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2013年7月29日月曜日

ウエスト位置

ウエストの位置とふつうに聞いたらば、
胴体の一番細いところだと多くの人が思われるでしょう。
しかし、洋服においては、ウエスト位置は必ずしも胴体の一番細いところに設定されているわけではありません。
ハイウエスト、
ジャストウエスト、
ローウエストなど、
大きく分けて3か所に分類されます。
ジャストウエストだけが胴体のちょうど細いところにくるウエストで、
ハイウエストはそれより上に、ローウエストはそれより下になるわけです。

なぜウエスト位置をそのように上下させるのかというと、
全体のシルエットのためと、見せ方を変えるためです。

ここのところ、ジーンズをはじめとするパンツは、ずっとローウエストでした。
なぜならジーンズとパンツのシルエットがタイトだったからです。
なぜタイトだとウエストがローになるのか、
ほとんどの人がわからないと思いますが、
それにはちゃんと理由があります。

ニットではない布帛でパンツを作る場合、
ウエストとヒップの差を何らかの形で解消しなければなりません。
通常は、脇線とダーツまたはタックで、その差を分散させて、カーブを描きます。
しかし、タイトであればタイトであるほど、
ダーツの幅が大きくなり、うまくカーブが描けなくなるのです。
ハイウエストでタイトなパンツというもののほとんどは、
ニット、またはストレッチ素材のもの以外、ないと思います。
ふつうの伸縮性のない布で、あれだけのカーブを出そうとすると、
無理が生じて、きれいなラインが出せません。
そのため、布帛のタイトなパンツは、ウエストを下げることによって、
ウエストとヒップの差を小さくする以外、方法はないのです。
そうすれば、ダーツの必要がなくなります。

しかし、パンツのシルエットがタイトでなくなれば、
ウエスト位置を上にずらすことは可能です。
だんだんと、行きすぎたタイトから戻りつつある今、
パンツのウエスト位置もジャストウエストに戻ってきています。

一方、ハイウエストは何のためにウエストを上部に移動させているのでしょうか。

ここ数年、ガーリーという、少女志向の服が流行していましたが、
ガーリー・テイストの服、特にワンピースは、かなりウエストを通常の位置より上に設定しています。
それは何のためかというと、幼い印象を作るためです。

小さい子供のワンピースを思い浮かべてみてください。
たとえば、「アルプスの少女ハイジ」のハイジのような。
あのワンピースは、かなりウエストが上にありましたね。
子供というのは、ウエストのくびれがないので、スカートが下がっていきます。
ですから、ウエスト位置はかなり上に設定されているのです。
そしてそれが翻って、幼く見える要素になっています。
ガーリー・テイストの意図的なハイウエストは、印象を幼く見せるためのものでした。

しかしここへきて、ガーリー・テイストの流行も終わりつつあります。
上にあがっていたウエスト位置も、だんだんと通常の位置に戻るでしょう。
大人の女性の表現のためには、それが必要です。
たしかに若干のハイウエストは脚が長く見える効果があります。
しかし、行きすぎたハイウエストは、徐々にもとの位置に近づいていくでしょう。

シルエットが変化する今の時期、
ウエスト位置が変わってきています。
ワンピースやコートのかなり上に設定されていたウエストは下に、
そしてタイトだったジーンズやパンツのウエストは上に、です。
そして予想されるのは、ハイウエスト気味のタックパンツや、
ローウエストの1920年代風のワンピースの登場です。

ウエスト位置ひとつをとってみても、流行があらわれています。
これから服を購入する場合、その点もチェックしてみてください。
特に秋冬もののコートはチェックが必要です。
あまりにもジャストウエストから離れたウエストは、
なんとなく時代からずれた感じがすると思います。

流行は適度に取り入れるのが安全です。
そうしないと、それが過ぎ去ったとたん、すべて否定されてしまいます。
今まで白と言っていたものが、黒になります。
そしてそれは単なる気分の問題です。

長く着られるもの、着たいものを選ぶときには、
流行から適度に離れる必要があります。
流行は、あなたを裏切ります。
それがいちばん素敵だと思わせて、
ほんのちょっと後にはしっぺ返しされます。

裏切らない服が必要です。
流行はあなたの上ではなく、下にあるのです。
まちがっても、主導権を握られてはなりません。
ただの情報は、本当のことを教えてはくれません。
それを見抜く目を養いましょう。
いつだって、どこだって、それがなにより重要です。



