西洋の美の伝統を振り返ってみれば、
特に自然に対するその態度の中には必ず秩序(ORDER)
つまりコントロールされることによってなされた様式美や法則性が見てとれます。
自然と美という点でわかりやすいのは芸術としての庭園です。
特にルネッサンス期以降、このコントロールされた様式美は顕著で、
アンドレ・ル・ノートルの設計したパリのテュイルリー庭園や、ヴェルサイユの庭園といった、
フランス式庭園にそれを見ることができます。
自然界に存在する樹木は幾何学的に刈り取りトピアリーにされ、
そのトピアリーを正確に左右対称に配置されたそこには、
自然の姿を見ることはできません。
一方、ラーンスロット・ケイパビリティ・ブラウン設計の
チャッツワ―スやブレナムパレスなどに代表されるイギリスの風景式庭園は、
見た目こそ自然そのものではありますが、
これもまた、コントロールされた自然であり、
決して自然そのままというわけではありません。
中でもウィルダネス(Wilderness)と呼ばれる風景式庭園の一部分は、
まるで自然の中の荒野のようではあるにもかかわらず、
それとて人間の手で人工的に、自然さを装った、
秩序のある自然です。
それはあたかも、3時間かけて作り上げるナチュラル・メイクのようであり、
西洋の美は、それが自然のように見えるものだとしても、
必ずコントロールされているものである、ということがわかります。
衣服においても、そのことは顕著です。
西洋の衣服の歴史において、特に女性の肉体は自然に属し、
コントロールされるべき存在であり、
コントロールされて、そこに秩序があってこそ、
美を感じさせるものでした。
コルセットはその役割を果たし、
そのほかの部分がいくら自然に乱れて、自由に動き、膨張していったとしても、
肋骨を含む胸郭をコルセットを使うことによってコントロールされている、
その姿勢に西洋の人々は美を感じていたのです。
この美意識は、現在の衣服の中にもまだ残っています。
全体の配色を3色以内にする3色ルールも、
色またはシンボルや形状を2か所以上配置し関係性を作る方法も、
上下を同じ色、同じ素材で作り上げるスーツも、
その秩序の1種類です。
思いつきや自然のままではない、意図されたことを取り入れることによって、
美を作りだすのです。
それは人によって考案され、試され、作られた美です。
それは自然ありのままではない。
よって、意図しないことには生まれないものです。
流行によりシルエットが変遷し、
今まで考えられなかったような小ささ、あるいは大きさ、
装飾過多、もしくは無装飾の状態になったとしても、そこに美しさが顕現するのは、
必ずどこかしらこのコントロールされた様式や法則性があるからです。
それが全くなくなると、それは単なる不格好な、意味をなさないものとなり、
それを私たちはファッションではないと感じます。
私たちが装うとき、何かしらおかしい、または何かしら物足りないと感じるならば、
どこかにこのコントロールされた、すなわち秩序を取り入れるとよいでしょう。
使う色を3色以内にとどめ、どこかに関係性を作って、
それでもまだ何か足りないと思えるのなら、
もう1つコントロールされたものを入れればよいのです。
コントロールされるのは何も服そのものだけではありません。
モダンな装いが取り入れたのは、コントロールされた肉体です。
シェイプアップとは、まさにそのことで、
単に痩せていることを指すのではありません。
あくまでも全体のバランスに美があるかどうかが重要で、
実際の体重の多寡よりも、その均整が大事なのです。
しかし、痩せていなくても、コントロールされることは可能です。
痩せていないのならば、装いの中に秩序をしっかりと組み込み、
コントロールされた部分を意図的に作れば、それはそれで意味のあることです。
そのためにはいくつかの方法があります。
それだけで形がはっきりとあるような、立体的で優れたパターンのジャケットやコートを着ることも、
ヒールの靴を履くことも、
固い襟やカフスも、すべて自然の形態そのままではないのですから秩序です。
例えばジャケットやコート、またはドレスの上からする
ズボンがずり落ちないようにする目的ではなく使われるベルトは、
誰でも簡単に手っ取り早くコントロールされた部分を作る方法です。
痩せていないのなら、これらを取り入れて、
自然な肉体がそのまま露見してしまわないようにすればよいでしょう。
もちろん太っていないということは、
肉体がコントロールされているということですから、非常に価値があります。
しかし、それが不可能ならば、
美を作りだすために必要なのは痩せて見せることではなく、
どこかしらコントロールされた部分を取り入れることです。
そうすれば、そこに西洋の美を作りだすことができます。
自己否定から美は生まれません。
美はコントロールすることにより生まれます。
自然のままではいけないのです。
おしゃれとは、そのことを知って自分でコントロールすることです。
コントロールされる存在ではなく、
みずから意図的にコントロールする存在になること、
それが最も重要です。
なぜならそれは、コントロールされた精神の持ち主であることの証だからです。