2012年の決定的なシルエットの変化とともに、ペプラムが復活しました。
ペプラムとは、ウエストに切り替えを入れ、腰にかけて、大きく広がるようにフレアやプリーツを入れる、装飾の技法の1つです。
ペプラムの復活は、何を意味するのでしょうか。
ペプラムが多くみられるのは50年代のファッションです。
ディオールのバージャケットは、ウエストで切り替えてはいないので、
ペプラムではありませんが、シルエットは同じです。
しかし、それがオリジナルかというと、そうではありません。
19世紀半ばのバッスル・スタイルと呼ばれる、スカートの後ろ部分のみ膨らませたスタイルや、
ヴィクトリア朝時代に流行した、スカート全体を大きく膨らませるスタイルに、
ペプラムの源流を見ることができます。
特徴は、ウエストを細く、そしてそれに続く腰のラインを大きく膨らませることによって強調するスタイルであるということです。
つまり、これは女性性の復活です。
私たちは、無意識のうちに、失われた女性性の復活を、シルエットで表現します。
でも、この15年ばかり、服のウエストはとても細かったではないかと思われるでしょう。
確かにそれはそのとおりです。
しかし、それは、腰を強調するためのウエストの細さではなく、
体全体を細く見せるためのものであり、発達したストレッチ素材を使って、
最初から細い設定のウエストにしたのでした。
ですから、そこには高度な技術が必要な、ダーツのテクニックは用いられていません。
一方、今出てきているペプラムは、
ウエストを細く見せるためのダーツやフレアを駆使したテクニックであり、
ウエストの実寸の細さを要求しているわけではありません。
では、張り出した腰は何を意味するのでしょうか。
土偶の女神像を見ていただければわかるように、
豊穣さを表現するために、女神の腰は大きくなくてはなりませんでした。
たくさん産むということは、同時にクリエイティブであるということです。
そして、その表現として、原始時代から、女神の像や絵画は、大きな腰で表現されることが多いのです。(クラナッハは除きますね)
長い間、ウエストから腰を装飾する、無駄なペプラムは敬遠されてきました。
女性性は軽んじられ、
効率的であること、無駄のないことが優先されました。
子供を産み育て、長時間労働ができない女性よりも、
男並みに働く、無駄のないスーツ姿の女性がよいとされてきました。
けれども、その結果、世界はやせ細り、何も生み出さないほど、疲弊しました。
心はいつも不足感でいっぱいで、いくら甘いものを食べても満たされません。
そしてやっと気付きました。
(もちろん、それは無意識のレベルで)
役に立たないと思われたそのものは、ほんとうは必要だったのです。
それなしでは、私たちは何も生み出せないのです。
これから先何年かは、女性性を強調、または感じさせるシルエットや装飾が数多く復活してくるでしょう。ペプラムはその一例です。
それは確かに無駄です。
役立たずです。
だけれども、豊かです。
その豊かさは、自然が持っている豊かさと同じものです。
誰にでも、気前よく、無尽蔵に与えるもの。
そこに不足感はありません。
「欲しい」の時代から「与える」時代への転換期です。
「愛されたい」から、「愛する」に変わります。
愛などというものは、与えても与えてもなくならないものなのです。
ペプラムの復活は、そんな女性性の再認識であり、
豊かさの表現です。
豊かであることこそ女性らしい、
服を通して私たちは、そこに再びかえるのです。