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2014年3月17日月曜日

服とバスト

オーダーメイドでない限り、
普通の人々は既製服を着ることになります。
出来合いなので、必ずしもぴったりというわけにはいきません。
どこかしらに不具合が出てきます。
袖丈、着丈、肩幅など、不具合が出る個所はさまざまですが、
バストが合わないことによる不具合は、致命的です。

既製服のサイズの設定は、あくまで平均値です。
日本の場合は、日本の女性の平均値をもとに7号、9号、11号というように、
サイズ分けしてあります。
服に限って言えば、
胸が大きい人に、現代の既製服は似合いません。
それは構造的な問題です。

服は生地から構成されています。
生地は二次元の平面ですが、それを人間の身体という三次元の世界へ変換させます。
人間の身体には凹凸がありますから、生地をそのままではなく、
何とかその凹凸にあわせなければなりません。
そのあわせ方の方法は、時代やその地域の文化によって違っていました。
古くギリシャ時代の衣装はドレープを多用することによって生地を身体に合わせました。
日本の着物は、生地をなるべく切らず、身体にのせるという方法で身体に合わせました。
現代でも、世界を見渡せば、「西洋服」を採用していない文化圏もたくさんあります。

古代ギリシャのドレープや、日本の着物とは違って、
洋服は、生地に切り替え線やダーツを入れる方法によって身体にそわせてきました。
もちろん、そのほうが身体にぴったりとした衣服ができ上がります。
身体にはぴったりそうようにはなりますが、その半面、
パターンは複雑になり、カットされた後、大量の切れはしが発生します。

既製服は、多くの人に、効率的に、工場で大量生産するために発達してきたものです。
工場製品であるので、無駄はなるべく省いていきます。
そのときにまず考えるのが、この大量に発生する切れはしをなくすことです。
そのためには、身体にそうとはいえども、なるべくカーブの少ない、
無駄のないパターンが望ましくなります。
カーブの少ない、無駄の少ない服が似合うのはどんな体型か。
それは、凹凸の少ない体型ということです。

オーダーメイドから既製服に大きく変化したのは、60年代から70年代にかけてだと思われます。
50年代のファッション誌を見てみると、
バストと細いウエストが強調された、複雑なパターンのジャケットが多く提案されています。
しかし、それらは既製服ではありません。
50年代の後半にピエール・カルダンがパターンの複雑でない、まっすぐなラインのプレタポルテを発表し、60年代に入り、身体に凹凸の少ない、モデルのツィッギーが出現しました。
複雑でないパターンの服、そしてそれの似合うモデルの出現は、
これから始まる既製服の大量生産時代には、必須の出来事でした。
そして、その流れは現在も続いています。
コレクションを見ればわかりますが、どのモデルもスレンダーで、女性的な曲線は強調されていません。
その理由は、彼女たちが既製服のためのモデルだからにほかなりません。

以上のような理由から、現在の既製服は胸の大きい人には似合わないようにできています。
日本では、サイズの規格は決まっているので、どこで何を試着しても同じです。
胸が大きいと、サイズの号数が大きくすることでしか対応できません。

実際、バストのサイズがあまりに合わないと、服は大きく崩れます。
それは見るも無残な姿です。
丈は直せますが、バストの幅は直せません。
脇で出せたとしても、全体のラインは崩れます。

対処の方法としては3通りあります。
まず1つは、日本規格以外のもので自分に合うもの方法。
外国のブランドは、日本の規格とは違いますから、サイズのバランスも変わってきます。
探していけば、自分の体型に合うバランスのブランドがあるかもしれません。
ただ、外国製品で注意しなければならないのは、製品によってサイズ感が大きく違うということです。
このブラウスで40はよくても、ドレスの40はだめであるとか、
また、去年はよかったけれども、今年はだめなどあります。
必ず試着して、サイズ感を確認してから買うようにしてください。

次は、バスト寸法があいまいなデザインのものを選ぶ方法です。
服のでき上がり寸法のチェックは、ボディ(フランス語だとトルソー)に着せて行います。
そのとき、ダーツやダーツ分をとるための切り替え線のゆるみが多すぎると、はねられることになります。
しかし、胸のあたりがタック、ドレープ、ギャザー、プリーツの場合は、ゆるみはそのまま認められます。
日本のサイズ規格のもので選ぶとしたら、ダーツ、パネル切り替えのものは避け、違う方法で胸のダーツ処理をしているものを選べばいいわけです。
そして、それがタック、ドレープ、ギャザー、プリーツということになります。
もちろん、最近は、シルエット全体がゆるくなってきていますので、そういったビッグシルエットのものを選ぶという方法もあります。

そして最後ですが、これは既製服はあきらめて、オーダーで服を作る方法。
こうすれば、身体にフィットした、胸によって全体が崩れることのない服はできますが、値段が高い、パターンとセンスのいいオーダーのお店がないなどが難点でしょう。

胸が大きいほうがいいとか悪いとか、
また、胸が小さいほうがいいとか悪いとかいう価値観は、どれも絶対的なものではなく、相対的なものです。
地域、文化圏、そして個人の嗜好によって大きく異なってきます。
だから、どちらがいいかでもめるのは意味がありません。
大体、自分の胸の大きさなど、自分で決めて作ったものではないでしょう。
そして、手術でもしない限り、自分で変化させられるものでもありません。
それは、私たちのコントロールの外にあるものです。
コントロールできないものについて、いい、悪いと決めつけるなど愚かなこと。
受け入れること、認めること、それ以外できません。

残念ながら、既製服の世界では、大きい胸は受け入れられませんでした。
だからといって、落ち込む必要はありません。
小さいほうがいいという言う人も、大きいほうがいいと言う人も、
その価値観に縛られた、囚われた不自由な人たちです。
その人たちはいわば、目がふさがれていて、個々の美しさというものが見えない、哀れな存在です。
そんな人たちの言うことは聞く必要がありません。
美しさというものは、そんな人たちには負けません。
美しさとは、言葉をこえた音であり、目には見えない消えない光であり、神様がくれた力です。
そしてそれは、最後にいつも勝つものです。