ジャンプスーツとは通常、
トップスと、それに伴うパンツのボトムがつながった状態のものを呼びます。
トップスがスカートとつながっていれば、
それはワンピースやドレスですが、
パンツとつながるとジャンプスーツ、オール・イン・ワンなどと呼ばれることになります。
ジャンプスーツがここへきて注目されていますが、
何もこれは新しい形というわけではありません。
作業着としての「つなぎ」や、
赤ちゃんのロンパースなど、
形としては以前からありました。
ただそれがモードに昇華されるのには、
多少の時間がかかりました。
そして今やっとそのときが来ました。
特徴を一言でいえば、つながっている、ということです。
西洋の衣服において、この「つながっている」ことは、しばしば重要視されます。
西洋の女性の衣服の歴史は、
布に穴をあけてそこに頭を入れただけの貫頭衣から、
ギリシャやローマ時代の生地を身体にまきつける時代を経て、
常にトップスとボトムスがつながったドレスという形で発展してきました。
やっとジャケットとスカートという形が見られるようになったのは、
イギリスのエドワード時代あたりではないかと思われます。
(ここは、はっきりした資料が見つけられませんでしたので、
間違っているかもしれません)
しかし、いくらジャケットとスカートに分かれたとはいえ、
それはやはりひと続きのつながりがあるもの、
つまり上下が同じ生地によって作られるスーツでした。
トップスとボトムスに全く違うものをあわせるようになったのは、
せいぜい100年あたりの、ごく最近のことです。
上と下はつながっている、
または分かれていたとしても同じ生地で作られるべきものというのが、
西洋の衣服の暗黙のルールです。
例えば、日本の着物は上下がつながっている、いわばドレスです。
それを上下、別々にすることもできますが、
そこで上と下、違う生地を持ってきたとしたら、
それは既に着物ではなくなるでしょう。
上と下を別にしてしまったら、
着物の体をなさなくなります。
着物にとって、つながっているということは重要です。
それと同じことが、西洋の衣服についても言えます。
西洋の衣服においての、このつながっていることの重要性は、
現代のスタイルでも多く見られます。
格が高く、オーソドックスなスタイルは今でもなお、
ドレス、またはスーツです。
その点から考えると、
ジャンプスーツは、それが連想させるものが作業着としての「つなぎ」であったとしても、
「つながっている」という条件を満たしているからには、
格が高いものの仲間であると考えられます。
素材、パターンを洗練させたならば、
それはドレスに匹敵するほどのスタイルとして認められるでしょう。
ジャンプスーツはドレスより活動的であるにもかかわらず、
つながっているという条件は満たしているので、
ドレスと同じだけの格があり、
十分におしゃれなアイテムです。
同じ素材のジャケットを上から羽織るならば、
そのまま正式な場へ出席できます。
これを利用しない手はありません。
ただし、誰もが思い浮かぶジャンプスーツの欠点があります。
それはトイレでの問題です。
トイレに行って、あれをいちいち上から脱ぐのかと考えると、
着ていく場所は選ばざるを得ません。
その点さえ解消できるならば、
ジャンプスーツはこれからの時代、より利用されるようになるでしょう。
暗黙のルールである、「つながっている」ことは、
いまだ至るところで散見されます。
例えば、帽子とコート、
コートとバッグ、
バッグと靴、
コートと靴など、
同じ素材、同じ柄を持ってくるテクニックは、
ハイブランドでよく見られます。
それらいちいち、はい、これは同じ素材で作られていますよなどと、
説明されることはありませんが、
そうすることによって、彼らは自分たちのスタイルの格を上げるのです。
誰も言葉にはしないけれども、
ひそかに守り続けられているルール。
これを取り入れるだけで、
平凡なスタイルが、非凡なものになります。
ジャンプスーツはそれの1つの例に過ぎません。
それに気がついたなら、
私たちは自分自身で、「つながっている」ことを作ればいいのです。
帽子と靴でも、
コートと帽子でも、
