2012年1月30日月曜日
完璧だからって、おしゃれに見えるわけではない
それは寒い冬の平日の昼下がり。
小田急江ノ島線の上り電車で見かけた方です。
年のころは50代後半といったところでしょうか。
黒カシミアの大判ストールに、紺色の、これもカシミアのダブルブレストのコート。
前を開けているので中に何を着ているかわかります。
黒いサージのタイトスカートに、黒カシミアのタートルネック。
大粒のパールのネックレス、ピアス、そして、これもまた大粒のパールの指輪。
鞄はエルメスの黒いバーキン。
足もとは、黒いシアーのストッキングに、黒のマノロ・ブラニクのピンヒールのパンプス。
腕時計はRADOのクポール・ジュビリー。
頭にヘアバンドのようにかけている眼鏡はグッチ。
ざっとこんな感じです。
コート以外はすべて黒。スカートを除いてはすべてカシミア。
どこに行っても恥ずかしくない、完璧なルックスです。
完璧なルックスですが、別にそれがおしゃれに見えるというわけではございません。
なぜか。
そこには、その人らしさやキャラクターを表現するものが、1つも入っていないからです。
例えば、映画を作るとして、監督が衣装デザイナーやスタイリストに女社長の役の人の衣装を用意するように言ったとしましょう。
もし、その女社長が単なる端役で、セリフもないような役でしたら、その衣装でOKです。
けれども、もしそれが主役の女社長の衣装だとしたら、それではだめです。
なぜなら、それではその主役のキャラクターが全く表現されていないからです。
確かに、これだけ身につければ、とある女社長である、ということはわかります。
けれども、その役のキャラクター、例えば、どんなところに住んでいて、何が好きで、どんな仕事で、趣味は何で、どんな性格か、その衣装からは何も伝わってきません。
前出の方がもしどこかに自分の服とアクセサリー、バッグ、靴を並べておいておいたとしても、他人からは、あ、それは誰それさんのね、ということは判断できないでしょう。
その服装がこちらに伝えてくるのは、ある程度お金のある、きちんとした身なりをした女性というだけで、それ以外のものは、その身につけているもののブランド名を除いては、何もないからです。
その証拠に、今、私はその方のバッグの大きさや金色の金具の光具合は思い出せますが、その方の顔は全く思い出せません。
その方が私に伝えてきたのは、持っているもののブランド名ばかりで、その人自身のキャラクターではないからです。
おしゃれの目利きたちは、こういう格好の人のことを、おしゃれだわ、とは見ないのです。
(もちろん、この方も、おしゃれに見せようなんて思ってないかもしれませんが)
では、どうしたらよいでしょうか。
それは自分らしさを表現するものを何か付け加えることです。
誰もが見て、あ、これって、誰それさんだよねとわかるものを身につけるのです。
それは別にブランド物である必要など、まったくありません。
かえって、それは邪魔になります。
またそれはアクセサリーかもしれませんし、色あいかもしれません。
いろいろな可能性が考えられます。
例えば、私が見たこの方が自分らしさを表現するために何を付け加えたらいいかアドバイスされたとしたら、こんなふうに提案します。
まあ、これだけいろいろブランド物をそろえる財力がおありでしたら、
(それでもこの年代の和服の奥様に比べたら、全然大したことありません)
コートをオーダーメイドにして、裏地を自分の好きなものにしてみる。
それこそ、ひょう柄が好きならひょう柄に、または自分の好きなストライプや花柄など、何でも、これはほかにないね、というような組み合わせにする。
バーキンにその人らしいチャームをつける。それはお孫さんからいただいた、きらきらのキティちゃんかもしれないし、若いアーティストの手作りの花のコサージュかもしれない。
仕事では邪魔になると言うのなら、仕事の場になったら、それは取り外す。
腕時計と一緒にお守りのようなブレスを重ねづけする。それは全体のバランスを崩す、わざとラフなもの。(間違っても、パワーストーンの数珠ブレスはだめです)。
どこでもありそうなパールの指輪をやめて、世界に1つしかない、デザインされた大ぶりの石のついた指輪にする。
などなど、こんな感じです。
