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2017年8月30日水曜日

赤を着よう

(Diorのレッドドレス)

色にも流行があります。
まず国際的な機関であるインターカラ―が発信する色を取りきめ、
プロモスティルなどの情報発信会社がトレンドブックを発売、
それらの情報を収集して、ファブリックメーカーが生地を作ります。
そのため同時期の生地の展示会に同じ色の生地が並び、
これら生地を使って各種メゾンが服という形にするため、
その年に多く使われる色というものが出現するという仕組みです。
ファッションの歴史を振り返ってみればわかるように、
60年代には60年代の、70年代には70年代の色調があります。
同じ赤といっても、60年代のような赤と、70年代の赤とではまた違っています。
ですから、「赤」と大きくひとくくりしても、今買う赤は、やはり70年代の赤とは違うのです。

赤い服はいつの時代でも作られています。
紺、白、赤というトリコロールの並びや、
トラッドの茶に合わせる赤いツインセットなど、
商品のラインアップから完全に赤が消えたシーズンというものは過去にないでしょう。
けれども、赤い服を多くの人が着ていたという印象はあまりないと思います。
なぜなら、赤い服はいつも作られてはいるけれども、売れ残るからです。
なぜ赤はいつも売れ残るのでしょうか。

多くの人が「使える色」や「人気の色」を探しています。
「使える色」とはどういう場面で何のために使うのかはっきりしませんが、
汎用性が高いというぐらいの意味でしょう。
また、人気の色とは、多くの人が選ぶ色ということでしょう。
目的は不明ではあるが汎用性が高く、多くの人が望む色こそが、
多くの人が探している色です。
赤が売れ残るということは、つまり赤は汎用性が高くなく、
何より人気がないからでしょう。

汎用性が高く、多くの人が持つということは、
いつでもどこでもそれは散見できる、つまりありふれているということです。
どんな場面でも、多くの人が着たり、持ったりするのですから、それは街にあふれます。
多くの人は、ありふれていることを望んでいます。

ありふれているものを望む人たちは、
目立つことを嫌がります。
確かに赤は目立つ色です。
男性の中のただ一人の女性を紅一点と言うように、赤はひときわ目立つのです。

汎用性が高く、人気がある色とは、
決してその人が好きな色ということではありません。
また、自分もしくは誰かがその人に似合うと思っている、その色でもありません。

ありふれていて、好きでも似合うというわけでもないその色を選ぶ人たちは、
目立たなく、多くの人と同じことを望みます。
逸脱しないように、街に溶け込むように。

しかし同時にこの人たちは、
選ばれることを熱望するのです。
多くの少女マンガに見られるあのパターン。
いつでもひょんなことが起こり、
カッコいい男子に見染められ、
自分の意思に反して物語が進行する、あの使い古されたパターンのように、
誰かから選ばれて、運命が開けていくことを切望するのです。
けれども、多くの、このありふれた色を望む人たちには、
そんなことは現実に起きなかったでしょう。

自分が好きでも似合うわけでもない、ありふれた色を選び続けた
その人たちの衣装というテキストは、その人が代替可能な人物であると、多くの人に知らせたのです。
ひょんなことなんて起こりません。
カッコいい男子も王子様もやってきません。
運命の扉が自動ドアのように勝手には開くこともありません。

さて、ではそうではない者、
自分が何が好きかわかっていて、
他人の嗜好を知るための人気ランキングなど完全無視し、
自分の意思で選択し、その責任を取る、そんな人が赤が好きなら、
迷わず赤い服を着ましょう。
赤は情熱の色、行動の色です。
ハートはいつも赤い色で表現されます。
赤はLOVEの象徴です。

自分であることを包み隠さず、凛とした姿で自分の人生を歩いていく、
そんなあなたに赤はうってつけです。
そういう人の中に人々は美を見出し、引きつけられます。
運命の女神フォルトゥーナはほほ笑み、
あなたは選ばれます。
多くの中から選ばれるその理由は、まさにあなたが代替不能だからです。
赤が好きな人は赤を着ましょう。
赤いドレスでも、赤いコートでも、赤いセーターでも、赤いブーツでも、赤いバッグでも、何でも構いません。
赤を選びましょう。
そして、その勇気を持って、自分の未来を自分で切り開いていきましょう。


2017年8月17日木曜日

買っても買っても満足できないあなたへ

いつでもあなたは探していました。
どこへでも連れていってくれる靴を。
誰もが認めるバッグを。
幸せになるドレスを。

あなたはその人の言葉を信じていました。
その靴はどこへでも連れていってくれると。
そのバッグを持てば、誰からも認められると。
そのドレスさえ着れば、幸せになれると。

