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2014年12月29日月曜日

流行遅れにならないためには

ファッションには流行というものがあって、
それは否定のしようのない事実です。
蛇行する川のように、あるときはゆっくりまっすぐに、
あるときは急なカーブを激しく流れるように、
多くの支流を抱えながら、
ひとつの方向へ向かっていきます。

私たち自身も、生まれてから死ぬまでの時間、それぞれの流れの中に生きています。
小さいときは成長が早く、
多くの着られなくなった衣類を脱ぎすてて、
大人になれば、
自分のスタイルの構築のために、流行に翻弄されながらも、
さまざまなスタイルに挑戦し、
年齢を重ねたら、何となく自分の趣味嗜好の方向性が固まって、
自分自身の新陳代謝ではなく、
衣類そのものの寿命によって、新しいものを取り入れるようになります。
全く何も買わないでいるということは、
衣服がモノであり、永遠には存在しえないという性質上、不可能です。
私たちは、何らかの形で流行と付き合うことになります。

しかし、ファッションの流れと自分自身の人生の流れが一致することはありません。
ファッションの流れが急なとき、私たちは、ゆっくりした流れの中にあるかもしれません。
それはお互いに違う道筋なので仕方のないことです。
そのずれが、いわゆる流行遅れです。
自分自身の変化、
ファッションの流れ、
衣服や小物のモノとしての寿命、この三者がてんでばらばらに存在するため、
ときにそれは大きなずれとなり、
時代に遅れたようなスタイルになることがあります。
これは身体の成長の早い子ども時代や、
生活スタイルが激しく変化する20代では、まず起こりません。
身体も生活スタイルも大きな変化がなくなり、
モノとしての寿命だけが頼りになるとき、
そして何より、精神が微妙に時代とずれてしまったとき、
その人の服装は流行遅れとなります。

モノの寿命より、ファッションの流行の変化が激しく短いのが現代です。
多くの人が、物理的に着られなくなるから服を捨てるのではなく、
着たくなくなったから、
あるいは流行遅れでみっともないからという理由で服を捨てます。
そして、そのことに疑問を持たないような社会の仕組みがあります。
流行をとるか、エコロジーをとるか、
私たちは今、選択を迫られています。

一番よいのは、流行遅れにならず、
捨てるときは、モノとしての寿命が終わったときのみという状態になることです。
そして、万が一、それができないとしても、
リサイクルというサイクルにうまく入れるように手放すことです。
そのために、成熟した大人ができることはどんなことでしょうか。

まずできるのは、モノとしての寿命のサイクルをアイテムごとに見極めること。
Tシャツやカットソーなど、洗濯回数の多いものはモノとして長持ちしませんが、
冬場のウールのジャケットやコートなどは長持ちします。
当たり前のことですが、長持ちするものは、ベーシックで長く着られるデザインのものを選び、
逆に長持ちしないもので流行を取り入れます。
そうすれば、毎年何かほんの少しでも、いわゆる流行っているものを取り入れることが可能です。
その他、長持ちしないものとしては布製のスニーカーや白シャツ、靴下などもそうです。
また、長持ちするものはマフラーやスカーフ、ジュエリーなど、アクセサリーや小物類も、
案外、傷むということがありません。
ほんの少しでも流行を取り入れることは、
気分転換にもなりますし、時代を感じることにもつながります。
そしてそれはまた、
完成していない自分の補完品としての機能を持つことにもなります。

しかし、流行遅れに見えない、かつ着られるのに捨てるものを大量に出さない、
もっとも重要なポイントは、
流行を越えた自分のスタイルを確立することです。
シャネルも言っているように、ファッション、つまり流行はすたれるものです。
流行というシステムから抜け出し、
自分のスタイルを確立したならば、
もう流行遅れとは無縁です。
流行っているから買ったものではなく、
自分のスタイルの確立のためにそろえたアイテムは、
何年たっても色あせることがありません。

流行というシステムの中で近視眼的にものを見るのではなく、
ひとつ上の階層から俯瞰するように、
自分が何を好きで、どんなものを着てきたか、振り返り、
その上で服を選んでいけば、スタイルは確立されます。
それは年齢の問題ではありません。
どれだけ工夫してきたか、
どれだけ計算してきたか、
どれだけ練習してきたか、
どれだけ考えてきたか、
その総量の差です。
何歳になっても、流行より下のレベルで、それに振り回される人たちはたくさんいます。
振り回されないためには、1つ上の層へ上がらないといけないのに、
それには気づかず、そして気づこうともしません。
それは囚われた状態です。

