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2017年9月7日木曜日

『わたし史上最高のおしゃれになる!』はじめに公開




はじめに

 毎日、ご飯を食べるように、私たちは毎日、服を着ます。それこそ、生まれてから死ぬまで、何も衣服をまとわないで過ごす日など、ありません。女でも、男でも、若くても、若くなくても、何かを着ることは社会で生きる人間の宿命です。


 毎日のご飯を自分で用意するように、毎日の衣服について私たちは考えます。ご飯であったならば、少しでもおいしくなるように、必要な栄養が摂れるように、そして心が満たされるようにしようと。同じように衣服についても考えます。暑さ寒さをしのげるように、雨や風から身体を守るように、少しおしゃれに見えるように、1日気分よく、心が満たされて過ごせるようにと。けれども、現実はどうでしょうか。

毎朝、何を着たらいいかわからない。タンスの中は服でいっぱいなのに、何を着てもおしゃれに見えるような気がしない。適当にあるものを着て出かけてはみたものの、何やら気分は優れず、自分以外のおしゃれな人を見るたびに少し落ち込み、明日になったら、また同じことの繰り返し。

どうしたらおしゃれに見えるかわからないから、適当に、そのときの気分で、あるいは今これが流行っているからという理由で、「必要」という言葉で自分を納得させ、もう何十回目の一目ぼれで恋に落ちたことにして、服やバッグや靴を買って家へ連れて帰る。お財布は軽くなるのに、タンスのこやしはふえていき、それでもなぜだかおしゃれには見えない。

そんなことを続けている間に、ワードローブはどんどんふえ続け、ほとんど着ていない、けれども傷んでいないから捨てられないものばかりが半分以上、もしくは7割を超えるようになり、そんな現実は見なかったこと、知らなかったことにしようと、タンスの戸を閉めてはみたものの、妙な罪悪感と、それでもおしゃれに見えない焦燥感で、毎日ゆううつな気分を抱えながら、また適当にそこら辺にあるものを、手っ取り早くかき集め、服を着て家を出る。

全部捨てればいいというアドバイスを聞いて、とりあえず何でも捨ててはみたものの、やっぱり明日何を着ていいかわからないという問題は解決せず、それでも同じような買い物の仕方、つまり報われない一目惚れを繰り返し、もうこんな思いはこりごり、金輪際ごめんだわと、さんざん反省したにもかかわらず、1年後にはまた同じ状態で、使ったお金のことは考えないことにして、家計簿はつけないわと開き直り、新しいファッション雑誌を買ってみて、そして次の年になり、新しい季節がめぐってきて、確かに年は一つ取ったけれども、何も成長していない自分に元通り。


こんな感じの方が多いのではないでしょうか。
 
おいしいご飯を毎日、自分で作りたかったならばどうするでしょうか。おいしいご飯を毎日、自分で何とかしいのならば、料理の本を買って勉強をしたり、料理教室に行って習うでしょう。食材についての知識をふやし、毎日の献立を考え、賢くお買い物し、エンゲル係数に注意して、気分よく、毎日暮らせるようにするでしょう。食べ物は生きることの基本ですから、それができるようになれば、気持ちは安定し、どんなに嫌なことがあっても、不安な状況に陥っても、何とか乗り越えられる自分になれるでしょう。


おしゃれだって同じです。おしゃれになりたいのならば、勉強すればいいのです。 
 しかし、多くの人が今まで一度もおしゃれについて勉強したことなどないと言います。まず第一に、「おしゃれについての勉強」などという概念がありません。おしゃれとはセンスのいい人が適当に何かを身につければなるもの、あるいは、手っ取り早くそのシーズンのものをひと揃え買ってくればすむものと多くの人が考えています。つまりそれは、先天的な才能の問題、もしくはお金があるかないかという経済の問題として片付けられます。


なぜでしょうか。答えは簡単です。おしゃれの基本についてやワードローブの構築方法についての詳しく書いてある教科書など売っていないからです。似合う色や似合うスタイルについて教えてくれる人や、お買い物に付き添って何を買ったらいいか指示してくれる人はたくさんいるけれども、ワードローブをどうやって揃えていったらいいか、何が自分には足りないか、どうやって考えたらいいか、教えてくれる人はいなかったからです。


