、
そうでなくなったとき、中途半端なところで切れた半袖の袖口は、
二の腕の欠点を余計強調させます。
人それぞれ、どこで袖口が終われば、自分の腕が一番美しく見えるかという位置があると思いますので、
それぞれがその位置について研究し、適度に二の腕が隠れる袖のものを選ぶといいでしょう。
私の考えですが、中途半端な場所で二の腕に水平ラインが横切るぐらいなら、
袖がないもののほうがましです。
Tシャツの袖口と自分の二の腕の関係は、自分で把握しておいてください。
もう一つの開きは襟ぐりです。
これも詰まったもの、あいたもの、Vネック、ボートネック、クルーネックなどさまざまです。
自分の首の長さ、頭の形に対して、
もっとも見栄えのいい襟ぐりがあります。
首を長く見せるたいのなら、Vネックや、クルーネックでも少し開きが深いものがいいのですが、
これが逆に深すぎると、下着が見えてしまい逆効果です。
またあまり詰まった感ものも、何か体操着みたいな感じで、
大人っぽくありません。
下着が見えないぐらいの、適度に深い、または広い開きのもののほうが、
大人にはふさわしいと思います。
いずれにせよ、これも人それぞれの体型によりますので、
自分にとって最も具合のいい開きの形と深さを知っておきましょう。
Tシャツはいつでもどこでも手軽に買えるものですが、
自分がこだわりを持って、もっとも似合うものを探そうとしたならば、
なかなかこれといった1枚が見つからないものです。
どれも何かしら気に入らない点があって、100パーセント満足のものには、
なかなかめぐり合えません。
また、Tシャツの試着もあまりしないものなので、試着しないで買って失敗ということもあるでしょう。
Tシャツの素材のほとんどはジャージーです。
ジャージー素材は、体型をカバーする力を持っていません。
ですから選択はより難しいものになります。
年齢とともに、
体型の変化とともに、
似合うTシャツの形や素材、色は変わってきます。
それが若いころと同じということは、決してありません。
潔く変化を受け入れて、
若いころとは違った気分でTシャツを選んでみてください。
変化は退化ではありません。
以前は似合わなかったような色、素材、デザインが、
新たに似合うようになるということです。
蝶は子供のときはいもむしで、変容して大人になり、やっと蝶になります。
いもむしと蝶が同じものを着ていたのでは、それはおかしな話です。
いもむし時代に似合っていたTシャツはさっさと捨てて、
蝶になった自分にふさわしいTシャツを新しく選びましょう。
それはきっと、前よりも、より進化して美しいものであるでしょう。