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2012年1月30日月曜日

完璧だからって、おしゃれに見えるわけではない



それは寒い冬の平日の昼下がり。
小田急江ノ島線の上り電車で見かけた方です。
年のころは50代後半といったところでしょうか。
黒カシミアの大判ストールに、紺色の、これもカシミアのダブルブレストのコート。
前を開けているので中に何を着ているかわかります。
黒いサージのタイトスカートに、黒カシミアのタートルネック。
大粒のパールのネックレス、ピアス、そして、これもまた大粒のパールの指輪。
鞄はエルメスの黒いバーキン。
足もとは、黒いシアーのストッキングに、黒のマノロ・ブラニクのピンヒールのパンプス。
腕時計はRADOのクポール・ジュビリー。
頭にヘアバンドのようにかけている眼鏡はグッチ。
ざっとこんな感じです。
コート以外はすべて黒。スカートを除いてはすべてカシミア。
どこに行っても恥ずかしくない、完璧なルックスです。
完璧なルックスですが、別にそれがおしゃれに見えるというわけではございません。

なぜか。
そこには、その人らしさやキャラクターを表現するものが、1つも入っていないからです。

例えば、映画を作るとして、監督が衣装デザイナーやスタイリストに女社長の役の人の衣装を用意するように言ったとしましょう。
もし、その女社長が単なる端役で、セリフもないような役でしたら、その衣装でOKです。
けれども、もしそれが主役の女社長の衣装だとしたら、それではだめです。
なぜなら、それではその主役のキャラクターが全く表現されていないからです。
確かに、これだけ身につければ、とある女社長である、ということはわかります。
けれども、その役のキャラクター、例えば、どんなところに住んでいて、何が好きで、どんな仕事で、趣味は何で、どんな性格か、その衣装からは何も伝わってきません。

前出の方がもしどこかに自分の服とアクセサリー、バッグ、靴を並べておいておいたとしても、他人からは、あ、それは誰それさんのね、ということは判断できないでしょう。
その服装がこちらに伝えてくるのは、ある程度お金のある、きちんとした身なりをした女性というだけで、それ以外のものは、その身につけているもののブランド名を除いては、何もないからです。
その証拠に、今、私はその方のバッグの大きさや金色の金具の光具合は思い出せますが、その方の顔は全く思い出せません。
その方が私に伝えてきたのは、持っているもののブランド名ばかりで、その人自身のキャラクターではないからです。
おしゃれの目利きたちは、こういう格好の人のことを、おしゃれだわ、とは見ないのです。
(もちろん、この方も、おしゃれに見せようなんて思ってないかもしれませんが)

では、どうしたらよいでしょうか。
それは自分らしさを表現するものを何か付け加えることです。
誰もが見て、あ、これって、誰それさんだよねとわかるものを身につけるのです。
それは別にブランド物である必要など、まったくありません。
かえって、それは邪魔になります。
またそれはアクセサリーかもしれませんし、色あいかもしれません。
いろいろな可能性が考えられます。

例えば、私が見たこの方が自分らしさを表現するために何を付け加えたらいいかアドバイスされたとしたら、こんなふうに提案します。
まあ、これだけいろいろブランド物をそろえる財力がおありでしたら、
(それでもこの年代の和服の奥様に比べたら、全然大したことありません)
コートをオーダーメイドにして、裏地を自分の好きなものにしてみる。
それこそ、ひょう柄が好きならひょう柄に、または自分の好きなストライプや花柄など、何でも、これはほかにないね、というような組み合わせにする。
バーキンにその人らしいチャームをつける。それはお孫さんからいただいた、きらきらのキティちゃんかもしれないし、若いアーティストの手作りの花のコサージュかもしれない。
仕事では邪魔になると言うのなら、仕事の場になったら、それは取り外す。
腕時計と一緒にお守りのようなブレスを重ねづけする。それは全体のバランスを崩す、わざとラフなもの。(間違っても、パワーストーンの数珠ブレスはだめです)。
どこでもありそうなパールの指輪をやめて、世界に1つしかない、デザインされた大ぶりの石のついた指輪にする。
などなど、こんな感じです。

