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2014年9月29日月曜日

今後10年の流れ

2012年、海王星がうお座に入宮するころ、
これからは、ラファエル前派に見られるような、
フェミニティを強調した、はかなく強い女神スタイルがやってくると、
予想しました。
果たして、フリル、オーガンジー、シフォンの女神スタイルのたくさんのモデルたちが、
ランウエイを歩くことになりました。

海王星が宮をうつるごとにファッションの流れが変わるという説は、
リズ・グリーン女史によるものですが、
次に海王星が宮を移動するのが2025年。
ですから、あと10年ちょっと今の流れが続きます。

ラファエル前派と書いたのには理由があって、
そのころも今と同様に、海王星がうお座に位置していたからです。
ラファエル前派の画家の代表的なアーチストは、
ウィリアム・モリスとダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなのですが、
彼ら2人が在籍したもう一つの運動があります。
それが、アーツ・アンド・クラフツ運動です。
19世紀、イギリスで起こった産業革命の結果、
大量生産の時代に入り、生活に安かろう、悪かろうの製品があふれたことに対して、
ウィリアム・モリスが生活にもっと手仕事と芸術を取り戻そうと提案し、
広がった運動です。
2015年のプラダの秋冬コレクションを見て、
私は、まさにこれは現代のアーツ・アンド・クラフツ運動だ、
と思いました。
いわば、大量生産の味気ない、効率だけを優先した衣装に対する反動です。

奇しくもというか、当然ながらというか、
私と同じことを考えた人がいました。
2015年のドリス・ヴァン・ノッテンの秋冬コレクションについて、
スージー・メンケスはBritish Vogueのレポートで、
「アーツ・アンド・クラフツ運動の21世紀バージョン」と評しています。

現代に比べれば、19世紀の大量生産など、
大したことはないと思いますが、
それでも当時の芸術家たちにしてみれば、
それはまさに脅威だったのでしょう。
美しさも、人間の手のぬくもりもない、
機能的なだけのうつろな工業製品が身の回りにふえていくその様に、
我慢ならなかったのだと思います。

21世紀の現在、街にあふれるほとんどのものは大量生産の工業製品です。
特に、一般の人が着る衣服においては、
ほとんどの人が大量生産で作られたものを選び、
そこに残された手仕事はほんの少しばかりとなりました。
ですから、これからはそのなくなった手仕事を取り戻す動きが生まれると予想されます。
それが、いわば21世紀バージョンのアーツ・アンド・クラフツ運動となるわけです。
アーツ・アンド・クラフツ運動なわけですから、
植物や動物がモチーフとして取り上げられるのは当然です。
ウィリアム・モリスがデザインしたテキスタイルを思いだしていただければよいでしょう。
あれの21世紀バージョンが数多く展開されていきます。

シルエットとしてはフェミニン、女神、
そして、細部はアーツ・アンド・クラフツ運動に見られたような、
手仕事、またはレースやブロケード、ジャカードのような豪奢な織物、
これが今後10年続く大きな流れの中心となるでしょう。

しかし、歴史は決して後戻りしません。
当然のことながら、19世紀と現在とでは、状況は全く違います。
そのもっとも違う点は、
女性の自由と権利の範囲です。
19世紀、女性には、
ズボンをはく自由さえありませんでした。
もちろん職業選択の自由も、
財産を持つ自由も、
婚姻の自由も、何もありませんでした。
それはその後、100年以上もかけて女性たちがすべて勝ち取ってきたものです。

ココ・シャネルに代表されるように、
近代から現代の女性の衣服の歴史は、
コルセットや長いスカートから自由になること、
そして男性が着るものを女性が取り入れる、ということにより発展してきました。
自由で、活動的であるために、
スポーツウエアや作業着、肌着など、どんなアイテムでも取り入れていく、
それが現在まで続く西洋のファッションの大きな流れです。

