オーダーメイドでない限り、
普通の人々は既製服を着ることになります。
出来合いなので、必ずしもぴったりというわけにはいきません。
どこかしらに不具合が出てきます。
袖丈、着丈、肩幅など、不具合が出る個所はさまざまですが、
バストが合わないことによる不具合は、致命的です。
既製服のサイズの設定は、あくまで平均値です。
日本の場合は、日本の女性の平均値をもとに7号、9号、11号というように、
サイズ分けしてあります。
服に限って言えば、
胸が大きい人に、現代の既製服は似合いません。
それは構造的な問題です。
服は生地から構成されています。
生地は二次元の平面ですが、それを人間の身体という三次元の世界へ変換させます。
人間の身体には凹凸がありますから、生地をそのままではなく、
何とかその凹凸にあわせなければなりません。
そのあわせ方の方法は、時代やその地域の文化によって違っていました。
古くギリシャ時代の衣装はドレープを多用することによって生地を身体に合わせました。
日本の着物は、生地をなるべく切らず、身体にのせるという方法で身体に合わせました。
現代でも、世界を見渡せば、「西洋服」を採用していない文化圏もたくさんあります。
古代ギリシャのドレープや、日本の着物とは違って、
洋服は、生地に切り替え線やダーツを入れる方法によって身体にそわせてきました。
もちろん、そのほうが身体にぴったりとした衣服ができ上がります。
身体にはぴったりそうようにはなりますが、その半面、
パターンは複雑になり、カットされた後、大量の切れはしが発生します。
既製服は、多くの人に、効率的に、工場で大量生産するために発達してきたものです。
工場製品であるので、無駄はなるべく省いていきます。
そのときにまず考えるのが、この大量に発生する切れはしをなくすことです。
そのためには、身体にそうとはいえども、なるべくカーブの少ない、
無駄のないパターンが望ましくなります。
カーブの少ない、無駄の少ない服が似合うのはどんな体型か。
それは、凹凸の少ない体型ということです。
オーダーメイドから既製服に大きく変化したのは、60年代から70年代にかけてだと思われます。
50年代のファッション誌を見てみると、
バストと細いウエストが強調された、複雑なパターンのジャケットが多く提案されています。
しかし、それらは既製服ではありません。
50年代の後半にピエール・カルダンがパターンの複雑でない、まっすぐなラインのプレタポルテを発表し、60年代に入り、身体に凹凸の少ない、モデルのツィッギーが出現しました。
複雑でないパターンの服、そしてそれの似合うモデルの出現は、
これから始まる既製服の大量生産時代には、必須の出来事でした。
そして、その流れは現在も続いています。
コレクションを見ればわかりますが、どのモデルもスレンダーで、女性的な曲線は強調されていません。
その理由は、彼女たちが既製服のためのモデルだからにほかなりません。
以上のような理由から、現在の既製服は胸の大きい人には似合わないようにできています。
日本では、サイズの規格は決まっているので、どこで何を試着しても同じです。
胸が大きいと、サイズの号数が大きくすることでしか対応できません。
実際、バストのサイズがあまりに合わないと、服は大きく崩れます。
それは見るも無残な姿です。
丈は直せますが、バストの幅は直せません。
脇で出せたとしても、全体のラインは崩れます。
対処の方法としては3通りあります。
まず1つは、日本規格以外のもので自分に合うもの方法。
外国のブランドは、日本の規格とは違いますから、サイズのバランスも変わってきます。
探していけば、自分の体型に合うバランスのブランドがあるかもしれません。
ただ、外国製品で注意しなければならないのは、製品によってサイズ感が大きく違うということです。
このブラウスで40はよくても、ドレスの40はだめであるとか、
また、去年はよかったけれども、今年はだめなどあります。
必ず試着して、サイズ感を確認してから買うようにしてください。
次は、バスト寸法があいまいなデザインのものを選ぶ方法です。
服のでき上がり寸法のチェックは、ボディ(フランス語だとトルソー)に着せて行います。
そのとき、ダーツやダーツ分をとるための切り替え線のゆるみが多すぎると、はねられることになります。
しかし、胸のあたりがタック、ドレープ、ギャザー、プリーツの場合は、ゆるみはそのまま認められます。
日本のサイズ規格のもので選ぶとしたら、ダーツ、パネル切り替えのものは避け、違う方法で胸のダーツ処理をしているものを選べばいいわけです。
そして、それがタック、ドレープ、ギャザー、プリーツということになります。
もちろん、最近は、シルエット全体がゆるくなってきていますので、そういったビッグシルエットのものを選ぶという方法もあります。
そして最後ですが、これは既製服はあきらめて、オーダーで服を作る方法。
こうすれば、身体にフィットした、胸によって全体が崩れることのない服はできますが、値段が高い、パターンとセンスのいいオーダーのお店がないなどが難点でしょう。
胸が大きいほうがいいとか悪いとか、
また、胸が小さいほうがいいとか悪いとかいう価値観は、どれも絶対的なものではなく、相対的なものです。
地域、文化圏、そして個人の嗜好によって大きく異なってきます。
だから、どちらがいいかでもめるのは意味がありません。
大体、自分の胸の大きさなど、自分で決めて作ったものではないでしょう。
そして、手術でもしない限り、自分で変化させられるものでもありません。
それは、私たちのコントロールの外にあるものです。
コントロールできないものについて、いい、悪いと決めつけるなど愚かなこと。
受け入れること、認めること、それ以外できません。
残念ながら、既製服の世界では、大きい胸は受け入れられませんでした。
だからといって、落ち込む必要はありません。
小さいほうがいいという言う人も、大きいほうがいいと言う人も、
その価値観に縛られた、囚われた不自由な人たちです。
その人たちはいわば、目がふさがれていて、個々の美しさというものが見えない、哀れな存在です。
そんな人たちの言うことは聞く必要がありません。
美しさというものは、そんな人たちには負けません。
美しさとは、言葉をこえた音であり、目には見えない消えない光であり、神様がくれた力です。
そしてそれは、最後にいつも勝つものです。