ページ

2017年3月14日火曜日

楽の先にあるものは

ファッションにおいて、至るところに楽への道が開けてきました。
どこへ行くにもスニーカーとジーンズ、
ウエストにはゴム、
とりあえずこれだけ持っていればいいと勝手に思われているブランドがわかるバッグ。
三種の神器よろしく、ずかずかと、大声で、一目もはばからず、
そんな姿がまかり通っています。

その延長でしょうか。
多くの人が知りたいのは、
「何にでも合う靴」や「何でも合うバッグ」。
とにかく楽したい、考えたくない、努力したくないという
声なき声、しかも声なき大合唱が、
至るところから聞こえてきます。

楽なウエスト、
何でも合う靴、
毎日考えないその態度、
それを誰がおしゃれと呼べるのでしょうか?
断言しますが、
そんなものをおしゃれと呼ぶのなら、
それはフェイクです。

別にすべての人がおしゃれである必要はありません。
衣服の第一義的な目的は暑さ寒さをしのぐこと。
それさえできていれば、
おしゃれなんぞしなくてもよろしい。

しかし、楽ちん至上主義者はおしゃれなのかと言ったら、
それは単なる怠惰な人ということで、
おしゃれではありません。

何度か書きましたが、
おしゃれというのは努力の結果。
眠っていないで、意識的に生きているということ。
楽だからとか、
何でも合わせたいとか、
それは全く逆方向。
一流のデザイナーたちが頑張っているのは美に近付く努力であり、
楽するためにデザインしているわけではありません。
(知りたかったら、好きなハイブランドのものを何か1枚試着してみてください。わかりますから)

実際に見てきたわけでもないのに、
それはないと言い張ったり、
自分で考えたことではないのに、どこからか剽窃して使ったり、
おしゃれやファッションは、それらの行為と紙一重です。
見分けられない人には見分けられないかもしれません。
でも見る人が見ればわかるのです。
そのスタイリングの写真1枚から、
その人が本当に服というものを理解しているかどうか、
そんなことはいとも簡単にばれてしまいます。

しかしそうであるならば、
お金はないけれども、努力している皆さんは、
安心してもよいのです。
楽ちん至上主義者は決してあなたを追い抜くことができません。

時間がそれを証明します。
楽の先にあるものと、
努力した先にあるもの、
手にするものは全く違うということを。
今にわかるでしょう。
隠しようもなく、
誰の目にも明らかに、
握っているものの、その輝きの違いが、
そして、どちらがより価値があるかということが。


2017年2月8日水曜日

あなたの人生の目標が作業員になることでないなら、「作業着系ルック」は即刻やめるべし

ファッションレッスンをしていると、
私の想像を超えた悩みを抱えたクライアントさんがやってきます。
そのクライアントさんの悩みはざっと言うとこんな感じでした。
(作り話じゃなくて、実話です)

「とあるスタイリストさんが好きで、その人のお勧めのものを買い続けてきた。
ところが一向におしゃれに見えない。
こんなにたくさんあるのに、
しかもお勧めのものを買っているのに、
おしゃれだと、ひとに言われない。
なぜおしゃれに見えないのかわからない」
ちなみにこの方は自分のお店を経営している経営者です。

彼女がどんなものを買っているか見てみると、
色はほぼグレー、もしくはジーンズのブルー。
形はジーンズ、ワークシャツなどの作業着。
そこにとにかくたくさんのグレーのセーターとカーディガン。
中には、どこかの工場の制服と見まがうばかりのグレーのジャケット。

それが、どこかのスタイリストさんお勧めという前情報がないのならば、
それは明らかに、作業員のためのワードローブです。

何のために服を着るのか考えてみましょう。
人それぞれにはその人生でかなえたいことがあって、
究極的にはそれはその人の幸せであり、魂の成長でしょう。
ですからその過程で、
「破壊された○○を修復し、一刻も早く復旧すること」が当面の目的なら、
その作業員のためのワードローブでも問題ありません。
むしろ、そうならなければおかしいです。

けれども、人生の目的が作業員でないのなら、
あなたはその作業着系ルックを一刻も早くやめるべきです。
なぜなら人はあなたのその作業着系ルックを見て、
あなたを作業員のように扱うからです。