大きなフェミニティの中に、
勝ち取った自由ををより拡大させる、
そして、奪われた、手仕事による美しさを取り戻すこと、
これが大枠ではありますが、
最後にもう一つ大きなテーマがあります。

現在進行中のグローバリズムが目指すところは、
世界の均質化です。
同じ言語、同じ文化、同じ食べ物を世界中にばらまき、
多様性を抹殺し、すべてフラットで均質化することが、
グローバリズムの最終目標です。
そこでは、人は同じ形、同じ色の同じ服を着ることが望まれるでしょう。
既に私たちは、あと一歩のところでグローバリズムが目指す世界に入るところまできています。
片足を突っ込んでいると言っても、過言ではありません。
しかし、グローバリズムの夢見る世界が完成した暁には、ファッションなど必要ありません。
同じデザインの同じ服の大量生産だけが必要な世界は、
優れたデザイナーが最も忌み嫌うものであるはずです。
ウィリアム・モリスが産業革命で起きた同質の大量生産社会にアンチを唱えたように、
現在の優れたデザイナーたちも、世界の均質化、フラット化にアンチを唱え始めます。
その1つの例が民族衣装のデザインの取り込みです。
それはアジアでも、アフリカでも、中南米でも、
どこのデザインでもあり得ます。
世界各地のあらゆる西洋とは異質な文化に見られるデザインの取り込みは、
今後も続くでしょう。
それは世界の多用性の表現です。
多用性はファッションが手放してはいけないものです。
なぜなら、ファッションは個々の違いに奉仕すべき存在だからです。
ですから、デザイナーは今後も多用性を擁護し続けます。

これが今後10年は続くと思われる大きな流れです。
もちろんすべてのデザイナーが同じ方向を向くわけではありません。
中には、自分のスタイルだけにこだわり、
それだけを作り続けるデザイナーもいるでしょう。
しかし時代を読むことのできるデザイナーは、
必ずその時代の空気、気分をデザインに落とし込みます。
そして、長い期間、活躍できるデザイナーとは、そんなデザイナーなのです。

10年続く大きな流れがわかったならば、
私たちはそれにそってワードローブを構築していけばよいのです。
今の自分と、
10年後の未来の自分が見えたなら、
そのあいだにかけ橋を作るワードローブを少しずつ作っていくこと。
それが私たちのすべきことです。

今、ここだけの欲望をあおる勢力に負けずに、
理想の未来のヴィジョンをしっかり持ち、
それに向かって一枚ずつ買い足していくこと。
それは同時に未来の自分を作る行為です。

未来の自分が見えたなら、
次にどんなデザインの、どんなものを買えばいいか、
何を選べばいいか、
はっきりとわかるでしょう。
ドレスを1枚買うごとに、
靴を一足、新調するごとに、
理想の自分に近づきます。
ワードローブは過去ではなく、
未来を向いて構築しましょう。
過去へはもう戻りません。
何を着ても自由な世界を、後戻りはさせません。
10年後、理想の未来が到来するかしないかは、
私たちの選択にかかっています。


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2014年9月22日月曜日

リバイバル

2013年を過ぎたあたりから、
各年代のリバイバルが盛んになりました。
主に60年代、
70年代、
80年代、
90年代がリバイバルしています。

ファッションに限らず、芸術全般は、過去のスタイルを取り入れて発展していきます。
絵画におけるラファエル前派は、ラファエル以前の絵画のリバイバル、
ゴシック ・リバイバルは、ゴシック建築の復興運動です。
ともに19世紀に起きた運動ですが、
社会が行き詰ると、アーチストたちは、
過去のアーカイヴに目を向けるようになります。
つまりそれは、あたかも過去のほうが優れていたかのように見えるからです。