そうしてあなたは買いました。
その靴を履いてどこへでも好きなところへ行けるだろうと。
そのバッグを持てば、誰からも称賛されるだろうと。
そのドレスを着れば、幸せになるだろうと。

そう信じているにもかかわらず、
あなたはまた落ち込むのです。
昼間あんなに輝いて見えた靴も、
夜、自分の部屋へ戻って、蛍光灯の下で見たときは、
もう既に魔法が解けて、何の変哲もない普通の靴になっています。

きっとこれは何かの間違いだと、
どこかで自分が勘違いしたのだと、
あなたは自分を責めます。
なぜなら、あの人の言うことは正しいのだから、
間違うはずは、ないのだから。

けれども、余りにもそんなことが続くと、
次は、信じるその人をかえてみます。
付き合った恋人が悪かったため、自分が不幸せになった、
あのときと同じように、
信じる相手をかえれば、何もかもうまくいくと考えます。
こんどこそきっとうまくいくと。
次は絶対に失敗しないと。

しかし、何枚買っても、何足買っても、一向に欲しいものは得られません。
気分の上昇は、同じだけの落ち込みをもたらします。
何度もそれを繰り返すうちに、もはやそこには何の喜びも感じられません。
ひどい落ち込みと罪悪感と、頭の中の止まらない自分を責める声。

そのうちに思い出すのです。
小さいころ、あなたがお気に入りのドレスを着て踊っていたとき、
お母さんがあなたに向けた冷たい視線を。
または、「お姉ちゃんはかわいいのに、あなたはかわいくないね」と言った、
あの言葉を。
そしてそれを聞いたお父さんは、何も言ってくれなかったことを。
お父さんが、かわいいねと、言ってくれなかったあのときのことを。

もう自分ではわかりません。
何を着たら、お父さんがかわいいと言ってくれるか、全くわかりません。
そして、ずっとわからないまま、あなたは大人になりました。

だからそれを教えてくれるあの人を信じたのです。
あの人がお勧めする、そのドレスさえ着れば、幸せになれると信じたのです。
けれども、その試みは失敗しました。
得られたのは見たくもない請求書とレシート。
そして、終わらない悪夢。

買ったたくさんの靴とバッグとドレスを見ても、
あなたは何も感じません。
どうしていいかもわかりません。
そしてあなたは途方に暮れました。
まるで、氷の道の上に立っているようです。
どこまでも続く、暗く、冷たく、かたい道を歩くような毎日。

あなたが本当に欲しかったのは靴でも、バッグでも、ドレスでもありませんでした。
あなたが本当に欲しかったのは、
お父さんに「かわいいね」って言われることでした。
あなたがどんな靴を履いていても、どんなバッグを持っていても、どんなドレスを着ていても、
それでもかわいいねと言ってくれる、お父さんの言葉でした。

あなたの本当のお父さんはそう言ってくれなかったので、
あなたは、そのドレスさえ着れば、誰かがそう言ってくれると信じたのです。
だけれども、そんな人はそう簡単にあらわれないのでした。
買っても買っても、そんな人はあらわれませんでした。
そうしてあなたは今日も、その渇望感で死にそうです。
どうしたらいいのでしょうか?
何かいい方法は、あるのでしょうか?

誰も言ってくれないのならば、あなたがあなたに言えばいいのです。
大人のあなたが小さなあなたに、
どんな靴を履いていても、どんなバッグを持っていても、どんなドレスを着ていても、
あなたはいつでもかわいいと、言ってあげればいい。
かけっこが遅くても、成績が悪くても、
あなたはいつでもかわいいと言ってあげればいい。
泣いていても、笑っていても、怒っていても、いつでもかわいいって、
自分で自分に言ってあげればいいのです。

そんなにたくさん買わなくていいのです。
どんな靴でも、どんなバッグでも、どんなドレスでもいいのです。
だってあなたはかわいいから。
誰も認めてくれなくったって(本当はそんなことありませんが)、
あなたは十分にかわいいから。
それは誰とも比べられないから。
そして、それは永遠に続くから。
疑いようもなく、それは真実だから。

※男子はドレスを「シャツ」に、かわいいを「かっこいい」にかえて読んでみてね!

