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2021年4月24日土曜日

あなたのワードローブにはアーカイブで埋め尽くして

 2021年のアースデイに、多くのハイブランドがサステナビリティに対する取り組み、あるいはコミットメントを発表しました。

あるブランドはリサイクルポリエステルの使用を、
あるブランドは製品のリペアとリセールを、
あるブランドは製品のトレーサビリティの明確化を発表しました。

ステラ・マッカートニーもドリス・ヴァンノッテンも、
ミウッチャ・プラダもエディ・スリマンも
自分がデザインした5年前の服、靴、バッグについて
「もう時代遅れだから着られない」とは言いません。
3年前のものも、5年前のものも、彼らにとっては大事なアーカイブです。

ある人が言いました。
「5年前のものはもう着られない、履けない」と言っている人がいると。
たしかに世の中には、すぐに飽きられる、着られなくなるように
運命づけられた服、靴、バッグも存在しています。

それらはすぐに劣化するポリウレタンが多く含まれていたり、
すぐに毛玉だらけになるポリエステルが使われたいたりします。
ファストファッションに多いそれらは、長く使えないように設計されています。

「5年前のものをもう着られない」と言う、その人が言う「着られない」のは、
その人が選んで自分で買ったもの、あるいは誰かにお勧めしたものです。
それはエディやステラがデザインしたものではありません。

ケイト・ブランシェットは2015年に着たドレスを2020年にも着ています。
ものを見る目があり、的確なものを選べるケイトは、
「5年前のものは着られない」なんて言いません。
その選んだドレスはケイトにとってのアーカイブです。

「3年前のものは着られない」とか「5年前の靴はおかしい」などと言っている人が
お勧めするものを選んではいけません。
その人がお勧めするものは、いずれそうなるということです。

消耗品は別として、
自分のワードローブはあなたにとってのアーカイブで埋め尽くしましょう。

あなたが自信を持って着ることができるのは、
3年後、5年後にすたれるであろう服や靴ではなく、
アーカイブとしてずっと持っていられる服や靴、そしてバッグです。

2021年3月1日月曜日

顔の時代

マスクの時代はまだ続きます。街ゆく人がマスクなしで歩けるようになるまでは、まだ数年かかると言われています。

では、顔は重視されなくなっていくのかというと、どうやら方向は全く別のようです。
それはマスクが原因なのかそうなのかはわかりませんが、顔及び頭部重視の時代が近づきつつあります。

まずそれは、メイクで示されました。
タイトなシルエットが主流だった、2000年以降、長いあいだ、メイクは細い眉と、ヌードリップに象徴されるような、メイクをしているけれどもしていないように見えるメイクが主流でした。

しかし、服のシルエットがビッグになるにつれ、眉は太く、マスカラやアイシャドウ、アイライナーといった目の周囲のメイクはより強調されるようになり、以前は考えられなかった、アイラインがごく日常のメイクの必須事項となりました。

そしてマスクの時代の今、その傾向はますます強まっています。

服が大きくなり、凝った素材やカッティング、フリルやプリーツといったボリューミーなものになると、メイクも服に負けず劣らず濃く、そして華やかになるのは、過去のトレンドの変遷を見ても明らかです。

同時に、服のボリュームが大きくなるにつれ、アクセサリーも大きくなります。その傾向がここへきて、特に顔と頭部において顕著に進みました。

しっかり描かれた眉と目の周囲のライン、シャドウは当たり前として、それに呼応するように、大きなイアリングやヘッドドレス、サングラス、または帽子が、顔とその周辺を飾るようになりました。

隠されているからこそ、私たちの顔への欲求は高まります。
顔を見せて外を歩くのが禁止されている今だからこそ、顔と、その周囲を美しく飾りたくなります。

その禁止は、かえって私たちにやる気を起こさせ、
それはいつしか決意に変わるでしょう。

そして夢見ているだけでは飽き足らず、
必ずや、実行に移す日がやってくるでしょう。

ただメイクするのではなく、
あなたの顔を、この世界にどのように示すのか、
その顔を通して何を表現したいのか、
そのためには、イヤリング、サングラス、ヘッドドレスや帽子をどのように使うのか、
マスクの時代が終わるのを待たずとも、考えて、実行して、修正を加えながら、動いていきましょう。