高級レストランに入っても、
デパートで服を買うときも、
ホテルでチェックインするときも、
あなたがその作業着系ルックだったら、作業員のように扱われます。
なぜなら、あなたは全世界の人々へ向かって、
「私は見たとおりの人物です」と宣伝して回っているからです。

スタイルはイコールその人です。
新しいとか、誰かがお勧めしたとか、高かったとかの問題ではありません。
あなたがその場に作業着系ルックで行ったのなら、
あなたは作業員として受け取られるのです。

その作業着系ルックでは、
レストランでいい席に通されることはないでしょう。
銀行へ行ってもお金を貸してはくれないでしょう。
住宅展示場や車のショールームに行っても、本気で買うお客とは思われないでしょう。
誰か作業着ではない、例えばスーツやワンピースの人、それが年下の人であったとしても、
と一緒にどこか取引先へ行ったなら、
その取引先はあなたを差し置いて、スーツやワンピースの人に話しかけるでしょう。

日本語で灰かぶり姫と訳される、まさに灰色のシンデレラは、
灰かぶりであったけれども、舞踏会でドレスを着たから、王子様に見染められます。
ふだん着の、作業用ドレスのままだったら、まず第一に舞踏会の会場へ入れません。
顔かたちも、心も美しいシンデレラでさえ、
これがいいのよ、みんな、私の本当の姿を見るはずなどと思って、
作業着ドレスのまま舞踏会へ行くなんてことはしません。
まず自分の人生の目的を達成するために、素敵なドレスを魔法使いのおばあさんに頼んで着るのです!
目的達成のために、シンデレラは行動するのです!
けれども、あなたが作業着系ルックである限り、
あなたは舞踏会へは参加できません。
永遠に、参加、できません!

ジーンズなどの作業着、Tシャツといった下着、
運動靴であるスニーカー、それだけを着ていたのなら、
あなたはいつだってそのように扱われ、
あなたの人生はそれ以上、発展しませんし、
いつしかあなたも作業員としての自分を認めてしまうことになります。

何度も書きますが、
人生の当面の目的が、「作業員としてやるべきことをやる」ならよいのです。
けれども、それがそうでないのなら、
作業着系ルックは一刻も早くやめるべきです。

最後に、
「でも今はこれが流行っているから」という意見もあることでしょう。
はっきり言いますが、作業着系ルックの時代は終わりました。
それはひと昔前のトレンドです。
世界を貫く時代の気分は、もう作業着系ルックではありません。
女性で言ったら、女神の時代であり、
アーツ・アンド・クラフツ運動のような手仕事の時代です。
そんなコンクリートのような、ねずみ女の時代ではありません。

何のためにそのスタイルを選ぶのか、
そしてその服を買うのか、
もう一度考えましょう。
いくら誰か有名な人がそれを勧めたとしても、
それがあなたの人生の目的の遂行のために役立つのでなかったら、
そんなものを選ぶべきではありません。

誰かに自分の力を与えてしまうと、このようなことが起こります。
自分の人生の舵を取るためにも、
自分の人生の目的をはっきり決めて、
それに従ったワードローブを作りましょう。
それはおしゃれなこととは全く矛盾しません。
むしろ、そうでなければ、
本当の意味で、おしゃれではないのです。





2017年2月2日木曜日

「今流行っている」ものは買う べきなのか?

もう何回も書いていますが、
人は目、すなわち脳に情報が入って、
それがある程度飽和状態になったら、
その時点で飽きます。
つまり、情報の量的な問題です。
情報が飽和するのには、
何パターンかが考えられます。

流行がお年寄りや子供という末端まで届いて飽きる場合、
季節が進み、目の中に同じ色、同じ形の情報が蓄積され飽きる場合です。

飽きるという意味では、どちらも同じです。
おしゃれに見せたいのなら、
この2つを避けなければいけません。
つまり、お年寄りや子供が着るようになる前にもうやめる、
季節を先取りする、などです。

そう考えると、
「今、これが流行っている」という時点で、
それはおしゃれに見えるピークに到達しているのです。
おしゃれに見えるのは、いつでも流行ってしまうその前です。
流行りのピーク時に到達したならば、
あとは下るのみです。
ピークにいられるのはあとほんのちょっとの期間だけ。
その期間を過ぎたら、もうおしゃれには見えません。

