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2012年8月6日月曜日

ビッグ・シルエット

今の季節、雑誌はもう既に秋物の特集ですし、店頭にもちらほら秋物が並び始めました。
2012年の春を境にシルエットが変わってしまったわけですが、
秋冬に向かって、その変化は加速し、どんどん形が大きくなってきました。
タイトなシルエットからビッグ・シルエットへの移行です。
もちろんすべてのアイテムがビッグになるわけではありませんが、
コートを中心としたアウターは間違いなく大きくなるでしょう。

さて、ビッグ・シルエットの流行は80年代半ばから90年代にかけてもありました。
あの時代、シャツ、パンツ、スカート、コート、すべてのアイテムが大き目に作られていました。
(このおかげか、今ほどダイエットがブームではなかったと思います)
「大きいことがかっこいい」、そんなふうに見えるのが80年代、90年代でした。
では、この80年代のビッグ・シルエットとこれからやってくるビッグ・シルエットは同じなのでしょうか。
答えは、違います。
今年から始まるビッグ・シルエットは決して80年代と同じではありません。
よって、80年代、90年代のコートを掘り出してきて、そのまま着ても、今風には見えません。
ではどこが違うのでしょう。

皆さんは、80年代、90年代のファッションを覚えていらっしゃいますか?
80年代生まれだったら、覚えてないかもしれませんね。
けれども、それより前だったら、まだ記憶があるはずです。
あのころ、日本人デザイナーたちが一世風靡したそのシルエットは確かにビッグでした。
ビッグで、黒く、そして四角いものでした。
この形のバリエーションが80年代に流行した日本発のファッションです。
ポイントは「四角」です。
四角いシルエットを作るために、パターンからは曲線が消え、肩線は丸みを消すために、
分厚いパッドが入れられました。

私がちょうどアパレルで働いていた90年代は、まだまだ肩パッド全盛期で、
パッドなしのジャケットやコートなど、考えられない時代でした。
肩が丸いラグランスリーブにさえ、無理やり肩パッドが入れられました。
ふわふわのワンピースでさえ肩パッド入りでした。
とにかく、シルエットが四角くなければだめだったのです。

あの頃のデザイナーたちは何を目指していたのでしょう。
黒く、四角く、骨ばって、ノーメイクで、平らな靴。
あのころ、強調されたのは、こういった女性のマスキュリンのサイドでした。
四角い服や、固い肩パッドは、女性の丸みを消すためのもの。
パステルカラーは封印され、黒や紺といった、影のような、そして制服のような色がよいとされました。
そこには、スイートのかけらもありません。
甘いものなど忘れて、ハードさが求められました。
それを象徴しているかのように、最も流行った日本のブランド名は、
「少年のように」でした。

けれども、今年から始まるビッグ・シルエットは違います。
誰も、少年のようになれなどと、言いません。
あのときから閉じ込められた、女性的な体が復活します。
今回のビッグ・シルエットは、女性の体を隠すためのものではなく、
その体をより美しく見せるためのものなのです。

実際の大きな違いは、まず肩パッドでしょう。
似たようなビッグ・シルエットのコートでも、2センチもするような肩パッドは入ってないはずです。
入っていたとしても、ごく薄いものでしょう。
ジャケットも同様です。
もう2センチ肩パッドのいかり肩には戻りません。
つまり、もう四角ではないのです。
丸い曲線が入ります。

またただのビッグではなく、装飾的にも大きくなるでしょう。
ドレープ、フリル、タックなど、布をたくさん使い、たたむことによってシルエットを作ります。
80年代の、北風に負けないための壁のような衣服ではなく、
風が吹いたら、それに揺れる服です。
それは女性の肉体をより美しく見せるためのものです。

また、80年代はビッグ・シルエットに必ずマニッシュな靴をあわせましたが、
今回は、そうはならないでしょう。
もちろん、シルエットが大きくなった分、スーパー・ハイヒールをあわせる必要もなくなったわけですが、だからといって、ヒールの靴はなくなりません。
これからのビッグ・シルエットは、最後のバランスをヒールの靴を合わせることによって完成させるものが数多くあります。
ヒールの靴というものは、やはり洋服にとっては、女性性の象徴なのです。
ですから、その象徴はこれからも使われます。

確かに、女性が男性のような服装をすると、魅力的に見えることもあります。
シェイクスピアの芝居の中の、
「ヴェニスの商人」のポーシャも、「十二夜」のヴァイオラも男装していました。
けれども、それは物語の中の困難を乗り越えるためにとりいれたもので、
最終的な目的ではありません。
ポーシャもヴァイオラも、最終幕の最後の場面では、ドレスを着てでてきます。
彼女たちは、男性のように生きるために男装したのではなく、
女性として、女性らしく生きるために、その手段として途中で男装しただけです。
決して、男のようになりたかったわけではありません。

裸になって、深い海に潜って、意識の中から捨てたものを拾ってきて、
海面に浮かびあがったら、
まるでボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」のように女神が生まれるのです。
今、私たちがそれぞれやる作業は、まさにそのことです。
捨てろと言われた、
捨てるのが格好いいと言われた、
捨てなければいけないと思わされた、
その捨てたものを拾ってきて、再び思い出すときです。
それをしないと、深い海の底から、死んだと思っていた、自分の一部が暴れ出し、
嵐をおこして、あなた自身に復讐します。
なぜなら、それは決して死なないから。

本当に今年からの数年間、あらわれるファッションは楽しみです。
やっといろいろな呪縛から解放されます。
その呪いは人それぞれだと思いますが、
何より一番大きなものは、あなた以外のものにならなければいけないという呪いでしょう。
もう自分以外のものになるための努力はやめましょう。
もうそんなことをしても無駄だって、わかったはずです。
そして、ファッションを利用しましょう。
少年のようになるためにではなく、
自分自身になるために。