多くの人にとって「おしゃれ」そのものが人生の目的ということはありません。
人それぞれ、その人生での目的や達成すべきことがあるはずです。
それは何かを成し遂げることかもしれませんし、
魂の成長かもしれませんが、
とにかく「おしゃれ」や「ファッション」が人生の目的ではないはずです。
例えば、1本の映画を思い浮かべてみてください。
もしその映画の目的が「おしゃれ」であるならば、
アカデミー衣装デザイン賞が取れればいいはずです。
けれども、いまだかつて、アカデミー衣装デザイン賞を取ることが、
その映画の目的達成であり、成功であったことはなかったでしょう。
映画の目的は観客を感動させたり、考えさせたり、行動する動機を起こさせたりすることであり、
その衣装は、その目的をサポートするための道具にすぎません。
ですから、どんな監督も映画のプロデューサーも、
アカデミー賞の作品賞が欲しいのです。
また、そこに出演している女優であったら、
自分がどんな衣装を着ていたとしても、欲しいのは主演女優賞であり、
着ていたものが素晴らしかったからといって、衣装デザイン賞で満足する、
ということはあり得ません。
人生においても同じことが言えます。
おしゃれが目的化してしまうと、
何のためにその衣服を着るのか、
また、どうしたいからそれを買うのか、
そして集めるのか、維持し続けるのかわからなくなり、
最終的に、手をつけられないほどに困ってしまうという事態に陥ります。
そして、明日、もしくは今日着ていく衣服について悩む時間が多くなり、
似合うものに出会うため、何度も何度も買い足して、
挙句の果ては、その捨て方さえわからなくなってしまう、
ということになりかねません。
私たちは、同じように方法が目的化してしまって、失敗した人たちをたくさん見てきました。
大学に入ることを目的化した人、
会社に入ることを目的化した人、
外国に住むことを目的化した人、
結婚することを目的化した人、
そのどれもがほとんどの場合、うまくいきません。
これらすべて、何かのためになされるものなのに、
それを目的化してはいけないのです。
おしゃれが目的化し、それが達成されたところで、
そこに真の幸せはないでしょう。
おしゃれなど、お金さえあれば、簡単に達成できます。
おしゃれは、その人の人生の目的をサポートするためのものです。
その人がその目的をよりよく達成するために奉仕すべき存在です。
主従関係で言えば、明らかに従の立場にあるものです。
まずは自分の人生の目的について考えてみましょう。
それはほんのささやかなものかもしれませんし、
必ずしも、誰か他人から認められるものではないでしょう。
それでもそれは何かしらあるはずです。
そうでなければ、この世に生まれているはずがありませんから。
おしゃれが人生にとって従だとわかれば、
すべての優先順位がわかるでしょう。
今まさに、おしゃれを優先しすぎているのなら、
考え直すとよいでしょう。
そうすれば、自分が既に持っている時間や労力、経済力といったエネルギーの配分の仕方も決まってきます。
おしゃれにエネルギーをかけ過ぎても、
人生の目的は達成されません、
そのことを忘れないように、自分のエネルギーを使いましょう。
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