とにかくそれは、自分の思い入れのあるものでなければなりません。
なくしてしまったら、同じのが売ってるから買えばいいわ、というような品物では、それがいくら高価なものだとしても、だめなのです。

あなたのかわりはほかにはいません。
セリフのない女社長Aみたいな服装をする必要なんて、まったくありません。
だって、すべてこの世は舞台で、みな主人公だからです。

それに必要なのはお金ではありません。
工夫と、それを実現する努力と、そして自分のことが大好き、という気持ちだけです。
自分のことが大好きだったら、自分らしいものは何か、きっとわかるはずです。
おしゃれな人とは、それを表現している人のことなのです。


2012年1月23日月曜日

アニマル



去年のプラダのコレクションだったでしょうか。パイソン、つまり蛇プリントのドレスというのがありました。そこら辺から、少しずつアニマルプリントが復活してきています。
このアニマルプリント、完全になくなるということはありませんが、何年かおきに、必ず復活して、種類や幅を広げています。今までトラ、ゼブラ、ダルメシアン、牛なんてあったと思いますが、パイソン柄のドレスはなかったのではないかなと思います。

ここで、ちょっと話はずれるのですが、どうして今年の流行はこれ、となったら、ショップに一斉にその色や柄のものが売り出されるか、その仕組みを簡単にお伝えしましょう。
メーカーやブランドが洋服を作る場合、もちろんまず生地が必要です。
しかしこの生地ですが、すべてオリジナルというメーカーやブランドは少数派です。
すべて100パーセントオリジナルとなると、ほとんどないのではないでしょうか。
そうなると、メーカーもまず生地屋さんから生地を買うわけです。
生地屋さんの営業さんが、デザイナーやMDに生地を売り込みに来て、この柄をこの色でとか、この生地をこの色で何反とか発注します。
では、生地屋さんはどうやってその生地の色やデザインを決めているのでしょうか。
もちろん生地屋にもデザイナーはいますから、そのデザイナーが考えるわけですが、そういった人たちが大いに参考にしているのが、各種プラン会社から出されるトレンドブックなのです。
何社かありますが、有名なのは、たとえばフランスのプルミエール・ヴィジョン。そういった会社が、ずっと先の年のトレンドカラー、イメージ、柄など、細かく提案されたブックを販売しています。そして、それを参考にして生地が作られていきます。
つまり、生地屋さんのネタ本があって、それをもとに生地を作る、メーカーが買う、それで洋服を作るという流れになります。
そうすると何が起こるか。オリジナルで生地を作るブランドを除いては、皆、生地屋さんで布を仕入れるわけですから、あちらのブランドも、こちらのブランドも似た色、似た柄、似た織りになっていきます。
これが、ある年、どのショップに行っても同じような色、柄のものが並ぶ理由なのです。
こうやって流行は、あるところから仕掛けられるわけですが、最近、みんながそれに安易に乗るという感じではなくなってきました。いくらトレンド発信会社があおっても、乗らないものは乗らない、乗らなくてもほかにいくらでも選択肢のあるというのが今の時代です。