とにかくそれは、自分の思い入れのあるものでなければなりません。
なくしてしまったら、同じのが売ってるから買えばいいわ、というような品物では、それがいくら高価なものだとしても、だめなのです。
あなたのかわりはほかにはいません。
セリフのない女社長Aみたいな服装をする必要なんて、まったくありません。
だって、すべてこの世は舞台で、みな主人公だからです。
それに必要なのはお金ではありません。
工夫と、それを実現する努力と、そして自分のことが大好き、という気持ちだけです。
自分のことが大好きだったら、自分らしいものは何か、きっとわかるはずです。
おしゃれな人とは、それを表現している人のことなのです。
ラベル:
おしゃれチップス
2012年1月23日月曜日
アニマル
去年のプラダのコレクションだったでしょうか。パイソン、つまり蛇プリントのドレスというのがありました。そこら辺から、少しずつアニマルプリントが復活してきています。
このアニマルプリント、完全になくなるということはありませんが、何年かおきに、必ず復活して、種類や幅を広げています。今までトラ、ゼブラ、ダルメシアン、牛なんてあったと思いますが、パイソン柄のドレスはなかったのではないかなと思います。
ここで、ちょっと話はずれるのですが、どうして今年の流行はこれ、となったら、ショップに一斉にその色や柄のものが売り出されるか、その仕組みを簡単にお伝えしましょう。
メーカーやブランドが洋服を作る場合、もちろんまず生地が必要です。
しかしこの生地ですが、すべてオリジナルというメーカーやブランドは少数派です。
すべて100パーセントオリジナルとなると、ほとんどないのではないでしょうか。
そうなると、メーカーもまず生地屋さんから生地を買うわけです。
生地屋さんの営業さんが、デザイナーやMDに生地を売り込みに来て、この柄をこの色でとか、この生地をこの色で何反とか発注します。
では、生地屋さんはどうやってその生地の色やデザインを決めているのでしょうか。
もちろん生地屋にもデザイナーはいますから、そのデザイナーが考えるわけですが、そういった人たちが大いに参考にしているのが、各種プラン会社から出されるトレンドブックなのです。
何社かありますが、有名なのは、たとえばフランスのプルミエール・ヴィジョン。そういった会社が、ずっと先の年のトレンドカラー、イメージ、柄など、細かく提案されたブックを販売しています。そして、それを参考にして生地が作られていきます。
つまり、生地屋さんのネタ本があって、それをもとに生地を作る、メーカーが買う、それで洋服を作るという流れになります。
そうすると何が起こるか。オリジナルで生地を作るブランドを除いては、皆、生地屋さんで布を仕入れるわけですから、あちらのブランドも、こちらのブランドも似た色、似た柄、似た織りになっていきます。
これが、ある年、どのショップに行っても同じような色、柄のものが並ぶ理由なのです。
こうやって流行は、あるところから仕掛けられるわけですが、最近、みんながそれに安易に乗るという感じではなくなってきました。いくらトレンド発信会社があおっても、乗らないものは乗らない、乗らなくてもほかにいくらでも選択肢のあるというのが今の時代です。
さて、たぶん、そんなトレンド発信会社が何年かに1度、アニマルプリントをトレンドとして発信するのでしょう。去年ぐらいから、また多く見られるようになりました。
では、このアニマルプリント、どうやって取り入れたらおしゃれに見えるでしょうか。
アニマルで有名なのは、大阪のおばさまたちでございますが、もちろんあの方向では、決して素敵には見えません。何がいけないのかというと、その分量なのです。
アニマルが全体の7割、9割で、それでも素敵に見えるというのは、とてもまれなこと。
だいたい普通の人がやると失敗します。
ここら辺、同じ柄でも、花柄とは大きく違います。
つまり、リバティプリントの花柄のワンピースは素敵で可憐に見えても、ひょう柄のワンピースは、そうはいかないということです。
それはなぜうまくいかないかというと、花とひょうでは、想起させるものが違うからです。
意味が違うのです。
単なる色とパターンの組み合わせではなく、意味を持っているのです。
トラ、ひょう、蛇、そんなアニマルたちを見て私たちが思い出すのは何でしょう?
