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2013年3月25日月曜日

映画でスタイルの基本を学びましょう


服を着て動いている姿が簡単に、誰でも、安価で見ることができるのは映画です。
ほんの少し望みさえすれば、映画を見ることは難しいことではありません。

2012年ごろより、ファッションの流行が、クラッシックへ傾いています。
この傾向はまだ続くと思われます。
いろいろな行きすぎ、それは服がタイトすぎたり、極度にアバンギャルドすぎたりといったところから、
原点へ戻るため、クラッシックなスタイルが見直されています。

ここで言う女優とは、現在の女優ではありません。
50年代、60年代、よくても70年代の初期に活動していた女優たちのことです。
そして、そのころの映画を見ると、現代服の原点であるクラッシックなスタイルの衣装を着ている女優の、しかも動く姿を見ることができます。

今、そのころの映画を再び見直すことには、2つの意味があります。
1つは、今再びファッション全体がクラッシック傾向にあるため、
そしてもう一つは、だんだんとわたしたちが、そのクラッシックなスタイルを忘れているためです。

というのも、80年代の半ばから、
洋服の急激なカジュアル化、そして崩した着方、アバンギャルドな表現などが続き、
もうかれこれ30年近く、わたしたちはクラッシックな服に接することなく過ごしてきました。
そして、いつの間に、服の原点を忘れてしまいました。

わたしが小学生のころは、日曜日になると、必ず古い映画がテレビで放映されていました。
もちろん日本語吹き替えで、編集でカットされたものでしたが、
ほんの少しでも興味があれば、家族全員でその映画を見たものです。
定番は、「鳥」であり、「太陽がいっぱい」であり、「ローマの休日」でしたした。
そしてそれは、別に映画好きではなくても、作品に興味がなくても、
ただなんとなく見ていたものでした。
(関東地方では、平日の2時ごろから古い洋画も放映していましたね。昼から「昼顔」とか)

そうやって、小学生のころから見続けていた古い映画のおかげで、
ある年代以上の人の頭の中には、洋服をきちんと着こなした女優たちの、
さまざまなスタイルがインプットされていると思います。
そして、お気に入りの女優さんもいるでしょう。

けれども、あるときから、テレビで、お決まりの古い洋画が放映されることがなくなり、
わたしたちは、自分が望まなければ、古い映画を見ることはできなくなりました。
たぶん、現在20代の方たちは、それより前の世代よりも、
よほどの映画ファンでもない限りは、古い映画を見ていないと思います。

流行は、たしかに変わっていきます。
毎年、違うルックスが発表されます。
けれども、西洋の服の原点は、やはり50年代、60年代、70年代の初期にあります。
それ以降の進化は、たとえば新しい素材の開発によって表現方法の幅は広がったかもしれませんが、
基本的には、いつもそこに戻っています。

基本があるからこそ、アバンギャルドな表現もあります。
そして、着崩すことも、カジュアルにすることもできるのです。
しかし、それが基本なくして、ただ単に暴走してしまったのでは、
洋服の形が崩れていき、結果的に、美しいものにはなりません。
いつでも、どんなものでも、基本が大事なのです。
その基本は映画から学べます。

では、どんな映画を見ればよいか。
おすすめは2つの方法です。映画監督で選ぶか、女優で選ぶか。

映画監督で選ぶとしたら、女優の美しいクラッシックな装いを見るに最も適した監督は、
ヒッチコックをのぞいて、ほかにはいないでしょう。
「裏窓」に出ていたグレース・ケリーの洗練は、ヒッチコック映画ならではです。

そしてもう一つは、お気に入りの女優を決めて、その作品を見る方法。
すべての意味において「おしゃれ」を学ぶなら、オードリー・ヘップバーン。
ボーイッシュなスタイルなら、ジーン・セバーク。
小悪魔ならブリジット・バルドー。
品のよさだったら、カトリーヌ・ドヌーブ。
男物のスタイルで色気を出す研究をしたければ、マレーネ・ディートリッヒ。