靴とストールでも、
つながりを取り入れます。
そのとき、今まで無自覚だったものが、
初めて意味を持ち始めます。
意味がないと思っていたものは、
実は意味があったと知ります。
おしゃれであるということは、
無自覚でなされる選択からの卒業です。
ひとつひとつの選択に意味を与えること。
そこに必要なのは意図することです。
意図があるということが、
おしゃれについて考えている人と、
そうでない人との違いなのです。
★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。
2015年3月15日日曜日
2015年3月1日日曜日
70年代リバイバル
ファッションの流行は、
周期的にどこかの時代のスタイルを再び蘇らせ、
進化させることにより、
らせん状に発展していきます。
リバイバルはそのほとんどが、
多くの人が忘れたころにやってきます。
2010年代に1970年代がリバイバルされるということは、
およそ40年ぶりということでしょうか。
多くの人がそのスタイルを忘却するのに必要な時間は、
十分にありました。
70年代の特徴はいくつかあります。
若者の普段着であったデニムを使ったアイテムの一般化、
作業着のモードへの昇華、
ヒッピーやボヘミアンスタイル、
そしてエスニックです。
そのどれもがいわゆる「中心」から外れた周縁、または辺境の存在。
社会的に認められていなかった、といってもそれは欧米での話ですが、
若者、
労働者、現在はロマと呼ばれるジプシー、
社会の規範へ反抗するヒッピー、
欧米以外の文化圏の人々などです。
ファッションは、その中心と周辺を入れ替えたかのように、
外側からの影響で内部が埋め尽くされたのでした。
それまで価値を認められていなかったもの、
切り捨てられていたものの価値が、一気に上がったのです。
そうなる前には、例えば1968年のパリでの五月革命のように、
学生運動が世界中に広がり、
新しい世代が新しい価値観を持ってあらわれてきたという事実がありました。
常に新しい流れを取り入れるファッションが、
このような社会的な流れに影響を受けるのは当然です。
また、1970年には日本の高田賢三がパリにショップをオープンし、
欧米以外の文化圏の影響を受けた、大胆な色遣い、柄と柄の組み合わせなど、
若く、しかも「欧米ではない」という価値観を示しました。
(注:この時代、東欧の文化も、
イギリス、フランスなど西ヨーロッパの国から見ると、
異国情緒のある文化でした。ボヘミアンスタイルなどは、東欧の影響を受けたスタイルです)
これら、「中心」以外の存在のパワーが中心を凌駕した結果生まれたのが
70年代のスタイルです。
スタイルの特徴としては、
ベルボトムやパンタロンなど、裾広がりのパンツ、
素材としてスエード、ヴェルヴェット、デニム、
細部の装飾としてフリンジ、フリル、
ロングスカート、
パッチワーク、
フリンジ、
刺繍、
ひもやマクラメ使い、
月の女神ダイアナ風サンダル、
などです。
2010年代、70年代がリバイバルされていますが、
もちろんこれは1970年代のものそのままではなく、
アップデートされています。
パンタロンのシルエット、
サボという原型、
スエードという素材はそのままに、
それぞれがかつてのそれより、
より手の込んだ、より洗練された、
若者ではなく大人にふさわしいものになっています。
ただ労働者のジーンズを着るのでも、
ただ東欧にいた女性たちがはいていた、
あのロングスカートを借りてきてはくのではなく、
それぞれの足りないところを補い、
モードと呼ぶのにふさわしい豪華な素材、
繊細な手仕事を施すことにより、
雰囲気は70年代のままに、
全くの別物に仕上がりました。
では、なぜ今70年代なのでしょうか。
若者、そして異質な文化という性質を、
なぜ今の時代、再現しなければならないのでしょうか。
それは今の時代の流れの終わりが見え始めたからではないかと、
私は考えます。
文化の黄昏の時代、
発展が行き止まり、これ以上の先が見えなくなったとき、
私たちに必要なのは「若さ」です。
それは年齢の若さではなく、
精神の若さ。