さて、たぶん、そんなトレンド発信会社が何年かに1度、アニマルプリントをトレンドとして発信するのでしょう。去年ぐらいから、また多く見られるようになりました。

では、このアニマルプリント、どうやって取り入れたらおしゃれに見えるでしょうか。
アニマルで有名なのは、大阪のおばさまたちでございますが、もちろんあの方向では、決して素敵には見えません。何がいけないのかというと、その分量なのです。
アニマルが全体の7割、9割で、それでも素敵に見えるというのは、とてもまれなこと。
だいたい普通の人がやると失敗します。
ここら辺、同じ柄でも、花柄とは大きく違います。
つまり、リバティプリントの花柄のワンピースは素敵で可憐に見えても、ひょう柄のワンピースは、そうはいかないということです。
それはなぜうまくいかないかというと、花とひょうでは、想起させるものが違うからです。
意味が違うのです。
単なる色とパターンの組み合わせではなく、意味を持っているのです。
トラ、ひょう、蛇、そんなアニマルたちを見て私たちが思い出すのは何でしょう?
そう、あの彼らの食事の風景。
本当の意味で肉食です。
だから、そういったプリントを身につけると、あなたはそれを見る人に、肉食メッセージを伝えてしまいます。
ファッションは、1つの情報です。
そんな肉食に見せないためには、使う分量をうんと少なくすることです。
例えば、全体の中でベルトだけ、バッグだけ、手袋だけ、スカーフだけ。シャツだったら、上着を着て見える分量を少なくする。
こんなふうに少なく使う分には、ちょっとそれだけで上級のおしゃれに見えます。
料理に入れるスパイスと同じで、ほんの少し、最後の仕上げに付け足す感じです。

いくらあなたが肉食系だとしても、それを全面に押し出すなんて、野暮なこと。
見せればいいってもんじゃ、ありません。
見せれば見せるだけ野暮になる、品がなくなる。
これはもちろん、アニマルプリントに限ったことではありません。
どんなものでも見せ過ぎは、欲望の対象にはなるでしょうが、憧れの対象にはならないのです。

☆写真はうちのアニマルでした~。(猫柄プリントってないね)

2012年1月16日月曜日

若さって、色かも



お正月、道行く人々がどんな服を着ているのか、ずっとながめていました。
今年は、上着としてのダウンが大流行で、本当に老若男女、皆、ダウン、ダウン、ダウンジャケット、またはコートですね。
お正月でダウンですから、服のカジュアル化は一層進んでいます。
また、その色も黒、グレーが圧倒的に多い。続いてベージュ、シルバーなど。
まだまだ大人用のダウンの色展開は豊富とは言えませんから、どうしても同じような色になってしまいます。また、ダウンジャケット特有の縫い目も、それほど違いがありませんから、今年の冬は、男女の差、年齢の差が、著しく縮まった年ではないかと思います。

そんな中、はっとさせられるのは、子供、または20代そこそこの若い方たちの、ぱっと目を引く明るい色。真っ白いコートだったり、ピンクのマフラーだったり、自由に明るい色を取り入れているのは、やはり若い方たちです。
そうでなくても、若いまぶしさがあるのに、その上、発光するような色のものを着るわけですから、より一層、「若さ」が目立ちます。
若いということは、色なのだ、とつくづく思います。

一方で、これは80年代、黒一色のブームがきてからだと思いますが、大人たちの着る色は、どれも暗いものばかり。これにはいろいろな理由があると思います。無難だから、これしか売ってなかったから、そして最後に、おしゃれそうに見えるから。
「おしゃれそうに見えるから」というのは、確かにそうなのです。
先日、VOGUEの写真ばかりを並べた、タンブラーのサイトを端から見ていったのですが、シックや、洗練と言われるコーディネイトは、本当にダークな色合いが多いです。
しかも、それが例えば黒一色、黒と白、黒とベージュなど、極端に少ない色で構成されています。以前、「3色ルール」という題で記事を書きましたが、洋服のコーディネイトで美しいとされるのは、ぎりぎりまでストイックに色を絞った装いであるらしいのです。
もちろん、そうでない場合もあります。
しかしそれらは、例えばエスニック(最近はトライブとも言います)であったり、ポップであったりと、決して主流ではありません。
ここら辺、昔は色彩豊かな着ものを着ていた、エスニックの側にいる日本人にとって、なかなか習得することが難しい点かもしれません。