セクシーならば、マリリン・モンロー。
などなど、
このリストはまだまだ続きます。

すべて、映画を見れば学べます。
見れば見るほど、洋服のスタイルの原点は、そこにあるのだとわかります。
服のみならず、あわせるバッグ、靴、どういったシチュエーションでその服を着るのか、
身のこなし方はどうするか、トータルに勉強できるのです。

基本を忘れると、まず美しさがなくなります。
ほとんどの現代の日本人が、日本人であるからといって、いきなり着ものを着ても、
歩き方、しぐさなど、わからなくなってしまうのと同じことです。
あまりにも基本から離れ過ぎると、単に楽だとか、過激な露出に走ってしまいます。
それは、おさえるところがないからです。

一般の日本人が洋服を着るようになって、まだ100年たっていません。
50年代の映画を見ても、登場人物の半分ぐらいは着ものを着ています。
洋服を着て生活するという歴史は、まだ浅いのです。

もう既に何度も古い映画を見た方々は、復習のために、
そして、ほとんど見ていないという方は、新たに学ぶために、
古い映画を見てください。
「ローマの休日」1本を、オードリーの着こなし、身のこなし、コーディネイトに注目して見るだけで、
たくさんのことが学べます。
それらは、わたしたちがわかっているようでいて、わかっていなかったことです。


おしゃれは技術です。
ほかの技術と同じように、学べば学ぶほど向上します。
古い映画は、誰にでも手に取ることができる、もっともすぐれたテキストなのです。

☆ディートリッヒの「モロッコ」。こういうのを見てほしいんだよね。

2013年3月18日月曜日

麻素材の服について


 

ここ数年、ナチュラル志向のファッションの流行に伴い、麻素材の服がたくさん市場に出回るようになりました。
実は、麻素材と呼ばれているものは数種類の植物から作られる繊維の総称で、大きく分けると、リネンと呼ばれるアマ科の植物、ラミーと呼ばれるイラクサ科の植物、ヘンプと呼ばれるアサ科の植物です。
これらは、科が違うことからもわかるように、はえている姿はみな違います。ただ、結果的に、光沢と通気性がよい繊維ができるため、麻と総称されているようです。

最も高級で、衣服に用いられているのはリネンと呼ばれる麻素材です。英語ではlinen、フランス語では、linと表記されています。

この麻ですが、衣服として使われていた歴史は古いのにもかかわらず、いろいろな意味づけがなされたため、少しやっかいな位置づけになっていると思います。
というのは、日本では、麻素材の服は夏だけのもの、と思われているからです。

これは多分、着もの文化の影響だと思われます。たしかに、麻素材の着ものは夏専用です。
また、たとえば黒澤明の映画や、小津安二郎の映画を見ると、1950年代、60年代の男性の夏服が、白い麻のスーツであったということもわかります。
それは麻の最大の特徴である、通気性がよく、汗をよく吸い込むこと、さらっとした触感、そして何より洗濯しても、乾きが早いことなどをもって、麻は夏のもの、とされたのだと思われます。

ただ、日本においても、江戸時代に木綿が入ってくるまでは、麻素材(この場合は麻科の麻でしょうが)が一般の人々の衣服の原材料でした。
ですから、どこで麻が夏だけのものと定義づけられたのかは、定かではありません。
どこからか変わってしまって、それが現在までずっと定着してしまっています。
けれども、麻素材は、決して夏だけに適した素材ではありません。

洗濯しても乾きが早い、洗濯に強く、傷んだり破けたりしにくい、そして洗うたびに、繊維がしっとりやわらかになり、肌触りがよくなる、繊維の中に含まれる空気が多く、冬でも暖かいなど、実際は、1年じゅうを通して着用可能な素材なのです。

最近、ジャケット、コート、シャツ、ブラウス、パンツ、スカートなど、ほぼすべてのアイテムが麻素材から作られるようになりました。
また、コットンや化学繊維と混紡することにより、麻特有のしわになりにくさも、少しですが、解消されてきました。
ただ、やはり「麻は夏だけのもの」という固定概念が、足かせになって、なかなか日本では、冬に麻を着ることに抵抗があるようです。