2013年7月23日火曜日

マキシ丈ドレス

マキシ丈、つまり、す裾がくるぶしまであるドレスが復活してきました。
2013年現在、まだまだデザインという部分では洗練されていませんが、
これから徐々に進化していくでしょう。

言うまでもなく、マキシ丈のドレスは、フェミニティの象徴です。
2012年から始まった、女性性復活の動きは、
だんだんと人々の心の奥底に浸透し、
無意識にそういったものを選択します。
(もちろん、それに抵抗する方たちもいらっしゃいますが)

マキシ丈のドレスが想起させるものは、
当然ながら、女神です。
古代から、女神は長く揺れる裾と、布をたっぷり使ったドレープを多用した、
薄地のドレスをまとってきました。
そのやわらかさは、女性の肉体を決して縛ることなく、
自由に解放させます。
そして、無防備なまでの繊細さが、実は強さのあらわれとして表現されています。
誰も女神を攻撃することはできないのです。

最近、多く登場してきたマキシ丈ドレスは、
まだ女神の領域まではいたっていません。
多くは、Tシャツをそのままただ長くしたような、
単純な形です。
素材も、コットンやレーヨンの天竺が多いです。
ただし、これまでの流行とは違って、
タイトではありません。
体につかず離れずのラインで、体の線をゆるくなぞります。

さて、このマキシ丈ドレス、どのように着こなすのが今の気分なのでしょうか。
ここでも何度か書いていますが、
通常、ファッションは、「100パーセント同じ」というのを嫌がります。
よく雑誌などで使われる「甘辛ミックス」というものは、
フェミニンとマスキュリンをほどよく混ぜたコーディネイトのことです。
もちろん、その手法も有効です。
古くからあるのは、ドレスにマスキュリン、または性別と関係のないアイテムを加える方法。
ドレスにライダーズ・ジャケットやGジャンなどは、そのいい例です。

しかし、本気で今の気分を表現するなら、
フェミニン100パーセントが適しているのではないかと思います。
なぜなら、時代が変わったからです。

いつもだったら、ドレスにパーカを羽織るところを、
あえてフェミニンなレースのカーディガンにしてみる。
または、薄いオーガンジーのブラウスを羽織るなど、
徹底的にマスキュリン要素を排除します。

それは確かに甘いです。
しかし、明らかに「ガーリー」とは違います。
「ガーリー」は、幼く、弱く見せる女性性でした。
しかし、女神は、同じ甘さでも、弱くも幼くもないのです。
それは威厳があり、尊敬される存在で、そのやわらかさゆえに、強いのです。

男性性を身につけることによる強さの表現という時代もありました。
思えば、近代、現代の服の歴史というものは、
女性がどのように男性の服を身につけるかというものであったと思います。
それは何のためでしょう?
1つは男性と同等の権利の獲得のため、
そして、男性と同等の労働のためです。

しかし、(そう、しかしなのです)、男性と同等の権利と労働を得たところで、
女性は幸せにはなりませんでした。
なぜなら、自分以外のものになったとしても、決して幸せにはなれないからです。
そして、それが決してなりえない誰かであったら、なおさらです。
男性中心の考え方が作り上げた社会は、いずれ行き詰ります。
もうそれ以上、先はありません。

今このとき、行きすぎたものの揺り戻しが起こります。
それは人々、特に女性の深層心理を突き動かします。
なぜかわからないけれども、ドレスが着たくなる。
それは似あうからとか、売っていたからとかのレベルの話ではありません。

女性が長いドレスをまとっていた歴史は長く、
それに比べてミニスカートやショートパンツなどは、
歴史の中ではまばたきするほどの時間でしかありません。
死んだ女神を黄泉の国から連れ戻すために、
わたしたちは、知らぬうちに長い丈のドレスを選ぶのです。

まだこの流れは始まったばかりです。
全体像は見えません。
しかし、確実に動き始めています。
見えないからないのではなく、
小さいから無力なのではなく、
少しずつ、けれども確実に、
このやわらかな力は浸透します。
冷たく固まった、コンクリートの塊を壊すことができるのは、
このかよわき小さな力です。
マキシ丈のドレスを選ぶ女性がふえたということは、
そのことの証明です。

2013年7月16日火曜日

真夏の重装備

真夏の重装備といっても、日焼け対策ではありません。
この暑い季節、なにを足していけばおしゃれになっていくのかの話です。

暑くなるにつれ、着るもの自体はどんどん枚数が減っていきます。
それは日本ほど暑くないと思われる西洋でも同じです。
気温が高いので、冬のように、どんどん上に重ねていくには限度があります。