それでもやはり、若さを表現したかったら、色だなと思います。
残念ながら、もう既に若くない人が黒一色の格好をしてみたところ、若さやはつらつさは感じられません。

では、どのようにしたら、シックで洗練されて、色を取り入れることができるでしょうか。
これはずばり、色数を絞ること、そして、派手な色合いの割合を9割程度、多くても8割ぐらいに抑えることでしょう。
全身黒にしたならば、その1割のスカーフやバッグをベージュピンクにするなど。
取り入れる若々しい色を主役と考えて、残りの部分を背景にします。
主役は舞台に1人でいいわけですから、決して増やしてはいけません。
たくさん色を混ぜてしまうと、とっちらかった感じがして、おしゃれには見えません。
間違っても、黒いニットだからといって、サイケプリントのパンツなど、はかないように。
若い人と違って、いい年の大人がこれをやると、シック、おしゃれをずっと通り越して、単なる下品です。
いろいろな色を、似合おうが、似合うまいが、色の組み合わせがめちゃめちゃだろうが、それが許されるのが若いということ。それを無視した大人は、今風に言えば、若い者と競って若づくりしようとしている「痛い」大人です。

色を味方につけたなら、おしゃれに見えることは確実です。
しかし、それを敵に回したら、あなたの品が疑われます。
派手な色をどんどん上へ重ねて集めていくやり方は欲望の表現です。
行き過ぎた欲望は、いつでも下品です。
品のいい大人は、少ない色で満足できるということを知っているはずです。

☆写真は、派手な色のものをシックに見せる好例。靴やタイツまで同系色にして、さし色の割合を少なく、全体を2色にまとめています。この色の割合がポイントです。

2012年1月9日月曜日

進化するフェアトレードとオーガニック

2012年という年が明けました。
ごくごく一部では、2012年に世界が終わる、というような終末論もあるようですが、
それでも間違いなく、人類は地球最後の日まで、何か衣服を身につけていることでしょう。
素っ裸ということはないはずです。

さて、昨年はどなたにとっても、何かと考えることが多かった年ではなかったかと思います。
私が最も考えたのはやはり、私がアパレル業界で働き始めたころからずっと疑問だった、
「誰かの不幸によって立つ「幸せ」とは何なのだろう」ということでした。
自分以外の誰かに不幸や苦痛を背負わせて、それでもなお人は幸せになれるのだろうか、という疑問です。

アパレル業界において、フェアであるとか、オーガニックという意識は、たとえば食べ物などに比べたら、ずっと遅くまで重要視されていなかったと思います。
少なくとも、私が働いていた頃は、誰もそのようなことを口にする者はいませんでした。
また疑問を感じたとしても、今のようにインターネットもない時代、確かめるには生産の現場へ行くしかなく、その時間、財力、勇気を持ち合わせている人間は、アパレル業界には皆無といっていいほどでした。
そんな中、サフィアさんというイギリス人が「ピープル・ツリー」というフェアトレードかつ、オーガニックを掲げた会社を立ち上げました。ちょうど20年前のことです。
設立してから何年かたって、新聞などでその存在はちらっと紹介されて、興味深く読んではいましたが、それ以上の情報は乏しく、実物に触れることもありませんでした。
私もちょうどアパレル業界にいたころで、ほとんど休みもなく、あってもただ寝ていただけなので、わざわざ実物を見に行くこともありませんでした。

そのころ、アパレル業界の間で、フェアであるとか、オーガニックという意識を持つ人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。
なぜなら、彼らのやっていることが、まったく「フェア」ではなかったからです。
会社から家賃40万円のマンションを支給され、お昼過ぎに高級外車で表参道の会社までやって来るデザイナーは、デザインのことを考えるだけのクリエイティビティはあったようですが、その彼らのクリエイティビティを実現するために、だれが、どんな状況下で、どんな労働を行っているかを想像する力を持ち合わせてはいませんでした。
安い賃金で、残業代も出ず、遅くまで働いている、その「デザイナー」以外のスタッフたちに、某商社の男性社員が、アルマーニのスーツに身を包み、腕からはブルガリの時計をのぞかせて、四谷の「わかば」のたい焼きの差し入れで、サービス残業している私たちをごまかそうとしている、その薄い笑顔を、私は今でも覚えています。
(そのとき、私はそのたい焼きを食べませんでした。まあ、別に好きでないっていうのもあったんですけど・・・)
それでもまだ私たちはましなほうだったのかもしれません。
無理やりに納期を迫られる工場さんや、明日までとせかされるプレス屋さんなど、
同じように、いえ、それ以上に大変な目にあっていた人たちがいたと思います。
(その中には福島の須賀川の工場さんもありました)
そういう人たちに支えられながらできる、経済的な豊かさを享受する、ある一部の人たちは、それで本当に幸せになれるのだろうか。服を作るデザイナーって、人を幸福にしているのだろうか、というのが当時からずっと疑問に思っていたことでした。