今がよければ、過去を振り返る必要はありません。
過去に何かを求めざるを得ない状況があるからこそ、
私たちは古さではなく、新しい発見をアーカイブに求めます。
そう考えると、21世紀に入ってまだ10年足らずではありますが、
ファッションは行き詰っています。
そして、この行き詰まりから脱出するまでは、
さまざまな年代のリバイバルが繰り返されることになるでしょう。

実際のところ、
リバイバルと言えども、
その年代そのままのスタイルの再現ではありません。
それは繰り返しではありますが、
同じ軌道をめぐっているのではなく、
未来に向かってらせん状に発展していきます。
ですから、70年代リバイバルだからといって、
70年代に着たそのものを、そのままのスタイルで再現すれば、
それが今風になるかといえば、そうではありません。

ではどうすればよいのか。
私たちが何を見て、これは70年代だ、80年代だと言うのかといえば、
それはシルエットとスタイリングです。
その他、色と素材もありますが、
主なものはシルエットとスタイリングになります。
繰り返されているのは、
70年代のシルエットであり、70年代風のスタイリングです。
ですから、リバイバルがあらわれて、
それを取り入れたいのだとしたら、
70年代の服をそのまま着るのではなく、
シルエット、またはスタイリングを取り入れればよいのです。

70年代だとしたら、
シャツの上にニットのベスト、ボックスプリーツのスカートにハイソックス、ローファーの学生風スタイル。
または、ヒッピー風のフリンジがついた革のジャケットにマキシ丈のドレスやスカート、
それらに底に厚みのあるブーツやサボの組み合わせ。
80年代だったら、
とにかく何もかもがビッグ・シルエット。
自分にぴったりのサイズのものよりワンサイズ上のものを選び、
シルエットを大きくした分、アクセサリーは大きく、靴はごつく、フラットに。
黒くごついメンズライクの靴に黒いソックスをあわせるのも80年代のスタイルです。
それらは新しいコレクションを見てもわかりますが、
古い映画のファッションを参考にすることもできます。
60年代だったら、「シェルブールの雨傘」や「おしゃれ泥棒」、
70年代だったら、「追憶」や「アニー・ホール」、
80年代だったら、「マドンナのスーザンを探して」や「プリティ・イン・ピンク」がお勧めです。

これらの雰囲気を出すためには、何もすべて新しくする必要はありません。
今まで持っていたものを新しく組み合わせ直してみるだけでも、
十分に雰囲気を出すことは可能です。
たとえば、タイトスカートにヒールのパンプスをあわせていたものを、
スニーカーとソックスに変えてみる、
スウェットシャツにロングスカートをあわせてみるなど、
それまではしなかった、しかしほかの年代ではしていた組み合わせをしてみるだけでも、
十分に雰囲気は出せます。

また、何か買い足すにしても、
たとえば、80年代風にしたいのだったら、
黒いソックスを買い足す、
スウェットシャツは大き目のものを選び、ビッグシルエットを作るなど、
今まで買っていたアイテムの色を変えたり、
サイズを大きくしたりすることで対応することができます。

注意すべきなのは、
70年代リバイバルだからといって、
70年代のものを古着で全部そろえたりしないようにすることです。
実際やってみればわかりますが、
そんなことをしてみても、今の気分にはなりません。
必ずどこかしら進化しなければ、それは今ではありません。

進化したのは何でしょうか。
進化したのは、素材であり、技術であり、洗練の度合いであり、そして何よりも自由度です。
60年代よりも70年代に、
70年代よりも80年代に、
80年代よりも90年代に大きく変わったもの、
それは女性の自由の範囲です。
70年代、ジーンズで大学に通うだけで非難されました。
しかし、今では高級ホテルにさえ、ジーンズでチェックインできます。
スニーカーは、大人のはくものではありませんでしたが、
今では、大人がこぞってスニーカーを選びます。
ファッションの中の不平等や差別の解消と、
女性の自由の拡大は相関関係にあるのです。
ですから、決して過去に戻ってはいけません。