流行っていると知って買ってみた、
少し着ておしゃれに見えた、
けれどもすぐに何だかおしゃれに見えなくなるのです。
なぜなら、その情報が飽和しすぎて、おしゃれに見えるピークが過ぎたからです。

売る側はこれを利用します。
一気に大量に生産して、短期間で売り、
おしゃれに見える期間を短くします。
情報が隅々までいきわたれば、
それはすぐに飽きられると知っているからです。

「今流行っている○○」というテーマでの検索ワードが多いですが、
その時点で、それはピークを過ぎています。
つまり、流行っているかもしれないけれども、
別段おしゃれには見えません。

ではどうしたらいいか。
簡単です。
「今流行っている」を避けることです。
そうすれば、せっかく買ってみたものの、
街で同じ服を着ている人とすれ違い、バツの悪い思いをし、
おしゃれになんか見えないという事態を避けられます。
そして、こうしたちょっと着ただけで着なくなるものを増やすのを防げます。

飽きるというのは、人間の心理の問題です。
私たちは踊らされる側ではなくて、
看破する側にならなければいけません。
だってもう、踊らされている余裕はないでしょう?

その「今流行っている」ものを買う前によく考えてみてください。
自分が本当はどうしたいのかを。
おしゃれに見せたいのなら、
それは選択しないに限ります。


2016年12月29日木曜日

次はアーチストの時代

さて、今日は2016年12月29日。
そろそろ来年以降のファッションの傾向を多くの人が知りたいころだと思います。

このブログをさかのぼっていただければおわかりと思いますが、
2012年以降、フェミニンなデザインの時代、
装飾としてはレース、ラッフル、フリル、ドレープ、
素材としてはシルクシフォン、
形としてはドレスやスカートの時代に入ると予想しました。
なぜなら、ファッションのトレンドは、海王星のサインの移動と完全に一致するからです。
(リズ・グリーンが過去のトレンドを検証済み)

現実は、一般大衆のスタイルまでに落とし込まれるようになったのはごく最近ですが、
モードの世界では、一気にこちらの方向へ流れてきました。
ではこれに続く次の傾向は、どんなものでしょうか。


大きな流れとして、この部分は変わりないのですが、
魚座海王星時代の特徴でまだ出ていないものがあります。
それは総決算とアーチストです。

魚座というサインは、12サインの最後にあたるので、
すべての要素が総決算されるという意味合いを持ちます。
海王星のサイクルなので、168年周期の総決算です。
168年分がこの最後の10年弱で再現されます。
ハイパーミックスはそのひとつの形でしょう。

もう1つ、魚座海王星の大事な意味は、アーチストです。
魚座海王星は芸術や芸術家を意味します。
例えば、グッチのアレッサンドロ・ミケーレと、
先シーズンからディオールのクリエイティブディレクターに就任した、
マリア・グラツィア・キウリがその代表になるでしょう。

もちろん彼らは以前から存在していましたし、活動していました。
しかし、これはどの分野でもそうですが、
その時代にもっとも望まれ、時代の気分を体現する存在というものがあるのです。
今、彼らがやっていることと、時代の気分が一致したのです。

ただし、これは時たま流行るような、
アーティスティックな絵をドレスに描いた、
よくある、例の手法のアートとは違います。
ウィリアム・モリスが提唱したアーツ&クラフツ運動のような、
生活にアートを取り入れようという、そちらのスタイルに似ています。

一点一点がアートのようなその作品は、
当然のことながら、価格も非常に高価なものになります。
服そのものが着るアートであり、工芸品です。
それだけ手がかかっていて、繊細で、非常に美しいものになります。
ですから、多くの人がアレッサンドロやマリアの作品を手に入れる、
ということはないでしょう。
ではその代替品は何でしょうか?

