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2014年5月19日月曜日

肩のライン

洋服の流行がどこにいちばんあらわれるかと聞かれれば、
それは肩のラインですと答えます。
もちろん、シルエットがタイトになったり、
ビッグになったりするのですが、
服のすべてを支える肩ラインには、
シルエット以上の流行のすべてがあらわれます。

肩のライン、つまり首の付け根から袖に続く線ですが、
そこをどう形作るかという点に、
その時代の美意識があらわれます。

たとえば、60年代から70年にかけて、
肩幅はナチュラルな状態より多少、狭く設定されていました。
それが80年代に入ると、
肩幅は広がり、肩パッドの厚みも増していきました。
大きいものでは2センチぐらいあったでしょう。

広い肩幅、大きな肩パッド、四角い肩ラインの時代は、
その後、90年代終わりごろまで続き、
再び、2000年に入ると肩幅は狭まり、
肩パッドは完全に撤去されました。

そして2014年現在は、2年ほど前からあらわれた新しいシルエットの流れにしたがって、
肩は丸く、しかし肩パッドは入れずにナチュラルへ、
という方向を進んでいます。
そして、この肩ラインを表現するために、ラグラン・スリーブが多く出現しています。

ラグラン・スリーブとは、肩線と袖がつながった形の袖なのですが、
肩線から袖にかけてなだらかなカーブを作り出すことができます。
それは、セット・イン・スリーブでは描くことができない肩のラインです。
そのなだらかなラインが今の時代の気分であり、
理想の女性像を描くのに最も適していると多くのデザイナーが感じているからこそ、
ラグラン・スリーブは選ばれています。

肩のラインが描き出すのは、
その時代のファッションが志向する女性像です。
肩幅、肩パッドの有無、描き出すラインによって、
その時代の女性がどちらの方向を向いているのか、
理想像は何なのかを表現しています。
それは言語化される前の、多くの人の無意識に流れる、
まだ見ぬ女性像です。
デザイナーたちはいち早くそれをキャッチし、
服の肩ラインに落とし込みます。

ベアショルダーのドレスを除いては、
シャツもブラウスも、ジャケットもコートも、
洋服のパーツを支えるのは肩のラインです。
肩をほどいてしまえば、服はばらばらになってしまいます。
洋服にとっての肝は肩なのです。
そして、その洋服の肝は、構造上、すべてを支えているだけではなく、
印象を決定づける位置でもあります。

同じ身幅、同じ着丈でも、
10年前のものは、肩のラインが今のものとは違います。
そしてその違いが、その10年前の服を古臭く見せます。
古いのはその生地や仕立てではなく、
その服が表現しようとしているイメージです。
肩パッドの厚みと肩幅の数ミリの違いが、
そのイメージのすべてを左右します。
そしてそのイメージの違いとは、
夢見た女性像の違いです。
あのころ私たちが素敵だと思った女性は、
今、素敵だと思える女性とは、違うということです。

素敵だと思える女性は、時代によって変化していきます。
同時に、あなた自身も時代とともに変化していきます。
どちらも同時進行です。
戻ることはありません。
その時代にはその時代の、
その年齢にはその年齢の、
いつでも新しい「素敵な女性像」があります。
そして、それが本当に素敵に見えるためには、
それが単なる変化でなく、進化でなくてはいけません。
逆に、それが進化であるならば、
年を重ねるということは、いつでもポジティブな意味になります。

残念ながら、日本には、年を重ねることによって進化した、
女性像の見本が少ないです。
若さに異常な重きを置く文化の中で、
それを見つけるのは難しいです。
ですから、私たちはそれぞれが、自分なりの進化した女性像を作っていく必要があります。

現在、肩のラインはゆるやかで、なだらかです。
肩で風を切るための、分厚い肩パッドも入っていません。
なだらかで優しく、
自然で動きやすく、
束縛から逃れるように、
軽やかに進んでいく、
そんな女性像が今の理想です。
理想は理想のままで置いておかないで、
自分でそれになってしまいましょう。
誰かにお手本を探さないで、
自分がその姿になりましょう。
肩のラインを変えるだけでそうなれる、
優れたデザイナーたちは、そう教えてくれています。






2014年5月12日月曜日

コンサバ

実際のところ、ファッションにおける「コンサバ」のはっきりした定義はありません。
どれもただ何となく、ある一定のスタイルをコンサバティブの略であるコンサバ、
つまり保守的なファッションであると呼んでいます。
世界のファッション用語に「コンサバ」という言葉はありません。
外国の雑誌を見ている限り、そんな表現のスタイルにはお目にかかれません。
では、ファッションにおける「保守的」とは一体、何なのでしょうか。