そう、あの彼らの食事の風景。
本当の意味で肉食です。
だから、そういったプリントを身につけると、あなたはそれを見る人に、肉食メッセージを伝えてしまいます。
ファッションは、1つの情報です。
そんな肉食に見せないためには、使う分量をうんと少なくすることです。
例えば、全体の中でベルトだけ、バッグだけ、手袋だけ、スカーフだけ。シャツだったら、上着を着て見える分量を少なくする。
こんなふうに少なく使う分には、ちょっとそれだけで上級のおしゃれに見えます。
料理に入れるスパイスと同じで、ほんの少し、最後の仕上げに付け足す感じです。
いくらあなたが肉食系だとしても、それを全面に押し出すなんて、野暮なこと。
見せればいいってもんじゃ、ありません。
見せれば見せるだけ野暮になる、品がなくなる。
これはもちろん、アニマルプリントに限ったことではありません。
どんなものでも見せ過ぎは、欲望の対象にはなるでしょうが、憧れの対象にはならないのです。
☆写真はうちのアニマルでした~。(猫柄プリントってないね)
ラベル:
おしゃれチップス
2012年1月16日月曜日
若さって、色かも
お正月、道行く人々がどんな服を着ているのか、ずっとながめていました。
今年は、上着としてのダウンが大流行で、本当に老若男女、皆、ダウン、ダウン、ダウンジャケット、またはコートですね。
お正月でダウンですから、服のカジュアル化は一層進んでいます。
また、その色も黒、グレーが圧倒的に多い。続いてベージュ、シルバーなど。
まだまだ大人用のダウンの色展開は豊富とは言えませんから、どうしても同じような色になってしまいます。また、ダウンジャケット特有の縫い目も、それほど違いがありませんから、今年の冬は、男女の差、年齢の差が、著しく縮まった年ではないかと思います。
そんな中、はっとさせられるのは、子供、または20代そこそこの若い方たちの、ぱっと目を引く明るい色。真っ白いコートだったり、ピンクのマフラーだったり、自由に明るい色を取り入れているのは、やはり若い方たちです。
そうでなくても、若いまぶしさがあるのに、その上、発光するような色のものを着るわけですから、より一層、「若さ」が目立ちます。
若いということは、色なのだ、とつくづく思います。
一方で、これは80年代、黒一色のブームがきてからだと思いますが、大人たちの着る色は、どれも暗いものばかり。これにはいろいろな理由があると思います。無難だから、これしか売ってなかったから、そして最後に、おしゃれそうに見えるから。
「おしゃれそうに見えるから」というのは、確かにそうなのです。
先日、VOGUEの写真ばかりを並べた、タンブラーのサイトを端から見ていったのですが、シックや、洗練と言われるコーディネイトは、本当にダークな色合いが多いです。
しかも、それが例えば黒一色、黒と白、黒とベージュなど、極端に少ない色で構成されています。以前、「3色ルール」という題で記事を書きましたが、洋服のコーディネイトで美しいとされるのは、ぎりぎりまでストイックに色を絞った装いであるらしいのです。
もちろん、そうでない場合もあります。
しかしそれらは、例えばエスニック(最近はトライブとも言います)であったり、ポップであったりと、決して主流ではありません。
ここら辺、昔は色彩豊かな着ものを着ていた、エスニックの側にいる日本人にとって、なかなか習得することが難しい点かもしれません。
それでもやはり、若さを表現したかったら、色だなと思います。
残念ながら、もう既に若くない人が黒一色の格好をしてみたところ、若さやはつらつさは感じられません。
では、どのようにしたら、シックで洗練されて、色を取り入れることができるでしょうか。
これはずばり、色数を絞ること、そして、派手な色合いの割合を9割程度、多くても8割ぐらいに抑えることでしょう。
全身黒にしたならば、その1割のスカーフやバッグをベージュピンクにするなど。
取り入れる若々しい色を主役と考えて、残りの部分を背景にします。
主役は舞台に1人でいいわけですから、決して増やしてはいけません。
たくさん色を混ぜてしまうと、とっちらかった感じがして、おしゃれには見えません。
間違っても、黒いニットだからといって、サイケプリントのパンツなど、はかないように。
若い人と違って、いい年の大人がこれをやると、シック、おしゃれをずっと通り越して、単なる下品です。
いろいろな色を、似合おうが、似合うまいが、色の組み合わせがめちゃめちゃだろうが、それが許されるのが若いということ。それを無視した大人は、今風に言えば、若い者と競って若づくりしようとしている「痛い」大人です。
色を味方につけたなら、おしゃれに見えることは確実です。