いつかそのときは必ず来ます。
それは約束されています。

2021年2月17日水曜日

モニターの中で

 新型コロナウィルスの流行により、実際に誰かと会う機会は減りました。
そして、そのかわりにモニター越しの出会い、そして会話がふえました。

モニターを通して、家で仕事、または講義を受けるとき、
私たちの多くは、楽な、堅苦しくない格好をすると思います。

会社や学校へ出かけるわけでもないのに、スーツでモニター越しの会議や授業に参加する人は少ないでしょう。

またモニター越しの場合、ほとんどが映るのは上半身のみです。
服を着ていても、見られるのはシャツやブラウス、Tシャツ、セーター、ジャケット、ベスト等になります。

どんなふうに自分の姿が映るかについては、使っているビデオカメラ、照明、部屋、また時間によってさまざまです。
映像のプロではないので、機材や照明が完璧というわけにはいきません。

そのときに気づくことがあると思います。

モニターの平面上に映るのは、自分の服だけではない、ということ。
その人がモニター上に、どの程度の割合で自分を映し出しているかによりますが、
モニター上に映っている大部分の面積は部屋の様子であり、
服と同じインパクトで、顔と髪が映ると思います。

モニター上に占める面積の割合でいくと、
服は、自分を大きく映し出している人で8分の1ぐらい、
小さい設定にしている人で10から12分の1といったところでしょう。

それに対して、同じ割合の顔と髪の毛があり、残りのほとんどが部屋になります。

モニターに映った人物がしゃべっている場合、おのずと視線はその人の顔にいきます。
画面を大きく占めているのは部屋の様子です。
ここで服は、顔と髪をよく見せるための背景となります。

顔の周囲に白いひだ飾りが取り巻くエリザベス朝時代のエリザベス一世の肖像画のように、
モニターの中では、身に着けるもの役目は、顔をいかに引き立てるかに変わります。

もちろんそれまでも、服の、特に顔周りは顔色をよく見せるために使われました。
しかし、モニターの中では、よりいっそうその役割と位置づけが強調されます。

モニターの中では、衣服は、
暑さ寒さを防ぐため、
痩せて見せるため、
全体のバランスをとるためよりも、
より一層、顔を引き立たせるための道具として使われるようになります。

それに気づかないまま、いつもの衣服でモニターに映ると、
人からは元気がないとか、顔色が悪い、あるいは老けて見えるようになるでしょう。

モニターに映るとき、私たちは考え方を変えなくてはなりません。

まずは顔と髪型を整えて、
それを引き立てるようなシャツ、ブラウス、セーター、その他トップスについて、それぞれ考えてみましょう。

人によって、それは白い襟かもしれません。
また、部屋も明るく、十分な照明と機材がそろっていて、顔色がよく映るのなら、
逆に黒いハイネックを着たほうが、顔がしまって見えるかもしれません。

その人の顔と髪型、映り込む部屋の様子、ビデオカメラと照明等、
条件が皆それぞれ違うので、一概に何がいいと言うことはできませんが、
基本的には、その人が元気で、若々しく見えるほうが、
具合が悪そうで、老けて見えるよりはいいでしょう。

モニターの中の自分をよく見せたいとき、いつもとは違う考え方をしてみてください。
コントロールできることは多くあります。
照明やビデオカメラで修正できることもあります。
もちろんメイクと髪型のほうが服よりも重要になります。

まだまだ続くと思われる、モニターの中の自分を見る時間。
でき得る限りのことをして、新しいコミュニケーションの方法に、慣れていきましょう。


2021年2月3日水曜日

マスクとともに

2020年に始まった私たちのマスク生活には、いまだ終わりは見えません。
マスクなしで表通りを歩ける日々は、あと2,3年は先になるでしょう。

マスクにファッション性を取り入れるかどうかは、その人の判断によります。
マスクをする目的はウィルスからの防御なので、それがおしゃれである必要は全くありません。

もちろんマスクを使っておしゃれをすることもできます。

例えば、着ている服と色や柄を合わせる、
レースやフリルといった、装飾のついたマスクをする、
マスクの耳へかけるひもの部分にイヤリングのような装飾物をつけるなど、
いろいろ考えられます。