囚われから脱出するためには、眠りから目覚め、
無意識に反応するままの自分を客観視し、
システムから抜け出して、高いところからの視点を持つことです。
流行という川の流れでおぼれ続けるのではなく、
そこから抜け出し、
高い空から、流れ全体を見ることができれば、
私たちはそこから抜け出すことができます。
そして、そのときに気づくでしょう。
流行遅れになったのは、流行に乗ったためであった、ということに。

20年前の写真を見てください。
もっとも古臭く感じるのは、そのときの流行りの服、髪形、メイクでかためたスタイルの人でしょう。
けれども、今でも古びることなく、魅力的な人は、
流行とは適度な距離をとった、その人独自のスタイルを持った人ではないでしょうか。

流行遅れにはならず、
永遠を見つけたいなら、
流れから抜け出しましょう。
溺れていないで、
空を飛びましょう。


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2014年12月22日月曜日

タックパンツ、ノータックパンツ


ズボンを女性がはくようになったのは20世紀後半からと言われています。
それまでは、あくまで女性用のズボンというものはなく、
男性用のものを借用する形での着用でした。
しかし、女性が男性と同じような活動、
それは多くの労働ですが、
をするようになって、女性のあいだでもズボンの着用が広がり、
それを決定的にしたのは第二次世界大戦でした。
なぜならその期間、女性は男性と同じような労働に従事したからです。

その歴史からも推測されるように、
当初のズボン、今で言うところのパンツは、
女性にとって、オーバーサイズであり、
ダボダボしたものをひもなり、ベルトなりでウエストを縛ることによって、
初めて着用可能となるものでした。
基本的にパンツとは、大き目のサイズのものを自分に引き寄せて着るものであり、
ウエストの細い女性がはくと、
ウエストにはギャザーやタックが自然とあらわれました。

女性と男性の体型の違いはいろいろありますが、
その中でも大きな点は、男性にはない曲線を女性が持つということでしょう。
バストとウエスト、ウエストとヒップの大きな差というものは、
男性にはないものです。
そのため、平面である生地を立体にうつすとき、
その「差」の処理として、ダーツ、タック、ギャザーが用いられます。
ウエストとヒップの大きな差は、
洋服のボトムスを作る上でのもっとも重要なポイントであり、
服の美しさは、その処理の仕方によって生まれると言っても過言ではありません。

1970年代に入り、
服全体のシルエットがタイトなものになると、より体にフィットした、
つまりウエストにタックもギャザーもできないスタイルのパンツが要求されるようになりました。
それはあくまで見た目の問題で、
機能的なものではありませんでした。

しかし、女性の身体のウエストとヒップの大きな差は、依然そのままです。
ウエストとヒップの差が大きければ大きいほど、
余った布の処理は難しくなります。
ストレッチ素材やニットを使わずにウエストからヒップのラインを出すためには、
何らかの工夫をしなければなりません。
やってみればわかることですが、
ある程度の固さのある生地を、
何本ものダーツを入れずにウエストからヒップまでなじませるのは、
簡単なことではありません。
生地には無理が出て、余計なしわが出ることになりますし、
決してはき心地がよいものにもなりません。
そこで発明された1つの形が、
ウエストとヒップの差を少なくすること、
つまり、ウエスト位置をヒップのほうへと近づけるという手法でした。
ローライズと呼ばれるこのウエスト位置は、
当初、格好いいからではなく、
単に技術的な目的のために生まれたものだと思われます。
何かを縛ってとめるとき、
細いところをしばりたくなるのは当たり前の行為。
それをわざわざずらすのですから、それは苦肉の策とも呼べるものでしょう。

ファッションの流行は繰り返します。
ですから、このような、ウエストにタックやギャザーのない、
体にタイトにフィットした形のノータックパンツと、
それとは逆に、ウエストにタックがあり、
緩やかに体にそうタックのあるパンツとが交互に流行します。

このところ長く続いたのは、
ウエストにタックのないノータックパンツでした。
残念ながら、ノータックのパンツには体を補正して見せるという要素がありません。
身体になるべくそわせるということを意図しているのですから、
当然のことながら、ヒップから脚にかけてのラインは、
はいている人、そのままの形です。
また、いわゆる股上のところに水平にラインが出たり、
Y字型が目立って見えるなど、
必要以上に、その人の体型を目立たせるという特徴も持っています。
ノータックパンツをきれいに着こなのすに必要なのは、
理想的な体型でした。
だからこそ、私たちは服を自分にあわせるのではなく、
自分たちが服にあわせるべくダイエットに励むのです。

しかし、このようなタイトフィットのノータックパンツも行きつくところまでいくと、
必ず今度は後戻りすることになります。
そして今また、タックパンツの時代に入ろうとしているところです。

