今の季節、雑誌はもう既に秋物の特集ですし、店頭にもちらほら秋物が並び始めました。
2012年の春を境にシルエットが変わってしまったわけですが、
秋冬に向かって、その変化は加速し、どんどん形が大きくなってきました。
タイトなシルエットからビッグ・シルエットへの移行です。
もちろんすべてのアイテムがビッグになるわけではありませんが、
コートを中心としたアウターは間違いなく大きくなるでしょう。
さて、ビッグ・シルエットの流行は80年代半ばから90年代にかけてもありました。
あの時代、シャツ、パンツ、スカート、コート、すべてのアイテムが大き目に作られていました。
(このおかげか、今ほどダイエットがブームではなかったと思います)
「大きいことがかっこいい」、そんなふうに見えるのが80年代、90年代でした。
では、この80年代のビッグ・シルエットとこれからやってくるビッグ・シルエットは同じなのでしょうか。
答えは、違います。
今年から始まるビッグ・シルエットは決して80年代と同じではありません。
よって、80年代、90年代のコートを掘り出してきて、そのまま着ても、今風には見えません。
ではどこが違うのでしょう。
皆さんは、80年代、90年代のファッションを覚えていらっしゃいますか?
80年代生まれだったら、覚えてないかもしれませんね。
けれども、それより前だったら、まだ記憶があるはずです。
あのころ、日本人デザイナーたちが一世風靡したそのシルエットは確かにビッグでした。
ビッグで、黒く、そして四角いものでした。
この形のバリエーションが80年代に流行した日本発のファッションです。
ポイントは「四角」です。
四角いシルエットを作るために、パターンからは曲線が消え、肩線は丸みを消すために、
分厚いパッドが入れられました。
私がちょうどアパレルで働いていた90年代は、まだまだ肩パッド全盛期で、
パッドなしのジャケットやコートなど、考えられない時代でした。
肩が丸いラグランスリーブにさえ、無理やり肩パッドが入れられました。
ふわふわのワンピースでさえ肩パッド入りでした。
とにかく、シルエットが四角くなければだめだったのです。
あの頃のデザイナーたちは何を目指していたのでしょう。
黒く、四角く、骨ばって、ノーメイクで、平らな靴。
あのころ、強調されたのは、こういった女性のマスキュリンのサイドでした。
四角い服や、固い肩パッドは、女性の丸みを消すためのもの。
パステルカラーは封印され、黒や紺といった、影のような、そして制服のような色がよいとされました。
そこには、スイートのかけらもありません。
甘いものなど忘れて、ハードさが求められました。
それを象徴しているかのように、最も流行った日本のブランド名は、
「少年のように」でした。
けれども、今年から始まるビッグ・シルエットは違います。
誰も、少年のようになれなどと、言いません。
あのときから閉じ込められた、女性的な体が復活します。
今回のビッグ・シルエットは、女性の体を隠すためのものではなく、
その体をより美しく見せるためのものなのです。
実際の大きな違いは、まず肩パッドでしょう。
似たようなビッグ・シルエットのコートでも、2センチもするような肩パッドは入ってないはずです。
入っていたとしても、ごく薄いものでしょう。
ジャケットも同様です。
もう2センチ肩パッドのいかり肩には戻りません。
つまり、もう四角ではないのです。
丸い曲線が入ります。
またただのビッグではなく、装飾的にも大きくなるでしょう。
ドレープ、フリル、タックなど、布をたくさん使い、たたむことによってシルエットを作ります。
80年代の、北風に負けないための壁のような衣服ではなく、
風が吹いたら、それに揺れる服です。
それは女性の肉体をより美しく見せるためのものです。
また、80年代はビッグ・シルエットに必ずマニッシュな靴をあわせましたが、
今回は、そうはならないでしょう。
もちろん、シルエットが大きくなった分、スーパー・ハイヒールをあわせる必要もなくなったわけですが、だからといって、ヒールの靴はなくなりません。
これからのビッグ・シルエットは、最後のバランスをヒールの靴を合わせることによって完成させるものが数多くあります。
ヒールの靴というものは、やはり洋服にとっては、女性性の象徴なのです。
ですから、その象徴はこれからも使われます。
確かに、女性が男性のような服装をすると、魅力的に見えることもあります。
シェイクスピアの芝居の中の、
「ヴェニスの商人」のポーシャも、「十二夜」のヴァイオラも男装していました。
けれども、それは物語の中の困難を乗り越えるためにとりいれたもので、
最終的な目的ではありません。
ポーシャもヴァイオラも、最終幕の最後の場面では、ドレスを着てでてきます。
彼女たちは、男性のように生きるために男装したのではなく、
女性として、女性らしく生きるために、その手段として途中で男装しただけです。
決して、男のようになりたかったわけではありません。
裸になって、深い海に潜って、意識の中から捨てたものを拾ってきて、
海面に浮かびあがったら、
まるでボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」のように女神が生まれるのです。
今、私たちがそれぞれやる作業は、まさにそのことです。
捨てろと言われた、
捨てるのが格好いいと言われた、
捨てなければいけないと思わされた、
その捨てたものを拾ってきて、再び思い出すときです。
それをしないと、深い海の底から、死んだと思っていた、自分の一部が暴れ出し、
嵐をおこして、あなた自身に復讐します。
なぜなら、それは決して死なないから。
本当に今年からの数年間、あらわれるファッションは楽しみです。
やっといろいろな呪縛から解放されます。
その呪いは人それぞれだと思いますが、
何より一番大きなものは、あなた以外のものにならなければいけないという呪いでしょう。
もう自分以外のものになるための努力はやめましょう。
もうそんなことをしても無駄だって、わかったはずです。
そして、ファッションを利用しましょう。
少年のようになるためにではなく、
自分自身になるために。