しかし、それを敵に回したら、あなたの品が疑われます。
派手な色をどんどん上へ重ねて集めていくやり方は欲望の表現です。
行き過ぎた欲望は、いつでも下品です。
品のいい大人は、少ない色で満足できるということを知っているはずです。
☆写真は、派手な色のものをシックに見せる好例。靴やタイツまで同系色にして、さし色の割合を少なく、全体を2色にまとめています。この色の割合がポイントです。
2012年1月9日月曜日
進化するフェアトレードとオーガニック
2012年という年が明けました。
ごくごく一部では、2012年に世界が終わる、というような終末論もあるようですが、
それでも間違いなく、人類は地球最後の日まで、何か衣服を身につけていることでしょう。
素っ裸ということはないはずです。
さて、昨年はどなたにとっても、何かと考えることが多かった年ではなかったかと思います。
私が最も考えたのはやはり、私がアパレル業界で働き始めたころからずっと疑問だった、
「誰かの不幸によって立つ「幸せ」とは何なのだろう」ということでした。
自分以外の誰かに不幸や苦痛を背負わせて、それでもなお人は幸せになれるのだろうか、という疑問です。
アパレル業界において、フェアであるとか、オーガニックという意識は、たとえば食べ物などに比べたら、ずっと遅くまで重要視されていなかったと思います。
少なくとも、私が働いていた頃は、誰もそのようなことを口にする者はいませんでした。
また疑問を感じたとしても、今のようにインターネットもない時代、確かめるには生産の現場へ行くしかなく、その時間、財力、勇気を持ち合わせている人間は、アパレル業界には皆無といっていいほどでした。
そんな中、サフィアさんというイギリス人が「ピープル・ツリー」というフェアトレードかつ、オーガニックを掲げた会社を立ち上げました。ちょうど20年前のことです。
設立してから何年かたって、新聞などでその存在はちらっと紹介されて、興味深く読んではいましたが、それ以上の情報は乏しく、実物に触れることもありませんでした。
私もちょうどアパレル業界にいたころで、ほとんど休みもなく、あってもただ寝ていただけなので、わざわざ実物を見に行くこともありませんでした。
そのころ、アパレル業界の間で、フェアであるとか、オーガニックという意識を持つ人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。
なぜなら、彼らのやっていることが、まったく「フェア」ではなかったからです。
会社から家賃40万円のマンションを支給され、お昼過ぎに高級外車で表参道の会社までやって来るデザイナーは、デザインのことを考えるだけのクリエイティビティはあったようですが、その彼らのクリエイティビティを実現するために、だれが、どんな状況下で、どんな労働を行っているかを想像する力を持ち合わせてはいませんでした。
安い賃金で、残業代も出ず、遅くまで働いている、その「デザイナー」以外のスタッフたちに、某商社の男性社員が、アルマーニのスーツに身を包み、腕からはブルガリの時計をのぞかせて、四谷の「わかば」のたい焼きの差し入れで、サービス残業している私たちをごまかそうとしている、その薄い笑顔を、私は今でも覚えています。
(そのとき、私はそのたい焼きを食べませんでした。まあ、別に好きでないっていうのもあったんですけど・・・)
それでもまだ私たちはましなほうだったのかもしれません。
無理やりに納期を迫られる工場さんや、明日までとせかされるプレス屋さんなど、
同じように、いえ、それ以上に大変な目にあっていた人たちがいたと思います。
(その中には福島の須賀川の工場さんもありました)
そういう人たちに支えられながらできる、経済的な豊かさを享受する、ある一部の人たちは、それで本当に幸せになれるのだろうか。服を作るデザイナーって、人を幸福にしているのだろうか、というのが当時からずっと疑問に思っていたことでした。
その同じ時代に設立された「ピープル・ツリー」は見事な進化を遂げて、まだまだ成長を続けています。
当初、どうしてもエスニックテイストに傾きがちだったデザインは洗練されたものに改良されました。同時に「ピープル・ツリー」においては、国内外の有名デザイナーを採用。それらの洗練されたデザインのウエアは、気がつくとソールドアウトになっているほどの人気です。
それだけでなく、「ピープル・ツリー」では女優のエマ・ワトソンも賛同し、ティーンズ向けのウエア作りに参加しています。
また、どうしても高い値段がネックだったオーガニックコットンも、最近は値段がこなれてきて、安いものを2枚買うところを1枚にすれば十分、手が届く値段設定になりました。