パンツの美しさというものは、
すっとまっすぐに下に落ちていく、その生地の流れでしょう。
折山にタックをとり、センタープレスをかけることで、
縦線はより強調され、脚そのものの形を目立たせることなく、
ウエストから足元へと、見るものの視線を導きます。
女性特有の、ウエストからヒップのカーブも、
タックをとることにより、自然と解消され、
下腹部のふくらみも、
太ももの太さも、はっきりとはわかりません。
また、水平ラインにしわが出ないため、
脚の長さもより長く見えるようになります。
そこにはもう、
下半身そのもののシルエットを外へさらして出て歩くような
気恥かしさはありません。
タックパンツをはくことで、ウエストから下は窮屈な履き心地から解放され、
他人の視線から守られます。

すべての流行は、行きつくところまでいったら、
必ず今度は逆の方向へ戻ってきます。
その先はもう行き止まりで、不毛な開発しかないからです。
もはやそこには着やすさ、楽しさ、リラックス感など、存在しません。
過度なダイエットを要求するような服は、それ自体、危険な存在です。
盲目的な利益追求主義者と、
市場の動きこそが正しいと断言する経営者たちが作る、
それら危険な服を、私たちは断固拒否することができます。

女性が男性のズボンをこっそりはいてみて、
鏡の前に立ったときのあの感動は、
ウエストからヒップにゆったりとタックができ上がり、
下半身が目立つこともなく、
自由に行動することができる、その点にあったと推測できます。
なんと自由なんだろう、そして見た目もそんなに悪くはない。
これなら女性がはいても悪くはないのではないか。
男性のズボンをはいてみた女性たちは、きっとそんなふうに感じたことでしょう。
もしそれがぴったりしたニットのズロースであったなら、
余りの恥ずかしさに、そのままの姿で外を歩こうと思う女性は
いなかったのではないでしょうか。

女性がズボンをはくことは、今では当たり前になりました。
100年前に、それは当たり前のことではありませんでした。
ズボンをはいた女性は非難の対象でした。
けれども今、私たちは、下半身を目立たせることなく、
脚をすっと長く見せるタックの入ったパンツを、
選ぶことも、選ばないこともできます。
それは100年前の女性が持っていなかった権利です。
後戻りするつもりがないのなら、
より進化したタックパンツを選びましょう。
それは選ばされるのではなく、
こちらから選ぶのです。
主導権はしっかり握っているのです。
奪われては、いけません。


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2014年12月8日月曜日

着崩し


着崩しにおいて、「崩し」とは何を崩すのでしょうか。
それは全体のバランスです。
全体のバランスをわざと崩した状態を着崩しと呼び、
それはおしゃれの1つの方法とされています。

外しのテクニックも、全体を100パーセント同じにしないという方法も、
すべて着崩しの中に入ります。
ですから、着崩しのテクニックとしては、
ジャケットの袖をまくるというのも、
外したアイテムを投入するというのも、
たとえば、パンツの丈や袖丈をアンバランスにするというのも、
すべて、それは着崩しなのです。
なぜこれほどまでにバランスを崩す方法を選ぶのでしょうか。
それはおしゃれとは、常に完璧を嫌がるものだからです。

たとえば、コレクションで発表されるスタイルは100パーセント完璧です。
そのブランドの表現したいことを、
一ミリの誤差もなくあらわしています。
しかし、ショーが終わり、
モデルではなく、街を歩く人が、そのショーのスタイルそのままであらわれたら、
それは少しおしゃれから遠のくのです。

たとえば、ハイブランドの広告用のスチール写真も完璧です。
イメージにふさわしいモデルの選抜、メイク、照明、小道具、セット、またはロケーションまで、
そのブランドのそのシーズンに言いたいことを余すことなく伝えています。
しかし、これもコレクションのスタイルと同じように、
同じままのスタイルで街を歩いたとしても、
注目されるのはその人ではなく、服やバッグになるのです。

最近は少々状況が変わってきてはいますが、
基本的に、ショーや広告用スチールのモデルは、
その人となりを表現しません。
あくまで服を目立たせるため選ばれたマネキン。
その人自身が服より先に出てはいけません。
ですから、ショーや広告スチールにおいて、
服よりもそのモデルの印象が強いようでは、
それは失敗です。

しかし、街へ出たならば、
要求されるのは、それと全く違った要素です。
服や靴やバッグが目立ち、
その人そのものが忘れ去られるようでは、
意味がないのです。
それはおしゃれな服、靴、バッグであり、
おしゃれな人ではありません。