その同じ時代に設立された「ピープル・ツリー」は見事な進化を遂げて、まだまだ成長を続けています。
当初、どうしてもエスニックテイストに傾きがちだったデザインは洗練されたものに改良されました。同時に「ピープル・ツリー」においては、国内外の有名デザイナーを採用。それらの洗練されたデザインのウエアは、気がつくとソールドアウトになっているほどの人気です。
それだけでなく、「ピープル・ツリー」では女優のエマ・ワトソンも賛同し、ティーンズ向けのウエア作りに参加しています。
また、どうしても高い値段がネックだったオーガニックコットンも、最近は値段がこなれてきて、安いものを2枚買うところを1枚にすれば十分、手が届く値段設定になりました。
綿に使われる農薬は、世界の農薬使用量のほとんどを占めています。いまだにオーガニックコットンの生産量は全体から見たら少量ですが、消費者が選べば、それを増やすことも可能です。
「ピープル・ツリー」が生まれたころは、その存在はまったく目立たない存在でしたが、今では路面店も持ち、普通の人にも知られるようになり、なおかつまだ発展途上にあります。
これはすごいことです。
だって、ちょっと周りを見てください。デザイナービジネスで20年続く会社は、ほとんど日本にはないのです。
ある会社は倒産し、あるデザイナーは荒れた生活の末、50代の若さで他界したと聞きました。
かろうじて名前が残っているブランドでも、前ほどの勢いがあるところなど、ありません。

ただ、最近の潮流は明らかに変わってきています。
ここ10年ぐらい、オーガニックな素材を使って製品を作る若いデザイナーが増えてきましたし、また小規模ではあるものの、チベット民族とのフェアトレードで、ラグジュアリーなウエアを生産しているブランドも出てきました。
もちろんオーガニックコットンのウエアを販売している会社もあります。
それらはファストファッションを作る会社と比べたら、確かに規模は小さいです。しかし、規模が小さいからといって、続かないというわけではないのです。同様に大企業がずっと成長し続けるなど、あり得ないのです。もうそんな神話にはだまされません。

与えたものは返ってくる、と言われています。
インドでは、これをカルマと呼びます。
あなたが与えたものが苦痛であれば、もっと大きい苦痛となって戻ってくるでしょう。
それは、いいとか、悪いの問題ではありません。
ただ単に、そうだ、というだけです。

私がずっと長年持ち続けていた疑問も、最近、解消されました。
少し時間はかかりましたが、その人が与えたものは、その人のところへ返っていきました。

何を他人に与えるのか、気をつけましょう。
それは必ず返ってきてしまいますから。
そして、もしそれが返ってきてほしくないものだと気づいたなら、
今からでも遅くはありません。改めましょう。
そうすれば、あなたはそのカルマのループから抜け出すことができます。

☆「ピープル・ツリー
☆「プロジェクトサスティナビリティー」オーガニックコットンやサスティナブル(持続可能)な製品作りをしているブランドを集めているサイト。日本のデザイナーも参加。
☆「プリスティン」お客様に紹介していただいたオーガニックコットンのインナーやウエアなど。こちらはオーガニックだけでなく、日本製です。