綿に使われる農薬は、世界の農薬使用量のほとんどを占めています。いまだにオーガニックコットンの生産量は全体から見たら少量ですが、消費者が選べば、それを増やすことも可能です。
「ピープル・ツリー」が生まれたころは、その存在はまったく目立たない存在でしたが、今では路面店も持ち、普通の人にも知られるようになり、なおかつまだ発展途上にあります。
これはすごいことです。
だって、ちょっと周りを見てください。デザイナービジネスで20年続く会社は、ほとんど日本にはないのです。
ある会社は倒産し、あるデザイナーは荒れた生活の末、50代の若さで他界したと聞きました。
かろうじて名前が残っているブランドでも、前ほどの勢いがあるところなど、ありません。
ただ、最近の潮流は明らかに変わってきています。
ここ10年ぐらい、オーガニックな素材を使って製品を作る若いデザイナーが増えてきましたし、また小規模ではあるものの、チベット民族とのフェアトレードで、ラグジュアリーなウエアを生産しているブランドも出てきました。
もちろんオーガニックコットンのウエアを販売している会社もあります。
それらはファストファッションを作る会社と比べたら、確かに規模は小さいです。しかし、規模が小さいからといって、続かないというわけではないのです。同様に大企業がずっと成長し続けるなど、あり得ないのです。もうそんな神話にはだまされません。
与えたものは返ってくる、と言われています。
インドでは、これをカルマと呼びます。
あなたが与えたものが苦痛であれば、もっと大きい苦痛となって戻ってくるでしょう。
それは、いいとか、悪いの問題ではありません。
ただ単に、そうだ、というだけです。
私がずっと長年持ち続けていた疑問も、最近、解消されました。
少し時間はかかりましたが、その人が与えたものは、その人のところへ返っていきました。
何を他人に与えるのか、気をつけましょう。
それは必ず返ってきてしまいますから。
そして、もしそれが返ってきてほしくないものだと気づいたなら、
今からでも遅くはありません。改めましょう。
そうすれば、あなたはそのカルマのループから抜け出すことができます。
☆「ピープル・ツリー」
☆「プロジェクトサスティナビリティー」オーガニックコットンやサスティナブル(持続可能)な製品作りをしているブランドを集めているサイト。日本のデザイナーも参加。
☆「プリスティン」お客様に紹介していただいたオーガニックコットンのインナーやウエアなど。こちらはオーガニックだけでなく、日本製です。
ごくごく一部では、2012年に世界が終わる、というような終末論もあるようですが、
それでも間違いなく、人類は地球最後の日まで、何か衣服を身につけていることでしょう。
素っ裸ということはないはずです。
さて、昨年はどなたにとっても、何かと考えることが多かった年ではなかったかと思います。
私が最も考えたのはやはり、私がアパレル業界で働き始めたころからずっと疑問だった、
「誰かの不幸によって立つ「幸せ」とは何なのだろう」ということでした。
自分以外の誰かに不幸や苦痛を背負わせて、それでもなお人は幸せになれるのだろうか、という疑問です。
アパレル業界において、フェアであるとか、オーガニックという意識は、たとえば食べ物などに比べたら、ずっと遅くまで重要視されていなかったと思います。
少なくとも、私が働いていた頃は、誰もそのようなことを口にする者はいませんでした。
また疑問を感じたとしても、今のようにインターネットもない時代、確かめるには生産の現場へ行くしかなく、その時間、財力、勇気を持ち合わせている人間は、アパレル業界には皆無といっていいほどでした。
そんな中、サフィアさんというイギリス人が「ピープル・ツリー」というフェアトレードかつ、オーガニックを掲げた会社を立ち上げました。ちょうど20年前のことです。
設立してから何年かたって、新聞などでその存在はちらっと紹介されて、興味深く読んではいましたが、それ以上の情報は乏しく、実物に触れることもありませんでした。
私もちょうどアパレル業界にいたころで、ほとんど休みもなく、あってもただ寝ていただけなので、わざわざ実物を見に行くこともありませんでした。
そのころ、アパレル業界の間で、フェアであるとか、オーガニックという意識を持つ人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。
なぜなら、彼らのやっていることが、まったく「フェア」ではなかったからです。