おしゃれな人に見せるために、
おしゃれな人たちは工夫します。
それがいわば着崩しです。
完璧に提案されたスタイルを少しずつ切り崩していくことによって、
より自分に近づけます。
わざとジャケットの袖をとってみたり、
パンツを中途半端な丈にしてみせたり、
美しいバッグにファンシーな小物をつけてみせるのはそのためです。

提案されたブランドのスタイルをそのまま身につけるのなら、
それは着る人にとって、アイデンティティの崩壊を意味します。
なぜなら、人はもうその人自身を見ようとはしないからです。
見られるのはその服や靴やバッグの情報。
製造者、製造年月日、そしてその値段がその人の持つ情報となり、
その人の情報は希薄になり、瞬時に消費されていきます。
もはや、それは個人ではありません。

完璧なバランスを崩すことには、
もう一つ意味があります。
完璧には、それ以上という状態がありません。
完璧とは、それで行き止まりということです。
もう進歩はありません。
これ以上、発展も進歩も発達もしないということは、
実に退屈なことです。
そして、行き止まったその先には、崩壊が待っています。

完璧に行きついてしまったら、
人は崩壊を恐れて防御態勢に入ります。
そして、攻撃こそ最大の防御と言わんばかりに、
高く壁を築き、誰かからの関心を持たれることを拒み、
少しでも壁を越えて入ってこようものなら、
ここぞとばかりに攻撃します。
完璧な人は、崩壊を恐れる人であり、
もはや魅力のなくなった人です。
魅力がないということは、つまり、おしゃれではないということです。

完璧でないとは、すなわち魅力なのです。
そして、まだ未来があり、
発展する可能性が残されていて、
多くの人とコミュニケーション可能ということです。
それは、着崩すことによって、表現できます。

誰かとコミュニケーションをとりたいのなら、
そして、もっと発展したいのなら、
どうぞ着崩しを取り入れてください。
壁は自分で崩されるものではなく、自分で崩すもの。
完璧でないものは、永遠に進化し続け、
誰にも壊すことはできないのです。


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2014年12月1日月曜日

自分をあらわすシンボルを持つ

服装は、アクセサリーや靴、バッグも含めて、
そして選ぶ色合いも含めて、
その人の情報です。
特に初めて会う人、
または、たまたますれ違うだけの人にとっての、
重要な判断材料になります。

どんなテイストの服を選ぶかで、
その人の趣味や仕事を推測し、
どんな色を着ているかで、
性格や気分を判断します。
この判断は瞬時に、しかも半ば無意識的に行われます。

いつのころからでしょうか。
持ち物やバッグにブランドのロゴや刻印が押されるようになり、
人々は、自分の情報を補強するために、
こぞって、それらのブランド名のわかるものを持つようになりました。
(定かではありませんが、60年代の終わりごろからの傾向だと思います。
戦後すぐには、なかったはずです)

その傾向が強くなると、
今度はその「ブランド品」が、製造者として以外の情報を持つようになり、
人々は、その読みとり能力を高めていきました。
その結果が現在です。
ある1つのブランドのバッグは、
そのブランドだけではなく、何年のいつのシーズンのものか、
値段はいくらか、どこで売っていたか、
限定品かそうではないかまで、
あたかも文字で書いているかのごとく、
事細かな情報をそれを見る側に提供するようになりました。

しかし、どこまでいっても、ブランド品からわかる情報は、
その人そのものの情報ではありません。
高いものを持っていればお金持ちというわけでもありませんから、
それを所持していることによりわかることは、
そのモノそのもののことだけであって、
その人自身のことではありません。

私たちは、そう簡単に読みとれるような、単純な存在ではありません。
値段も、番号も、属性もついていませんし、
それによって、差別、区別されるいわれもありません。
しかし、だからといって、すべてのコミュニケーションを拒否するかのように、
みんなと同じものを着て、群衆の中に埋没するのもおかしな話です。
では、そんな私たちという存在が、
他人に何か自分についてのヒントを与えるとしたら、
どんなものが望ましいのでしょうか。

シンボル、つまり象徴は、簡単に読みとれるものではありません。
何種類もの解釈が可能であり、
時と場合、また文脈や関係によって、意味が変わってきます。
たとえば、赤は情熱の色であると同時に、
信号の止まれの色です。
それは、その使われ方によって、意味が変わります。

自分をあらわすシンボルを持つことは、
他人とのコミュニケーションとる1つの方法です。
しかも、それは簡単には読みとれない、しかし明らかに何か意味のある、
メッセージを発することになります。

