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2013年10月28日月曜日

LIKE A SCHOOL GIRL(女子学生風)

本当は、意味なく英語を使いたくないのですが、
日本語の女子学生も、女子高生も、女子大生も、
スクールガールの持つニュアンスとは、少し違う感じがします。
ここのところ流行ってきているのは、
女子高生風でも、女子大生風でもなく、
スクールガール・ルックです。

スウエット・シャツ、スタジアム・ジャンパー、ボタンダウンシャツ、
プリーツ・スカート、アーガイル柄のプルオーバー、
テニスのときに着るようなチルデン・セーターなど、
今までは決してモードと言われるようなものではなかったものが、
なぜかこの時期、モードの流れの中に出てきました。

これらのアイテムは、以前、プレッピー・スタイルやアイビー・ルックなどと呼ばれた、
アメリカのお金持ちの高校生や大学生のスタイルに必須のアイテムでした。
日本でも、70年代、80年代の高校生や大学生は、
割と好んでこのスタイルを取り入れていたと思います。
そのころに高校生や大学生だった方たちは、
スウェット・シャツもスタジアム・ジャンパーも、学校へ行くための、
特別おしゃれではない、ごくごく普通の普段着として着ていたのではないでしょうか。

そのころ、スウエット・シャツもスタジアム・ジャンパーも着ていたのは若者だけでした。
決していい年の大人が、キャラクターやロゴの入ったスウェット・シャツを得意げに着て、
街を歩くなどということは、ありませんでした。
もし、それをやったとしたら、「この人、子供の服を借りてきたのかしら?」と、
思われたことだろうと思います。
ボタンダウンのシャツを着ているお母さんなど、想像できなかったことでしょう。

また、モードのほうでも、これらをしっかり取り入れていたのは、いわゆるトラッドのブランドだけ。
ラルフ・ローレンやブルックス・ブラザースなど、
トラッドのブランドには常にボタンダウンのシャツもチルデン・セーターもありました。
けれども、さすがにキャラクター入りのスウェット・シャツなどは、
あったとしても、大人のものではなかったと思います。
それはあくまで学生のための衣服だったのです。

ファッションは、いつでも目新しいものを探しています。
しかし、いくら目新しいとは言っても、衣服の形には限界があります。
全く新しい衣服の発明などというものは、ほとんどありません。
ですから、常に行われているのは、以前あったものの新しい解釈です。
既にあったものの意味を解体して、構成し直し、
そこに新しい意味を加えることによって、それが新たなファッションとなります。

常にもう出尽くした感があるファッションの流行ですが、
それでも誰かが何かを見つけてきます。
それが今回は、このスクールガールのようなスタイルだったのです。

スウエット・シャツは、ケンゾーの派手なロゴ入りなものや、
ジバンシーの、あのアヴァンギャルドなバンビの絵柄により、
新しい意味を加えられました。
もうここからは、モードなのです。

さて、モードとなって新しく生まれ変わったスクールガール・スタイルですが、
大人であれば、それをそのまま取り入れてはいけません。
そんなことをすれば、それは、主婦がある朝目覚めたら女子高生になっていたという、
よくあるドラマのように、コメディになってしまいます。
自分が学生だったころのようなコーディネイトをしては、決していけないのです。

これらのアイテムを大人が取り入れるとしたら、
昔と同じ感覚でコーディネイトしないことが鉄則です。
スウェット・シャツの上からスタジアム・ジャンパーを羽織り、
フラットなローファーをはいたら、それは単なる時間が逆戻りしただけ。
そうでなくて、現在の新しい解釈で、昔とは違うアイテムと考えて取り入れるのです。

たとえばそれは、スウェット・シャツにダイヤモンドとピンヒール、
ひざ上丈のタータンチェックのプリーツスカートにはニーハイブーツ、
スタジアム・ジャンパーに黒い革のタイトスカートなど、
学生時代には決してすることがなかった組み合わせで全体をコーディネイトします。
アイテムは「LIKE A SCHOOL GIRL」であったとしても、
着こなしは「NOT LIKE A SCHOOL GIRL」にします。
学生ではないのですから、徹底的に学生気分を抜いていきます。
そのかわりに、学生とは無縁のセクシーやラグジュアリーを付け足します。
もうすでにこれらは学校へ行くための服ではなく、
流行を楽しむためのアイテムだからです。

流行は繰り返されますが、
それは決して以前と同じではありません。
らせん状に回転して、常に発展へと向かいます。
決して下降はしません。

昔と同じアイテムを、昔と同じように、同じ気分で着たならば、
そこに成長の跡は見られません。
あのとき口ずさんだあの歌も、もう同じようには歌いません。
同じ本を読んだとしても、同じ感想は持ちません。
そこには必ず深い理解や解釈があるはずです。

同じものだから飽きたと言うのなら、
それは自分自身が成長していない証拠です。
きのうと今日は違います。
同じ服を同じように着ることなど、決してできません。

今日の気分、今日の日差し、今日の気温、今日の言葉、
今日会った人、今日見た海の色、
これらすべて、昔とは、そしてきのうとは違うものです。
同じものを着たとしても、常にそこに新しい解釈を加えていく、
決して後戻りしない、
それがおしゃれです。
おしゃとは、決して止まらず、常に変化し、成長し続けていくものなのです。