美術においてミニマリズムとは、
装飾や色彩などを最小限にし、説明することを排除、
シンプルな形、色のみで表現するスタイルのことです。
ファッションにおいても、このミニマリズムをならって、
デザインのミニマルを追求し、
装飾的な要素を省き、単色、もしくは2色程度で表現するデザイナーは過去にも、
ヘルムート・ラングやジル・サンダーなどがいました。
しかし、ここ最近出現し始めたファッション・ミニマリストとは、
デザイン、色彩のみならず、
その全体量、またライフスタイル全体を通してミニマルを追求する人々です。
彼らの特徴は、まず多くを持たないこと。
生活に必要な最小限の衣服、靴、バッグなどを厳選し、
それのみでスタイルを構築すること。
またその際に、単に量を減らすのではなく、
極力シンプルで、装飾のなされていないデザインを選び、
色数を絞ることです。
しかも同時にそれが、ファッショナブルに見えるよう工夫をこらします。
ファッショナブルかつ量的に最小限、デザイン的にシンプル。
それらが達成されて、初めて彼らはファッション・ミニマリストとなります。
なぜ彼らがこのような方法をとるのか。
理由はそれぞれありましょうが、大きく言えるのは、
着るもの、着ることに人生を邪魔されたくないためです。
多く持てば持つほど、手間と管理が煩雑になり、
多色になればなるほど、装飾的な要素がふえるほど、スタイリングの難易度は上がります。
そのことにより奪われるのはエネルギーと時間です。
彼らは、人の持っているエネルギーと時間を着るもの、着ることに奪われたくはないと考えます。
単に枚数を減らし、シンプルなものを身につけるのならば、
問題はそれほど難しくはありません。
けれども、それをファッションにまで昇華させるとなると、
ただ減らす以外の何かが要求されます。
それぞれの体型やライフスタイルは違いますから、
すべてのミニマリストが同じ衣服をそろえればいいというわけではありません。
減らす、そぎ落とすという作業が要求するのは、
その人がどう生きたいかという態度、
そして人生の目的です。
彼らのスタイルがファッショナブルに見えるのは、まさにそのためです。
人生を貫くスタイルがあるならば、
おのずと選ぶ服、靴、バッグは決まってくるでしょう。
誰かの視点でもなく、
何かのメンバーでもなく、
一人で熟考し、
試行錯誤を繰り返し、
たどりついた結論がスタイルに結び付きます。
それはある人にとっては、タートルネックのニットにタイトスカートかもしれないし、
またある人にとっては、 白いシャツにジーンズかもしれません。
多くのデザイナーが、実はミニマリストです。
白いシャツにジーンズの人、
シルクのシャツにゆったりしたパンツとスタンスミスの人、
同じシルエットのスーツの人など、
彼らをじっくり観察すると、いつあらわれても、とっかえひっかえスタイルを変えてくる
という人は少数派です。
なぜか。
彼らは、着ることに余計なエネルギーと時間を使いたくないからです。
彼らがエネルギーと時間を注ぎ込みたいのは、着ることではなく作ること。
誰かにそのバラエティや多量さを見せびらかすことではなく、
クリエイティビティを発揮するのが人生の目的だからです。
ファッション・ミニマリストになりたいのなら、
まず大事なのは、着ることが人生の目的ではないと知ることです。
服を着るために人生があるのでは、ありません。
人生の目的を遂行するためにファッションは存在します。
手段と目的を取り違えてはいけません。
人生の目的は何なのか。
その答えは、他人が与えてくれるものではありません。
それぞれ一人一人が考え、行動し、導き出されたものでしか、
そこにはたどりつけません。
しかし、そこにたどりついたのなら、ファッション・ミニマリストになるのは簡単です。
人生の目的がわかったなら、
それに必要な衣装も決まってきます。
物語には、まず主人公のテーマがあり、
その他の登場人物がいて、
シーンが決まり、
それに伴って、衣装が決定されます。
あくまでも最初に決まるのは、主人公のテーマです。
その主人公がテーマを生きるために邪魔なものは選ばれません。
そしてその主人公の性格がミニマリストならば、
最小限の衣服を選ぶでしょう。
「性格とは運命である」と言ったのは、ヘラクレイトスです。
人生の目的のためにミニマリストを選択するという性格が、
その人の運命を作ります。
スタイルが確立された人は、ファッショナブルです。
ミニマリストかつおしゃれに見えるためには、
人生の目的のために、自分のスタイルを確立することです。
最初は多くの人に理解されないかもしれません。
結果が出てきたころには、批判の矢面にさらされることもあるでしょう。
しかし、それが通り過ぎたころに、
誰もが感じるようになります。
その人はおしゃれであると。
最後の目的は何なのか。
決してそこから目をはなさず、ひたすら目指すのなら、
誰が何を言おうが、どうでもいいことです。
嫉妬しているだけの外野や観客は、到底そこまでやってきません。
人生の目的を見据え、
時間とエネルギーを注ぐ、ゆるぎないその姿を
人々は記憶にとどめるでしょう。
ファッションにわずらわされないファッショナブルな人たち、
それがファッション・ミニマリストです。