シンボルを持つとはどういうことか。
たとえば、バラならバラ、星なら星のモチーフというように、
1つ自分の好きなものを決めて、
そのシンボルに関係するものをスタイルに取り入れます。
星と決めた場合は、
星柄のスカーフ、
星の形のペンダントヘッド、
星の形のスタッズなど、
何かを選択するときは必ずそのモチーフを選択します。
それをいつも身につけたり、持ったりすることによって、
あなたは他人にいつも星に関するものを身につけている人というイメージを与えます。
実際のところ、その星が何を意味するのかはわかりません。
天体観測好きなのか、
占星術師なのか、
本当のところはわかりません。
しかし、その連続したイメージは、
必ずや、相手に何かを伝えます。
そして、伝えられた相手には、あなた自身とともに、そのシンボルを記憶し、
いつの日か、興味を持つようになります。
その興味こそ、その人とあなたとのつながりです。

シンボルは、どんなものでも構いません。
小鳥でも、猫でも、りんごでも、水玉でも、ボーダーでも、パールでも、
あらゆるものが可能です。
重要なのは、それはいつも繰り返され、統一されているということです。

「ブランド品」が伝えるメッセージは、あまりに単純で、一瞬で消費されます。
しかし、シンボルは複雑で、難解で、決して消費されることはありません。
一瞬で消費されるものは、それ以上の興味を引きませんが、
理解できないものとは、興味の尽きない対象です。

人は、誰かに100パーセント理解されることの決してない存在です。
それは時と場所では、
出会う人とでは、
ある光のもとでは、
いつでも違うのです。

シャネルは星のモチーフを好みました。
星モチーフを使ってジュエリーを製作しています。
彼女が星を使ったのは、
彼女が永遠に輝き続ける「スター」を目指したからなのか、
それともそれ以外に理由があるのか、
本当のところはわかりません。
しかし、シャネルの星を見た者は、
そんな彼女のことを想像するのです。
そして、ダイヤモンドの星を見れば、彼女を思い出します。

あなたにふさわしいシンボルは何でしょうか。
決して読みとることのできない、
そして、いつまでも興味の続く、
そんなシンボルを1つ選んで身につけてください。

人はそのシンボルとあなたとを紐づけて記憶します。その記憶が持続する限り、あなたは魅力的な人であり続けるでしょう。

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2014年11月24日月曜日

ダッフルコート

もとは漁師の防寒着として、
後にイギリス海軍の防寒着として採用されたのがダッフルコートです。
通常は、裏なしで、メルトンと呼ばれる厚地の生地が用いられ、
胸と背中のヨーク切り替え、大きなフードとパッチポケット、
そして、麻ひもとトグルと呼ばれる角や木片などを用いた留め具が特徴です。
トグルとは、もともと釣り用の浮き具。
そのため、木片や動物の角など、
水に浮く素材が使用されています。

軍服なので、もともとは男性用の防寒着。
しかし、これほどまでに広く老若男女に好まれるコートも、
ほかにはないのではないかと思います。

ダッフルコートの特徴は、
その完成されたデザインでしょう。
メルトン以外の、たとえばニットや綿入りのポリエステルで作られることはあったとしても、
その他の部分においては、もはや誰も改造することができないほど、
デザインが完成されています。
丈が長くなったり、
身頃がタイトになったりすることはあっても、
そのほかの部分は変わることなく、
ずっと同じ形で今も続いています。
変わらぬデザイン、
子どもから大人まで、
女でも男でも着用できる懐の深さ、
これこそまさにベーシックです。

さて、そんなダッフルコートですが、
大人の女性が着るとなったら、
そこには何か工夫が欲しいところです。
特に、カジュアル、ユニセックス、しかも子どもまでも着るようなものは、
何も考えずに着ると、子どもっぽかったり、
男性と変わらないスタイルになります。
子どものようでもなく、
男性にはできないやり方で、
ダッフルコートを着ることができれば、
それは単なるカジュアルな防寒用コートではなく、
おしゃれのために選んだ、特別なコートになります。

そのためにはどうしたらいいのか。
ダッフルコートがもともと持っているイメージから遠いものをあわせることです。
つまり、
軍人という男性から遠いもの、
たとえばジーンズとチノパンツ、アランニットなど、
いわゆる「海の男」を彷彿とさせるようなものだけで全体をコーディネイトすることを避けて、
そのかわり、
か弱く、美しく、非戦闘的で、ゴージャスで、リラックスできるものを組み合わせていきます。
女性にとってのそれは、
たとえば、シルクのブラウス、ミニスカート、華奢なヒールのパンプス、
花柄のドレスなど、
パンツと組み合わせたいのであれば、
男性が身につけないような色のダッフルコートを選ぶか、
または、靴や小物をうんと女っぽく、
決して男が選ばないような、
たとえば赤い靴、きらきら輝く素材が使われたバッグやストールなどを組み合わせます。

