モードの流れが一気に変わる時期というものは、そうそうあるものではありません。
約14年に1度ほど。
しかも、それは直角の曲がり角ではなくて、
ゆるやかなカーブです。
しかし、そのカーブを曲がりきったら、
もう後ろは見えなくなります。
後ろが見えなくなるころ、それまでの流行は忘れ去られます。
モードの先端をいくブランドでは、
すべてのアイテムの構造をやわらかく壊していく動きが盛んです。
今まで重く固かったもの、
防御のために使われていたものが、すべてやわらかい素材に変換されていきます。
そして、それは大きな流れです。
何年か前、バーバリー・プローサムで発表された、
総レースのトレンチコートは、その走りだったと思います。
それまで誰もトレンチコートをレースで作ったことなどなかったのです。
なぜなら、戦闘服でもあるトレンチコートがレースで作られてしまったら、
機能しなくなるから。
レースで作った途端、身体を防御するという役目は奪われます。
機能や効率を奪うことで、すでにある価値観が壊されます。
レースのトレンチコートは、形だけはそのままではありますが、
もうすでにトレンチコートではないのです。
それは、優雅なレースの防御しないコートの形をしたドレスです。
この動きが今になって盛んになってきました。
今まであるものを、柔らかさが壊していきます。
服は、柔らかく、繊細で、壊れやすい素材で、次々に作り変えられていきます。
コートやジャケットはジョーゼットに、
ジャンパーはレースに、
ニットは、向こうが透けて見えるほど大きな網目に、
パンツはシルクサテンに、
今まで、しっかりとした形を持っていたものが、
さわるとほどけてしまいそうな、するすると抜け落ちていきそうな、
素材で作られます。
これはもちろんフェミニティの新しい表現の形です。
それまでの女性らしさは、どちらかというと形そのもので表現されてきました。
強調した胸や腰、
細いウエストなど、
女性の身体の曲線を強調、または逆に無視することで、
フェミニティは表現されてきました。
完全なる無視は、完全なる認識と同じです。
女性性を否定すれば否定するほど、女性性は追ってきます。
これからの流れは、そのどちらもとりません。
なぜなら、極端な女性性の強調も、完全なる否定も、
二極化を強めるだけだからです。
強めもせず、弱めもせず、浸食すること、
やわらかな力で壊していくこと、
ジェンダーの境界線をあいまいにしていくことが、今の流れです。
境界線をあいまいにすることにより、
服は、女性や男性であるということよりも、
より服を着る人そのものをあらわにしていきます。
もう隠れようがない、隠すことができないというのが、
これから主流になっていく服です。
隠されたものは、必ず表に出てきます。
嘘をついても、もう無理です。
服を着ている姿だけで、わかってしまいます。
「若さ」という隠れ蓑をかぶることができなくなったそのときに、
残っているのは何でしょう?
それは傲慢や怠慢?
それとも、思いやりや努力の跡?
どちらを選ぶかはご自由に。
その人が魅力的であるのか、そうでないのか、
それが判断基準です。
服がその人より前に立つことはできません。
忘れないでください。
服の魅力とその人自身の魅力とは、無関係です。