★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。
2015年9月16日水曜日
2015年9月2日水曜日
完璧ではないという完璧
グッチは、2015年の秋冬シーズンより、クリエイティブディレクターを、
それまで9年間務めてきたフリーダ・ジャンニーニから、
アクセサリー部門のデザイナーだったアレッサンドロ・ミケーレへと交代させました。
この交代劇はファッション業界で、かなり大きなニュースとして取り上げられ、
アレッサンドロがどのようなデザインでグッチを新しくするのか、
期待と疑義の眼でもって、注目されました。
これまでのフリーダのグッチの仕事を振り返ってみると、
どれもそのデザインが完璧である、ということに気づかされます。
前任のトム・フォードが作り上げた、やはり大人の女性の完璧なスタイルを、
色彩を加えることでよりセンシュアルに、
多くの花柄を取り入れることでロマンチックに、
シーズンごとに異なるテーマを投入し、
購買者にあきられることなく、すきのないグラマラスなスタイルを提案し続けてきました。
その頂点の姿は、ケイト・モスを起用したジャッキーというバッグのヴィデオに見られます。
(こちら)
誰もが憧れる現代のアイコン、ケイト・モス。
そのケイト・モスに最も似合うグラマラスなスタイル。
フリーダが作り上げた世界は、ファッションの、いえ、ファッション業界の求める完璧なスタイルでした。
ところが、グッチ社は、その完璧を作る才能を持ったデザイナーであるフリーダを解任します。
あれだけの完璧なスタイルの後に一体、何が続くのか。
わざわざ抜擢したアレッサンドロは、一体どんなデザインを持ってくるのか。
ショーの当日まで、多くの人があれやこれや想像したことでしょう。
さて、そんな渦中、発表されたスタイルは、今まで見たこともないような組み合わせに満ちた、
風変わりなものでした。
大きなウェリントンの黒ぶち眼鏡にドレス。
パンプスからはみ出るファー。
折り目の跡が残されたままのスーツ。
大きなハチの刺繍がついたバッグ。
人さし指から小指まではめられた、大きなフォー・ビジュ―の指輪。
トラッドのようでいてトラッドではなく、
モードというには、バランスが崩れている。
しかし、よく見ていくと、これらの組み合わせは、あえてアレッサンドロがねらっているものだ、
ということがわかってきます。
彼は、フリーダのような完璧をあえてずらすことによって、
新たな完璧を表現しているのです。
ファッションにはこれまでにも、
はずしのテクニックや、スタイルをミックスする手法など、
数々のバランスを崩すスタイリングのテクニックがありました。
しかし、ここへきて表現されたのは、
はずしでも、ミックスでもなく、
それらを含めての完璧なスタイルです。
つまり、今までの隙のない、モデルが似合う、ゴージャスで完璧なスタイルは、
もはや完璧ではないのです。
それは、完璧ゆえに完璧ではなくなったのです。
ファッションとして成立させるためには、
完璧にしてはいけない、
アレッサンドロの主張はそこにあります。
完璧に陥ったら、もはやそれはファッションではない。
完璧でないところに見出す新しいバランスやスタイリング。
今まで考えられなかったところ、
格好悪いとみなされていた、そのぎりぎりの線を、
あたかもコートの端ぎりぎりのラインにサーブを打ち込むように、
彼は見つけ、作りだし、提案します。
ニューヨークで行われた、2015秋冬のグッチのショーには、
これまでのみなれたグラマラスな有名モデルは一人も出てきませんでした。
スタイルこそよいかもしれませんが、
素朴な感じの、どこにでもいるような、若くういういしいモデルたちが、
ニューヨークの街角を歩いて、そのままショーの会場に入っていきます。
ストリートとショーの会場を区別する必要はない、
日常と非日常、同じレベルにおけるファッションは、
ファッション業界の完璧とは違う視点が必要だということが、
強く示唆されます。
さて、徐々にでしょうが、2015年以降、
この「完璧ではないという完璧」なスタイルは、
一般のあいだにも広まっていくことでしょう。
完全に行きわたるまでには、それこそ10年かかるかもしれませんが、
もはやこの流れは止められません。
いち早く取り入れるためには、
はずしのテクニック、テイストをミックスさせることなど、
総動員させ、その上で+αを考えます。
もちろんこのスタイルは上級者のためのものなので、
基本を理解していない人がやみくもにやる、めちゃくちゃなスタイルとは全く別物です。
常に考えなければなりません。
常に努力しなければなりません。
かかわっている限り、勉強し、進化させなければなりません。
教科書は、あるようで、ないのです。
+αは何なのか。
あえて言うならば、その人のオリジナリティです。
誰かのそれでもなく、
多くの人が持っているあれでもなく、
その人ならではのもの。
それが何もないのであれば、
ファッションは退屈です。
ファッションの難易度は上がっています。
わかりやすい完璧よりも、
答えのない完璧を目指すほうがずっと難しいです。
だけれども、本当に好きだったならば、
それは取り組むのも楽しい課題になるだろうと思います。
