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2014年6月2日月曜日

エフォートレス・スタイル

2014年現在、ファッションの流れはエフォートレス、つまり努力を要しないスタイルへ向かっていることは、明らかです。
肩パッドを取り払ったなだらかな肩線、
ドレスにスニーカーや、ヒールのないコンフォート・サンダル、
ウエストのゴムやひも、
パジャマパンツやスウェットパンツの外着化、
どれもゆるく、リラックスしたものばかりです。
これらには、一時期流行った、「寄せてあげる」タイプの、
布とボーンで作られた、サイボーグのようなブラジャーは必要としません。
カップつきのキャミソールや三角ブラなど、
インナーも体を必要以上にしめつけない、
着心地が楽なものが向いています。

ハイヒールを完全に捨てたわけではありませんが、
それは1日中はくものではなくなり、
必要に応じて、フラットヒールとはき分けます。
テイラード・ジャケットを着るときもありますが、
固い芯地もパッドも入っていません。

これらは「体」の感覚の問題です。
高いヒールも、締め付ける下着も、
体に努力を要求したものでした。
高いヒールは足の長さと、形の見え方の、
肩パッドは肩の傾斜の、
寄せてあげるブラジャーは、胸の形状の、
現状の否定であり、変形の強制でした。
その強制を実行するために、体は無言で努力し続けました。
しかし今それは、やっとのことで、する必要のない努力となりました。

一方、エフォートレスには、努力したように見えない、何気ないという意味もあります。
これまで高く評価されてきたのは、
努力の痕跡が見える、
これ見よがしのスタイルでした。
ファッションにとっての努力とは、
必要以上の自己顕示欲であり、
他人との競争でした。
目標が競争にとってかわったため、
おしゃれに見えることよりも、そちらのほうが重要だと、
多くの人が錯覚するようになりました。
その競争とは、
誰よりも新しく、高価なものを持つことでした。
そして、情報としてのファッションが跳梁跋扈しました。

しかし、本当におしゃれな人々は、
その「これ見よがし」なスタイルが、
全くおしゃれではないということを知っています。
あまり語られることはありませんが、
やり過ぎや、
自己顕示欲丸出しの、
誰が見てもわかるような新しいもの、高価なものを見せびらかすだけのスタイルは、
おしゃれには見えないのです。
それは消費される歩く情報です。

新しいものは半年で消費され、もうすぐ次のものが出てきます。
時間が流れる限り、これは終わりのない競争です。

エフォートレス・スタイルとは、
体が無理な努力をしないリラックスしたスタイルであると同時に、
新しさや、値段の高さで値踏みされることのないスタイルです。
その道を見つけるためには、
実は努力が必要です。
新しいもの、高価なものの追求は、
お金があればだれでもできますが、
それをこえたところで、値踏みされないスタイルの追求と構築は、
知性や色に対する感性、審美眼がなければ、持つことができないからです。
逆に言えば、それさえ持ってしまえば、
努力したように見えない、かつ情報として消費されないスタイルが手に入ります。

エフォートレス・スタイルがもっと評価されるようになれば、
資本主義経済の中のファッション産業の方向性も、
変わらざるを得ないでしょう。
服も靴もバッグも、半年で消費され捨てられるようなものではありません。
そして、あなたも私も、
情報として消費されるような存在では、決してありません。
どれもみな、一瞬の中に永遠を刻めるような、
尊い存在です。
そのことが理解できるのもまた、本当におしゃれな人たちです。