季節感は、おしゃれをする上で、確かに大事です。
けれども、最近の日本の夏の異常な長さひとつをとっても、昔ほど、厳密に、たとえば4月になったら冬の服は全部しまって春の服、9月になったら秋の服などという衣替えは、行われなくなりました。
それに伴って、麻を着ていてもおかしいと思われない期間も、長くなったのではないかと思います。

その上で、日本人が大事にする季節感を大切にしつつ、1年じゅう着用しても問題がなく、かつすぐれた面がたくさんある麻を着るにはどうしたらいいか、考えてみました。

まず、たとえば麻素材100パーセントのコートやジャケットは、春から夏までの着用とする。
結局は、外側の見た目の問題なので、何となく涼しげに見える麻素材をアウターとして着るのを避けるというのは、1つの方法だと思います。

シャツやブラウス、Tシャツなど、インナーは1年じゅう着用しても問題なし。
たとえばセーターやカーディガンの下のシャツが麻素材であったとしても、それだけで夏っぽくはなりません。着やすい、かつあたたかいシャツやTシャツは、インナーとして1年じゅう活用しましょう。

リネンとウールの混紡素材などは、秋冬用として着用する。
ウールが入ることにより、麻独特のさらさらした感じがなくなります。そうであるならば、秋冬に着ても、問題ありません。

麻素材のシャツやブラウスを着たことがある方ならわかると思うのですが、何度も洗濯した後の、あの独特のやわらかさは、ほかの素材にはありません。
そして、朝洗って、昼間には乾いてしまうほどの乾きの早さは、なかなか乾かない木綿に比べたら、とても大きなメリットです。
一時期、しわになるからと、麻素材が嫌われて、シャツもほとんど売っていなかったときもありましたが、トータルで考えれば、麻素材のものは着用する上でのメリットが大きいのです。

ルールは確かにあります。
ただ、理不尽な、意味のないルールも存在しています。
それは、それぞれの意思によって、かろやかに破っていけばよいのではないでしょうか。
そして、それを破るときは、わかっていながら、それをやればいいわけです。
あえて、それを選ぶという、自分の意思表示として。

冬に麻を着るときは、本当は夏のものだけどなどと、言い訳などしないで、
堂々と着てしまいましょう。
知っていて破るならば、それもおしゃれの1つの表現です。


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2013年3月11日月曜日

ジャパニーズ・スタイル


2013年春夏シーズンで、数多くのデザイナーがジャパニーズ・スタイル、といってもほとんど着もののモチーフなのですが、をデザインに取り入れています。
プラダ、ランバンは着ものの構造を、そして、グッチやハイダー・アッカーマンは、着ものの柄を使ったデザインの服を発表しています。

こういった、ジャパニーズ・スタイルを取り入れたデザインは、何年かに1度必ずやってくるので、何も珍しいものではありません。
特に今シーズン、各デザイナーが着ものの形を取り入れたのは、大きくシルエットが変わっていく中で、着もののなで肩のラインが、目指したいシルエットと合致したからだと思います。
そして、それに付随していく形で、着もの柄にも注目されました。

ただ、このジャパニーズ・スタイルですが、わたしの記憶する限りにおいて、日本で流行ったことがありません。
(思い出せるのは、中森明菜さんの「デザイアー」のときの着ものにハイヒールだけ。古すぎてわからない?)
海外の多くの有名デザイナーが、どんなに着もの風のデザインを発表しても、それをたくさんの日本人が喜んで着ていたという時代はなかったと思います。

なぜかはわかりません。
しかし、明らかに、ここ数年、特に加速する形で、わたしたち日本人は欧米風のスタイルを必死で追いかけています。
行きついたところが、髪を金髪に染め、目にはブルーのカラーコンタクトを入れる、そんなスタイルでしょう。
日本人らしさから必死で遠ざかる、そんなスタイルがここ数年、ずっと流行っています。
なんの疑問も持たずに。
そして、夏の浴衣以外では、ごくごく普通の人が着ものを着ることも、めっきり少なくなりました。
(もちろんこれは、着ものの値段が高すぎて、一般の人の手に届かなくなったということも原因だとは思いますが)

