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2014年3月10日月曜日

記号化されたアクセサリーにさよならを

実際のところ、アパレルの、特に作る現場では、「アクセサリー」という総称的な用語はほとんど使われません。
それらは、マフラーであり、ネックレスであり、ジュエリーであり、帽子であり、手袋です。
たぶん、「アクセサリー」という総称は、それを売る側、またはスタイリングする側の立場からの呼び方であり、くくり方ではないかと思います。
たとえば、デパートのアクセサリー売り場のような。
ですから、洋服を作る側にいた私も、あまりアクセサリーという言葉は使いません。
何かを指し示すなら、その具体的な名前、もしくは「小物」などと呼んでいます。

さて、それについてはいいとして。
ファッションにおいて、おしゃれに見えるためのポイントとして、
新しいもの、珍しいもの、オリジナルなものなどが挙げられます。
これらはどれも、多くの人が見たことがないもの、知らないものという意味です。

多くの人が見たことがないもの、知られないものは、
新鮮な印象や驚きを見るものに与えます。
その新鮮さや驚きが、それを身につける人自身に反映され、
おしゃれに見えるのです。

となれば、この総称としての「アクセサリー」も同じように、
見る側におしゃれな印象を与えなければいけません。
特に、服自体がシンプルであればあるほど、
アクセサリーという差異を表現する言語は、重要になってきます。

しかし、ここでジレンマがあります。
というのも、最近の装飾品の多くが、すでに情報として流通していて、
記号化されてしまっているものが多いのです。
どういうことかというと、
誰が見てもわかる、どこどこの指輪、あそこのロゴのついたキーホルダーなど、
アクセサリー自体が、そのものの表現ではなく、
それ以外の部分の情報をくっつけて存在しているからです。

ロゴやブランドタグの流行がいつから始まったか、定かではありませんが、
60年代のファッションを見ると、まだまだ今のようなはっきりとしたロゴは見られないので、
きっとそのあとからでしょう。
それまで、ブランドタグやロゴがなかったわけではありませんが、
もっとつつましやかで、着る主体より目立つなどということは、ありませんでした。

ロゴやブランドタグが目立つこと、
そしてそれが情報として流通することにより、
アクセサリーは記号化され、それを身につけていれば、
その情報を同時に運ぶことになり、見る側がその情報について知っている場合には、
すぐさまそこで消費されることになります。
そのときに行われる、人と人のあいだの情報交換は、
その人自身のパーソナリティを示すためのものではなく、
社会に流通しているブランド情報の値踏みとなります。
それは、身につけている人自身を強化することはなく、
素早く消費され、そこだけを強く印象に残します。

この一連の作業が行われるならば、
もうそこには新しさも珍しさも、
そして何よりその人のオリジナリティはありません。
しかも、その情報の消費はあまりに素早いので、すぐに次の情報を持たなければならないはめになります。
モノとしての寿命より、消費としての寿命を速めること、
そして、その情報がもはや古いものだと追いたてることによって、
ファッション業界は、大量生産、そして大量消費を促すことに成功しました。

ここから抜け出し、本当の意味でおしゃれ、つまりその人がオリジナルに見えるためには、記号化されたアクセサリーに別れを告げなければなりません。

しかし、多くのアクセサリーにブランドタグやロゴがあり、
実際に、100パーセント、そこを遠ざけるのは難しいのが現状です。
ここで、おしゃれと呼ばれる人たちは、2つの方向にわかれました。
1つは、情報としてどんどん消費し、次のシーズンはもう持たないという方向のもの、
そして、もう1つは、情報として消費されないように、少数しか生産されていないもの、誰もが知らないものを探して持つものです。
前者は主にファッション・スナップで撮られるようなファッション業界の関係者、
後者は、ファッション業界とは関係のない、ごく一般のおしゃれな人たちです。

ファッション業界の関係者でもない限り、情報としてどんどん消費し、
それに追いついていく必要など、ありません。
ですから、私たちが選ぶべきは、後者のほうになります。

「アクセサリー」は、その人のオリジナリティを表現するために用いるものです。
形、色、シンボルなど、総動員して、その人を表現するものでなければなりません。
それが、電車に乗ったら同じものをみんなしていた、では困るのです。

それぞれが違う個性の持ち主ですから、
方程式はありません。
それぞれが、それぞれに考えて、組み立てていくものです。
そこにたどりつくのは簡単ではないかもしれません。

また、それは自分を見つける作業に似ています。
なぜならそれは、一つずつ、あなたが周囲によってなされた「記号化されたあなた」から、
抜け出す行為だからです。
周囲によってはられたラベルを一枚ずつはがし、
新たに自分は何者かを見つけていく、その道程と同じです。
あなたを不自由にしていた不必要なラベルをはがし、そして本当の自分へと近づいていきます。
それは、自分だけのオリジナルなアクセサリーを集めていく作業と同じです。

アクセサリーの語源は「共犯者」です。
どうせ選ぶなら、あなたを消費尽くして消耗させない、
協力的な共犯者を選びましょう。
誰も知らないその共犯者は、
どこかできっとあなたに出会うのを待っているはずです。
こちらが探しに出かければ、必ず出会えます。
それはきっと、素敵な共犯者に違いありません。