デザイン・ソースとして、アーカイブを参照しつつ、
その自由は決して手放さない。
70年代の若者が、そのスタイルでは行けなかったところへ、
今の私たちは行くことができます。

ジーンズにダイヤモンドをあわせることも、
ドレスにスニーカーにあわせることも、
今の私たちには可能です。
それは大きな進化であり、進歩です。

過去の豊富なアーカイブを自由な心で再現する。
もはやここには禁止事項はありません。
なぜならそれは戦いによって勝ち取ってきたものだからです。
決してそのことは忘れないように。
今こうして自由でいられるのも、
タブーを覆し、非難する声にも負けなかった、
先駆者がいてくれたおかげなのです。



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2014年9月15日月曜日

流れを読むための定点観測のすすめ

私たちは日々、その日に食べるものを買います。
ほとんどの食べ物は買ってから、間もなく消費されます。
1年以上も、それを保持しているということはまれです。

日々ではありませんが、私たちは服を買います。
しかし、そのほとんどは、消費し終わるまでにある程度の月日を要します。
それは短いもので1シーズン、
長いものでは10年以上に及ぶものもあります。

食べ物も、衣服も、買うという同じ行為によって手に入れるわけですが、
これらを同じ視点で買うことは、適当ではありません。
かたや、1週間かそこらのためのも、
かたや、これから先、何年も続くであろうためのものです。

食べ物を買うときに、私たちは賞味期限をチェックします。
それは「いつまで食べることが適当か」ということの指標です。
けれども、残念なことに、衣服には賞味期限の記載がありません。
それが果たしていつまでもつのか、
買う時点では、ほとんどの人にはわかりません。
わからないことですが、失敗のない買い物をするためには、
これをある程度、把握することは必要です。
買ったはいいけれども、
賞味期限がすぐ訪れるものなど、
手に入れないほうがいいからです。
ファッションの流れを読み、
今まさに買おうとしているものが、
この先、どの程度、着られるものなのかと推測するためにも、
定点観測をおすすめします。

少なくとも、今、このブログを読む環境にある人は、
インターネットに接続可能であると思います。
(誰かがコピーしたものを違う媒体で読むのでなければ)
そうであるならば、同じように世界中のあらゆるファッションに関連する情報に、
アクセスすることも可能です。
ファッションのプロでもない限り、
すべての情報をチェックする必要はありません。
ですから、定点観測です。
たとえば、自分が好きなブランドのコレクションの情報を、
それは買わないかもしれないけれども、
チェックし続けるのです。
春夏、秋冬、クルーズ、プレシーズンと、
少なくとも年4回、新しいコレクションの情報が、
インターネット上で公開されます。
それはブランドのHPにもありますし、
雑誌のコレクションをまとめたページにもあります。

それによってわかることがあります。
それがファッションの流れです。
流行という言葉で示されるように、
ファッションはある方向に向かって流れていきます。
そして優れたデザイナーは、
必ずその流れを把握しています。
彼らは、いつでもほんの少し先の未来予測を、
コレクションを通じて教えてくれます。
何年も続けて、定点観測し続ければ、
誰にでもこの流れの方向がわかるようになります。

ファッションの流れがわかると、
おのずと、売られている服の賞味期限についてわかってくるようになります。
シルエットの流行の変化が見えるようになり、
終わるものと始まるもの、続くものの区別がつきます。
そのとき私たちは、
1枚のジャケットに、
その色や素材や値段など、見えるもの以上のものを見るようになるのです。
つまり、その服が持っているデザインの立ち位置です。
その位置が遅れたものなのか、
今のものなのか、
一歩進んだものなのか、
それが見えてきます。
それがわかれば、その服がいつまでもつものなのか、大体の予想がつき、
それを考慮して買い物することができます。
1シーズンで消費し切るものは賞味期限の短いものを買ってもよいし、
10年着たいというものは、賞味期限ができるだけ長いものを選ぶことが可能になります。
賞味期限が短いものとは、今だけの気分のものであり、
賞味期限が長いものとは、これから続く流れを見越したシルエットのものです。
たとえば、2000年だったら、タイトなシルエットのコートがその後、10年続く流れでしたが、
2014年になって、完全に流れが変わってしまった後は、
コートの流れはビッグシルエットへ向かっています。
つまり、ビッグシルエットのほうが、賞味期限の長いコートになります。