2011年12月26日月曜日

10年後も着ている服を探そう



先日、文化服装学院時代の友達を観察していて、気付いたことがありました。
なんだか、着ているセーターに見覚えがあります。
「あれ、そのセーターは?」
「これ?もう10年以上も前から着ているよ」
私は彼女とは学生時代からの友達なので、ずっと知っています。
そのセーターは確かに前も着ていたなとは思ったのですが、
不思議と、あれ、また同じセーター着てる、とは思わなかったのです。
10年も同じものを着ているのに、それが決していつも同じものには見えない、
そして、着ていたことすら忘れてしまう。
おしゃれな人というのは、必ずこんな一着を持っているものだと思います。

10年着続けることができる服を買うには、まず服に対する知識が必要です。
劣化する素材かどうか、単なる今の流行かどうか、シルエットの具合など、
そのときの単なる雰囲気や気分で、ただいいと思ったから、ただ欲したからだけで買ったものは、必ずしも長持ちするものとは限りません。
(前にも書きましたが、単なる欲望で手に入れたものは、飽きるのも早いです)
しかし、10年着続けることができる服を手に入れるには、服の知識だけでは足りないのです。
何より必要なのは、自分自身に対する深い理解です。

私たちは、自分自身をさほどよく理解していません。
小さい頃は親、次は先生、そして社会などなど、私たちは周囲の存在からいろいろなラベルを貼られます。
それは、必ずしも自分自身などではないのですが、社会の枠の中で生きていくには、一見、必要そうに思えるので、その貼られたラベルを受け入れます。
そうして私たちは、その貼られたラベルにふさわしい服を選んでいくのです。
(途中、それは制服という形で強制もされます)

だけど、ときどき思うのです。
なんだろう、この違和感は。着ていても、ちっともリラックスできない。
他人は喜ぶみたいだけど、自分自身は喜んでないみたい。
しかし、服はしょせん服。それを着ているからといって、病気になったり、死んだりはしません。何となく社会でうまくいってるなら、別にいいわと思って、そのまま進んでいきます。

ある日、突然、気が付きます。
どうしてこんなに服をたくさん持っているのに、着る服がないんだろう?
ちゃんと選んだはずなのに、みんなほめてくれたのに、どうして着たいって思わないんだろう?
どうして?

その答えは簡単です。
着る服がないのは、本当の自分にふさわしい服を選んでこなかったからです。
自分の皮膚の延長のような感覚、くつろげる感じ、そして何より自由な感じ、
これこそ本当に自分だ、と思える感じ、そんな感じの服を選んだならば、それはずっと持っていられるのです。それこそ10年長持ちします。
その人に最もふさわしいものは、10年たとうが、変わりません。

だからといって、それは必ずしも、やっぱりベイシックだね、というわけではありません。
ベイシックといったって、たかだか100年にも満たない歴史の中で築かれたもの。
それがすべてではありません。
必ずしも、自分というものは、ベイシックの型の中におさまるとは限らないのです。

おしゃれであることの第一歩は、自分をどれだけよく理解しているかにかかってきます。
毎日のコーディネイトは、流行、ベイシック、自分自身の組み合わせです。

さあ、来年は、そんな服を探してみましょう。
わからなくなるのは、自分自身のことがよくわからないからです。
お店で一着一着、試着しながら、私は何、私は何、と問いかけましょう。
頭の中で想像しているだけでは見つかりません。
口で言っているだけでも、見つかりません。
体を動かして探しましょう。
着てみるとわかることが、必ずあります。
流行とか、かわいいとか、もてるとか、そんな言葉につかまらないで。
こればっかりは、自分自身でやるしかないのです。
なぜならば、
本当の自分自身と出会えるのは、ほかでもない、あなた、ただ一人であるからです。

☆写真は10年前どころか、もう20年近くも前の私の唯一のロメオ・ジリ。まだ10年いけます。

2011年12月19日月曜日

トレンチコート



ちょっと時期的にどうかなと思ったのですが、そろそろバーゲンの季節ですし、
購入をお考えの方も多いのではないかと思い、今日はトレンチコートについてです。

すっかり定番のトレンチコートなのですが、実は結構難しいアイテムでもあります。
というのも、なかなか自分にぴったりのトレンチコートを見つけるのは難しいのです。
それには理由が2つあります。
1つは、定番と言われながらも、かなり流行に影響されるアイテムであること、
そしてもう一つは、バリエーションの豊かさ、です。