ファッション雑誌は最新流行と情報は教えてくれるけれども、賢いワードローブ構築の方法を教えてくれるためのものではありません。ファッション雑誌は一種の娯楽のための読みものであって、おしゃれの教科書ではないのです。


 多くの人が一度もおしゃれについて学んだことのないまま、毎日、服を着て、毎シーズン、服を買います。考えてもわからないので、わからないそのままに、生まれてから今まで着るものに悩まされ続けています。お金と時間をかけて、エネルギーを注いで、それでも全く解決しないまま、長年やり過ごしてきました。半ばもうあきらめの境地で、こんなものだと思いながら。


 解決方法は一つしかありません。おしゃれについて勉強することです。お料理の基礎を習ったように、おしゃれの基礎を勉強すればいいのです。何とかしたいと思うのならば、このままでは嫌だと願うのならば、勉強して、今の状態を脱しましょう。


私たちは何も毎日、三ツ星レストランで出されるような高級な料理を食べたいわけではありません。毎日、簡単に作ることができ、ささやかな、けれども栄養満点の、そして安心で満足できる、そんなご飯を食べたいのです。

衣服についても同じです。私たちは何も毎日、パリ・コレクションのランウェイで発表されるような最新のモードの服で、家の玄関から世界という舞台に颯爽と登場したいわけではありません。ハリウッド・セレブのように、ハイブランドの服に身を包み、大きなサングラスをかけて、10センチのピンヒールをはいて、写真に撮られるための衣装で、毎日過ごしたいわけではありませんし、そんな必要はありません。


 私たちの望みは、着る服が少しでもおしゃれに見えるようになること、そしてたくさんのお金を使うことなく、毎日、短時間でコーディネートできて、無駄のない、シンプルなワードローブを持つことではないでしょうか。毎朝、悩まずにすむような、ほんのちょっと工夫しただけでおしゃれに見えるような、そんなワードローブが欲しいのではないでしょうか。

 「すべてこの世は舞台。私たちは単なる役者にすぎない」と、シェイクスピアは『お気に召すまま』の中で役者に語らせています。確かに私たちは単なる役者にすぎません。けれども、この世は舞台であり、私たちはその舞台の主人公です。主人公とは、自分で自分に対して自分がどうしたいのか問いかけ、自分で決定し、目的に向かって行動する存在です。つまり私たちは自分という人生のドラマの主人公を演じる役者であるだけではなく、自分の人生の脚本家であり演出家、そして衣装デザイナーでもあるのです。

 残念ながら、太陽という照明をコントロールことはできませんから、照明デザイナーにはなれません。また、雨の音や風の音、カフェで聞こえてくる音楽を自分で決定することはできませんから、音響も自分で決められません。けれども、衣装は自分で決めることができます。毎朝、主人公である自分のために、衣装を用意することができます。要するに、私たちには、自分の人生という舞台の衣装を自分で決める自由と権利があるのです。


 確かに観客である他人はとやかく言うでしょう。あなたにはそれが似合う、あなたにはそれが似合わない、それは今の流行だ、流行遅れだ、などなど。けれども、実際の舞台がそうであるように、観客の意見は百人いたら、百人違います。全員同じなどということはあり得ません。それなのに、もし私たちが観客一人一人の意見を取り入れようとしたなら、演出家の意図はどこかに消え、舞台はめちゃくちゃになってしまうことでしょう。

 主人公の自由と権利より、他人の意見を常に重視したら、自分の人生もまためちゃくちゃになります。いつでも誰かの意見に従う人生は、もはやその人のものではありません。


他人の意見がすべて同じにはなり得ないのですから、観客全員からよい評価をもらおうと努力をしてみたところで、観客全員が同じように、その衣装がよかったと思うことなど決してありません。すべての人の意見を取り入れることなど、しょせん不可能なのです。みんなによく思われたいなどということは、むしろ傲慢です。


 私たちは主人公を演じる役者であると同時に、自分の人生の舞台の演出家です。演出家は客席の一番後ろに座り、観客よりも、より客観的な視点ですべてを把握しなければなりません。私たちがやるべきなのは、他人の意見に振り回されることではなく、観客よりも、より客観的な視点を常に持ち続けることです。


 いつも誰かの意見に振り回される脇役人生はもう卒業しましょう。自分の人生の脚本を自分で書き、自分で主人公になり、衣装を決めて、自分の才能を100パーセント発揮し、能動的に行動する主人公を演じる自分になりましょう。それこそがあなたの生きる使命です。それだけが人生で最も大切なことです。それ以外にはありません。