だけれども、たとえば、「THE SARTORIALIST 」などの、ストリートファッションブログで取り上げられる日本人のスタイルは、ブルーのウィッグにゴシック・ロリータ姿の原宿ガール以外では、若い子たちの浴衣姿であったり、江戸っ子の粋なおじさんたちの着もの姿です。
海外のファッションの目利きが、わたしたち日本人に求める、日本人らしいオリジナルスタイルは、アニメ風か、そうでなければ、日本の伝統的な着もの姿なのです。
そして、そんな姿がおしゃれである、ファッショナブルであると思うからこそ、彼らはそのスタイルの写真をブログにアップします。

しかし、日本人であるわたしたちは、まだそのことに気付いていません。
欧米人に近づくことこそが、おしゃれであると思いこんでいます。
(もちろんこれは、思い込まされているということもあります。自分で選んだのではなく)

たとえば、必死に欧米人にただ近づいただけのスタイルで、パリ、ロンドン、ミラノ、ニューヨークへ行ったところで、まわりの人からは、アイデンティティのない、得体のしれない人にしか見えないでしょう。
そして、それは結局、おしゃれではないのです。
自分のアイデンティティを捨てることは、決しておしゃれではないし、尊敬されないのです。

それに気付いていたのが、山口小夜子さんであり、節子・クロソフスカ・ド・ローラさんでした。
彼女たちは、欧米のスタイルに100パーセント迎合することなく、自分たちのスタイルを貫きました。

さて、ここら辺で、わたしたちも、もう一度、日本人としてジャパニーズ・スタイルを自分たちのファッションにどうやって取り入れるか、考えてみたらいかがでしょうか。
日本人なのですから、日本風が似合わないはずはありません。
マルタン・マルジェラの足袋ブーツだって、欧米の方たちがはくよりも、うまくはけるはずです。

日本でも、大々的にではありませんが、着ものを現代にアレンジしたスタイルを発表しているブランドもあります。
(わたしが注目しているのは、京都のSOU・SOUです)
そして、それらを利用して、世界じゅうの誰よりも格好良く、ジャパニーズ・スタイルの服を着こなしてみたらどうでしょう。
今の自分の持っているアイテムに、どうやったらジャパニーズ・スタイルの要素を取り入れることができるか、工夫してみるのです。
それが完成したら、その格好で、海外の都市を背筋を伸ばして歩いてみましょう。まわりの人たちが注目することは請け合いです。
それは、日本人が欧米人の真似をしたスタイルでいることより、ずっと格好いいに決まっています。
そのことに、わたしたちはそろそろ本格的に気付かないといけません。

誰かになろうとしてもなれません。
なれないものになろうとあがいても、格好悪いです。
だからこそ、自分であることに自信を持って、
自分が生まれ育った土地の文化を誇りに、
新しいスタイルにチャレンジしましょう。
わたしたちにとっての新しいスタイルこそが、ジャパニーズ・スタイルであり、
それはわたしたちが最も得意とする分野なのです。


2013年3月4日月曜日

襟について

今日は基本に戻って、襟の形についてです。
すべてのトップスには、襟ぐりがあり、何らかの処理がされています。
それらは大体、以下のように分けられます。
ノ―カラー、
シャツカラー、
テイラードカラー、
フラットカラー、
スタンドカラー、
ロールカラー
などです。
そのほか、ニットの場合はタートルネックが入ってきますし、分類できないデザインされた変形襟もあります。

襟の形によって、与える印象が変わってきます。

まずはシャツカラーです。
台襟があり、その上に襟がついているものをシャツカラーと呼びます。
台襟だけのものをスタンドカラー、
台襟がなくて、身ごろに直接、襟がつくものをフラットカラーと呼びます。

シャツカラーは、その名のとおり、シャツの襟の代表です。
まれに、一重のジャケットなどでもシャツカラーのものもあります。
印象は、かちっとした感じです。
おもに男性がスーツのジャケットの下に着るのが、このシャツカラーのシャツなので、
似たような印象を与えます。
ですから、カジュアルなシャツ、たとえばチェックのフランネルシャツなどにシャツカラーがついている場合も、カジュアルでありながら、どこかきちんとした感じが残ります。
それは一種の固さでもあります。