ただし、どの方向でも、例えばサージカルマスクと二重にするなど、ウイルス防御対策は忘れずにしましょう。

問題はここではありません。

私たちはマスクをすることによって、外出時におしゃれをするという行為から、一歩後ろへ引きさがりました。
何よりも安全が大事です。

私たちがマスクを取って自由でいられるのは、マスクを取ることができるプライベートなエリアだけとなりました(もちろん場合によっては、家庭さえ安全ではないことがあります)。

肌触りがよいかどうか、
いい香りがするかどうか、
自分で家で洗濯ができるかどうか、
これらを点検していくうちに、自分がほんとうに必要としているものはほとんど持っていない、ということに気づいた人もいるかもしれません。

マスクで隠されたものの下にあったのはその人の無意識が作り出した表情と、そして生きていくために必要な、根源的なニーズでしょう。

いつかマスクをしないでも、心おきなく外出できる日がやってくるでしょう。
その日が来るまでには、まだまだ時間があります。
私たちにできるのは、
マスクとともに、そのマスクの下に隠されたニーズを探索することです。

方向性は正しいのか、
必要なものは何なのか、
間違った選択をしてはこなかったか、
そして、あなたのワードローブはあなたがやるべきことをやり、到達すべきことを到達するために存在しているのかどうか、
自分へ問いかけ続ければ、きっとわかるようになるでしょう。

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2020年11月15日日曜日

おしゃれをしなくていいときもある

 私は自分の本の中で、「おしゃれをしたくないならする必要はない」と書いています。
おしゃれなどというものは趣味のようなもので、したい人はやればいいし、したくない人はやらなくても構いません。
またおしゃれじゃないからといって、誰かにとやかく言われる筋合いもありません。

同じように、一人の人の中でも、おしゃれをしたくないとき、できないときがあってもいいと考えています。

おしゃれをしたくないとき、できないときとはどんなときでしょうか。

例えば病気のとき。
病気のときは、おしゃれどころではありません。
何よりも病気を治すことが優先です。
もちろんそんな中でも好みのパジャマを着るということはできますが、
病気によっては、そんなことさえできないこともあります。

次にはお金がないとき。
勤めている会社が倒産してしまったり、失業したとき等、
あまりにもお金がないときは、おしゃれをする余裕などないでしょう。
そんなとき、おしゃれなんてしなくても構いません。
それをする前にやらなければいけないこと、考えなければいけないことがたくさんあります。
またそういうときは、被服費にお金を使っている場合ではないでしょう。
無理をして、おしゃれをする必要なんてありません。

忙しいとき。
忙しすぎて、自分の身なりにかまっていられないときもあります。
それは仕事や子育て、あるいは介護かもしれません。
自分をきれいにすることは二の次というときが、人生に一度や二度はあるでしょう。
そんなときも、おしゃれはしなくてもいいと割り切りましょう。
もし誰かがあなたがおしゃれじゃないと責めたら、小林がそう言ってたと、
わたしの名前を出しても構いません(まあ、知らないだろうけどね)。

そして次に、疫病が世界を蔓延しているとき。
外出は最低限にして、多くの人との接触を避けなければならないときも、おしゃれのことなど気にしないでいいでしょう。
疫病は私たちにストレスを与えます。
疫病に罹患しなかったとしても、そのストレスにまずは対処しなければなりません。
そのために必要なのは、必ずしもおしゃれな服ではないかもしれません。
身体と心がリラックスできるような、優しい衣服が必要です。
必要なのはおしゃれではなくて癒し。
自分が安心で守られているような衣服を選ぶのが先決で、おしゃれなんて後回しにしていいでしょう。