おしゃれとは、イメージの換骨奪胎です。
特に軍服オリジナルデザインのものは、
どこまでオリジナルのイメージを払しょくできるかが勝負です。
ダッフルコートに、同じマリンスタイルのボーダーを持ってくることも、
もちろんできます。
紺色のダッフルコートに、紺色のボーダー柄のニットは、
確かによく似合います。
けれども、それだけで終わりにしないで、
どこか必ず、もとのイメージから遠く離れたい。
絶対に「戦えないスタイル」にしたいのです。
なぜならそれを考えるのが、大人のおしゃれだからです。
そこが、学生とは違うところです。

遠く離れるために持ってくるものは、
レースのスカートかもしれないし、
シフォンのブラウスかもしれません。
または、真っ白なダッフルコートを選んで、ほとんど白でコーディネイトしてみることかもしれません。

考えること、
工夫をすること、
そのまま着ないこと、
これらが大人のおしゃれです。
与えられたそのままではなく、
教えられたそのままでもなく、
自分で見つけて、
自分で構築する。
失敗を繰り返しながら、
誰もが知っている正解などない、
「自分らしさ」の表現の仕方を探っていく。
それをできるのが、大人という立場です。
それなしに、与えられたひとそろえをただ着続けるならば、
それはただ子どものままだということ。
その「らしさ」は、決してその人の「らしさ」ではありません。

ダッフルコートの持つイメージと戦って、
どれだけ「戦い」から遠ざかるか。
戦争を放棄した私たちは、
それを考えなければならないのです。
それはこれからもずっとです。
それは、永遠に、そうなのです。


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2014年11月17日月曜日

デニム(その位置づけ)


デニムとは、通常はインディゴ、または藍色の染料で染めた糸を縦糸に、
染めていない糸を横糸として、綾織りに織った、
厚みのある木綿の生地の総称です。
多くはジーンズを作る際に用いられますが、
ジャケット、その他、用途は広がっています。

ジーンズに代表されるように、
歴史的に丈夫で、破れにくいデニムは、
主に作業着のために用いられてきました。
一説によると、インディゴは虫よけの役割もしたと言われています。
そのため、今でもデニムには、作業着由来というイメージがつきまといます。

戦後、特に70年代以降、
若者のあいだでジーンズが大流行したことによって、
ジーンズ及び、デニムで作られたアイテムは、
若さの象徴となりました。
デニムは長いあいだ、作業着、または若者の衣装としての位置づけでした。

カジュアル化が進み、さまざまなカジュアルな素材やアイテムが、
街着として登場し、認められるようになりました。
カジュアルであるとは、
それがスポーツウエアやアウトドア用のウエアであったか、
作業着であったか、
下着であったか、
それぞれにもともとはおおやけの場では着るべきではなかったもの、
という由来を持つということです。
それらは、スポーツウエアであったポロシャツ、
下着であったTシャツやキャミソール、
そして、作業着であったデニムで作られたジーンズやGジャンと呼ばれるジャケットです。

カジュアル化の後に来るものは、
これらのブランド化です。
ハイブランドがこれらをデザインし、グレードアップすることによって、
それらはより認められ、どこへ着ていってもおかしくない存在になります。
ここのところ、デニムのブランド化、グレードアップ化が特に進み、
ジーンズだけではなく、
デニムのコートやテイラードカラーのジャケット、ドレスまでが出現しています。

そのことは、着こなしの幅が広がり、選択肢がふえるという意味でも、
洋服の中のヒエラルキーが崩壊するという意味でも、
歓迎すべきことなのですが、
大人になればなるほど、それらを取り入れるときには注意が必要です。

グレードアップしたデニムですが、
それは残念ながら、やはり若者のものであり、元作業着です。
特にデニムについて、ほかの素材ともっとも違うのは、
素材のよしあしが、見ただけではほとんど判断できないという点です。
どういうことかというと、
そのデニムがどこ産なのか、
オーガニックコットンなのか、
有名な生地屋のブランド生地なのか、
見たところでは、ほとんどわからないのです。

ジーンズははいてしまえば、5万円以上するような高価なジーンズでも、
量販店で売っている3000円のジーンズでも、
見た目には、その差がわかりません。
それはほかの天然素材であるウールやシルクなどとは、この点が大きな違いとなります。

大人が陥りがちなのは、
これは高価なジーンズ、またはデニムでできたジャケットやコートなので、
どこへ着ていっても恥ずかしくないだろうと勘違いすることです。
しかし、生地で差がつけられないデニムは、
どこまでいっても、若者のものであり、作業着です。
ということはつまり、どんなに高いジーンズを身に付けたところで、
チープに見える可能性が高いのです。

