昔、テレビ番組のコーナーで、
文化服装学院の卒業生のタレントの方が、
街ゆく人をつかまえて「ファッションチェック」なるものをし、
あれやこれやだめだしするというものがありました。
あれは、いいところを見つけることよりも、
悪いところを抽出することにポイントが置かれた演出で、
チェックされた方たちもみな一様に「笑うしかない」様子でした。
内心は傷ついていらっしゃったのではないかと想像します。
そういう私も、
とある雑誌の取材を受けたとき、
「大人の女性のファッションのだめな点を教えてくれ」と言われました。
けれども私は、
「おしゃれはしてもしなくてもいいものだと考えているので、
おしゃれかどうかという点において、ダメ出しはしない。
それに私はいつもいいものを探しているので、
誰かのダメな点を見ようとはしていない」と答えました。
ほとんどのおしゃれについてよく知っている人、
あるいは勉強した人たちが探しているのは「いいもの」です。
観察する目的は「いいもの」を見つけることです。
そりゃあ、絶対に誰かのよくないところが目に入ることはない、
とは断言できません。
ストレッチのきいたパンツに下着のラインが出ていたら、
それは気になります。
けれども、あるとしたらその程度で、おしゃれかどうかは関係ありません。
世の中に、心から引きつけられるものはそう多くはありません。
その少ないものを探すためには、どうでもいいものを見ている余裕などないのです。
玉石混交の中から玉を見つけるために、いちいち拾った石について吟味している暇がないのと同じこと。
私たちが育てているのは、玉を素早く見つける目です。
その玉とは、ブランドのロゴではありません。
ロゴは単なる情報です。
私たちが探しているのは情報ではありません。
私たちが探しているのは心が動かされるという現象です。
画家の名前でその作品がいいものかどうか判断するのは素人です。
それでは贋作に騙されます。
贋作に騙されない目を持てば、どうでもいいものの前では素通りすることができます。
言えるのは、
おしゃれな人たちから変に思われるのかなんて気にしなくていいということ。
そして、
探すならいいものを。
いつでもいいものを見つめて。
いいものに意識を向けて。
そうすれば、いいものはこちらにやってきます。
まずは、いいものを見つめ続けてください。
日常の中で、いつもの場所で。