2017年8月7日月曜日

コルセットと細いウエスト

 (Manet, Edouard - Olympia, 1863)

西洋の女性の衣服の歴史を振り返ってみたときに、
外せないのはコルセットの存在です。
特にルネッサンス期以降、スカートのボリュームが大きくなるにつれて、
胸の下からウエストにかけてコルセットと呼ばれる胴着を装着し、
ウエストとヒップの差を強調したシルエットが主流となっていきます。

その後、コルセット着用の流れはナポレオン第一帝政時代、ナポレオンの妻であったジョセフィーヌが着用したことで有名なエンパイアドレスやイギリスのジョージアンスタイルのドレスなど、
一時途切れ、その後、復活しますが、1906年にポール・ポワレがコルセットなしのドレスを発表をもって終了したと言われています。

コルセット着用の理由は、
一人で着用することが難しいことから裕福であることを示すため、
胸とヒップを強調することによる男性へのアピールのため、
そうではなく、女性みずからが好んでウエストを強調するためなどと、
諸説ありますが、はっきりしたことはわかっていないようです。

ポール・ポワレによってストレートなラインのドレスが発表された後、
ウエストの強調、もしくはウエストマークはいったんなくなったかに見えた女性の衣服ですが、
決してそんなことはありませんでした。
現在に至るまで、細いウエストと膨らんだスカートや、
ビスチエと言われる胸から下にかけての胴着など、
胸から下の胸郭からウエストの強調が消えることはありません。

細い胸郭からウエストは何をあらわすのでしょうか。
そのうちの1つは女性らしさです。
胸から腰にかけて、どちらかというと寸胴の男性に比べて、
女性のウエストは、太ってさえいなければ、細いものです。
それは男性にはない特徴として、女性らしさをあらわします。
次に考えられるのは、若さの象徴としてのウエストの細さです。
男性よりはウエストが細い女性と言えども、年をとってくると、
どうしてもウエストの周囲に肉がつき、その細さは失われていきます。
ウエストが細いということは、若い女性の象徴でもあるのです。

細いウエストを持ち、若く、女性らしいということは、
太いウエストの女性よりもよりエロチックです。
確かに西洋の絵画に見られるヴィーナスのウエストは決して細くはありません。
ティッツィア―ノの「ウルビーノのヴィーナス」のウエストも、
ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスのウエストも、
ルーベンスの「鏡を見るヴィーナス」に見られるヴィーナスのウエストも、
ふくよかであり、豊穣ではありますが、エロチックではありません。

一方、マネが描いた「オランピア」に見られるウエストの細い裸体の女性はエロチックです。
オランピアは娼婦です。
ヴィーナスには「エロス」という子供がいますが、
オランピアには子供はいないでしょう。
しかし、「エロス」という子供のいないオランピアのほうが、
皮肉なことにエロチックです。
それはその細いウエストゆえです。
それが示すのは未婚であること、そして何よりも恋愛の可能性です。

女性はそのことを無意識のうちに知っているのでしょうか。
コルセットが必要でなくなった現代においても、決して細いウエストを捨てたりはしませんでした。
細いウエストを見せるつけるために女性たちがやるのは、
ウエストにベルトをする、または胸の下から細いウエストまでを見せることです。

まずはベルトについて。
ベルトは通常、スカートまたはパンツがウエストからずり落ちないためにするものですが、
女性の衣服の場合、それとは別の用途で、
つまり、ずり落ちるものなど何もないのに、一種の装飾としてベルトを用います。
ブラウスにも、ワンピースにも、コートにも、ジャケットにも、
太いベルトでも、細いベルトでも、ウエストマークをするためにベルトをします。
このとき女性たちは、コルセットの名残としてベルトを使います。
これは誰にでも取り入れることができる、手っ取り早い女性らしさと若さの表現です。

そしてもっと進んだ形でウエストの細さを強調するのが、
ミドリフ丈のトップスの着用による、胸下からウエストにかけて露出させるスタイルです。
(ミドリフとは横隔膜という意味)
モデルたちがこの部分を露出するスタイルをしているのをよく見かけます。
彼女たちはもはやコルセットなど必要としないのです。
ワークアウトによって手に入れた、コルセットなしの細いウエストを見せることによって
コルセットと同じ効果、すなわち女性らしさ、若さ、そしてエロチックさを彼女たちは見せつけます。
それとなく、涼しげに。

コルセットが消えた現在においても、
女性は決して細いウエストを手放してはいません。
細いウエストに無頓着になるということは、
女らしさと若々しさ、そして恋愛の可能性を捨てたということを意味します。
そんなことは意図していないとしても、
私たちはそう読みとります。

衣装はテキストの一形態です。
それは読みとられ、解釈されます。
女らしさ、若さ、そして恋愛の可能性を表現したいのなら、
ウエストの細さを作ることです。
それはベルトを使っても、ワークアウトで肉体を細くしても、
どちらでも構いません。

それを作ったなら、人々はあなたというテキストを読みとくでしょう。
あなたが女らしく、若々しい存在であると。
そして何よりも、あなたは恋愛の対象者となり得ると。
望むのなら、あなたはそれを意図して、作ることができるでしょう。