コンサバと呼ばれるようになったスタイルをまず最初に提案したのは、
どうやら雑誌の「JJ」のようです。
いわゆる女子大生ルックとか、お嬢様スタイルと呼ばれたスタイルが、
「JJ」には数多く取り上げられていました。
もともとはトラッドを基本としていたものを「コンサバ」と呼んでいたようですが、
知らない間に、「コンサバ」の領域が広がり、
トラッドとそのバリエーション、そして変化形まで、取り入れられるようになりました。
そのため、「コンサバ」と一言でいっても、さまざまなスタイルがあり、
その解釈も人それぞれです。

ただし、大きく言えることは、「コンサバ」である限り、
モードではない、ということです。
流行は否定はしないが、決してモードにはならない。
モードではないとはどういうことか。
それは決して、何事においても行きすぎない、ということです。

もし、「コンサバ」を志向するならば、
外しも、
着崩しも、
フェミニンとマスキュリンのミックスも、
抜け感も、
リラックスも、
アヴァンギャルドも、
決して選びません。
左右はいつも対象で、
シャツのボタンはきっちりととめ、
外しアイテムのような無用なアイテムは取り入れず、
マスキュリンの装いをするなど、もってのほかです。

私のイメージする、もっとも「コンサバ」なスタイルは、
皇室の女性の方々の装いです。
あの方々のスタイルを想像していただければ、
「コンサバ」の何たるかがおわかりだろうと思います。
決して乱れず崩れず、
どなたに対しても不快感を与えないように、
礼儀正しく清潔に、
きちんとしている服装、
それが「コンサバ」の王道だと思います。

「コンサバ」において重要なのは、徹底的な他人目線の追求で、
限りなく自分の主張を消していくこと。
そのために日本人がふさわしいと考えたスタイルこそが「コンサバ」なのではないでしょうか。

真に保守的であるためには、どこにも肩入れしないこと。
そして、自分の周囲全体の調和をもっとも重んじること。
ひいては、自分が出会う人たちすべての人に、
快く思っていただけるような装いとは何か、
その1つの答えが「コンサバ」なのではないかと思います。
そう考えるならば、皇室の女性の方々が、
真に保守的なスタイルをお選びになるのも、しごく当然なことです。

今、呼ばれている「コンサバ」が、
真の保守的なものであるのかどうなのか、わかりません。
しかし、真の保守であるところの「コンサバ」を目指すのならば、
流行を追いかけることも、
ブランド物をとっかえひっかえ買いあさることも、
たくさんの服を毎年買うことも、
全く必要ありません。
必要なのは、
自分が周囲に提供するスタイルによって、
すべての人が幸せになること、その1点のみです。
それができたのなら、そのときそれがどんなブランドのものであっても、
どんなに古いものであっても、
王道の「コンサバ」となることでしょう。
真の保守である「コンサバ」とは、洋服のスタイルで完成するものでありません。
自分だけがハッピーであるだけでは足りないと知ること。
そしてすべての人のハッピーを願うこと。
真の保守である「コンサバ」とは、その人の生きるスタイルです。









2014年5月5日月曜日

大人のTシャツ選び

ティーンエイジャーのころは、
近所で売っている、どんなに安いTシャツを着ても、
誰でも輝いて見えました。
毎日洗った洗いざらしのTシャツは、
かえってその若さの輝きを強調したものです。
Tシャツ1枚選ぶのに、迷った記憶など、ないと思います。
好きか嫌いか、それさえわかればよかったはず。
しかし、大人になったら、そういうわけにはいきません。

さて、大人のTシャツ選びです。
いまや赤ちゃんからお年寄りまで、Tシャツを着ます。
一生に一度もTシャツを着ない人など、いないでしょう。
(まず、体操着がTシャツですし)
それほど幅広い年代に着られているにもかかわらず、
子供用と大人用以外には、
Tシャツの区分はありません。

Tシャツ、特に半袖Tシャツは、真夏の定番とはいえ、
一歩間違えると、何ともだらしなく、おしゃれとは程遠いものになります。
まず思いだしていただきたいのは、
Tシャツは、もともと肌着だということです。
そしてその特性は今でも有しているので、
だらしなく見える可能性を持っているのです。