また、この定点観測で流れがわかれば、
次のシーズンにくるであろう、新しいスタイリングの形がわかります。
「新しさ」とは、何も新しい「モノ」だけのことではありません。
バランス、組み合わせ、着こなし方法など、
今まで既に存在していたものの新しい組み合わせ方や、
新しいバランスのとり方などのスタイリングもまた「新しさ」です。
流れがわかるようになると、
次に新しく見えるスタイリングの形は何なのかがわかるようになります。
それがわかれば、
今持っているアイテムの組み合わせを変えるだけで、
あるいは何か1つを付け足すだけで、
新しく見えるスタイリングがわかるようになります。
その新しいスタイリングの気分を、
いちはやく取り入れることも、おしゃれに見せるための重要な要素です。
それは多くの人が取り入れる前に取り入れたほうがよりよいのです。
見飽きるほどに街にあふれるころに取り入れたのでは遅すぎです。
たとえばタイトスカートには今、ハイヒールをあわせるべきなのか、
スニーカーをあわせるべきなのかは流れを見ればわかります。
流れが向かう組み合わせを選べば、
そのスカートが、たとえ5年前のものであっても、
新しく、おしゃれに見えます。

これら定点観測には、ニ、三のブランドを見るだけで十分です。
たくさん見る必要はありません。
それでも定期的にチェックするだけで、
確実にわかるようになります。

20年前のように、
コレクション情報が一部の人のものである時代は終わりました。
私たちがインターネット上でアクセスできる情報は、
環境さえ整えば、特別なものではなくなり、
誰でも平等に見られるものになりました。
そこにはプロと素人の差はありません。
私たちが今、接することができる情報は、
限りなくオリジナルに近いものなのです。
私たちが学べるのは、オリジナルからだけです。
二次情報ではなく、オリジナルに接することで、
多くを学ぶことができます。

流れを読む、
その上で買い物をする、
スタイリングを考える。
私たち一人一人、
それができるようになれば、
誰かにおだてられて余計なものを買うことも、
流行っているらしいからと、街にあふれるものを買うこともなくなります。
自分が自分専属スタイリストになるためにも、
流れを読みましょう。
特別な才能はいりません。
ほんの少しの労力と、
そうなりたいという気持ちだけで、
それは誰にでも可能です。


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2014年9月8日月曜日

接近するファッションとスポーツウエア

スポーツウエアのテイストをそのままファッションに持ちこんで衝撃を与えたのは、1990年代後半のプラダでしょう。
大きく、重厚だったファッションの流れを、
シンプルで軽く、そしてスポーツウエアのテイストを加えたのが、
その当時のものだったと思います。
それ以降、スポーツウエアにデザインのオリジナルを持つもの、
たとえばウィンドブレイカー、パーカー、ポロシャツなど、
ごくふつうにコレクションで取り上げられるようになりました。
しかしその当時のファッション界におけるスポーツウエアは、
形だけを取り入れただけで、
同じ形だけれども、機能性はゼロの、
スポーツウエアをただ真似たものの域は出ていませんでした。
しかし、ここへきて、その形だけを真似たものの領域から出ようとする動きが出てきています。

同時に、スポーツウエアのメーカーはファッションに歩み寄ってきています。
ステラ・マッカートニーやフセイン・チャラヤンに代表されるように、
それまでコレクションを発表していた、いわばふつうの服のデザイナーが、
スポーツウエアのメーカーとコラボレーションする形でスポーツウエアを発表しています。
それらはまさに、デザインと機能性、両方を兼ね備えたものであり、
ファッションの側も、スポーツウエアの側も、
両方を同時に満足させるものになっています。

