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2021年9月28日火曜日

年を取ったら服は変わる?

 年を取るにつれて、着るものは変わっていくのでしょうか、それとも変わらないのでしょうか。

3パターン考えられます。

ほとんど変わらない人。
変わる部分と、変わらない部分とある人。
すべて変わる人。

まず、ほとんど変わらない人。

体型も、生活環境も、仕事も、自分の好みも変わらない場合、
着るものもほとんど変わらないということはあり得るでしょう。
もちろんそれでも、肉体は衰えていきます。
たとえば肌が敏感になったり、圧迫感を感じる服が苦手になったり。
そんな部分に関してはそれなりの対処が必要になってくるでしょう。

変わる部分と変わらない部分がある人。

体型も、生活環境も、仕事も変わったけれども、
好みが変わらない場合は、似たようなスタイルで、
今の自分に合ったものに変える必要が出てくるでしょう。
たとえば都会で生活していた人が田舎に引っ越した場合、
おのずと必要な服も変わってきます。また必要でなくなるものも出てきます。

最後、すべて変わる人。

体型も、生活環境も、仕事も、好みもすべて変わってしまったら、
ワードローブはほとんど取り換えなければならないかもしれません。
都会でハードに働いていた人が田舎に引っ越し、
仕事も変える。
家族が新しくできるかもしれませんし、または一人になるかもしれません。
不摂生な生活が改善され、スマートになり、
以前の服はすべてだぼだぼになって、着られなくなるかもしれません。
そうなったら、ワードローブのほとんどは取り換えることになるでしょう。

人生は変化の連続です。
私たちが見る景色は、時間とともに変わっていきます。
すべて同じで、時だけが過ぎていくということはありません。
自分は変わらないように思えても、
街の景色も、いつも出合う人の顔も、少しずつ変わります。
そのため、ほとんど変わらな人でさえ、多少の変化は余儀なくされます。

それとともに、私たちは常に変化させたいところを自分のうちに持っています。
成長という意味で、もしくは癒しという意味で、
どこかしら変えたいところを持ちながら、日々生活しています。
変化を促すソフトを内蔵している私たち。

そうであるならば、
ワードローブには常に変化する余裕を持たせておくことが大事です。
余裕とは、文字通り、余っているエリアです。

心も体もタンスも、軽ければ軽いほど、
変化に対応できます。
心と体とワードローブが重ければ重いほど、余裕がなければないほど、
変化には対応できません。

変化に対応できる人は若々しく見えるでしょう。
柔軟な身体を持つ猫のように、
柔らかく対応する人はそれだけで精神的に若いのです。
そうありたいならば、重たくならないように。

美しく進化するためにも、
軽い心と体、そしてワードローブを維持していきましょう。



 

2021年9月19日日曜日

服、靴、バッグが片付かない理由

 服や靴、バッグが片付かないという方がまだまだいらっしゃいます。
いろいろな片付け方法を試してみた。それでもまだ片付かないとおっしゃる皆さん。

では、服や靴、バッグが片付かない理由はなんでしょうか?

それはいろいろな意味において、服、靴、バッグがその人自身のコントロールする能力を超えたからです。

まず、収納の問題。
どういうところに住んでいるかによって、どれぐらい収納できるかが変わってきます。
狭い都会のマンションに住む人もいれば、田舎の広い一軒家に住む人もいます。

狭ければ狭いなりの収納スペースしかないでしょう。
そのスペースに収納できる量を超えたら、もうそれはコントロールできていないということです。
入らないものができたとき、それは片付かない理由となるでしょう。

次に、案外見落とされているなと思うのが、
人のコントロールできるものの量についてです。
たくさんのものを管理できる人は少数です。

多くのものを管理し、コントロールするにはその人のエネルギーと時間が必要です。
能力はあっても、時間がないなら、やはりそれは無理になります。
服、靴、バッグが多ければ多いほど、管理することは難しくなり、
難しくなればなるほど片付きません。

もちろん人によって、管理して、コントロールできる量は違います。
けれども、ほとんどの人は少ない量であればあるほど管理しやすくなり、
その結果、片付けも簡単になります。