では、大人がTシャツを選ぶとき、何に注意すればよいでしょうか。
ポイントは3つあります。
素材、デザイン、袖口、襟ぐりなどの開きの部分です。

まずは素材。
ほとんどのTシャツはコットン100パーセント、またはコットン+ポリウレタン数パーセントです。
また暑いシーズンに着る特性上、洗濯回数が多いアイテムです。
コットンを何回も洗濯すれば、当然、素材がくたびれてきますから、
若者でない限り、ある程度、着用したら、それ以上は着られません。
コットンにも等級はいろいろあります。
スーピマ・コットンから海島綿、エジプト綿、
またはオーガニック・コットンなど。
高級になれば価格も高くなります。
高級コットンの特徴は、そのなめらかさと光沢です。
そしてその質感は、大人がもっとも必要とするものです。
残念ながら、人間であるかぎり、肌の衰えから逃げることはできません。
ですから、年齢を重ねれば重ねるほど、
ある程度、光沢のある素材でできたTシャツを選んだほうがいいでしょう。
光沢という意味では、コットンだけでなく、絹やレーヨンとの混紡のものも考えられます。
これらの混紡素材は、
コットンだけでは出せない光沢がありますから、
より大人にはふさわしいものです。
とにかく、生地が毛羽だって、著しく光沢のなくなったTシャツは、
消耗品だと見限って、もうそれ以上着るのはやめましょう。
また、黒やネイビーなどの濃い色で、色落ちしてきたものも、
やはり大人には似合いません。
洗濯しすぎでよれよれになったもの、色落ちしてしまったものは、
ともにだらしなく見えます。
気をつけましょう。

つぎにデザインです。
最近、デザイン性の強いTシャツがいろいろ出てきました。
袖口の形が変形したもの(たとえばフレアになっているとか、そこだけレースであるとか)、
全体にドレープが入ったものや、切り替えがあるものなど。
デザイン性があるものは、自分の身体そのものを目立たせたくない場合、
大いに使えます。
人はどうしてもそのデザインに目がいきますから、
シンプルなものよりも、身体のラインは目立ちません。
身体に注目してほしくなかったら、少しデザインのあるものを選ぶのもいいと思います。
Tシャツの場合、特に背中のブラジャーの食い込みが目立ちます。
そこを見てもらいたくないのなら、プレーンなタイプは避けたほうがいいでしょう。

また、デザインという意味では柄やロゴもデザインです。
ただ、全体に柄が施されたもの以外、
たとえば前面だけにキャラクターがプリントされたものや、
何かのロゴが入ったものは、どちらかといえば、若者や子供向け。
くれぐれも注意していただきたいのは、
英語やフランス語の文章の入ったもの。
日本語に訳してみて、どう考えてもその意味のものを着ないほうがいいと思ったら、
大人なのだから、それはやめるべきです。
あまりに意味のない言葉やロゴは品性を疑われます。

最後に、ここが最大のポイントなのですが、襟ぐり、袖口の問題。
まず、Tシャツで何より目立つ二の腕。
若者のように適度に筋肉のついた、しなやかな二の腕は、
見ていてほれぼれしますが、
そうでなくなったとき、中途半端なところで切れた半袖の袖口は、
二の腕の欠点を余計強調させます。
人それぞれ、どこで袖口が終われば、自分の腕が一番美しく見えるかという位置があると思いますので、
それぞれがその位置について研究し、適度に二の腕が隠れる袖のものを選ぶといいでしょう。
私の考えですが、中途半端な場所で二の腕に水平ラインが横切るぐらいなら、
袖がないもののほうがましです。
Tシャツの袖口と自分の二の腕の関係は、自分で把握しておいてください。
もう一つの開きは襟ぐりです。
これも詰まったもの、あいたもの、Vネック、ボートネック、クルーネックなどさまざまです。
自分の首の長さ、頭の形に対して、
もっとも見栄えのいい襟ぐりがあります。
首を長く見せるたいのなら、Vネックや、クルーネックでも少し開きが深いものがいいのですが、
これが逆に深すぎると、下着が見えてしまい逆効果です。
またあまり詰まった感ものも、何か体操着みたいな感じで、
大人っぽくありません。
下着が見えないぐらいの、適度に深い、または広い開きのもののほうが、
大人にはふさわしいと思います。
いずれにせよ、これも人それぞれの体型によりますので、
自分にとって最も具合のいい開きの形と深さを知っておきましょう。

Tシャツはいつでもどこでも手軽に買えるものですが、
自分がこだわりを持って、もっとも似合うものを探そうとしたならば、
なかなかこれといった1枚が見つからないものです。
どれも何かしら気に入らない点があって、100パーセント満足のものには、
なかなかめぐり合えません。
また、Tシャツの試着もあまりしないものなので、試着しないで買って失敗ということもあるでしょう。
Tシャツの素材のほとんどはジャージーです。
ジャージー素材は、体型をカバーする力を持っていません。
ですから選択はより難しいものになります。

