私はロンドンが好きで、その後、何度か訪れました。
2000年代に入り、イギリス経済も回復してきたころ、再びロンドンを訪れました。
するとなんと、私が雑誌で見続けていたおしゃれスナップに出てきた人たちがいたのです。
やっぱり、雑誌は正しかったのか、と一瞬思いました。
が、町をよく見ると、そのときはちょうどロンドンファッションウィークだということがわかりました。
また、私が泊っていたホテルの近くに大きな会場があり、そこを目指していろいろなファッションピープルたちが、集合していたため、たまたまそういう集団に出くわしたということもわかりました。
そして、一歩その地域を離れてしまえば、またもとのきらびやかではない、普通の人々がいたのです。
またその次の年はパリに1週間滞在しました。
地下鉄に乗って、ふと前に座っている女の子を見ると、大きな眼鏡に、地味な洋服、そして今どき珍しい、ゴールドのコインのペンダントをしていました。
私は、そのとき新鮮な驚きを覚えました。
このパリでさえ、全くおしゃれなどとは関係ない若い女の子がいるのです。
まあ、よく考えたら当たり前なのですが。
そして、コンテンポラリーダンスを見るために、オペラ座へ向かっていたとき、衝撃的な光景に出会いました。
目の前の大通りを、上から下まで真っ黒のドレスで、髪の毛を小さくまとめた小柄な女性が堂々と道を渡っていきました。
そのドレスは、ヴィクトリア朝のようなスタイルで、まるで映画「ピアノレッスン」の主人公のドレスのようでした。
その彼女が道を渡る姿が、映画のワンシーンのように、私の目に焼きつきました。
流行など全く関係ありません。
もちろんブランド物でもありません。
ヴィンテージか、あるいは自作のドレスでしょう。
彼女は、自分の行く先しか見ていません。こそこそした感じなど全くないのです。
まるで、彼女にとって、パリは舞台装置で、自分は主役として、道を横断しているかのようでした。
そのとき、すべてがわかりました。
本当のおしゃれとは、こういうものなのだと。
主人公である自分が引き立つためにのみ存在している服、
それを身につけ、堂々と、舞台の主役のように歩くこと、
それこそが、目指すべきおしゃれであると、私はそのとき確信したのです。