 おしゃれは人生で最も大切なことではありません。私たちの時間も、お金も、エネルギーも、人生でもっと重要なことに使うべきです。おしゃれなどというものは、主人公の人生がうまくゆくためにあるものであって、それ自体が人生の目的ではないのです。毎日の服のコーディネートに悩んだり、大量に買ってしまった服を前に途方に暮れている時間はあまりにもったいない。そんな楽屋仕事に時間とお金を使っている場合ではありません。人生にはもっとほかにやることがたくさんあります。情熱をかけるべき対象が、すべての人にあるはずです。


 自分の人生の主人公の座を取り返すためにも、効率的なワードローブの構築方法について学びましょう。批判的な観客の意見に右往左往しているだけの、凡庸で、ありふれた、誰も覚えていないような、魅力のない主人公が登場する物語は、ここで終わりにしてしまいましょう。そうして、毎日、衣装のことで煩わされなくなったら、堂々と自分の人生という舞台の中央に立ちましょう。

 どんな主人公にも、太陽の光という照明は平等に降り注ぎます。立ったその場所が、あなたという人生の舞台の中心です。街ですれ違う人、仕事場で隣に座る人、それだけではなく、テレビや雑誌で取り上げられるお金持ちで有名な人でさえ、すべてあなたにとっては脇役や端役です。脇役や端役のことなど、気にすることはありません。


主人公には達成すべき人生の目的があります。その目的は人それぞれです。何かを成し遂げるのが目的の人もいれば、まわりの人とともに幸せでいることが目的である人もいるでしょう。人生の目的を他人と比べることはできません。人生の目的が違ってくれば、当然のことながら、必要な衣装も違います。


同様に、自分がどれだけおしゃれかを他人と比べる必要はありません。ファッション競争は、しょせんお金のある人の勝ちです。シーズンの最初にハイブランドの最新スタイルを靴やバッグも含めて上から下まで揃えれば、それだけでおしゃれに見えます。それは疑いようのない事実です。ですからこのファッション競争に参加したのならば、勝つのは世界のお金持ちだけ。けれども、そんなファッション競争に参加して勝つことなど、多くの人にとって重要ではないはずです。

重要なのは、自分が自分の人生の主人公になること、そしてそのために日々、成長することではないでしょうか。


私たちが目指すべきなのはいつも、「わたし史上最高のおしゃれになる」こと。そして、その史上最高を更新し続けること。おしゃれをしたことにより、何かがうまくいったり、幸せを感じられたりすることのほうが、お金をかけてファッション競争に参加するよりもよほど大事なはず。脇役や端役のおしゃれなど、どうでもいいこと。自分の人生の中で今どれだけ進化したか、どれだけ努力しておしゃれができるようになったか、そしてその結果、どれだけ人生の目的に近付けたか、私たちが考えなくてはならないのは、そして死ぬ間際に思い出すのは、きっとそのことです。


そんな人生の主人公である私たちに必要なのは、自分の人生の目的を達成するための、主人公のためのワードローブです。人生の目的達成のためにすべてのエネルギーを注げるような、そんなワードローブを構築するために、今から学びましょう。今からでも遅くはありません。必要なのは、ただ決意することです。他人の意見を聞いて右往左往する脇役人生をやめ、これからは主人公として生きていくのだと決意すること、ただそれだけです。

さてこれからご紹介するメソッドは私が自分のために考案し、自分自身で長年実践してきた方法です。中学から大学まで演劇部だった私は、脚本を読み、キャラクターを分析してから衣装について考えるということを続けてきました。このやり方は、別にお芝居の中だけではなく、私たちの日常生活のワードローブ構築にも通用します。
また、2010年以降から現在まで、私はこの自分で考えたメソッドのレッスン、ワークショップなどを開催し、今までに多くの方にこの方法を伝え、実践してもらってきました。このメソッドは誰にでもできると実証済みです。

お金がなくても、絶望の中にいても、病気であっても、パリに住んでいなくても、若くなくても、きれいでなくても、ヘテロセクシャルでなくても、どんな人もこの方法を実践すれば、おしゃれなワードローブを構築することができます。
では、これからおしゃれな主人公になる方法を学んでいきましょう。

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