年齢とともに、
体型の変化とともに、
似合うTシャツの形や素材、色は変わってきます。
それが若いころと同じということは、決してありません。
潔く変化を受け入れて、
若いころとは違った気分でTシャツを選んでみてください。
変化は退化ではありません。
以前は似合わなかったような色、素材、デザインが、
新たに似合うようになるということです。
蝶は子供のときはいもむしで、変容して大人になり、やっと蝶になります。
いもむしと蝶が同じものを着ていたのでは、それはおかしな話です。
いもむし時代に似合っていたTシャツはさっさと捨てて、
蝶になった自分にふさわしいTシャツを新しく選びましょう。
それはきっと、前よりも、より進化して美しいものであるでしょう。












2014年4月30日水曜日

オーダーメイドの落とし穴

最近、オーダーメイドで失敗した話を立てつづけに聞いたので、
今日はオーダーメイドで作った服が、なぜいまいちなのか、
素敵に見えるはずが、なぜそうならなかったのかについて書いてみたいと思います。

オーダーメイドの失敗には、大きく分けて2つあると思います。
まず1つは、単純に採寸ミス。
採寸しているつもりが、それが不正確で、でき上がったものの寸法が足らない、
または余っているという場合。
オーダーメイドといっても、ほとんどの場合は元の型があり、
その一部修正の形だと思われますから、
採寸が不正確であったら、でき上がったものは、その人に合ったものにはなりません。
スカート丈、袖丈などはあまり間違えようがないと思いますが、
バスト寸法が足りないための横しわ、引きつれしわなど、
または、タイト・スカートのウエストからヒップにかけての横しわなどは、
明らかに採寸ミス。
そしてそのミスの結果、パターン修正をしなかったため起きた失敗です。
これはそのお店がそれだけレベルが低いということを示しています。

2つ目の失敗です。
採寸も正確、身体にぴったり合っている、だけれども、全く素敵に見えないというもの。
実はこちらこそ、オーダーメイドの大きな落とし穴です。

私が服飾専門学校に行っていたとき、上半身の型を石膏でとり、
その内側に薄い紙を張って、そこからパターンを起こすという授業がありました。
6人ぐらいで1組になり、選ばれた人が上半身裸になって、
身体の片側に石膏をぬられ、型どりします。
そのリアルな人体の石膏型は乾くまで、教室の脇で乾燥させられ、
乾いたら、つぎは内側に薄い紙を張り、それをきれいにはがして、
はさみを入れて分解し、平面にし、そこからパターンを起こして、
今度は布に置き換えて、再び立体にし、
そこからシーチングでブラウスを作って実際に着てみるという、
かなり面倒な、しかし人体を理解するのには必要な作業です。
そこで、でき上がったブラウスを最初のモデルに着てもらうのですが、
それは確かに身体にぴったり合っているにもかかわらず、
素敵ではありません。
もっと言うと、それをあえて作りたいとは思えない代物です。
私たちのグループはフィッティング・モデルのアルバイトをするぐらいの、
かなりスタイルのいい人でしたが、それでも素敵ではありません。

どういうことかというと、
採寸を正確にして、
その採寸結果に必要なゆるみを足した形でパターンを作って、
それを形にしたところ、スタイルがよく見える服はできないということです。
なぜなら、それはただ単に、もとの肉体にゆるみを加えただけ、
つまり120パーセントでコピーされただけの、
自分の着ぐるみだからです。

たとえば、これがミランダ・カーの着ぐるみだったら、
それは誰もが入ってみたいことでしょう。
なぜなら、ミランダ・カーは多くの人が望む体型の持ち主だからです。
それが正確な形で着ぐるみになり、
着ることができるのなら、誰でもその瞬間、モデル体型になれるわけです。
しかし、多くの人は、自分の体型をそのまま120パーセント拡大されたものを、
あえて着てみたいとは思わないでしょう。
ここが嫌、あそこが嫌、お腹が出ている、寸胴すぎるなど、
どこかしら、スタイルがよい方向に形を変えたいはずです。
私たちが洋服を着て見せたい体型、
そして自分が見たい体型は、
決して自分の120パーセント拡大コピーではなく、
バージョンアップした自分です。
そしてそれができることが、わざわざオーダーで服を作る理由なのです。

ただ正確に採寸ができればいい服ができると考えているテイラーにオーダーメイドに依頼したら、
その服は失敗します。
そうではなくて、正確な採寸、その上で、理想の体型の明確な立体イメージ、
そしてそれを作り上げるパターンのテクニックがなければ、
スタイルがよく見える、いい服はできません。

