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2013年10月14日月曜日

やわらかく壊していく

モードの流れが一気に変わる時期というものは、そうそうあるものではありません。
約14年に1度ほど。
しかも、それは直角の曲がり角ではなくて、
ゆるやかなカーブです。
しかし、そのカーブを曲がりきったら、
もう後ろは見えなくなります。
後ろが見えなくなるころ、それまでの流行は忘れ去られます。

モードの先端をいくブランドでは、
すべてのアイテムの構造をやわらかく壊していく動きが盛んです。
今まで重く固かったもの、
防御のために使われていたものが、すべてやわらかい素材に変換されていきます。
そして、それは大きな流れです。

何年か前、バーバリー・プローサムで発表された、
総レースのトレンチコートは、その走りだったと思います。
それまで誰もトレンチコートをレースで作ったことなどなかったのです。
なぜなら、戦闘服でもあるトレンチコートがレースで作られてしまったら、
機能しなくなるから。
レースで作った途端、身体を防御するという役目は奪われます。
機能や効率を奪うことで、すでにある価値観が壊されます。
レースのトレンチコートは、形だけはそのままではありますが、
もうすでにトレンチコートではないのです。
それは、優雅なレースの防御しないコートの形をしたドレスです。

この動きが今になって盛んになってきました。
今まであるものを、柔らかさが壊していきます。
服は、柔らかく、繊細で、壊れやすい素材で、次々に作り変えられていきます。
コートやジャケットはジョーゼットに、
ジャンパーはレースに、
ニットは、向こうが透けて見えるほど大きな網目に、
パンツはシルクサテンに、
今まで、しっかりとした形を持っていたものが、
さわるとほどけてしまいそうな、するすると抜け落ちていきそうな、
素材で作られます。

これはもちろんフェミニティの新しい表現の形です。
それまでの女性らしさは、どちらかというと形そのもので表現されてきました。
強調した胸や腰、
細いウエストなど、
女性の身体の曲線を強調、または逆に無視することで、
フェミニティは表現されてきました。

完全なる無視は、完全なる認識と同じです。
女性性を否定すれば否定するほど、女性性は追ってきます。

これからの流れは、そのどちらもとりません。
なぜなら、極端な女性性の強調も、完全なる否定も、
二極化を強めるだけだからです。
強めもせず、弱めもせず、浸食すること、
やわらかな力で壊していくこと、
ジェンダーの境界線をあいまいにしていくことが、今の流れです。
境界線をあいまいにすることにより、
服は、女性や男性であるということよりも、
より服を着る人そのものをあらわにしていきます。
もう隠れようがない、隠すことができないというのが、
これから主流になっていく服です。

隠されたものは、必ず表に出てきます。
嘘をついても、もう無理です。
服を着ている姿だけで、わかってしまいます。
「若さ」という隠れ蓑をかぶることができなくなったそのときに、
残っているのは何でしょう?
それは傲慢や怠慢?
それとも、思いやりや努力の跡?
どちらを選ぶかはご自由に。

その人が魅力的であるのか、そうでないのか、
それが判断基準です。
服がその人より前に立つことはできません。
忘れないでください。
服の魅力とその人自身の魅力とは、無関係です。