減らしていくことにより、服装はシンプルになっていきます。
トップス1枚とボトム1枚、またはワンピースといった具合に。
では、そこで終わりにするのが洋服なのかというと、
どうやらそうではなさそうです。

海外のファッション雑誌のサイトや、ストリートスナップのブログを見ていると、
日本に住む人々のごく一般的な真夏の装いとは何か違うと思えます。
彼らの真夏の装いをよく観察すると、
少なくなった服のかわりに、アクセサリー類がどんどん上乗せされているのがわかります。
上からいくと、
帽子、サングラス、イヤリング、ネックレス、ブレス(バングル)、腕時計、指輪などが、
フル装備されているのです。

真夏は真冬と違って、コートで重装備することができません。
しかし、それでは薄い布地だけを身につけることになり、
何か心もとなくなります。
それを補うかのごとく、身につけていくのが、これらのアクセサリーのようです。
そして、それをすることによって初めて、真夏の装いは完成します。
それは、薄い生地の服だけを身に付け、肌の露出がふえて頼りなくなった、
からだと気持ちを強化し、保護するのに役立ちます。

たぶん、この点についての、つまり何をもって装いというものが完成するかという点について、
日本には正確な情報が入ってきていないのでしょう。
日本でこれら全部を身につけていたら、過剰な感じに見えるかもしれません。
それはたぶん、まだまだアクセサリー使いという点において、
洗練されていないということで、これらすべてを身につけても、
過剰さを感じさせることなく、シックに見せるテクニックはあるはずです。

また、だんだんと大人になるにつれ、
重要視されるのも、このアクセサリー使いです。
夏の衣服は、実際のところ、よしあしが見分けにくいものが多いです。
2万円のTシャツと2千円のTシャツの差は、素人ではわからないでしょう。
実際、値段と生地のクオリティは一致しないので、
ある程度以上の高額なTシャツについては、見分けるすべはありません。
そうなったとき、上質な感じを演出することができるのはアクセサリーのみとなり、
その重要性が増すのです。
フェイクやメッキではない、本物のゴールドやプラチナ、
手の込んだ細工のジュエリーなどは、大人だからこそ手に入れることができるものですし、
大人でないと似合わないものです。
そして、それらを重ねていくことによって、子供とは違うTシャツやワンピースの装いが完成します。
それなしで、違いを生み出すのは、逆にかなり難しい技術となります。

日本では、まだこのアクセサリーを重ねていく技術が洗練されていません。
雑誌にある、撮影のための、その場限りのスタイリングも、
実際の装いのためには参考になりません。
また、本物のアクセサリーやジュエリーを集めるのも、一朝一夕ではいきません。
ましてや、それが自分のために作られたものと思えるものを集めるには、
何年もかかります。

簡単ではありません。
しかし、チャレンジする価値はあります。
真夏の平均気温がどんどん高くなる日本では、
ある一定以上の気温になると、一気におしゃれから遠ざかる装いに傾きます。
それはもちろん仕方のないことです。
おしゃれより暑さ対策が重要な時期は、もちろんあります。
それでもなお、たとえば高級なレストランを予約して食事に行くときや、
コンサートや観劇、リゾート地のホテルへ宿泊するときなど、
ワンピースにサンダル、バッグだけで装いを完成させないで、
今まで身につけていなかった、何かを付け足してみてください。
ひとつ付け足したら、またもう一つというふうに、
どんどん付け足していきます。
そして、試行錯誤する中で、自分なりのぴったりのバランスを見つけていきます。
自分らしく、しっくり感じることができるかどうかをチェックするのです。

それらは明らかに不必要なものです。
機能的でもありません。
役にも立ちません。
ときには邪魔にさえなります。
それでもきっと、
それらはあなたの体を守り、心を支えるのです。
こころもとない、ひらひらした薄いシフォンのドレスのすそを、
海風がひるがえしたとしても、
腕に光る、そのシルバーのバングルが、
それでも大丈夫だと思わせてくれるのです。
知らない誰かから、心ない言葉を投げかけられたり、嘲笑されたとしても、
胸に光る、そのターコイズのペンダントが、
それらの言葉を跳ね返すのです。
だから、それらは真夏の重装備なのです。

重装備なしでどこかへ出かけて、疲れて家に帰ってくるよりも、
いつも大丈夫だと思える装備を備えて、お出かけしましょう。
そのほうが、きっと夏の思い出も楽しいものとなるに違いありません。