そうでなくても、立体感覚に乏しい日本人です。
この技術を持っているテーラーの数が多くはないであろうことは、
誰にでも容易に想像できます。
そしてそんなテクニックが、一朝一夕に身に着くあろうはずがありません。
生まれ持った才能、
優れたテーラーのもとでの修行期間がなければ、
そんな服を作る人には、なれないのです。
そんなテイラーに出会えるかどうかは、
宝くじに当たるより低い確率です。
そしてそんな人は、もうすでに多くのお得意さんがいて、囲われているでしょう。
なぜならそれほどまでに、そういうテイラーは希少だからです。

中途半端なテイラーにワイシャツのオーダーをするぐらいなら、
イタリアンメイドの高度なパターンテクニックを駆使した、
高級なシャツを着るほうが、よほど体型はよく見え、
見違えたように見えます。
もちろん動きやすいというおまけつきです。
それでもどうしてもオーダーメイドにこだわるならば、
誰かに秘密のテイラーを紹介してもらうか、
ミラノにでも行って、シャツをオーダーしてみればいいでしょう。
(最近、ビスポークという名称でいろいろなブランドがやっています。)
日本で作るより、ずっと満足のいくものが手に入るはずです。

パターンのいい服が知識と経験でわかっていなければ、
そのパターンがいいものかどうか、普通の人に見抜くことは難しいです。
オーダーメイドだから、身体にぴったり合ったいいものに決まっているという、
その間違った思い込みが、失敗のもとです。

間違った思い込み、
それとは逆に制限的な信じ込みは、早いところ手放しましょう。
頭の中のそのガラクタのおかげで、
あなたはしなくてもいい失敗をするはめになります。
過剰な自己宣伝の言葉や、
高額な値段設定、
にこやかなプロフィール写真など、
本当のところ、何の根拠にもなりません。

落とし穴に落ちてしまった人は、
高い勉強代を払ったと思って、
つぎからはだまされないように気をつけて。
だまされないための第一歩は、本物を知ること。
ただ、それだけです。







2014年4月21日月曜日

紺色(ダーク・ブルー)

日本語で言えば紺色、
英語だったら、ネイビー・ブルーやインディゴ・ブルーなど、
ダーク・ブルーの服は、誰でもが一度は着たことがあるのではないかと思います。
紺色はまず制服に使われることが多いですし、
ジーンズの色であり、
ピーコートやトレンチコートに多く使われる色だからです。
そして、男性のスーツばかりでなく、女性のスーツにも紺色は多く使用されます。
また、すべてのアイテム、Tシャツ、スカート、パンツ、靴下まで、
紺色は必ず売っています。
どこででも手に入りやすいのも紺色のアイテムの特徴です。

色彩心理学を出すまでもなく、
紺色は冷静さ、知的さを人々に感じさせます。
そこからはまじめな感じや、仕事ができるイメージを想起させます。
紺色を身につけることにより相手に与えるイメージは、
どれもポジティブなものばかりなので、
そんな印象を誰かに与えたい人にとって好まれる色です。

また、紺色は、黒から茶色のグラデーションとも相性がいいと思います。

紺色と黒の組み合わせは、上品にも、モードっぽくもなり、
コーディネイト全体を完成させやすい色合いです。

紺色の利点はまだあります。
紺色は、黒ほどに素材のよしあしを浮かび上がらせません。
たぶん、光の反射の具合が黒とは違うのが原因だと思いますが、
粗悪な素材の黒は、すぐそれだとわかるのに対して、
紺色の場合、あらが黒ほどわかりません。
手で実際にさわってでもみない限り、
学生の制服に使われる紺色のウール・ギャバジンと、
ハイブランドのウール・ギャバジンの違いはわかりません。

このように、多くの利点を持っている紺色という素材ですが、
唯一の欠点と言えば、多くの人が持っているので、
平凡に陥りやすく、
その人らしさを出しにくいという点でしょうか。
あまりに普通すぎるということにもなります。

このあまりにも凡庸な、
ありふれた、
しかし魅力的な紺色を、
その人らしく着るにはどうしたらいいか。
いくつかポイントがあります。

まずは、差し色で自分らしさを出してみること。
紺色に赤を差し色にしたら、そこに白を足すだけでトリコロールになります。
これは完璧ではあるけれども、ありふれた色合わせです。
この赤を、たとえば黄色にしてみるだけで、
紺色はより引き立ち、印象はがらりと変わります。
もちろん黄色ではなくても、紫でも、ショッキング・ピンクでも、
多くの色が紺色と合わせられます。
自分の好きな色を持ってくることで、凡庸から抜け出すことは可能です。

