2016年10月24日月曜日
ノーファイト・トレンチコート
多くの軍服が現代の衣服のプロトタイプです。
Pコート、
MA-1ジャケット、
ダッフルコート、
モッズコート、
コンバットジャケット、
セーラー服などなど、
もう既に多くの人が、それが軍服、つまり戦うための服であったことを忘れています。
そして、トレンチコートもまた、第一次世界大戦中、
トレンチ(塹壕)と呼ばれる溝のを行き来する際に着用されたコートです。
トレンチコートはギャバジンという生地で作られています。
ギャバジンは、トーマス・バーバリーが1879年に発明した素材で、
1888年に特許をとっています。
ギャバジンという名前は、中世の上着からとられたとされ、
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」、第一幕第三場で、
悪名高き高利貸しのシャイロックがおのれの上着を「my Jewish gaberdine」と呼んでいます。
さて、シャイロックの上着でもある、そのギャバジンを使って作られたトレンチコート、
雨よけのフラップや、手榴弾をくくりつけるためのDカンは、
まさに戦場で使い勝手のいいように作られたもの。
雨でぬかるむ塹壕で、泥だらけになりながら、
ときに、撃たれた仲間の亡骸を運び、
Dカンにくくりつけた手榴弾に手をやりながら、
心が折れそうになったとき、ポケットに忍ばせた恋人からの手紙をそっと取り出し、
戦った男たちのためのコートです。
そんな戦うためのトレンチコートですが、
そんなコートが、ここ最近のフェミニンなモードの流れの中で、
戦いようのないコートに変身しました。
私が勝手にそう呼んでいる、ノーファイト・トレンチコートは、
軽い素材で、ふんわり身体を包み、そよ風になびく裾は、
ドレスを包みます。
日本でも長いこと、
トレンチコートは、仕事場へ行く際の通勤着として採用されてきました。
確かに、都会は戦場です。
満員電車の攻撃から身を守り、
巨大な塹壕とも言える地下鉄の通路を走り、
ポケットのiPhoneにヘッドフォンを突き刺し、音楽で心を慰め、
いつになっても終わらない仕事に辟易し、
希望が見いだせないまま、歩き続けるためのコート、
それが日本のトレンチコートなのかもしれません。
けれども、そんな戦うためのトレンチコートで、
戦うのをやめてしまおうというのが多くのデザイナーからの提案です。
ここ数年試みられているのは、
軍服から戦う要素を抜き去る実験です。
MA-1ジャケットをリントンのツイードで作ってみたり、
モッズコートにミニスカートとニーハイブーツをあわせてみたり、
いかにこの軍服から戦う印を消しさるか、
その記憶を抹消するか、
そのための提案が数多くなされてきました。
私たちはもう、軍服で戦う必要はありません。
女性が軍服を着るのは、戦うためではないのです。
武器なんていりません。
武器なんて持ちません。
トレンチコートの下は、男性が絶対に着ないようなロングドレスで、
シルクシフォンの透けるブラウスで、
思いっきり走れない、ピンヒールで、
そうやって、戦わない姿勢を示すのです。
なんでかって?
だって、私たちは男じゃないから。
男のように軍服を着る必要なんて、ないから。
では何のためにトレンチコートを着ましょうか?
戦いませんって宣言して、
戦場からはとっくに逃げて、
それでも生きていけると証明するために、
そして、ロマンスのために。
ロマンチックなドレスには、トレンチコートがお似合いです。
戦わないから負けてしまうなんて、心配する必要はありません。
私たちは負けません。
なぜなら、最初からその戦いと競争に参加しないから。
戦わずとも、自然のように共存できます。
それぞれが、それぞれの方法で、
戦わないトレンチコートについて考えてみましょう。
弱そうであれば弱そうであるほど、それにはお似合いです。
フリルやプリーツやレースなど、
はかなげであるほど、かっこいいです。
私たちはトレンチコートで戦いません。
それでも私たちは、生きていけます。
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