2013年7月8日月曜日

仕立てのいい服

仕立てのよさというものは、素材のよさと並び、
価値のある、品質のよい服の条件の1つです。
大人であるならば、
この、仕立てのよさというものを買うときの目安に加えてほしいと思います。

では、仕立てのよさとは、なにをもってそう言うのでしょうか。
簡単に言ってしまえば、手がかかっていればいるほど、
仕立てのよい服と言えます。
より多い工程、細かな手仕事などが、それに当たります。

まず、わかりやすいのが、裏の始末の方法です。
たとえば、シャツの場合、
仕立てのいいものは、縫いしろの始末が、すべて折り伏せ縫いという、
布の端をすべて中へくるむ仕様で作られています。
それに反して、手をかけていないシャツの裏側は、
ロックミシンで端をかがっただけです。
折り伏せにするという、手間のかかる工程を省くことによって、
縫製の工賃は安くなります。
もちろん、その仕立てのよさは値段に反映されますので、
折り伏せですべて縫いしろが始末されているようなシャツは、
価格が高くなります。

次はジャケットやコートの裏です。
ジャケットやコートの場合、総裏といって、
裏にすべて裏地がはられている場合は、
仕立てのよしあしの差はありません。
あるとしたら、その裏地部分に内ポケットが作られているかどうか、
またはたとえばコートの袖部分のみ、違う裏地が使われているかなどです。
確かにそれらは、丁寧な仕立てです。

差が出やすいのは、裏なしや半裏、また背抜きと呼ばれる、背中のみに裏がついたジャケットやコートの場合です。
こういった、裏地がはられていないジャケットやコートの裏側で、
もっとも丁寧な仕立ては、縫いしろをパイピングでくるむ、
パイピング仕立てと呼ばれるものです。
すべての縫いしろを、サテンのバイアステープなどで、丁寧にくるまれているものは、
仕立てのいいジャケット、コートと言えます。
逆に、安い仕立てのものは、縫いしろにロックミシンをかけたのみか、
または、そのロックミシンを内側に折り込んでいるのみの仕立てです。
パイピング仕立てと、これらロックミシンによる始末では、
工程の数がまったく違うため、工賃に大きな差が出ます。
もちろん、手間のかかるパイピング仕立てのほうが工賃は高いです。

そのほか、仕立てのいい服の特徴として、手縫いによるステッチがあります。
たとえば、コートの襟の8ミリほど内側を、ぐるりと星止めと呼ばれる、
小さなステッチを入れる仕様などは、
手仕事でしかできませんので、工賃の高い仕様です。
同様に、手縫いによるステッチも、1つ工程が多い仕様ですので、
丁寧な仕立てです。

シャツを人前で脱ぐ機会は、ほとんどないと思いますが、
(え、ある?)
ジャケットやコートなどは、誰かの前で脱いだり、
またレストランへ訪れた際など、人の手に預けたりする機会があります。
そのときに、この仕立てのよさが、裏側を見た人たちに伝わります。
レストランやホテルでは、それを見て、私たちを値踏みします。
もちろん、それだけではなく、
自分自身にとっても、丁寧な仕立てのジャケットやコートを着るという行為は、
とても気分のよいものだと思います。

ある程度、大人になったならば、
もちろんそれがいつなのかというのは各人にお任せしますが、
こういった仕立てのいい服というものを、
ぜひともワードローブに加えていただきたいと思います。
そして、まだどういうものが仕立てのいい服かわからない方は、
ぜひとも勇気を出して、ハイブランドの店舗で、
コートの1着でも試着してみてください。
(もちろんアウトレットでOKです)
それなりの値段のものは、それなりの手がかけられているものです。

自分が毎日着るシャツやジャケットやコートが、
どんなふうに作られるのか、少し想像してみてください。
それは確かに工業製品でしょうが、
人間の手でないと、できないのです。
現代の技術をもってしても、すべての工程を機械で作られた服は、
ほとんどありません。
丁寧な仕立てのジャケットやコートなどは特に、
人の丁寧な、時間のかかる、地道な仕事がないとできないのです。

もしそんな服を手に入れたら、
1年で捨ててしまおうなどとは思わないはず。
たいせつに扱って、長く付き合おうと思うでしょう。

仕立てのいい服とは、長い付き合いの友達のようなもの。
一緒にいると安心で、勇気が出てくる。
決して裏切ることはなく、いつもサポートしてくれる。
そして、その存在によって自分に自信が持てるようになるような、
そんな存在なのです。