大人がデニムを作業着としてではなく身につけるときは、
そのチープさをそのまま出さないように、
バランスをとることが必要です。
年をとればとるほど、
そのチープさを上回るようなラグジュアリーな素材のものやジュエリーをあわせたり、
または作業着とは全く別方向の靴やバッグをあわせることにより、
全体の平均値を上げなければなりません。
それなしに、いい年の大人が、何の工夫もないジーンズ、Tシャツ、スニーカーで街を歩くとしたら、
それはかなり危険な行為と言わざるを得ません。

若者はそれをする必要がありません。
若さはそのチープさを凌駕します。
しかし、いい年の大人がそのチープさを放置したならば、
それは単なる貧しさであり、格が下がることを意味します。

幸いなことに、このところ新しく出てきたジーンズやデニムのジャケットには、
それだけ着てもチープに陥らないように、
豪華な刺繍がされていたり、スワロフスキーのクリスタルが縫いつけてあったりします。
それらは、ジーンズそのものがバランスをとっていますから、
あまり全体のコーディネイトを気にせず着ることができます。

確かに大人になれば、肉体や肌の若さは失われます。
しかし、それとは引き換えに、手に入れたものがあるでしょう。
若さも1つの輝きではあるけれども、
大人であるならば、若さとは違った輝きを、
長い年月をかけて、培ってきたはずです。
デニムを身につけるとき、
それが外にあらわれます。
それが鍛え抜かれた肉体や知性や技術なのか、
はたまた、戦いの後に手に入れた優しさなのか、
それはもちろん、人それぞれ違います。
人それぞれ違うように、それぞれがそれぞれに似合う方法で、
それを表現すればよいのです。
答えはいつでも、1つではありません。

☆写真:セルビッチがどうとか言われても、普通の人にはわかりません。


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2014年11月10日月曜日

理想のボディ(トルソー)を探すべし


今日は上級編です。
色についても、細かいテクニックも理解し、
実践できるようになったけれども、
なぜか「格好良く見えない」、その理由についてです。

オーダーメイドの落とし穴」で、
オーダーしたその人の身体に単純にゆるみを足しただけの服を作ったところで、
格好良い服にはならないと書きました。
この場合、オーダーメイドでしたが、
では、既製服の場合はどうでしょうか。

既製服メーカーは、ほぼすべて工業用ボディというものを使っています。
(トルソーはフランス語ですが、日本で婦人服を作る現場では、
ボディと呼ぶのが通常です)
そして、その工業用ボディにシーチングと呼ばれる、
木綿の生地をのせて、トワルという布のもとがたを作成することによって、
紙のパターンを作ります。
(シーチングとは、つまり、シーツの生地ということです。)

この工業用ボディですが、
どのような基準で作られているかというと、
ある一定の日本人女性の体型の平均値によって作られます。
工業用ボディの目的は、
多くの人に着られるように作るということです。

日本人女性の体型が理想の体型かと言えば、
それは違います。
理想とは、常に今の自分よりも上の状態です。
平均的な顔と、美しい顔は違うように、
平均的な体型と、美しく格好良い体型も違います。

しかし、日本の多くのアパレルメーカーは、この工業用ボディを使ってパターンを作ります。
専属のフィッティングモデルを使って、
トワルチェックをするのは、ごく一部の限られたブランドのみです。
どんなに大手であっても、シーチングで作ったトワルを縫って組み立てて、
実際にそれをモデルに着せてチェックするところは、ごくごく少数派です。
ほとんどは、ボディに着せたまま、しかも半身のみで、
サンプルを作成します。
そして、サンプルを着てみるのはほとんどの場合、
そこの会社のスタッフです。
理想の体型のモデルではありません。

つまり、日本の多くのアパレルメーカーは、
理想の体型のための、格好いい服を作っているわけではないのです。
着てみて、平均値に近くなるための服を作っています。

ここまで書いておわかりでしょうか。
この最大公約数を目的として作られた工業用ボディを使ったパターンでできた服を着たところで、
格好良く見えるわけがありません。
なぜなら、彼らは格好良いことなど、目指してはいないからです。

例として、写真を見てください。
これはBUNKAボディです。
20年以上前のものなので、今は少し改良されたとは思います。
一見してわかるのは、前側に傾斜した首と、
猫背気味、しかも肉づきのいい背中、そして鳩胸です。
つまり、日本人平均女性の体型とは、
このように、背中が丸まって、鳩胸で、首が前に出ている、
ということなのです。
このボディが着て美しいジャケットを、
もし私が着たならば、私は不必要に猫背になり、
背中の部分が余り、鎖骨のあたりはぶかぶかになります。
もちろん、それは私にとって理想でも、格好いい姿でもありません。
よって、私はBUNKAボディで作られた服は、着たくありません。