つぎに形の問題。
紺色のピーコートやトレンチコートは定番です。
ですから、どうしてもありふれてしまいます。
しかし、案外、紺色のブラウスやシャツは定番ではありません。
同じ紺色でも、アイテムによってはありふれていないものがあります。
紺色の学生用のバッグは多数ありますが、
大人用の紺色のバッグは極端に少なくなります。
靴にしても黒い靴ほど、紺色の靴はありません。
たとえば、紺色のブーツなど、ほとんど売っていません。
このように、同じ紺色でも、定番でない形、
アイテムにずらしていくことによって、人とは違った感じを出すことができます。

では最後に、紺色の定番を着て、それでもなおその人らしいスタイルについて書いておきましょう。
最近、ノームコアというファッション用語が新しく出現しました。
これは、肝入りのノーマルということで、
デザインも、色も、徹底的に普通のものを選ぶスタイルです。
この言葉を紹介していたBritish Vogueの記事には、
ジーンズとTシャツというような普通のスタイルのモデルたちの写真が多く掲載されていました。
この「ノームコア」を志向する人たちが多く選ぶ色の1つは明らかに紺色でしょう。
しかし、彼女たちは決して凡庸ではありません。
たとえばモデルであるとしたら、彼女たちは非凡な体型を持っています。
そのスタイルは紺色の定番アイテムを身につけることによって、
より一層引き立ちます。

また同じように、白いシャツにジーンズというようなスタイルを好むデザイナーたちはどうでしょうか。
彼らの体型は非凡ではありません。
しかし、彼らは非凡な才能の持ち主です。
彼らがアピールしたいのは、着ている服ではなく、その才能です。
彼らが誰かと会って話すとしたら、必要以上に服に注目がいっては、
その才能が見えません。
彼らは自分の才能を目立たせるために、あえてインディゴ・ブルーのジーンズを選ぶのです。

もしあなたが何かの分野で、
それは体型かもしれませんし、話術かもしれませんし、美しい顔かもしれませんが、
非凡であるならば、
あえて紺色の定番だけでコーディネイトしてみるのもいいかもしれません。
必要以上に服に出しゃばってほしくなかったら、
服が余計な情報を伝えてほしくなかったら、
それ以外の部分をぜひとも理解してもらいたいのなら、
凡庸な紺色のコーディネイトは、それらを引き立てるでしょう。
服のことなど見ないでほしいとき、
忘れてほしいとき、
紺色は強い味方です。

紺色の服は、世界の意味のコードの中で、強固な意味を持っています。
それが壊れることはありません。
時にはそれを利用し、
時にはそれに助けてもらい、
時にはそこから抜け出して、
自分なりの紺色との付き合い方を見つけましょう。
ダーク・ブルーは暗闇などではなく、
明晰な知性です。
賢く見せるためではなく、
賢いからこそ、使いましょう。
ブルーになるためではなく、クリアになるために使いましょう。
それは誰でも、いつでも、どこでも手に入れることができる、
多くの人に平等な色です。















2014年4月14日月曜日

被服費と被服にかけるエネルギー

最近ではあまり使わなくなりましたが、
エンゲル係数という言葉があります。
エンゲル係数とは、家計の支出の中で、食費のしめるパーセントです。
これが高いほど、生活水準が低いとされます。
食費は削ることができない必要経費だからです。

さて、生計における被服費のパーセントについて、呼び名は特にありませんが、
自分の生活費の中で、どれぐらいの割合を被服費に使っているか、
把握していることは、悪くはありません。

私がいろいろな人にリサーチした結果ですが、
被服費について年間で予算を立てている人も、
実際にいくら使ったか把握している人も少数派です。
服に関しては、高額なものを買うとき以外、
行き当たりばったりのお金の使い方の人がほとんどです。

被服費と一言で言っても、その中身はさまざまです。
下着もその中に入りますし、消耗品としてのTシャツなどや、
また長持ちするコート、そして靴、バッグ、ジュエリーなど、
金額から、減価償却の期間まで、大きく幅があります。
ですから、余計に、家計における被服費は把握が難しくあり、
放っておかれることが多いです。

また、これは被服費とは呼びませんが、
服や靴のメンテナンス費用があります。
クリーニングに出せばクリーニング代が、
靴を直すなら修理代が、それぞれかかります。

そして、特に都会のマンションに住んでいる方の場合、
服を補完するのに使っているスペースの問題があります。
家賃のうち、どれだけの部分が服のために使われているか、
シビアに計算してみると、かなりの額になるということがわかります。

それらとは別に服にかける時間とエネルギーがあります。
服にかける時間とは、それを買いに行く時間、朝、または夜、何を着るか考える時間とエネルギー、洗濯やアイロンかけの時間とエネルギーなど、
服やバッグ、アクセサリー、小物など、全般にかける時間とエネルギーです。