人生にはおしゃれなんてしていられない時期があると自分で認めて、
自分におしゃれをしなくていい許可を出せば、
おしゃれをしていない他人も認められるようになります。

おしゃれは生きる上での必須事項ではありません。
あくまでも付随するもの。
人生のおまけ。
あったらあったで楽しいけれども、それがなくても生きていけるもの。

おしゃれなんてしなくたって、楽しく生きていけると知ったとき、
本当の魅力が生まれます。
そして、その魅力はおしゃれよりもずっと価値あるものなのです。








2020年10月5日月曜日

ポストコロナへ向けて何を買うか

 100年前のスペイン風邪以来初めての、世界中を襲う新型コロナウィルスによる疫病によって、世界は様変わりしました。

外出自粛は余儀なくされ、人々の行動範囲はぐっと狭まり、仕事は自宅へ持ち込まれ、出会う人も限られたものになりました。

 そうなってくると、おのずと着るものも変わってきます。
たくさんの華やいだお出かけは消失し、狭い範囲の中での繰り返しの日常の中で、より自分が快適でいられる服を欲するようになったことでしょう。

 変化するのは着る側だけではありません。
着る側が変わるのと同時に、作る側も変化せざるを得なくなります。

多くのブランドでは処理しきれないほどの在庫を抱え、セール時期は早まるばかりではなく、セールをしても簡単には売れなくなります。
この変化に対応できないブランドや企業は市場から退場していくことになるでしょう。

しかしこれは必然のことです。
そもそもこうなる前に、アパレル製品は過剰に作られ過ぎていました。

この過剰生産の傾向が強まったのはファストファッションが流行り始めた2000年ごろからです。
今では全世界のアパレル生産量は1990年代の約二倍だと言われています。

しかし、全世界の人口が2倍にまで膨れ上がったわけではありませんから、どう考えても生産過剰なのです。
過剰になりすぎたものが淘汰されていくのは、必定と言うほかありません。

そしてこの増える在庫と捨てられた衣類の責任は、消費者側にもあります。
買う側が支持しなければ、こんなことにはなりませんでした。

さて、コロナ後の世界を見据えて、それでも何か買い足すとすれば、何がいいのでしょうか。

まずは、カルマの回収です。
つまり増えた在庫と捨てられた衣類を回収すること。そのためにも、古着やセカンドハンド品(中古品)を次に買うものの選択肢に入れましょう。

古着や中古品といっても、恐れることはありません。
今はクオリティの高い、特に中古品がたくさん出回っています。
そしてそれらは、今新しく売られているファストファッションの商品よりも、デザイン、品質とも高いものも多いのです。
それらを選べば、ファストファッションよりも安価で、クオリティも高く、長き着られるものを手に入れることができます。

次にお勧めなのは、機能性の高いスポーツウエア及びアウトドアウエアです。
スポーツウエア及びアウトドアウエアのよいところは、そのデザインがほとんど変わらない、ということです。
変わるのは大きいものを着たらいいか、小さいものを着たらいいかという、そのときのはやりのシルエットのみ。
デザインのデティールはほとんど変化がありません。
フーディーはいつでもフーディーであり、ポロシャツはいつでも同じポロシャツです。

スポーツウエアやアウトドアウエアは機能性が高い素材のものが多いので、台風や大雪、または真夏の暑さにも対応できます。

また、スポーツウエアやアウトドアウエアは、その機能によりデザインされているため、着る人の性別や年齢を選びません。

それだけではなく、これは私の予想ですが、スポーツウエアやアウトドアウエアを日常着として着るというトレンドは、今後10年以上は続きます。

田舎の生活者だけではなく、都会の生活者にとっても、スポーツウエアやアウトドアウエアのテイストを取り込むことが、今後10年続くファッショナブルなことであるのです。 

デザイン的にすたれることが少なく、長もちし、機能性が高くファッショナブルであるというスポーツウエアやアウトドアウエアはこれから買い足すアイテムとして一番のお勧めです。

皮肉なことに、これだけ利点のあるスポーツウエアやアウトドアウエアですが、消費者にリーチする能力が低いため、有名なノースフェイスやパタゴニア等を除いては、汎用性の高いいいデザインやいいブランドがあまり知られていないという現状があります。

※ちなみに、私が最近いいと思ったブランドは以下のとおりです。
ヘリーハンセン、コロンビアブラックレーベル、チャンピオンブラックエディション、
ミズノスポーツスタイル、オニツカタイガー(ウエアを含む)、リーボックコラボレーションコレクション

