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2014年4月14日月曜日

被服費と被服にかけるエネルギー

最近ではあまり使わなくなりましたが、
エンゲル係数という言葉があります。
エンゲル係数とは、家計の支出の中で、食費のしめるパーセントです。
これが高いほど、生活水準が低いとされます。
食費は削ることができない必要経費だからです。

さて、生計における被服費のパーセントについて、呼び名は特にありませんが、
自分の生活費の中で、どれぐらいの割合を被服費に使っているか、
把握していることは、悪くはありません。

私がいろいろな人にリサーチした結果ですが、
被服費について年間で予算を立てている人も、
実際にいくら使ったか把握している人も少数派です。
服に関しては、高額なものを買うとき以外、
行き当たりばったりのお金の使い方の人がほとんどです。

被服費と一言で言っても、その中身はさまざまです。
下着もその中に入りますし、消耗品としてのTシャツなどや、
また長持ちするコート、そして靴、バッグ、ジュエリーなど、
金額から、減価償却の期間まで、大きく幅があります。
ですから、余計に、家計における被服費は把握が難しくあり、
放っておかれることが多いです。

また、これは被服費とは呼びませんが、
服や靴のメンテナンス費用があります。
クリーニングに出せばクリーニング代が、
靴を直すなら修理代が、それぞれかかります。

そして、特に都会のマンションに住んでいる方の場合、
服を補完するのに使っているスペースの問題があります。
家賃のうち、どれだけの部分が服のために使われているか、
シビアに計算してみると、かなりの額になるということがわかります。

それらとは別に服にかける時間とエネルギーがあります。
服にかける時間とは、それを買いに行く時間、朝、または夜、何を着るか考える時間とエネルギー、洗濯やアイロンかけの時間とエネルギーなど、
服やバッグ、アクセサリー、小物など、全般にかける時間とエネルギーです。

単純に、多ければ被服費が高いとは言えませんが、
(なぜなら高いものを少なく所有することもあるからです)
モノとして多ければ多いほど、お金も時間もエネルギーもかかります。
これら被服にかけるお金、時間、エネルギーが、
自分の持っているお金、時間、エネルギーに対してどれぐらいがちょうどいいのか、
適切なのか、それぞれが改めて考えてみる必要があるのではないのでしょうか。

何度か書きましたが、
洋服やバッグのお金をかけてみたところで、決して人生はよくなりません。
服飾学校に行っていたころ、
服に相当なお金、時間、エネルギーをかけている人たちを多く見ましたが、
その人たちの人生が、そのおかげでその後、よくなったなどということはありません。
20代のころのヴィトンのバッグも、ヴィヴィアンのジャケットも、ブルガリの時計も、
その人を成長させたり、賢くさせたりは決してしません。

残念ながら、私たちのお金も時間もエネルギーも限られています。
その総量は、人によって違うでしょう。
多くのお金を持っている人は、多くの服を買うことができるでしょう。
確かにお買い物はエネルギーを動かす行為なので、
一瞬は気分がよくなります。
しかし、それだけです。

感覚を刺激するものに、私たちはすぐに負けてしまいます。
だけれども、心地いいもの、快適なもの、気分が上がるものだけを求めていったとしても、
本当の満足感や幸せは得られません。
自分が今まで服に使ったお金、時間、エネルギーは、
はたして自分を幸せにしてくれただろうか、
成長させてくれただろうかと、振り返って考えてみてください。
それがまさにそのとおりで、何の問題もないと思えるのなら、
今のままで構わないでしょう。
だけれども、もしそうでないのだとしたら、
今、それらについて考え直しましょう。

安いものを買えばいいとも、
どんどん捨てろと言っているのでもありません。
そうやって使ったお金、時間、エネルギーと見合ったものが自分に残ったか、
その点について考えてほしいのです。

限られたお金、時間、エネルギーが被服にかかり過ぎであるならば、
それは減らしましょう。
そしてもっと有意義に、成長や幸せの方向に使いましょう。
ほとんどの人にとって、服は人生で最も重要なことではありません。
それは必要で、ファッションは楽しいものだけれども、
あまりにも重きを置きすぎるのも、何か違うでしょう。

自分の身の丈にあったお金と時間とエネルギーの使い方をしましょう。
それは感情や感覚ではわかりません。
あくまでも冷静に、理知的に。
それでは足りない、遅れている、かわいくないと、
あおる風に負けないように。
その結果は何年か後にわかります。
欲望に負け続けた人の顔と、それに打ち勝った人の顔とでは明らかに違いますから。
そこに人々は、美しさを見ますから。