ファッションがスポーツウエアに歩み寄るようになったのには、
いくつかの理由が考えられます。
ファッションの急激なカジュアル化、
それによる、より動きやすく、リラックス感のあるデザインへの志向、
ハイテク素材の開発によりデザインと同時に機能性が実現できるようになったことなど、
さまざまな要因が同時多発的に発生し、
それが一気に同じ方向へ流れ込んできた結果が今でしょう。
その流れは、もはやオートクチュールと言えども無視できなくなり、
今ではシャネルやディオールまでも、
ドレスの足元にスニーカーを提案しています。
しかもそれは、飾り立てられ、ほとんど歩けないようなしろものではなく、
ストリートを駆け抜けることができる、
正真正銘のスニーカーなのです。

スポーツウエア、そしてアウトドアウエアなどの機能的なウエアは、
今後もファッションの中で大きな位置を占めるでしょう。
それは、ファッションが「特別な誰か」の独占物であることから、
より多くの、ふつうに街を歩く人々へと広がった証拠でもあります。

「特別な誰か」のためだけに服を作ってきたデザイナーは次々と消えていなくなりました。
たとえばスタイルのいい体型の人だけのために作ったデザイナー、
お金のある人だけのために作ったデザイナー、
自分のクリエイティビティのためだけに作ったデザイナー、
ファッション業界の内輪だけのことを考えて服を作ったデザイナーなど、
今ではどこにいるかさえわかりません。
ふつうの人々がアクセスできない服は、結局、消えていくのです。

スニーカーやスウェットシャツ、
ウィンドブレーカーやダウンジャケットは、
誰でもアクセス可能です。
手が届かないものではありません。
「ジヴァンシーのバンビのスウェットシャツが欲しいのよ」とか言わなければ、
ふつうに手に入ります。
シャネルのスニーカーは買えなくても、
ニューバランスなら、近くのマーケットでも手に入ります。
同じように、
ステラ・マッカートニーのコレクションラインは買えなくても、
アディダス・バイ・ステラ・マッカートニーなら、買うことができます。

服は、誰かが着なければ、完成しないのです。
美術館に飾られたとしても、それはやはり完成ではないのです。
服は人が着て、歩いて初めて完成品です。
そのためにも、デザイナーはストリートのふつうの人々に近づく必要があります。
スポーツウエアに近づいたデザイナーたちの意図は、まさにそこにあるのです。
彼らは「特別な誰か」ではなく、
「ふつうの私たち」に近づこうとしているのです。
なぜなら、それこそが彼らが生き残ることができる、
唯一の道だからです。

私たちは、近付いてきた彼らを歓迎しましょう。
つまり、この流行は大いに利用しましょう。
長いこと作業着として一段下に見られていたジーンズは、
今では完全に市民権を得て、ほとんどの場所へ着ていけるようになりました。
スポーツウエアも、やがて同じようになるでしょう。
どんな高級ホテルも、シャネルのスニーカーは拒否できないでしょう。

考えてみれば、
アクセスできない服など、ないも同然なのです。
どんなにお高くとまってみたところで、
手の届かない服など、私たちを変えることはできません。
着ることができる服こそが、力を持っています。
そして、「ふつうの私たち」が欲するのは、まさにそれです。

機能性とデザインは両立し、私たちはそれを手に入れることができるようになりました。
接近したのはファッションとスポーツウエアだけではありませんでした。
「ふつうの私たち」と「優れたデザイナー」もまた、
近付きました。
この円満な関係は、これからも続くでしょう。
もう後に戻ることはできません。