新しいことにチャレンジし、
どんな変化にも対応できるしなやかさ、
そして何よりも未来を夢見る力、
そんな「若さ」の持つ力を、
私たちは再び欲します。
そして異質な文化を取り入れるのは、
あたかも輸血するかのように、
違う血を入れることによって、
自分たちの文化を若返らせようとする、
無意識のあらわれです。
では、2010年代を生きる大人の私たちは、
この70年代リバイバルをどのように取り入れたらいいのでしょうか。
まずは、大人にふさわしいものを選ぶこと。
二十歳前後の子たちと同じような、
単純なそのものの70年代スタイルはあえて避け、
生地なり、細部なりがアップデートされたものを選びます。
古着屋で手に入れたような、本物の70年代のものよりも、
今にふさわしいスタイルに改善され、
そこはかとなく70年代を感じるぐらいのものにおさえたほうが、
現在持っているワードローブに取り入れやすいですし、
何より違和感なく着ることができると思います。
そして最も大事なのは、精神的な若さです。
かたくなで、変化を嫌い、
好奇心のかけらもなく、
何事にもチャレンジしない態度は、
決して若いとは言えません。
新しいものを取り入れ、
知らないことを知ろうとし、
上からものを言うのではなく、
何かを学ぼうとする姿勢があってこそ、
70年代スタイルは生きてきます。
さらに、異質な文化への好奇心と理解。
異質なものを排除する心は、
70年代の若者たちが最も嫌ったものでしょう。
もし彼らが「日本」という異質な文化を持つ国から来たものを排除したならば、
海を渡った日本のケンゾーはパリで成功しなかったはず。
パリが異質な文化を背景に持つケンゾーを受け入れたように、
ファッションを愛する人々は、
異質な文化にみずから近付き、
理解し、受け入れなければなりません。
それは、ファッションの1つのエレメントです。
ファッションはいつの時代も、
異質な文化を取り入れて発展してきました。
それは昔も今も、そしてこれからも変わりありません。
70年代スタイルとは、いわばそのシンボル的なスタイルです。
おしゃれであるとは、
精神が若いこと、
そして、異なるものや人への好奇心を持ち続けることです。
その2つがあるならば、
70年代スタイルを着こなすのは、
いとも簡単であるはずに違いありません。
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周期的にどこかの時代のスタイルを再び蘇らせ、
進化させることにより、
らせん状に発展していきます。
リバイバルはそのほとんどが、
多くの人が忘れたころにやってきます。
2010年代に1970年代がリバイバルされるということは、
およそ40年ぶりということでしょうか。
多くの人がそのスタイルを忘却するのに必要な時間は、
十分にありました。
70年代の特徴はいくつかあります。
若者の普段着であったデニムを使ったアイテムの一般化、
作業着のモードへの昇華、
ヒッピーやボヘミアンスタイル、
そしてエスニックです。
そのどれもがいわゆる「中心」から外れた周縁、または辺境の存在。
社会的に認められていなかった、といってもそれは欧米での話ですが、
若者、
労働者、現在はロマと呼ばれるジプシー、
社会の規範へ反抗するヒッピー、
欧米以外の文化圏の人々などです。
ファッションは、その中心と周辺を入れ替えたかのように、
外側からの影響で内部が埋め尽くされたのでした。
それまで価値を認められていなかったもの、
切り捨てられていたものの価値が、一気に上がったのです。
そうなる前には、例えば1968年のパリでの五月革命のように、
学生運動が世界中に広がり、
新しい世代が新しい価値観を持ってあらわれてきたという事実がありました。
常に新しい流れを取り入れるファッションが、
このような社会的な流れに影響を受けるのは当然です。
また、1970年には日本の高田賢三がパリにショップをオープンし、
欧米以外の文化圏の影響を受けた、大胆な色遣い、柄と柄の組み合わせなど、
若く、しかも「欧米ではない」という価値観を示しました。
(注:この時代、東欧の文化も、
