庭のデザインを考えるとき、フォーカル・ポイントと呼ばれる、庭全体の中でどこか1つ目立つように、ポイントを作るという考え方があります。
この考え方は、服をコーディネイトする上でも使えます。
持っている服の枚数が多ければ多いほど、シンプルなものが多くなるというよりも、
どこかデザインされたもの、ほかとは違うもの、というふうに、
目新しいものを追加していくという傾向があるようです。
もちろん、中には、同じ白シャツばかり何枚もという、
好きなものばかり枚数が多いという方もいらっしゃいますが、
どちらかというと、それは少数派で、
何かしらデザインされたものを多数持っているという方が多いです。
そうなると、それらを使って全体のコーディネイトを考えることになります。
しかし、たとえば、ジャケット、シャツ、パンツまたはスカート、どれもがデザインものだと、
それらを同時に着たら、デザイン過剰で、
お互いのデザイン同士がけんかして、それぞれいいところが生かせなくなります。
もっともごちゃごちゃしているのは多色使いで、デザインもののアイテムをどんどん足していくコーディネイトで、そうなればなるほど、子供っぽくなります。
色の過剰も子供っぽいですが、デザインの過剰もシックではありません。
そうならないために、コーディネイトを考えるとき、
そのアイテムの中でどれが主役なのかを考えて1つに絞ります。
こったツイードのノ―カラージャケットが主役なのか、
リバティプリントのフリルのついたブラウスが主役なのか、
ロマンチックなボリュームのロングスカートが主役なのか、
総レースのカーディガンが主役なのか、
まずそれを決めます。
そして、それが決まったら、ほかのものは脇役なわけですから、
脇に徹してもらいます。
主役を食ってはいけません。
つまり、目立たないよう、シンプルなものにするのです。
目立たないというのは、ほかの人の印象に残らないようなデザインのものという意味です。
何も主役は、服だけとは限りません。
スワロフスキーの豪華なネックレスの場合もありますし、
作家ものの帽子かもしれません。
靴、小物、バッグの可能性もあります。
もちろん、主役は2人の可能性もあります。
こったツィードのジャケットとおそろいのスカートでスーツなら、
ジャケットとスカートが主役です。
また、さし色としてそろえた、同じ色のベルトと靴があるなら、その2点が主役になるでしょう。
しかし、3人以上だったら、多すぎです。
このように、コーディネイト全体の中でポイントとなるものをしぼると、
全体がシックになります。
庭で考えてもらうとわかりやすいと思いますが、
いろいろな色の、たくさんの種類が狭い面積にたくさん植えてある庭は、にぎやかではありますが、
おしゃれには見えません。
色を削って、フォーカル・ポイントが決まっている庭のほうが、エレガントで、洗練された雰囲気になります。
これと同じことが、服の場合も起こるのです。
デザインものを上からどんどん盛るスタイリングは、逆に印象がぼやけて、
がちゃがちゃうるさい服を着ている人だった、ぐらいの感じになるでしょう。
最後に究極にシックで洗練されたスタイリングをご紹介します。
それは、着ている服のどこにもポイントを置かない方法です。
すべてほとんどデザインされていない、
基本的なアイテムだけでコーディネイトを作ります。
白シャツにジーンズ、
Vネックのカシミアセーターにウールフラノのパンツ、
ミニマルなデザインのリトルブラックドレスだけ、など。
そういう服装の人と出会ったならば、
相手は何を着ていたか、ほとんど記憶していません。
そういえば、ジーンズだったような、
そういえば、黒いドレスだったような、
そんな程度です。
限りなく、服のイメージはあいまいになります。
そして、強烈に残るのは、その人自身の印象です。
その人の身のこなし、声、香り、笑顔、
それだけです。
何を着ていたか覚えてはいないけど、
その人自身は、確かにエレガントでおしゃれな人だった。
その記憶が、香りと一緒にずっと残っている。
その時間の、その人の存在だけが鮮明に思いだせる。
そんな人物は、究極のおしゃれな人でしょう。
できれば、私たちも、そんな境地を目指したいものです。
そのために必要なのは、おしゃれの知識だけではなく、
もっと幅広い教養と、寛容な心と、広い視野と、
磨かれた魂の、その痕跡です。
※注 靴、バッグ、ベルトをさし色として同じ色でそろえるのはありです。しかし、その場合も、3つとも派手な目立つデザインにするのはやめておきましょう。バッグだけとか、靴だけデザインものというふうにしたほうがよいです。