例えば、評判高いおいしいイタリアンレストランの、
ごくシンプルなアサリのパスタには、
小さく渦を巻くパスタの丘のてっぺんに刻んだイタリアンパセリがトッピングされています。
もしこの刻んだイタリアンパセリがなかったら、
おいしいけれども、決め手を欠いた、特に印象のない一皿になっていたでしょう。
また例えば、これもまた、1度食べたら忘れられないような、
パリの有名なパティシエのもとで修業したパティシエ―ルが作るガトーショコラも、
ほんの少し振りかけられた黄緑色のピスタチオのかけら、
もしくはフリーズドライの真っ赤なラズベリーの粒がなかったら、
それは平凡な1日のための、凡庸なおやつにすぎないでしょう。
では、おしゃれの仕上げには何を振りかけたらいいでしょうか?
忘れられないぐらいに引きつけられるような、
そして、どうしたらそうなれるかどうしても知りたくなるような、
そんなルックにするためには、何が必要でしょうか?
今これを読んでいる皆さんがご存知かどうかはわかりませんが、
私は個人向けに、ワードローブ構築の仕方を教えるファッションレッスンというものを長年、実施してきました(今は個人向けにはやっていません)。
教えて何年目かすると、奇妙なことが起き始めました。
いらっしゃる方の半分ぐらいでしょうか。
なぜか私のところへ来て、私ではないどこかほかのファッション関連でアドバイスされたことや、
もしくは誰かからお勧めされたことについての不平不満をおっしゃるのです。
カラー診断でこの色が似合うと言われたけれども着たくない。
骨格診断でこの服がいいと言われたけれども嫌だ。
あなたにはこのブランドがいいと言われたけれども嫌いだ。
これがおしゃれだと言われて買ったけれども、
誰もおしゃれと言ってくれないし好きではない、などなど。
基本的に私のスタンスは「着たいものを着ればいい」なので、
これらすべての「どうしたらいいか?」という問いに対する
答えは「着たくないなら着る必要はない。着たいものを着ればいい」だけでした。
それはきっとお似合いの色と形なのだと思います。
そして、誰かはそれを今はやりのおしゃれであると宣言したのだと思います。
けれども、服というものは着て初めて成立するのです。
その人と、その服と、一緒になって一つのルックを作り上げます。
そのときに、その人が嫌だ、嫌いだ、本当は着たくないと言い、
そればかりではなく、その気分のまま着たのでは、
それではおしゃれに見えないのです。
あなたが鏡にうつる自分を見て、ポジティブな感情を抱くことができず、
ネガティブな感情を持つのなら、
その嫌だという気持ちは、
あたかも振りかけたものすべてをまずいものに変える地獄の料理の調味料のように、
すべてを台無しにしてくれるのです。
気に入らないのに着ている、
嫌だと思いながら着ている、
納得がいかないのに着ている、
そのときに、その気持ちは最後の仕上げとなって、
あなたのその服の上に振りかかります。
あなたはその嫌な気持ちの見えないベールをまといます。
結果、そのルックはよくて平凡なもの、
悪くすれば、何かしら「嫌な」ものに見えてしまいます。
なぜならあなたがそれを見る観察者へと伝えたのは、
その色が似合うであるとか、形が合うであるとかいうことではなく、
気に入らない、
嫌だという気持ちだからです。
気は、物よりも複雑で多彩な印象を強く人に伝えます。
あなたのその嫌だという気持ちは、
何よりも強く観察者へと訴えます。
好き、楽しい、嬉しいという気持ちは、
おしゃれの仕上げの最高のトッピングです。
全体が引き締まります。
それ以外の部分が引き立ちます。
もしその好き、楽しい、嬉しいという気持ちがなかったのなら、
それは味気ないもの、つまり特別おしゃれなものには見えなくなってしまうでしょう。
見えないからといって、
気持ちをあなどらないように。
それはそこにあります。
そして、それは伝わります。
あなたにも、
そして他人へも。
強く、ずっと、残っていきます。
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