イギリス、フランスなど西ヨーロッパの国から見ると、
異国情緒のある文化でした。ボヘミアンスタイルなどは、東欧の影響を受けたスタイルです)
これら、「中心」以外の存在のパワーが中心を凌駕した結果生まれたのが
70年代のスタイルです。
スタイルの特徴としては、
ベルボトムやパンタロンなど、裾広がりのパンツ、
素材としてスエード、ヴェルヴェット、デニム、
細部の装飾としてフリンジ、フリル、
ロングスカート、
パッチワーク、
フリンジ、
刺繍、
ひもやマクラメ使い、
月の女神ダイアナ風サンダル、
などです。
2010年代、70年代がリバイバルされていますが、
もちろんこれは1970年代のものそのままではなく、
アップデートされています。
パンタロンのシルエット、
サボという原型、
スエードという素材はそのままに、
それぞれがかつてのそれより、
より手の込んだ、より洗練された、
若者ではなく大人にふさわしいものになっています。
ただ労働者のジーンズを着るのでも、
ただ東欧にいた女性たちがはいていた、
あのロングスカートを借りてきてはくのではなく、
それぞれの足りないところを補い、
モードと呼ぶのにふさわしい豪華な素材、
繊細な手仕事を施すことにより、
雰囲気は70年代のままに、
全くの別物に仕上がりました。
では、なぜ今70年代なのでしょうか。
若者、そして異質な文化という性質を、
なぜ今の時代、再現しなければならないのでしょうか。
それは今の時代の流れの終わりが見え始めたからではないかと、
私は考えます。
文化の黄昏の時代、
発展が行き止まり、これ以上の先が見えなくなったとき、
私たちに必要なのは「若さ」です。
それは年齢の若さではなく、
精神の若さ。
新しいことにチャレンジし、
どんな変化にも対応できるしなやかさ、
そして何よりも未来を夢見る力、
そんな「若さ」の持つ力を、
私たちは再び欲します。
そして異質な文化を取り入れるのは、
あたかも輸血するかのように、
違う血を入れることによって、
自分たちの文化を若返らせようとする、
無意識のあらわれです。
では、2010年代を生きる大人の私たちは、
この70年代リバイバルをどのように取り入れたらいいのでしょうか。
まずは、大人にふさわしいものを選ぶこと。
二十歳前後の子たちと同じような、
単純なそのものの70年代スタイルはあえて避け、
生地なり、細部なりがアップデートされたものを選びます。
古着屋で手に入れたような、本物の70年代のものよりも、
今にふさわしいスタイルに改善され、
そこはかとなく70年代を感じるぐらいのものにおさえたほうが、
現在持っているワードローブに取り入れやすいですし、
何より違和感なく着ることができると思います。
そして最も大事なのは、精神的な若さです。
かたくなで、変化を嫌い、
好奇心のかけらもなく、
何事にもチャレンジしない態度は、
決して若いとは言えません。
新しいものを取り入れ、
知らないことを知ろうとし、
上からものを言うのではなく、
何かを学ぼうとする姿勢があってこそ、
70年代スタイルは生きてきます。
さらに、異質な文化への好奇心と理解。
異質なものを排除する心は、
70年代の若者たちが最も嫌ったものでしょう。
もし彼らが「日本」という異質な文化を持つ国から来たものを排除したならば、
海を渡った日本のケンゾーはパリで成功しなかったはず。
パリが異質な文化を背景に持つケンゾーを受け入れたように、
ファッションを愛する人々は、
異質な文化にみずから近付き、
理解し、受け入れなければなりません。
それは、ファッションの1つのエレメントです。
ファッションはいつの時代も、
異質な文化を取り入れて発展してきました。
それは昔も今も、そしてこれからも変わりありません。
70年代スタイルとは、いわばそのシンボル的なスタイルです。
おしゃれであるとは、
精神が若いこと、
そして、異なるものや人への好奇心を持ち続けることです。
その2つがあるならば、
70年代スタイルを着こなすのは、
いとも簡単であるはずに違いありません。
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