ファッションとは変化です。
変化が常態です。
ですから、変化が止まったら、
それはすなわちファッションの死を意味します。
人もそれぞれ変化していきます。
人の変化は成長と呼ばれます。
年齢が若ければ若いほど、
1年の成長の幅は大きくなります。
成長の速度と距離は、人によってそれぞれです。
同じように、何歳まで成長し続けるのかも、
人によって違います。
多くの人は、年齢が上がれば上がるほど、
その成長の幅を縮めていきます。
時代に即して変化していくファッション、
年齢とともに変化していく人、
その交点にその人のワードローブがあります。
成長の幅が大きい人の場合は、
ワードローブに流行が大きく反映され、
成長が止まったならば、
ワードローブが流行に影響される割合はぐっと少なくなります。
シルエット、色、素材にも流行があり、
それは少しずつ変化していきます。
プルミエール・ヴィジョンのブックを見るまでもなく、
60年代の色と、2000年代の色と、2010年代の色は違います。
同じように人も、年齢とともに好きなシルエット、色、素材が変わっていきます。
そして、そこへ変化が遅い、物質としてのでき上がった服が入り込みます。
物質としての服の変化は、いわゆる経年による変化、
また洗濯による劣化、着用による摩耗や着用回数は、
もともとの素材の性質によって異なります。
当たり前のことですが、
着用回数が多いものは、劣化のスピードも早くなります。
活発な子どもは成長の度合いが大きく、
身体の変化が激しいので、その成長にふさわしく、
古いワードローブから脱皮していきます。
次にやってくる若い時代は、
精神的な成長の度合いが著しく、
それに伴いワードローブを変化させます。
誰でも二十歳のころの服を、
30歳になったとき、同じように着たい気持ちにはなりません。
若い時代が過ぎ、大人として成熟していく段階で、
成長の速度の個人差が大きくなります。
そこで成長をとめた人のワードローブは、
進化することを停止させます。
もはや服を着ることは生活に必要な行為であるだけであって、
ファッションと無縁になっていきます。
それは別に悪いことではありません。
生き方の1つです。
その生き方を誰かに否定される筋合いはありません。
しかし、もしファッションを目指すなら、
変化を受け入れなければなりません。
変化を拒むもの、恐れるものは、
ファッショナブルにはなれません。
時代が変わっていくならば、
それにあわせて進化していく。
若い肉体にもう戻れないとしても、
鍛えて維持をする。
常に精神を若々しく保ち、
過去に執着しない。
これらは、身体も心も、
そして物質的にも身軽でなければできないことです。
重くなりすぎたら、素早く変化に対応することは、不可能です。
物質的な服の劣化を見極めながら、
あくまで身軽に、
一度決めたことを葬り去る勇気と、
新しいことにチャレンジする進取の精神とを持ち続けるならば、
いつでもファッショナブルでいることは可能です。
それは実際の肉体年齢の問題ではありません。
ファッションとは変化です。
ですから、ファッショナブルな人とは、
変化に対応し、
進化し続ける人です。
他人によるレッテル貼りや、意味づけ、決めつけなどの、
多くの制止を振り払って、
走り続ける人こそが、
永遠におしゃれな人です。
★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。