同じ定番でも、Pコートとは違って、トレンチコートのシルエットは、かなり流行があるなと思います。
ここ数年は、例えば子供用サイズのトレンチを着ることが流行ったりしているように、かなり小さめが人気です。けれども、90年代はそうではありませんでした。もっとずっとシルエットは大きかったのです。ですからそのときに買ったトレンチコートは今着ると何かおかしいのではないかと思います。丈も長く、全体の分量が多く、もしかしたら、肩パッドが入っているかもしれません。これでは今の流行とかけ離れすぎて、古いなという感じが否めません。

そしてもう1つの理由のバリエーションの豊かさですが、実は、これがなかなか似合うコートが見つからない原因の最大の理由ではないかと思います。
トレンチコートの特徴は、付属のパーツの多さです。
トレンチコートのトレンチとは、塹壕です。第一次世界大戦を暑かった戦争映画などを見ると、よく出てきますが、人が1人通れるくらいの壕を、雨が降る中、このコートを着て移動していきます。そのために考案されたコートです。
肩には肩章、背中にはベンチレーション、前肩当て布、ベルト、フラップポケット、袖口のストラップ、そして後ろのセンターベンツなど、付属がやたらと多いのです。
また通常、あわせはダブル、袖はラグラン袖ですが、最近は、シングルで、袖もセットインスリーブのものもあります。
そして、この細かいパーツそれぞれが、それぞれのブランドやメーカーによって、形や大きさが違うのです。大きい襟のところもあれば、小さいものもある、またウエストから下もフレアになっているものもあれば、タイトなものもあるなど、付属や細部のバリエーションが広がりすぎていて、一定のスタイルがありません。
また素材も通常は、綿ギャバジンですが、今ではもちろんウールのものもありますし、もっと裏なしの軽いポリエステルタフタや、取り外しのライナーがついたものなど、着る時期やシチュエーションも様々です。
ですから、定番と言えども、自分にぴったりのものを探すには、襟の大きさ、袖の細さ、丈、すその広がり方の具合、シングル前か、ダブル前か、肩章つきかなしか、素材はどうするかなど、考えなければならない点がたくさんあるのです。

これを決めるにはどうしたらいいか。
それは、残念ながら、数多く試着してみるほかありません。
数多くとはどれくらいかというと、最低でも10枚は着てみないとわからないでしょう。

また、もう一つ残念なのは、有名ブランドだからといって、だれにでも似合うわけでもないということです。
私が大学生のころ、友達がイギリスに旅行へ行った折に、バーバリーのトレンチコートを買ってきました。今も相当お高いので、当時はもっと高かったと思います。しかも学生ですから、かなり奮発した買い物でしょう。
しかし、彼女がそれを着ていても、何だか格好良くないのです。
1つは自分のサイズより大きめのものを買ってしまったこと(華奢な人だったので、ぴったりのレディースサイズがなかったのかもしれません)、そして、余りに新しすぎて、コートがごわごわして、体になじんでいなく、何だか借りてきたもののようだったからです。
ですから、トレンチコートを選ぶときには、ブランドに惑わされてはなりません。

また流行があるということも忘れないでください。
今一番新しい形は、一番早く腐ります。
トレンチコートは長く着るべきアイテムですから、すぐ鮮度がなくなって、だめになってしまうようなものはお勧めできません。

ブランドにも、流行にも惑わされないで、自分自身にぴったりのコートを、根気よく試着していって、見つけましょう。
試着する際は、下に着るものや靴にも注意してください。パンツなのか、スカートなのか、ヒールのある靴かない靴かによっても、似合ってくるものは違ってきます。

トレンチコートは、戦うためのコートです。
いわば、戦闘服です。
いい加減に選んだものを着ていたならば、敵にやられてしまいます。
で、だれと戦うかですって?
たぶん、それは、世間の目を気にして、自分のハートとは違う行動をしてしまいがちな、もう一人の自分でしょう。

☆写真は、「シャレード」の中のオードリー・ヘップバーンのトレンチコート。
かなりパーツが省略されています。また素材も軽そうです。
オードリーは「ティファニーで朝食を」のラストシーンも変形トレンチコート。そちらも、やはり肩章などはなし。パーツを少なくすることで、ミリタリー色が弱まります。

2011年12月12日月曜日

ピンク!