それに対して、フラットカラーは、台襟がない分、ずっとやわらかく、幼い印象です。
というのも、フラットカラーの代表は、幼稚園児がよく着る白い丸襟のブラウスだからです。
フラットカラーがつくと、シャツというより、ブラウスという感じになり、
フェミニンなイメージになります。
そのため、フラットカラーのシャツというものを、男性はほとんど着ません。
(ごくまれに、受けを狙って着ている人もいます)

台襟のみのスタンドカラーは、どちらとも言えない印象です。
日本でしたら、男子中学生の制服の学ランを思い浮かべるでしょうし、
マオカラーと呼ばれる、アジアン・テイストのジャケットもその代表です。
(マオは毛沢東の毛ですから)
女性がマオカラーのジャケットを着たら、男性っぽいとか、女性っぽいというより、エキゾチックな感じになるでしょう。
また、コック服などもスタンドカラーですから、制服のような感じもします。

ロールカラーという襟は、首のまわりをくるんと巻くように作った襟で、50年代、60年代のコートやジャケットに多くみられました。
そのため、ロールカラーのものを着ると、どことなくレトロな雰囲気をかもしだします。
これももちろん、女性しか着ません。よって、仕事着という感じもしないです。
実用的ではない、おしゃれ用という感じでしょうか。

きちんと見える感じの代表はテイラードカラーです。
ただ、やや仕事向けの印象もあります。
それは男性のスーツ・スタイルのほとんどがテイラードカラーであり、
女性のテイラードカラーのジャケットも、それに模して作られているからでしょう。
これは、男性っぽいスタイルの代表であり、
それを着ることにより、女性の中の男性性が表現されます。
テイラードカラーの前あわせを深くすると、ダブルになり、トレンチコートに多く利用されます。
ダブルにすることによって、襟が大きくなり、よりいっそう行動的な雰囲気になります。
それはやはり、ダブル前のトレンチコートやピーコートがもとは軍服だったことに由来するからでしょう。

最後にノ―カラーのジャケットです。
ノ―カラージャケットは、襟の中で最もノーブルに見えるものだと、わたしは思います。
シャネルジャケットに代表される、襟のない形のジャケットやコートは、
襟がないがために、よりエレガントに見えます。
それはやはり、襟があるために強調される、男性性の部分を取っ払ったからでしょう。
襟をなくしたことにより、攻撃的な感じが一切なくなります。
優雅さとは、攻撃しないということなのです。
ですから、女性ならではの気品と優雅さを表現したいときには、ノ―カラー、つまり襟なしのジャケットやコートがおすすめです。

そのほかに、デザインされた、どれにも分類できない襟もありますが、
それは特殊な例なので、ここでは取り上げません。
それらは、個々によって、印象が変わってくるでしょう。

ジャケットやコート、シャツやブラウスを選ぶとき、
襟の形に注目することで、自分がどういうことを表現したいかを決められます。
案外、無意識に、何となくこれがいい感じという具合に選んでいると思いますが、
もっと意識的に選べば、自分を表現する幅が広がり、与える印象をコントロールできます。

その中でも、襟は特に女性っぽさ、男性っぽさがあらわれるところ。
今の自分は女性性、男性性、どちらを強調したいのか、
また、どちらを補いたいのか、襟を使って演出できます。
今まで男性っぽい襟のみを選んでいたのなら、フェミニンなものにチャレンジしたり、
逆に女性っぽい襟ばかりだとしたら、たまにはテイラードジャケットを選ぶのもいいでしょう。

女性であろうと、男性であろうと、1人の人間の中には男性性、女性性、両方存在しています。
そして、その両方のバランスをとる必要があります。
どちらかに偏ると、支障が生じてきます。

現在、女性たちは、過剰に男性性を要求される社会に生きています。
テイラードジャケットを持っていない女性は、もはや少数派です。
けれども、それはやはり偏っているのです。
偏りによる弊害が、いろいろなところで見受けられます。

いまいちど、自分のワードローブの中で、どういう形の襟が多いのか、チェックしてみてください。
そして、それは何を意味するのか、考えてみてください。
無意識のうちに行った襟の選択が、どんな偏りを生みだしたか、または偏りなどなく、バランスがとれいてるのかわかります。
襟は、そのことを知る、1つの指標なのです。