80年代半ば、日本中がバブルで浮かれていたころ、
アルマーニのジャケットが、おしゃれな人のあいだで一世風靡をしました。
なぜか。
アルマーニが提案する、格好いい体型が、
この日本の平均的体型とは全く違うものだったからです。
そのジャケットは袖を通しただけで、
猫背が解消され、背筋がしゃんと伸び、
誰でもが、格好良く見えたのです。
服、特にジャケットのように、中に芯を入れ、形が作られた服には、
このように肉体を違うように補正する効果があります。
80年代半ば、インポートブランドが多く入るようになったとき、
一部のおしゃれな人たちは、そのことに気づいたのです。

パリコレクションに参加するようなブランドは、
独自のボディを使います。
そして同時に、独自の理想とするフィッティングモデルを必ず雇っています。
また、デザイナーが交代したら、そのボディもかえているはずです。
エディ・スリマンのサンローランは、
それ以前のサンローランとは、絶対に違うボディを使っています。
着てみれば、その違いは明らかです。

どんなジャケットを着ても、何となく垢ぬけて見えない、
自分の理想に近づかないのは、
もともと、あなた自身の理想とする体型のボディを使って作った服を選んでいないからです。
そんな服は、誰が着ても、その程度のものなのです。
なぜなら、彼らの理想は、不特定定多数にたくさん売ることなのですから。

幸いなことに、現在、日本だけでなく、各国からのインポート・ブランドが手に入る環境に、私たちはいます。
そのすべての中には、どこかに必ず、理想とするボディを使って服作りをしているブランドがあるはずです。

では、どうやって自分の理想のボディを使って服作りをしているブランドを見つければいいのでしょうか。
それは、自分で端から着てみる以外、方法はありません。
どんなに誰かが骨格を診断したところで、
そんなことは、決してわかりません。
また、洋服を着るときに重要なのは、骨だけではなく、筋肉と脂肪のつき方、
そして姿勢です。
洋服の構造やパターンを理解せず、
骨格だけで判断できると考えるならば、
それは素人考えにすぎません。
(言っておきますが、服のパターンは、専門学校に3年行ったぐらいでは、
絶対に理解できません)

西洋美術の歴史を見てみればわかるように、
ルネッサンス以降、理想の肉体美の追求というテーマが必ず出てきます。
ミケランジェロのダヴィデ像が美しいのは、
イタリア人男性平均体型だから、ではないのです。
理想としての、憧れとしての、たどりつきたい体型だからなのです。
それは、街を歩けばごろごろ転がっているような体型では、決してありません。
そして、日本には、このミケランジェロのダヴィデ像に匹敵する、
理想の体型の追求という文化がないのです。

もちろん、専属のフィッティングモデルがいるようなブランドのものは、
安くはありません。
ですから、全身をそれでそろえろとは言いません。
けれども、できればジャケットとコートは、
自分の理想の体型のボディを使ったブランドのものを買うことをお勧めします。
そんなブランドは、自分の欠点を隠し、理想の体型にその人を近付けます。

チェックポイントは、横と、後ろ姿です。
ベテランの販売員の方以外の言葉を信じてはいけません。
どんなに不格好でも買おうとさせるのが、今の販売の姿勢です。
販売員の方とは、適当に話をあわせ、
いつもの自分より、自分がより理想に近づいているかどうかチェックしてください。
猫背に見えたり、変なところにしわができたり、
姿勢が悪く見えるなら、そのジャケットは、あなたに合ってはいません。
さっさと次を探しましょう。
もちろん、単なる白いシャツも、ニットもすべてにおいて、
いいパターンのものは、凡庸な体型を理想に近づけるようにできているのですが、
当面のところ、ジャケットとコートだけの試着で構いません。
それを着てみれば、大体すべてわかります。
ジャケットがだめなところは、すべてだめです。

自分の体型の欠点を知っているのも自分、
そして理想の体型を知っているのも自分です。
誰もが同じ体型を目指しているわけではありません。
だから、誰からも、どこのブランドが自分にぴったりか、教わることはできません。
文章を読んだだけでもだめ、
雑誌のモデルが着ている写真を見ているだけでもだめです。
それがわかるのは、実際に着てみたときだけです。
行動しないことには、何もわからないし、変わりません。
自分で行動したものだけが、理想の自分に近づけます。
それ以外、願いがかなう方法は、残念ながら、ありません。

☆写真:これはBUNKAボディですが、ほかの日本の工業用ボディも大差ありません。


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