会社から家賃40万円のマンションを支給され、お昼過ぎに高級外車で表参道の会社までやって来るデザイナーは、デザインのことを考えるだけのクリエイティビティはあったようですが、その彼らのクリエイティビティを実現するために、だれが、どんな状況下で、どんな労働を行っているかを想像する力を持ち合わせてはいませんでした。
安い賃金で、残業代も出ず、遅くまで働いている、その「デザイナー」以外のスタッフたちに、某商社の男性社員が、アルマーニのスーツに身を包み、腕からはブルガリの時計をのぞかせて、四谷の「わかば」のたい焼きの差し入れで、サービス残業している私たちをごまかそうとしている、その薄い笑顔を、私は今でも覚えています。
(そのとき、私はそのたい焼きを食べませんでした。まあ、別に好きでないっていうのもあったんですけど・・・)
それでもまだ私たちはましなほうだったのかもしれません。
無理やりに納期を迫られる工場さんや、明日までとせかされるプレス屋さんなど、
同じように、いえ、それ以上に大変な目にあっていた人たちがいたと思います。
(その中には福島の須賀川の工場さんもありました)
そういう人たちに支えられながらできる、経済的な豊かさを享受する、ある一部の人たちは、それで本当に幸せになれるのだろうか。服を作るデザイナーって、人を幸福にしているのだろうか、というのが当時からずっと疑問に思っていたことでした。
その同じ時代に設立された「ピープル・ツリー」は見事な進化を遂げて、まだまだ成長を続けています。
当初、どうしてもエスニックテイストに傾きがちだったデザインは洗練されたものに改良されました。同時に「ピープル・ツリー」においては、国内外の有名デザイナーを採用。それらの洗練されたデザインのウエアは、気がつくとソールドアウトになっているほどの人気です。
それだけでなく、「ピープル・ツリー」では女優のエマ・ワトソンも賛同し、ティーンズ向けのウエア作りに参加しています。
また、どうしても高い値段がネックだったオーガニックコットンも、最近は値段がこなれてきて、安いものを2枚買うところを1枚にすれば十分、手が届く値段設定になりました。
綿に使われる農薬は、世界の農薬使用量のほとんどを占めています。いまだにオーガニックコットンの生産量は全体から見たら少量ですが、消費者が選べば、それを増やすことも可能です。
「ピープル・ツリー」が生まれたころは、その存在はまったく目立たない存在でしたが、今では路面店も持ち、普通の人にも知られるようになり、なおかつまだ発展途上にあります。
これはすごいことです。
だって、ちょっと周りを見てください。デザイナービジネスで20年続く会社は、ほとんど日本にはないのです。
ある会社は倒産し、あるデザイナーは荒れた生活の末、50代の若さで他界したと聞きました。
かろうじて名前が残っているブランドでも、前ほどの勢いがあるところなど、ありません。
ただ、最近の潮流は明らかに変わってきています。
ここ10年ぐらい、オーガニックな素材を使って製品を作る若いデザイナーが増えてきましたし、また小規模ではあるものの、チベット民族とのフェアトレードで、ラグジュアリーなウエアを生産しているブランドも出てきました。
もちろんオーガニックコットンのウエアを販売している会社もあります。
それらはファストファッションを作る会社と比べたら、確かに規模は小さいです。しかし、規模が小さいからといって、続かないというわけではないのです。同様に大企業がずっと成長し続けるなど、あり得ないのです。もうそんな神話にはだまされません。
与えたものは返ってくる、と言われています。
インドでは、これをカルマと呼びます。
あなたが与えたものが苦痛であれば、もっと大きい苦痛となって戻ってくるでしょう。
それは、いいとか、悪いの問題ではありません。
ただ単に、そうだ、というだけです。
私がずっと長年持ち続けていた疑問も、最近、解消されました。
少し時間はかかりましたが、その人が与えたものは、その人のところへ返っていきました。
何を他人に与えるのか、気をつけましょう。
それは必ず返ってきてしまいますから。
そして、もしそれが返ってきてほしくないものだと気づいたなら、
今からでも遅くはありません。改めましょう。
そうすれば、あなたはそのカルマのループから抜け出すことができます。
☆「ピープル・ツリー」
☆「プロジェクトサスティナビリティー」オーガニックコットンやサスティナブル(持続可能)な製品作りをしているブランドを集めているサイト。日本のデザイナーも参加。
☆「プリスティン」お客様に紹介していただいたオーガニックコットンのインナーやウエアなど。こちらはオーガニックだけでなく、日本製です。
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