ほとんどのトレンドは若者のあいだで支持されることから生まれます。
多くの若者が、それは格好いいと思い、それを着たり、持ったり、履いたりすることから広まります。
ファッションのトレンドにおいては、
その逆はありません。
お年寄りのあいだではやっているものを若者が取り入れるようになるということは、
ほぼありません。
ティーンエイジャーに憧れの大人の服はあるかもしれません。
それは憧れなので、簡単には手に届かないものです。
つまり、今の自分は持っていない、持つことができないものです。
今の自分にはないからこそ、それが欲しいと思います。
流行は若いほうから広がるけれども、
若いほうには、今は手に届かない憧れのものがあるという、
下からと上からの、2つの流れがあります。
けれども、若者から広がった流行は、
若者ではないある一定以上の年齢層が「若さ」の象徴として、
意識的にも無意識的にも取り入れ、
ついにはそれがお年寄りにまで広がることによって終わります。
若者は、今の自分には手に届かない大人のスタイルに憧れを抱きつつ、
お年寄りにまで広がった流行は嫌悪します。
自分たちの手に届かないものがいつも憧れであるのに、
お年寄りが同じ格好をしたのでは、憧れようがないからです。
ですから、もし自分にとっての大人であるところの母親が、
一緒にお出かけするときに、自分と全く同じ服装、
例えば、ジーンズにボーダーTシャツ、スニーカーだったら、
娘は同じ格好で出かけるのをやめるでしょう。
ジーンズもボーダーTシャツもスニーカーも、もうすでに持っています。
憧れのものではありません。
そこに何かしら、自分がまだ獲得できないものがないならば、
それは憧れるどこるか、嫌悪の対象となります。
(もちろん、自分のローファーがHRUTAで、ママのローファーがGUCCIだったら、
娘は履き替えないでしょう。だって、ママのローファーは憧れのローファーだからね!)
ある年齢以上の大人が「若さ」の取り入れのために、
若者から発生した流行、それはほとんどの場合カジュアルなものですけれども、
を取り入れれば取り入れるほど、その流行を若者は拒否します。
そうしてそれは徐々に、「若さ」の表現ではなくなります。
「若作り」も「若見せ」も、若くはないということを言っているだけです。
若い人は「若作り」も「若見せ」もする必要がありません。
憧れとしての大人のスタイルと、
若さとしての若者から始まった流行、
どちらを選択するかで見え方が分かれます。
ああいうスタイルをしたいな、と憧れられる存在か、
同じ格好をするぐらいなら着替えてくるわ!と思われる存在か、
ここで分かれます。
どうやったらその分岐点がわかるのか。
街ゆく自分と同年齢ぐらいの人を、
若者視点で眺めてください。
自分の娘や息子がいる場合は、その視点に立ってみるといいでしょう。
彼女ら、彼らが、そのスタイルに憧れを抱くのか否か、
それがわかればわかるでしょう。
若者にとって素敵に見えるスタイルは、
決して若者を真似たスタイルではないでしょう。
憧れの対象のスタイルのほうが魅力的に見えるだろうということは、
言うまでもありません。
そうしてそれがわかるのならば、
選択の余地はないでしょう。
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