今は12月半ばなわけですが、この時期になると、街ゆく人たちの色合いが、男女関係なく、黒、濃紺、チャコールグレー、ダークブラウンといった暗い色ばかりで、なんだかさびしくなります。
それでもまだ、日本の冬の青空は、ラピスラズリとターコイズを混ぜて作った絵具のような色合いで、大変美しく救われますが、人々の身につける色は、もうちょっとなんとかならないものかと思います。

これは別に着ている側の問題ばかりではありません。
作る側のほうが、冬のコートは黒とグレーと濃紺があれば、それで事足りるよね、というあつかましい押し付けでコートを製作するものですから、どんなにこちらが真冬にきれいな色のコートが欲しいと思っても、なかなか売っていないのが現状です。
マーケティングとは、そういうものです。
人々のニーズを探るのではなくて、自分たちの都合を、あたかも買う側の要求のように、うまくコントロールするやり方です。
これを着ると格好いいよ、着ないと格好悪いよ、これが流行っているよ、着ないと遅れてるよと言われれば、何だかそうなのかなと思ってしまいます。
向こうに、お願い、着てと頼まれたわけではないですが、こういうふうに言われるならば、それは立派なコントロールです。

さて、そんな中、最近、めっきり大人の女性のピンク着用率が落ちてきているような気がします。
ピンクを着るのはせいぜい10代から、20代後半までで、それを過ぎると、がたっと着ている人が少ないようです。
そういえば、最近は小学生や、それ以下の子供でも、ダークな色合いが多いですものね。
衣服における、ピンクの割合が、特に秋冬は著しく下がります。
冬に、大人の女性が似合うピンクのセーターやカーディガンを探そうとしても、なかなか、これ、というピンクが売っていないからという理由も、1つあるでしょう。

それでも、私は大人の女性こそ、また昔とは違った気持ちで、ピンクを着ていただきたいなと思います。
ピンクが作り出す雰囲気は、やはり優しさです。
ピンクのバラは愛の象徴です。
この前も少しオーラのことについて書きましたが、ハートチャクラの色はピンクです。
ピンクを身につけることによって、ハートチャクラをサポートします。
そうすることによって、傷ついたハートは癒されますし、自分と他人に優しくなれます。
クリスタルだったら、ローズクリスタルがやはりピンクのオーラを持っていますし、
香りだったら、本物のバラから作られたものも、同様にピンクのオーラをしています。
(例えば、ローズウォーターが揮発するときにピンクのオーラが見えます。ただ、液体なので、持続性は余りありません。)

自分が自分に優しくなれないなら、ピンクの色のものを着ましょう。
それは、自分が自分にできるプレゼントです。

大人の女性にお勧めのピンクは、ペールピンクやグレイッシュピンクとグレーやカーキとの組み合わせです。
また、黒に合わせたいときは、ベビーピンクより、オペラピンクやショッキングピンクと言われる、ヴィヴィッドなピンクのほうが、より大人っぽく感じます。

大人の女性が自分の望むピンクの服を探すのは大変です。
なぜなら、作る側が、もういい年の大人なんだから、ピンクなんか着るのやめなよ、と無言の圧力で、ピンクのアイテムを作る気がないからです。
でも、そんな圧力に負けてはいけません。
自分で意図することが重要です。
誰かの許可など要りません。
自分で意図したことのみが、実現します。
ピンクを身につけるということは、自分を愛する1つの方法です。

☆写真はペールピンクにグレーとカーキ。この組み合わせはすごく大人っぽいと思います。