最後にお勧めなのはクオリティが高く、サステナビリティに配慮され、かつ長もちするものです。

皆さんはメルカリをご覧になったことがあるでしょうか。
クオリティが高い商品は、それが10年前のものであっても高値で取引されています。

例を挙げるとしたら、エディ・スリマン時代のサンローランは、今から10年近く前のものであっても、いまだに高値で売られています。

確かに最初に買うときは高いでしょう。けれども、もともとクオリティが高いものであったら、売ることができますし、欲しいと思う人がいます。

例えばアンダーウエアのような、完全に最後までだめになるまで着るとわかっているもの以外は、なるべくクオリティの高いものを買って、ぼろぼろになるまで着るか、要らなくなったら捨てるのではなく売るという選択をしましょう。

以上が、ポストコロナへ向けてお勧めのものとなりますが、消耗品でないものについては、ポリウレタンの含有率に注意してください。
ポリウレタンが10パーセントも含まれるものは、いくら高いものであったとしても、長もちしません。

ただ現在、完全にポリウレタンを避けるのは難しいので、私の場合は、3パーセントまでは許容範囲にしています。

まだまだ収束がいつになるかわからない新型コロナウィルス感染症ですが、
これが終わった後も人生は続き、私たちは服を着ます。

世界がよりよくなるためにも、自分ができるいい選択をしていきましょう。

 


 




 




2020年7月8日水曜日

本当に自慢できるもの

本当のおしゃれな人が何を自慢するか知っていますか?
最新のものでしょうか? 
違います。
ものすごく高価なものでしょうか?
それも違います。
たくさん持っているということでしょうか?
同じく違います。

本当におしゃれな人が自慢するのは、
どれだけ長くそれを着ているか、あるいは持ち続けているか、ということです。

なぜ長く着ている、あるいは持ち続けていることが自慢になるのでしょうか?
理由は2つあります。

まず1つは、それをとても大事に扱ってきたということ。
丁寧な洗濯とメンテナンスで汚れないように、
傷まないように長い間、着続けてきたということは、
ものを大切にするという精神のあらわれであり、
それだけでも自慢できることです。
20年、30年と1枚の服をメンテナンスして着続けることは、
なかなかできることではありません。

そしてもう一つは、
実はこれが最も重要なポイントなのですが、
その人がそれを買った当時から、目利きであったということです。
それは2つの意味で目が利いています。
一つは、自分がずっと好きでいられるものを見つけて手に入れたということ、
そしてもう一つは、
それが何年たってもすたれないクオリティとデザインであったと見抜いた、
ということです。

どんなに新しいものを買っても、
自分がずっと好きでいられないものであっては将来的に手放すことになるでしょう。
また、同様にどんなに高価なものを買っても、
2年もすれば、すたれたデザインになり、見るからに時代遅れになるものなら、
長く着続けることはできません。

本当におしゃれな人たちは、
自分の好みをよく知っています。
つまり、体型の癖や自分の趣味嗜好といった自分自身の特性をよく理解しています。
またそれだけではなく、よいものを見たり、さわったりする訓練を通して、
例えばヴィクトリア&アルバート美術館に飾ってある、
ディオールのニュールックのように、
50年以上たってもいまだに人々の心をとらえるデザインとはどんなものか、
深く理解し、美術館に飾られる前にそれを見抜く能力を持っています。

あたらしいものをたくさん買うことも、
高価なものを手に入れることも、
財力があれば簡単に解決できますが、
自分を知り、将来にわたって生き残るデザインを見抜く力は、
他人から借りることはできこそすれ、
財力があっても得ることはできませんし、
持っている人から奪うこともできません。

本当におしゃれな人が自慢するのは、
そのお金で買えない力なのです。

新しいものを買うときは、
それがどれぐらい長く着られるか、
モノとして、またデザインとして、
どれだけ長く持ち続けられるか考えてみるといいでしょう。
10年、20年、30年たってもデザイン的に優れているもの、
へたれないで着られるもの、
そんなものを集めましょう。
そうしてそれが集まった暁には、ちょっとだけ自慢しましょう。
「もう20年も着ているんだ!」という自慢話を聞いて嫌味を言うのは、
よほどの偏屈ぐらいなものです。
ほとんどの人は、あなたが10年、20年、30年と
素晴らしいクオリティとデザインを兼ね備えた服を持ち続けていると聞いて、
感嘆の声をあげるでしょう。