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2014年9月1日月曜日

スリット

スリットとは切れ目のことで、
洋服の場合は、特にタイトスカートの後ろ中心に、
歩きやすくするためのスリットが有名です。
しかし、このスリットですが、開きに用いられるスリットのように、
動きやすさ、着やすさなどの機能のために用いられるほか、
デザインとしてわざと入れる場合もあります。
そして、最近、デザインとしてのスリットがふえています。

たとえば、
タイトスカートのスリットを脇から前よりに持ってきて太ももあたりまで深く入れる、
ドレスの後ろ中心をファスナーでしめずに、スリットにして開けたままにする、
肩線を少し開けて肩を見せるようにするなど。

そして最近、特に多いのは、
ボディの前身頃の中心線が大きく開いたタイプです。
シャツやニットの前中心の深い切り込み、
それから、これはもはやスリットと呼びませんが、
ドレスやジャケットの前中心をV字になるように、
開けたままにするスタイルです。

ポイントはどれも、深く開いたその隙間からは素肌が見えているということ。
ドレスやジャケットの胸元は深くV字に開けたままで、
下には何も身につけず、素肌を見せます。

このように、あらゆるところに深く切れ目を入れて素肌を見せるスタイルが、
ここのところ多く出てきました。
これは、シルエットではなく、細部のデザインの流行で、
これからもっと拡大していくでしょう。

ファッションに求められるのは、
見慣れぬこと、
意外性、
そして驚きです。
この、至るところに切り込みを入れて、
いろいろなところから少しだけ素肌を見せるスタイルは、
そのファッションの求めるところを見事に実現しています。
その隙間から見える素肌は、
ふだんは見せていないような部分であり、
また、意外性に満ち、見るものの視線を、
知らぬ間に引きつける効果を持っています。

ファッションにおいて、
あからさまに肌を見せるということ、
ひいては、あけすけで、意図を持った性的表現は、
かえって逆効果です。
それは下品と呼ばれます。
下着が見えそうなスカート丈や、
ごくふつうのブラジャーが胸元から見えていることは、
おしゃれの反対側にあるものです。
なぜなら、そこには驚きも、意外性もなく、
性的に引き付けたいという、見え透いた意図がはっきりわかるからです。
それはモードなどではなく、
悪趣味で、夢見の悪そうな、偽装です。
他人から何かを奪ってやろうとする人は、おしゃれな人ではありません。

洋服の縫い目の、本来ならつながっているべきところがつながることなく、
切れているというそのことだけでも意外性があるのですが、
そこから見えるのが、本来は見えないはずである素肌であるということが重要です。
超ミニの丈のスカートから見える太ももではなく、
本当は見えないはずの、長い丈のスカートから、
太ももが少しだけ見えるから、そこに価値が生まれるのです。
それは最初からわかりきったミニ丈から見える太ももよりも、
はるかに想像力を刺激します。

ファッションは、想像力を働かせる余地を与えないような、
明らかな意図が、大嫌いです。
プレゼントが薄紙に包まれ、
箱に入り、
美しい包装紙に包まれ、
リボンがかけられるほど、
もらう側の想像力を刺激するように、
その中身、
つまりファッションにとっての意図が、すぐわかってしまってはだめなのです。

その意味においても、
この、至るところにあらわれる、意外性に満ちたスリットは、
冬の装いにおいて、より一層、その力を発揮するでしょう。
寒いので、すべての開きが閉まっているのは当たり前。
しかしそこで、ほんの少しでもどこか意外なところにスリットがあって、
そこから素肌が見えたなら、
そこにおしゃれが生まれます。

寒くても、それをあえて選ぶのがおしゃれな人。
それは機能ではないのです。
それは見る人に驚きを与えるための小さな仕掛け。
そのためには少しの寒さを我慢しなくてはなりません。
寒さや不便さを我慢しても、あえてそれを着る。
それもプレゼントの一種です。
おしゃれな人は、決して奪う人ではありません。
おしゃれな人とは、つまるところ、誰かに何かを惜しげもなく与えられる人だということです。 



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