それはアーチストが作った一点もののブローチでもコサージュでもいいでしょう。
もしくは、自分で作った、作品とも言える、身につける何かでもいいでしょう。
人の手が感じられるような、作るのに時間がかかったような、
もちろん美しく、見ているだけで満足できる、
そしてもちろんワンシーズンで捨てたりしない、
そんなものを付け足していくこと、
そうすることで、今の時代の気分を自分なりに味わうことができるでしょう。
それはアンチファストファッションです。
ずっと持っていることが前提のものです。
そして、アーチストに敬意を表して、その対価をしっかり払ったものです。
どこか知らない国の、知らない、崩壊しそうな工場で、
奴隷のように働かされた人が無理やり作ったものではありません。

もちろんファストファッションはなくならないでしょう。
生活にアートを取り入れるなんてことをしない人が大多数でしょう。
それはモリスが運動したあの時代と同じです。

それでも気づく人は気付くのです。
それは少数だろうけれども。
消費されないその価値と美しさをファッションに取り入れることの意義に。
アーチストはいつだって、その一点に魂を込めます。
それは簡単に捨てられるようなものではありません。

芸術品のような、魂のこもった、
簡単に捨てられないものを何か取り入れてはどうでしょうか。
あなたが安く消費されたくないのなら、
そんなものを取り入れることは、非常に意味のあることだと思います。

キーワードは、「代替不能」です。






2016年12月2日金曜日

おしゃれを人生の目的にしてはいけない

多くの人にとって「おしゃれ」そのものが人生の目的ということはありません。
人それぞれ、その人生での目的や達成すべきことがあるはずです。
それは何かを成し遂げることかもしれませんし、
魂の成長かもしれませんが、
とにかく「おしゃれ」や「ファッション」が人生の目的ではないはずです。

例えば、1本の映画を思い浮かべてみてください。
もしその映画の目的が「おしゃれ」であるならば、
アカデミー衣装デザイン賞が取れればいいはずです。
けれども、いまだかつて、アカデミー衣装デザイン賞を取ることが、
その映画の目的達成であり、成功であったことはなかったはずです。

映画の目的は観客を感動させたり、考えさせたり、行動する動機を起こさせたりすることであり、
その衣装は、その目的をサポートするための道具にすぎません。
ですから、どんな監督も映画のプロデューサーも、
アカデミー賞の作品賞が欲しいのです。
また、そこに出演している女優であったら、
自分がどんな衣装を着ていたとしても、欲しいのは主演女優賞であり、
着ていたものが素晴らしかったからといって、衣装デザイン賞で満足する、
ということはあり得ません。

人生においても同じことが言えます。
おしゃれが目的化してしまうと、
何のためにその衣服を着るのか、
また、どうしたいからそれを買うのか、
そして集めるのか、維持し続けるのかわからなくなり、
最終的に、手をつけられないほどに困ってしまうという事態に陥ります。

そして、明日、もしくは今日着ていく衣服について悩む時間が多くなり、
似合うものに出会うため、何度も何度も買い足して、
挙句の果ては、その捨て方さえわからなくなってしまう、
ということになりかねません。

私たちは、同じように方法が目的化してしまって、失敗した人たちをたくさん見てきました。
大学に入ることを目的化した人、
会社に入ることを目的化した人、
外国に住むことを目的化した人、
結婚することを目的化した人、
そのどれもがほとんどの場合、うまくいきません。
これらすべて、何かのためになされるものなのに、
それを目的化してはいけないのです。

おしゃれが目的化し、それが達成されたところで、
そこに真の幸せはないでしょう。
おしゃれなど、お金さえあれば、簡単に達成できます。

おしゃれは、その人の人生の目的をサポートするためのものです。
その人がその目的をよりよく達成するために奉仕すべき存在です。
主従関係で言えば、明らかに従の立場にあるものです。

まずは自分の人生の目的について考えてみましょう。
それはほんのささやかなものかもしれませんし、
必ずしも、誰か他人から認められるものではないでしょう。
それでもそれは何かしらあるはずです。
そうでなければ、この世に生まれているはずがありませんから。

おしゃれが人生にとって従だとわかれば、
すべての優先順位がわかるはずです。
今まさに、おしゃれを優先しすぎているのなら、
考え直すとよいでしょう。
そうすれば、自分が既に持っている時間や労力、経済力といったエネルギーの配分の仕方も決まってきます。