2013年7月1日月曜日

キャミソールとタンクトップ


キャミソールとタンクトップは、ともに下着が原型のアイテムです。
しかし、この2つには大きな違いがあります。
それは、キャミソールがフェミニンであるのに対して、
タンクトップはマスキュリンである、ということです。 

同じノースリーブのトップスではありますが、
このフェミニンとマスキュリンという違いによって、
与える印象は違ってきます。
キャミソールを着れば女性的なイメージを、
タンクトップを着れば男性的なイメージを他人に与えることになります。

よく雑誌などにある「甘辛ミックス」のコーディネイトとは、
このフェミニンとマスキュリンを混ぜたもののことを言います。
甘いのはフェミニン、辛いのはマスキュリンというわけです。

もちろん、甘辛をミックスしないで、
甘いものは甘いまま、
辛いものは辛いまま、作り上げるコーディネイトもあります。
特にコンサバ・スタイルは、甘いものの中に辛さは混ぜません。
しかし、フェミニンとマスキュリンを混ぜることにより、
よりモード寄りのコーディネイトができ上がります。
そして、それはもちろんおしゃれ上級者のよくやるコーディネイトでもあります。

たとえば、レースやフリルを多用したフェミニン度合いの高いキャミソールには、
マスキュリンの色合いの強いものを合わせます。
例としては、キャミソールにジーンズや、ペンシルストライプのサマーウールのクロップト・パンツをあわせるなど、です。
そこで上着もテイラード・ジャケットをあわせれば、
マスキュリンの中にインナーだけフェミニンなキャミソールという組み合わせになり、
そのギャップがより女性らしさを強調します。

逆にタンクトップの場合、これにジーンズを合わせると、
ボーイッシュになります。
それは「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」のジェーン・バーキンのスタイルです。
マスキュリンの要素に1パーセントもフェミニンの要素を入れない場合、
着る本人がよほど女性らしさにあふれていないと、
単なる男子と同じ格好、となります。
そこで、 男子と同じ格好となるのを避けるため、
フェミニンな要素、いわゆる甘さを付け足します。
たとえば、タンクトップにティアードや白いレースのアンティーク風のスカートをあわせます。
ボトムがパンツの場合だったら、タンクトップの上に着るものをクロッシェ・ニットなどにします。
また、形は男性ものと同じだとしても、素材をシルクにしたり、
色をピンクなど、男性があまり着ないものを合わせてもいいです。
要するに、男子が絶対に着ないものをもってくればいいわけです。
そうすることによって、男子と同じ格好をまぬがれることができます。

レースやフリル、プリーツの飾りのあるキャミソールは、
そのままだと、やはり下着を連想させます。
その下着のようなキャミソールに、同じように甘いフリルやリボンのついたスカートでは、
少々甘すぎます。
「プリティ・ベイビー」のブルック・シールズのようです。
少女性を強調したい場合はそれでもよいですが、
大人というものは、女性性と男性性が統合されていく過程ですので、
すべて甘いと、大人っぽくはありません。
どなたかが、いい年になってもレースだらけの、パステルカラー服を着ている女性のことを、
「レースおばば」と呼んでいましたが、
やはりそれはどこか気味悪いものなのです。

フェミニン100パーセントでも、マスキュリン100パーセントでも、
どちらでも、それは「大人の女性」ではありません。
自分の中にある女性性と男性性の統合が見えなければ、
大人ではありません。

20代の女性と、40代の女性では、その統合具合も違うでしょう。
20代のころ許された、甘いふわふわした洋服は、
まだ統合されていない、大人ではない人たちにこそふさわしいもの。
それをそのまま40代が着たのでは、芸がないのです。

日本の和服も、形は同じでも、色や柄で「大人の女性」を表現してきました。
永遠の少女の痕跡は、ほんの少し見せるだけで十分です。
男性がずっと永遠の少年のままでは頼りなく、信頼できないように、
女性も、永遠の少女のままでは、遠くまでいけません。

かといって、女性性の全否定は、もっと異常でしょう。
女性が男性になることに憧れるなんて、馬鹿げています。
ましてや、少年のようになる必要など、ありません。

キャミソールとタンクトップを着るとき、
自分の中の女性性と男性性について、少しだけ考えてみてください。
自分が無意識に選ぶそのコーディネイトが、あなた自身の女性性と男性性の統合具合です。
それはどこまで達成できたのか、できないのか、
鏡にうつる自分自身の姿を見れば、わかるはずです。

☆写真:こんなロマンチックなキャミソールには、ジーンズやカーゴパンツが似合います。