単純に、多ければ被服費が高いとは言えませんが、
(なぜなら高いものを少なく所有することもあるからです)
モノとして多ければ多いほど、お金も時間もエネルギーもかかります。
これら被服にかけるお金、時間、エネルギーが、
自分の持っているお金、時間、エネルギーに対してどれぐらいがちょうどいいのか、
適切なのか、それぞれが改めて考えてみる必要があるのではないのでしょうか。

何度か書きましたが、
洋服やバッグのお金をかけてみたところで、決して人生はよくなりません。
服飾学校に行っていたころ、
服に相当なお金、時間、エネルギーをかけている人たちを多く見ましたが、
その人たちの人生が、そのおかげでその後、よくなったなどということはありません。
20代のころのヴィトンのバッグも、ヴィヴィアンのジャケットも、ブルガリの時計も、
その人を成長させたり、賢くさせたりは決してしません。

残念ながら、私たちのお金も時間もエネルギーも限られています。
その総量は、人によって違うでしょう。
多くのお金を持っている人は、多くの服を買うことができるでしょう。
確かにお買い物はエネルギーを動かす行為なので、
一瞬は気分がよくなります。
しかし、それだけです。

感覚を刺激するものに、私たちはすぐに負けてしまいます。
だけれども、心地いいもの、快適なもの、気分が上がるものだけを求めていったとしても、
本当の満足感や幸せは得られません。
自分が今まで服に使ったお金、時間、エネルギーは、
はたして自分を幸せにしてくれただろうか、
成長させてくれただろうかと、振り返って考えてみてください。
それがまさにそのとおりで、何の問題もないと思えるのなら、
今のままで構わないでしょう。
だけれども、もしそうでないのだとしたら、
今、それらについて考え直しましょう。

安いものを買えばいいとも、
どんどん捨てろと言っているのでもありません。
そうやって使ったお金、時間、エネルギーと見合ったものが自分に残ったか、
その点について考えてほしいのです。

限られたお金、時間、エネルギーが被服にかかり過ぎであるならば、
それは減らしましょう。
そしてもっと有意義に、成長や幸せの方向に使いましょう。
ほとんどの人にとって、服は人生で最も重要なことではありません。
それは必要で、ファッションは楽しいものだけれども、
あまりにも重きを置きすぎるのも、何か違うでしょう。

自分の身の丈にあったお金と時間とエネルギーの使い方をしましょう。
それは感情や感覚ではわかりません。
あくまでも冷静に、理知的に。
それでは足りない、遅れている、かわいくないと、
あおる風に負けないように。
その結果は何年か後にわかります。
欲望に負け続けた人の顔と、それに打ち勝った人の顔とでは明らかに違いますから。
そこに人々は、美しさを見ますから。

2014年4月7日月曜日

テーラード・ジャケット

ジャケットにはいろいろな種類がありますが、
テーラード・ジャケットだけは特別な意味が与えられています。
つまり、どこへ出ても恥ずかしくない、きちんとしている服装、という意味です。

さて、では、テーラード・ジャケットとは、どんなジャケットのことを言うのでしょうか。
英語で考えてみると、これは「仕立てられた上着」という意味なので、
上着の形状については何も示していません。
しかし、日本でテーラード・ジャケットと言った場合、
襟の形がテーラード・カラーであるジャケットという意味になります。

しかし、テーラード・カラーというのもおかしな言葉で、
それだけでは「仕立てられた襟」以外の意味にしかなりません。
改めて考えてみるとおかしいなと思って少し調べてみたところ、
英語ではMan-tailored collarという言葉があるようです。
これは男物仕立ての襟ということで、必ずしもジャケットの襟のことではないようですが、
たぶん、この言葉のManが省略された、テーラード・カラーという言葉が日本で定着したのだと思います。

日本で言うところのテーラード・カラーというのはどういうものかというと、
立襟を折り返してラペルを作り、胸のあきがVになった襟のことです。
ラペルというのは下襟のことですが、この部分は身頃についた形になっています。
襟として縫い付けられているのは上襟のみです。
テーラード・カラーとは、もともと立ててあった襟を開いた形のことで、
その名残としてラペルの先にボタンホールが残っていることもあります。
あのボタンホールは閉めて着ることが可能なもので、
逆のラペルの裏側、本来であれば表側にはボタンがついているはずです。
しかし、現在では単なるデザイン的に残されているだけなので、ボタンなしものが多いでしょう。

いつごろから立て襟が開かれるようになったか、正確なところはわかりませんが、
ヴィクトリア朝の絵画で、女性の上着で襟が開かれた形のものがあったように記憶しているので、19世紀後半ぐらいなのではないでしょうか。
(すみません、ここは不確かです)