★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。
それまで9年間務めてきたフリーダ・ジャンニーニから、
アクセサリー部門のデザイナーだったアレッサンドロ・ミケーレへと交代させました。
この交代劇はファッション業界で、かなり大きなニュースとして取り上げられ、
アレッサンドロがどのようなデザインでグッチを新しくするのか、
期待と疑義の眼でもって、注目されました。
これまでのフリーダのグッチの仕事を振り返ってみると、
どれもそのデザインが完璧である、ということに気づかされます。
前任のトム・フォードが作り上げた、やはり大人の女性の完璧なスタイルを、
色彩を加えることでよりセンシュアルに、
多くの花柄を取り入れることでロマンチックに、
シーズンごとに異なるテーマを投入し、
購買者にあきられることなく、すきのないグラマラスなスタイルを提案し続けてきました。
その頂点の姿は、ケイト・モスを起用したジャッキーというバッグのヴィデオに見られます。
(こちら)
誰もが憧れる現代のアイコン、ケイト・モス。
そのケイト・モスに最も似合うグラマラスなスタイル。
フリーダが作り上げた世界は、ファッションの、いえ、ファッション業界の求める完璧なスタイルでした。
ところが、グッチ社は、その完璧を作る才能を持ったデザイナーであるフリーダを解任します。
あれだけの完璧なスタイルの後に一体、何が続くのか。
わざわざ抜擢したアレッサンドロは、一体どんなデザインを持ってくるのか。
ショーの当日まで、多くの人があれやこれや想像したことでしょう。
さて、そんな渦中、発表されたスタイルは、今まで見たこともないような組み合わせに満ちた、
風変わりなものでした。
大きなウェリントンの黒ぶち眼鏡にドレス。
パンプスからはみ出るファー。
折り目の跡が残されたままのスーツ。
大きなハチの刺繍がついたバッグ。
人さし指から小指まではめられた、大きなフォー・ビジュ―の指輪。
トラッドのようでいてトラッドではなく、
モードというには、バランスが崩れている。
しかし、よく見ていくと、これらの組み合わせは、あえてアレッサンドロがねらっているものだ、
ということがわかってきます。
彼は、フリーダのような完璧をあえてずらすことによって、
新たな完璧を表現しているのです。
ファッションにはこれまでにも、
はずしのテクニックや、スタイルをミックスする手法など、
数々のバランスを崩すスタイリングのテクニックがありました。
しかし、ここへきて表現されたのは、
はずしでも、ミックスでもなく、
それらを含めての完璧なスタイルです。
つまり、今までの隙のない、モデルが似合う、ゴージャスで完璧なスタイルは、
もはや完璧ではないのです。
それは、完璧ゆえに完璧ではなくなったのです。
ファッションとして成立させるためには、
完璧にしてはいけない、
アレッサンドロの主張はそこにあります。
完璧に陥ったら、もはやそれはファッションではない。
完璧でないところに見出す新しいバランスやスタイリング。
今まで考えられなかったところ、
格好悪いとみなされていた、そのぎりぎりの線を、
あたかもコートの端ぎりぎりのラインにサーブを打ち込むように、
彼は見つけ、作りだし、提案します。
ニューヨークで行われた、2015秋冬のグッチのショーには、
これまでのみなれたグラマラスな有名モデルは一人も出てきませんでした。
スタイルこそよいかもしれませんが、
素朴な感じの、どこにでもいるような、若くういういしいモデルたちが、
ニューヨークの街角を歩いて、そのままショーの会場に入っていきます。
ストリートとショーの会場を区別する必要はない、
日常と非日常、同じレベルにおけるファッションは、
ファッション業界の完璧とは違う視点が必要だということが、
強く示唆されます。
さて、徐々にでしょうが、2015年以降、
この「完璧ではないという完璧」なスタイルは、
一般のあいだにも広まっていくことでしょう。
完全に行きわたるまでには、それこそ10年かかるかもしれませんが、
もはやこの流れは止められません。
いち早く取り入れるためには、
はずしのテクニック、テイストをミックスさせることなど、
総動員させ、その上で+αを考えます。
もちろんこのスタイルは上級者のためのものなので、
基本を理解していない人がやみくもにやる、めちゃくちゃなスタイルとは全く別物です。
常に考えなければなりません。
常に努力しなければなりません。
かかわっている限り、勉強し、進化させなければなりません。
教科書は、あるようで、ないのです。
+αは何なのか。
あえて言うならば、その人のオリジナリティです。
誰かのそれでもなく、
多くの人が持っているあれでもなく、
その人ならではのもの。
それが何もないのであれば、
ファッションは退屈です。
ファッションの難易度は上がっています。
わかりやすい完璧よりも、
答えのない完璧を目指すほうがずっと難しいです。
だけれども、本当に好きだったならば、
それは取り組むのも楽しい課題になるだろうと思います。
★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。
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