片付かない理由は、その人の管理、コントロールできる以上の量の服、靴、バッグを所持しているからです。

場所、そして人の管理能力、これらは両方とも限界があります。
場所、時間、エネルギー、すべて有限で、無限にあるものではありません。

そしてこの有限を超えれば超えるほど、片づけることは難しくなっていきます。

好き、嫌いといった感情だけで所持する量を決めるのではなく、
場所、時間、エネルギーといった物理的な問題について、
客観的に判断する必要があります。

狭い収納スペースしかないところに住んでいて、片づける時間もないのなら、
それに見合った少ない量のものを持つしかありません。

最初に所持できる限度の量を決めて、その範囲内に常におさめていることが重要です。

感情と欲望が、もっともっととあなたを急き立てるかもしれません。
そんなあなたを肯定的にとらえる人たちもたくさんいます。
けれども、理性的にならないでいたら、最終的に困るのは自分自身です。

無限の欲望の言うことだけを聞いていたら、時間もお金もかかります。
片付かない状態が毎日のストレスの原因になります。
その眼に見えないストレスが日々重なって、あなたはなんとなく不調を感じるようになるでしょう。

まずは客観的かつ理性的に自分の状態を判断しましょう。
そしてどれぐらいまでなら自分が管理、コントロールできるか見極めて。
今がうまくいっていないのなら、それは持ちすぎているという証拠です。
どこまでなら自分が管理、コントロールできるかわからないのなら、
全体量を減らしつつ、自分ができる量がどこまでなのか見つけましょう。

それがどこなのかを知っているのは自分だけです。

自分の管理、コントロールできる量がわかり、
すっかり片付いた暁には、あなたは心底安堵することでしょう。

限界を超えてたくさん持つことは、幸せにはつながらない。
もっともっととあおった人たちの嘘が、あなたにもきっとわかる日が来るでしょう。

 




2021年9月3日金曜日

いいものを探す目

昔、テレビ番組のコーナーで、
文化服装学院の卒業生のタレントの方が、
街ゆく人をつかまえて「ファッションチェック」なるものをし、
あれやこれやだめだしするというものがありました。

あれは、いいところを見つけることよりも、
悪いところを抽出することにポイントが置かれた演出で、
チェックされた方たちもみな一様に「笑うしかない」様子でした。
内心は傷ついていらっしゃったのではないかと想像します。

そういう私も、
とある雑誌の取材を受けたとき、
「大人の女性のファッションのだめな点を教えてくれ」と言われました。
けれども私は、
「おしゃれはしてもしなくてもいいものだと考えているので、
おしゃれかどうかという点において、ダメ出しはしない。
それに私はいつもいいものを探しているので、
誰かのダメな点を見ようとはしていない」と答えました。

ほとんどのおしゃれについてよく知っている人、
あるいは勉強した人たちが探しているのは「いいもの」です。
観察する目的は「いいもの」を見つけることです。

そりゃあ、絶対に誰かのよくないところが目に入ることはない、
とは断言できません。
ストレッチのきいたパンツに下着のラインが出ていたら、
それは気になります。
けれども、あるとしたらその程度で、おしゃれかどうかは関係ありません。

世の中に、心から引きつけられるものはそう多くはありません。
その少ないものを探すためには、どうでもいいものを見ている余裕などないのです。
玉石混交の中から玉を見つけるために、いちいち拾った石について吟味している暇がないのと同じこと。
私たちが育てているのは、玉を素早く見つける目です。

その玉とは、ブランドのロゴではありません。
ロゴは単なる情報です。
私たちが探しているのは情報ではありません。
私たちが探しているのは心が動かされるという現象です。

画家の名前でその作品がいいものかどうか判断するのは素人です。
それでは贋作に騙されます。
贋作に騙されない目を持てば、どうでもいいものの前では素通りすることができます。

言えるのは、
おしゃれな人たちから変に思われるのかなんて気にしなくていいということ。
そして、
探すならいいものを。

いつでもいいものを見つめて。
いいものに意識を向けて。
そうすれば、いいものはこちらにやってきます。

まずは、いいものを見つめ続けてください。
日常の中で、いつもの場所で。