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2017年11月10日金曜日

シックとエレガント

文化出版局から出ている『ファッション辞典』によると、
シックとは、
「粋、伊達、瀟洒な風といった意味。受ける感じが上品であか抜けている、洗練されて神経が行きとどいている装いをいう。」とあります。
一方、エレガントとは、
「服装や作法などが上品、優雅、端麗なこと。男女ともに用いられるが、女性に対しては最高のほめ言葉と考えられている。誇張のない、ごく自然な柔らかい優しさがかもし出す、洗練された落ち着きのある女らしさをいう。」とあります。

どちらも上品で洗練されたという意味があり、実際には、
シックとエレガントはほぼ同義で使われます。

シックが粋であるならば、その反対は野暮なわけですが、
実際にシックとエレガントと対になって使われるのはカジュアルでしょう。

同じ『ファッション辞典』によると、
カジュアルは、
「<偶然の、無頓着な>などの意であるが、衣服の場合、略式の、ふだん着の意味になる。着やすくくつろいだ雰囲気、スポーティな要素の多いものをさし、気軽な感じの日常着を総称してカジュアル・ウエアという。」 とあります。

では、洋服の世界においてシックとエレガントとはどのような様子を指すのでしょうか。
多くの場合、それは全体のコーディネートが3色以内で、
スーツ、または同素材によるセットアップ、そしてワンピースなど、
素材や色が全身で統一されている様子を指します。

日本で言うところのこれは「きちんとしている」に近いものですが、
それ以上の意味がこのシックとエレガントにあります。
それはいわゆる「レディ」、つまり貴婦人や淑女のスタイルである、
ということです。

私たちがシックでエレガントなスタイルをすることによって得られるのは、
貴婦人や淑女のような扱いです。
つまり、その衣服が示すところのレディの性質によって、
敬われ、丁寧に、大事に扱われるということです。

もちろんどんな衣服を着ていても、
人としてこのような扱いを受けることもあります。
ですから、シック、エレガントな装いでないと敬われない、大事に扱われない、
というわけではありません。
しかし、素姓のわからない人に対してのふるまいは、
しばしばその装いにより決定されます。
どんなに高貴な者でも、だらしない格好をしていればぞんざいに扱われる可能性があり、
逆に、いやしい身分の者でも、シックとエレガントに装えば、
貴夫人や淑女のように扱われるということです。
オードリー・ヘップバーン主演の「マイ・フェア・レディ」はまさにそのことを扱った映画であり、
レディとして扱われるためにしゃべる言葉と着る衣服を変えれば、
下町娘も淑女のように扱われるようになると示してみせたのでした。

さて、レディのように扱われるということは、いったいどういうことでしょうか。
レディでない存在、つまり野暮で粗野な存在とは子供であり、若者です。
騒がしい子供や、場をわきまえない若者はレディのようには扱われません。
ですから、子供や若者が「レディのようだ」と言われれば、
それは褒め言葉であり、大人として認められたということになります。

大人になるとは、レディとして扱われるようになるということであり、
そのための装いがシックとエレガントです。

貴族も侯爵夫人もいない日本で、レディとして扱われるとは、
例えばホテルのラウンジでいい席に通されたり、
高級なレストランで気分のよいサービスを受けたり、
ショップで丁寧に扱われるなど、そんなところでしょうか。
そんなふうに扱われるのは大人の特権であり、
それはカジュアルな装いだけをしていたのでは経験できないことです。

確かにどこの場へカジュアルなスタイルで行っても問題はありません。
けれども、それであなたがレディのように扱われるかといったら、
決してそんなことはありません。
ホテルのラウンジに、ジーンズにスニーカー姿の女性と、ワンピースに革靴の女性が2人並んでいたとしたら、
丁寧に扱われるのは、いつだってワンピースと革靴の女性です。
そのジーンズが3万円で、隣の女性のワンピースが2万円だとしても、
丁寧に扱われるのはワンピースの女性なのです。

洋服における成熟とは、
レディとして扱われたいと望むとき、シックとエレガントに装える能力を意味します。
それは大人になればなるほど要求され、
それができないのなら、レディとしては扱われません。
どんな場にもカジュアルなスタイルで登場するならば、
その人はいつでも子供のように、若者のようにぞんざいに扱われます。

おしゃれについて何かが足りない、何か違うような気がすると感じたら、
服装によって自分がどのような扱いを受けているのか、チェックしてみましょう。
あなたは自分の服装によって、
それを見る者を動かしたいはずです。
それはふるまいなのか、言葉なのか、気持ちなのか、どれかはわかりません。
足りないと思う、何かが違うというそれは、
その望む結果が得られないことにより起こります。

大人であるならば、レディとして扱われるように、
自分にとってのシックとエレガントなスタイルについて考えてみましょう。
レディとして扱われないのならば、
あなたはシックでも、エレガントでもないのです。
本当にそれでもいいのか、
いつまでも若者のように扱われてもいいのか、
現状維持なのか、このままでは嫌なので変えるのか、
自分で決めましょう。