おしゃれにエネルギーをかけ過ぎても、
人生の目的は達成されません、
そのことを忘れないように、自分のエネルギーを使いましょう。


 ★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。

2016年11月15日火曜日

3色ルールの見本のようなコレクション


ボッテガヴェネタの2017年クルーズコレクションが、
3色ルールの見本のようないいコレクションです。
3色ルールがよくわからないという方は、ごらんください。

男女とも、靴まで同じ色にするというところがポイントです。

2016年10月24日月曜日

ノーファイト・トレンチコート


多くの軍服が現代の衣服のプロトタイプです。
Pコート、
MA-1ジャケット、
ダッフルコート、
モッズコート、
コンバットジャケット、
セーラー服などなど、
もう既に多くの人が、それが軍服、つまり戦うための服であったことを忘れています。
そして、トレンチコートもまた、第一次世界大戦中、
トレンチ(塹壕)と呼ばれる溝のを行き来する際に着用されたコートです。

トレンチコートはギャバジンという生地で作られています。
ギャバジンは、トーマス・バーバリーが1879年に発明した素材で、
1888年に特許をとっています。
ギャバジンという名前は、中世の上着からとられたとされ、
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」、第一幕第三場で、
悪名高き高利貸しのシャイロックがおのれの上着を「my Jewish gaberdine」と呼んでいます。

さて、シャイロックの上着でもある、そのギャバジンを使って作られたトレンチコート、
雨よけのフラップや、手榴弾をくくりつけるためのDカンは、
まさに戦場で使い勝手のいいように作られたもの。
雨でぬかるむ塹壕で、泥だらけになりながら、
ときに、撃たれた仲間の亡骸を運び、
Dカンにくくりつけた手榴弾に手をやりながら、
心が折れそうになったとき、ポケットに忍ばせた恋人からの手紙をそっと取り出し、
戦った男たちのためのコートです。

そんな戦うためのトレンチコートですが、
そんなコートが、ここ最近のフェミニンなモードの流れの中で、
戦いようのないコートに変身しました。

私が勝手にそう呼んでいる、ノーファイト・トレンチコートは、
軽い素材で、ふんわり身体を包み、そよ風になびく裾は、
ドレスを包みます。

日本でも長いこと、
トレンチコートは、仕事場へ行く際の通勤着として採用されてきました。
確かに、都会は戦場です。
満員電車の攻撃から身を守り、
巨大な塹壕とも言える地下鉄の通路を走り、
ポケットのiPhoneにヘッドフォンを突き刺し、音楽で心を慰め、
いつになっても終わらない仕事に辟易し、
希望が見いだせないまま、歩き続けるためのコート、
それが日本のトレンチコートなのかもしれません。

けれども、そんな戦うためのトレンチコートで、
戦うのをやめてしまおうというのが多くのデザイナーからの提案です。

ここ数年試みられているのは、
軍服から戦う要素を抜き去る実験です。
MA-1ジャケットをリントンのツイードで作ってみたり、
モッズコートにミニスカートとニーハイブーツをあわせてみたり、
いかにこの軍服から戦う印を消しさるか、
その記憶を抹消するか、
そのための提案が数多くなされてきました。
私たちはもう、軍服で戦う必要はありません。

女性が軍服を着るのは、戦うためではないのです。
武器なんていりません。
武器なんて持ちません。
トレンチコートの下は、男性が絶対に着ないようなロングドレスで、
シルクシフォンの透けるブラウスで、
思いっきり走れない、ピンヒールで、
そうやって、戦わない姿勢を示すのです。
なんでかって?
だって、私たちは男じゃないから。
男のように軍服を着る必要なんて、ないから。

では何のためにトレンチコートを着ましょうか?
戦いませんって宣言して、
戦場からはとっくに逃げて、
それでも生きていけると証明するために、
そして、ロマンスのために。

ロマンチックなドレスには、トレンチコートがお似合いです。
戦わないから負けてしまうなんて、心配する必要はありません。
私たちは負けません。
なぜなら、最初からその戦いと競争に参加しないから。
戦わずとも、自然のように共存できます。

それぞれが、それぞれの方法で、
戦わないトレンチコートについて考えてみましょう。
弱そうであれば弱そうであるほど、それにはお似合いです。
フリルやプリーツやレースなど、
はかなげであるほど、かっこいいです。
私たちはトレンチコートで戦いません。
それでも私たちは、生きていけます。

 ★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。