最近、感じることがあります。
それは、以前よりも、日常着とお出かけ着の差が少ない人がふえたということです。
その差は、この10年で急速に縮まったように見えます。
例えば大好きなアーチストのライブへ行くとき。
以前だったら、会社帰りであったとしても、何かしらライブなりコンサートにふさわしい装いで、ライブを楽しむ人が多くいました。
ライブ会場やコンサートホールは非日常的な空間ですから、会社に行くための通勤着でそのまま会場に行くよりも、気分が盛り上がるというものです。
また例えばインテリアが素敵なホテルのラウンジでお茶をする場合です。
以前だったら、そのホテルの格にふさわしい装いをなんとか工夫して出かけた人が多かったと思います。
それが最近では、衣服全体のカジュアル化が進み、
「おしゃれだ」ということを盾にして、どこへでもカジュアルな日常着、
あるいはカジュアルな通勤着で出かける人がふえました。
差の縮小はどこへでも同じ格好で出かけられるという自由をもたらした反面、
平凡な日常から飛び出した、非日常的な経験をフラットなものへと変える作用をも
同時にもたらしました。
さて、人にとって、どちらがより楽しいのでしょうか?
気楽な日常着や仕事着は気楽な反面、より以上の楽しさをもたらしません。
日常着や仕事着に求められるのは、便利なこと、楽なこと、汚れないことなど、
機能的な側面です。
一方、よそ行きやお出かけ着は、不便であったり、窮屈だったり、楽ではなかったりします。
装飾的な面が高ければ高いほど、その傾向は強まります。
それが着飾るということです。
装飾とは、決して楽なものではないのです。
私たちは好き好んで、その楽ではないものを選びます。
理由は、その不便や窮屈を乗り越えた先に、その労苦に値する喜びが待っているからです。
高いヒールに窮屈なウエスト、脱ぐのに難儀する背中のファスナーなど、
わざわざデザインされるのは、装飾的な装いの純粋な喜びを経験したいからにほかなりません。
いつでもどこでもどこへでも行かれるカジュアルな日常着には、
圧倒的な喜びを人にもたらすほどの力はありません。
楽と引き換えに、その力は奪われました。
いつの時代も、どの民族も、この装いによる喜びを知っていました。
機能や効率とは無関係の、無駄な装飾性はあらゆる文化に見られるものです。
それは主に祭事や儀式といった、ハレの日のためのものでもありました。
装いの喜びを経験するための祭事や儀式が極端に少なくなった現代でそれを享受しようとするのなら、みずからその機会を作らなければなりません。
そして私たちにとってそれは、
たまにしか行かないライブであったり、ホテルのラウンジでのアフタヌーンティーです。
シンデレラの物語を思い出してください。
いつも仕事着しか着ていないシンデレラでさえ、
舞踏会という祭事のためのドレスは用意しようとするのです。
どんなに自分が美しくとも、舞踏会にはドレスがふさわしいのです。
その美しいドレスを着ることによってシンデレラにもたらされるのは、
喜びと自信です。
喜びと自信の積み重ねが、自己肯定感を高めます。
楽で汚れない、しかもどこへでも行っても文句を言われないカジュアルなおしゃれでも、
日常的には不満はないでしょう。
しかしそれでは、非日常の特別な喜びは味わえません。
魂に必要なのは、その両方の要素なのです。
であるならば、シンデレラのように、
普段は楽で、汚れても構わない仕事着を着ていたとしても、
非日常的な場面のために、着飾ってみたらどうでしょうか。
それほど難しいことではありません。
またそれは「ファストファッションにハイブランドのバッグを合わせる」ことでもありません。
普通のワンピースやジャケットを、
スニーカー以外の靴に合わせる、
そんなことでいいのです。
服やバッグにたくさんお金をかけられないならないなりに、
セカンドハンドを利用したり、
誰かから借りたりすればいいのです。
そんな少しの努力と経験が、
あなたの魂を潤すでしょう。
フラットでカジュアルな日常から抜け出して、
カラフルでドラマチックな非日常を楽しんで、
自分が主人公の物語を紡いでいきましょう。
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