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2010年12月19日日曜日

グラマラスとか、セクシーとか

グラマラスとセクシーは、日本において、評価が低い、または無視されている分野だと、
ヨーロッパを旅行するたびに感じます。
ある特定の分野、たとえばグラビアなどでは、グラマラスとセクシーはもてはやされますが、
ごく一般の人々の服装については、ほとんど認められていないのではないかと思います。
ファッション誌などを見ても、ごく一般の人が見る雑誌では、セクシーより、
「かわいい」ファッションを数多く載せていますし、と同時に、ほとんどセクシーさを感じさせないような服やコーディネイトが多いです。
ここで言うセクシーは、決して露出部分が多いということを言っているわけではありません。
たとえば、着物における「うなじ」や、裾から見える襦袢の色なども、過度な露出こそはしてなくても、非常にセクシーです。
これはなぜなのかなと毎回考えるのですが、まだはっきりした答えは見つかっていません。
もちろん、セクシー過ぎるというのは危険です。
しかし、そこまでいかなくても、あのヨーロッパの街で感じる、女の人のセクシーさが、日本では受け入れられないのはなぜなのか。
1つは、やはり社会が、そういう女性像を一般の女性に望まないからなのでしょう。
セクシーであってはならないわけではないですが、セクシーであることは、あまり評価されないのです。
特に、既婚の女性は。
また、グラマラスなモデルは、グラビアには登場しても、ファッション雑誌では、見ることはあまりありません。みなスキニーです。
別に、だからヨーロッパに追いつかないといけないと言いたいわけではないのです。
問題なのは、日本には、グラマラスな体型の持ち主の方が、自分の体型を謳歌するような服がないということなんです。
やせている人たちのための服は、たくさんあります。
だけれども、日本製で、太っているのではなく、グラマラスな方たちのための服は、ほとんどありません。
社会が求めてないのだから作らないのだと言えばそれまでですが、
グラマラスな体型の人が、ダイエットでやせる、またはビッグシルエットで体型を隠すのでなしに、
自分の体型に誇りを持って、堂々といられるような、そんな服が日本にもあっていいのではないかと思います。
そして、そのためには、私たちがもっと、セクシーさや、グラマラスなことに対して、
心を開いて認めることが必要になるでしょう。
セクシーさをなかなか認められないということは、結局のところ、自分自身の問題なのですから。