いずれにせよ、男性の軍服の立て襟が、息苦しさからなのか、暑さからなのか、
開いて着られるようになり、それがスーツのジャケットの襟に継承され、
それを真似る形で女性もののジャケットの襟として採用されたのがテーラード・ジャケットです。
ですから、テーラード・ジャケットの定義は、襟がテーラード・カラーである上着のこと、となります。

特に日本においてですが、
テーラード・ジャケットには、「ちゃんとした」という意味合いが与えられています。
もし、きちんとした格好をしなさいとか、恥ずかしくない格好でと言われた場合、
とりあえず、テーラード・ジャケットを着ていれば、許される場合が多いです。
ましてや、それがスーツであったのなら、ほとんどの場合、問題ありません。

ここで、ほとんどと書いたのは、必ずしも100パーセントではないからです。
ファッションは自由な表現、そして変化を好むので、
伝統的なものを壊したり、変化させたりします。
その中で、このテーラード・ジャケットもさまざまなものが提案されてきました。
たとえば素材。
ニット、レース、カットソーなど、いわゆる男性のスーツには採用されない素材もどんどん取り入れられています。
また、大胆な柄物、チェック、ストライプなど、生地に多色の色付けがされているもの。
そして、ビッグ・シルエットや、わざとバランスを崩したシルエット、アシンメトリーのものなど、正統とはほど遠いシルエットものなど、
襟こそはテーラード・カラーではあるけれども、
そのほかの部分については、男性のスーツの背広とはほど遠いものも存在しています。
ですからテーラード・ジャケットと言えども、「ちゃんとした」という意味合いには当てはまらないものも数多くあります。

では、何を持って「ちゃんとした」と言っているのかというと、
それはあくまで男性のスーツの背広に準じているかということです。
それに近ければ近いほど、ちゃんとした感じがするのだと、日本人は考えていて、
その意味を与えました。

しかし、これはあくまでも日本だけの、まさに日本ローカル・ルールであり、
海外であれば、また別です。
たとえば、洋服の正統が今も存在しているであろうと思われるイギリスにおいて、
その代表であるエリザベス女王は、いつも正式で、きちんとしている存在ですが、必ずしもテーラード・ジャケットを着用しているわけではありません。
ノーカラーのときもあれば、フラット・カラーのときもあります。
また、ブランドで言えば、洋服の王道、シャネルのシャネル・スーツのジャケットもノーカラーです。
襟はありませんが、これは十分に「きちんとした」ジャケットです。

つまりこの暗黙のルールは世界共通ではないし、絶対ではないけれども、日本においては有効であるということです。
ですから、私たちはこれを利用すればいいわけです。

ジーンズだろうが、チノパンツだろうが、ミニスカートだろうが、ショート・パンツだろうが、
男性のスーツのジャケットに準じるようなジャケットを1枚羽織れば、
ほとんどのところへの出入りは許されます。
それは見えない威力です。
インナーがTシャツだろうが、ノースリーブのニットだろうが、
テーラード・ジャケット1枚で、高級レストランのドレス・コードに引っかかりません。
テーラード・ジャケットはおじさんのスーツのジャケットと同じで、つまらない、動きにくい、夏は暑いととらえるのもいいですが、
これ1枚でもどこへでも行けるのだと思えば、
それは強い味方です。

必ずしもすべての人にテーラード・ジャケットが必要だとは思いません。
だけれども、銀行へ行くとき、弁護士とミーティングをするとき、
パスポートの写真を撮るとき、どこかの会社の応接室に通されたとき、
テーラード・ジャケットは役に立つのです。
それは意味を相手に伝えます。
その意味とは、私はあなた(たち)と会うためにちゃんとしたスタイルで来ましたよ、ということです。

テーラード・ジャケットは、日本社会に広く浸透した、社会的服装の1つのコードです。
それさえ着ていれば、どこへでも行ける、きちんとしていると認められる、
便利な通行証です。

あれこれ自分を説明する必要も、
相手を説得する必要もなく、
無言で通してもらえる、
許可証のようなジャケット。
そんなジャケットを1枚持っているのは、悪いことではありません。
買うときは、できればスーツで、
クオリティのいいものを、
そして長く着られる、流行にあまり左右されないような、トラッド寄りのデザインで。
日本で生活している限り、それは役に立ちます。
皆がそれを信じている限り、それはずっと続きます。
その意味が変わるときとは、社会自体が変わってしまうときでしょう。
そのときが来るまで、テーラード・ジャケットは、日本社会において、1つの意味のある言葉です。