ページ

2015年8月17日月曜日

季節の変わり目、眼の愉しみ

希少なものを重んじ、薄く広まったものを嫌うというおしゃれの法則は、
時間的なもの、地理的なもの、両方において通用します。
地理的に、例えば都会から田舎へ広がったときに、それは飽きられ終わりますし、
時間的に、最初から最後にかけて、量的に飽和状態になったときにも、
おしゃれという意味が急速に失われます。

季節の先取りをよしとするおしゃれは、
季節の遅れをよしとはしません。
季節を早く先取りするから意味があり、
季節が移り変わったなら、
気温がたとえ高かろうが、低かろうが、
次の季節への移行を推奨します。

春先からゆっくり時間をかけて、
徐々に取り入れていった春夏物は、
立秋を境に、急速に輝きを失います。
同様に、晩夏から取り入れていった秋冬物も、
立春を過ぎたら、 魅力を感じません。

季節を感じさせるものには、気温と光の2つがあります。
肌に身につけるという性質上、
洋服において、季節とは気温だけの問題ととらえがちですが、
それがファッションと呼ばれるようになった瞬間に、
問われるのは気温ではなく、
光の加減です。

春分、夏至、秋分、冬至という、太陽と地球の関係が変わる地点から、
明らかに、疑いようもなく、
光の加減は変わります。
春分、夏至、秋分、冬至は、
いわば春夏秋冬の最高の光を見ることができる時期です。
しかし、毎年正確に太陽の光は傾き、
立春、立夏、立秋、立冬の時期に、すべてのものは、
その頂点のころとは同じには見えません。

光が変われば、色は違って見えます。
どんなに暑くても、立秋を過ぎれば、
あの輝いた夏の白は、もう同じ白ではありません。
どんなに寒くても、心にぬくもりを与えたあのモヘアのダークブラウンは、
うっとうしく感じられます。

季節を先取りし、その頂点を目指して選んできたそれぞれの季節の服は、
立春、立夏、立秋、立冬をもって、
蔓延し、
眼はもうそれらを見ても、愉しみを得ることができなくなります。

眼はいつでも愉しみを探しています。
眼の喜び、愉しみは、まぎれもなく魂の栄養となります。
私たちは、眼から栄養を摂取し、
それが切れるまで、生き延びることができます。
しかし、
私たちの多くが、魂の栄養不足にあえいでいます。

顔と同様に、私たちの全身の姿もまた、
自分自身よりも他人から見られる機会のほうが多いものです。
私たちの眼は、自分自身の姿よりも、
多くの他人の姿を眼に映し、
脳内にそれを取り入れます。
脳内はそれらを処理し、ある一定量を過ぎると、
飽きるという状態を生みだします。

ファッションは通常、春夏物と秋冬物にわかれます。
眼から取り入れた、春夏物の情報が脳内で一定量を超えてくるのが、
立秋の頃です。
その頃には、眼は春夏物の衣服からは、喜びを得られなくなっています。

この2.点、
つまり、光の加減の変化、
そして、眼が衣類から愉しみがなくなったという、その点から、
もしもおしゃれでいたいのなら、
立春と立秋が過ぎたころから、
私たちは、ワードローブを徐々に次の季節に変化させるべきです。
単純に言えば、立春が過ぎたら明るく(ライト)に、
立秋が過ぎたら暗く(ダーク)に、です。

しかしここで、気温の問題が立ちはだかります。
ここ最近の日本の気温は、4月の終わりまで寒く、
10月の頭まで暑い日々が続きます。
春は薄手のもの、秋になったらウールなどの寒さを防ぐものという考えでいると、
これでは次の季節のものは着られません。
ですから、ここは、新しい考え方、新しいワードローブが必要になります。

私たちに本当に必要なのは、
暑さに対応した秋物と、寒さに対応した春物です。
気温に対応しつつ、変化した光の中で美しい色合い。
秋だったら、すべての色がより濃く、ダークに傾きつつ、
素材は薄いコットンやシルク、サマーウールなど、着ていて暑くならない素材。
春だったら、色はより明るく、光を取り入れて、
それでも素材はカシミアやコットンシルク、厚手のウールや、
薄いダウンなど、寒さをしのげる素材。
シルエットには、その次のトレンドを少し取り入れて。
2015年現在では、断然、シルエットはゆるく、大き目に傾いているので、
間違っても、身体にぴったりフィットする、タイトなTシャツやニットなど選ばず、
流行の先を見据えたシルエットのものを買い足して。
そうすれば、気温にも対応し、
眼も愉しみを得られます。
立春過ぎのホワイトジーンズの白に、人々の目は釘付けにされ、
立秋過ぎの秋の実りブドウのような紫のストールが、夏の乾いた心を潤します。

まだまだ夏の装いで街行く人が多い時期、
新しい考え方の秋物の装いで、
ショップのウィンドウに映る自分の姿を見てみたら、
あなたの眼は喜び、それは魂の栄養となります。
本当に欲していたのは、最終セールで売られている新品の夏物のドレスなんかじゃなく、
それは去年買ったものかもしれないけれども、
半年眠っていた、秋冬物の色合いです。
そして、本当に見たかったのは、
それをふさわしい光の下、多くの人より早く着てみた、
自分の姿です。

今の時期、つまらない夏物のセール品を買うよりも、
まだ持っていないのならば、
立秋以降に着られる、暑さにも対応した秋物を買ったほうが、
よほど賢い買い物です。
もちろん、そんなものはまだまだ多く売られていません。
それでも探せば、ないこともありません。
それは今よりも少しダークな色合いのストールや帽子、靴でも構いません。
何かしらはどこかに売っています。

眼の愉しみ、喜びを軽んじないで。
太陽の傾きに敏感になって。
どんなに暑くても、立秋を過ぎれば、秋の花が、
どんなに寒くても、立春を過ぎれば、春の花が咲き始めます。
おしゃれもそれと同じです。

季節の変わり目の時期、
光や色にどれだけ敏感に生きているか、
それを見分ける感性を養ってきたか、
おしゃれな者はそれを問います。

そんなささいなことが、
そんな小さなことが、
おしゃれには重要なのです。

それらに鈍感で、怠惰になるか、
敏感に取り入れて、ひと工夫するか、
そこが分かれ道です。
それは人生と同じです。

怠惰な人は怠惰なりに、
努力した人は努力した人なりに、
人生もおしゃれも、
その点においては、平等です。



★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。




2015年8月2日日曜日

スタイリングの新しい流れ(トランス、ミックス、レス、フリー)

一昔前のスタイリングの教科書を見てみると、
例えば、エレガンス、スポーティなどというように、
スタイル別に区分けされ、名前がつけられています。
それらのスタイルの境目はかなり厳重で、それらが混じり合ったり、
無視されることはありません。
スタイリングというものは、この区分けされた区分内のルールを守ることであり、
その中での完成を目指すものでした。

男女の境目も厳然と区別され、
それを超える人たちは、エキセントリック、すなわち中心にいない人や、
アバンギャルド、前衛の人、または単なる変人でした。

しかし、ここ数年のファッションの歴史の流れは、
この区分けされた境目を超えたり、
混ぜたりすることに関心を持つようになりました。
フェミニンにはマスキュリンを、
エレガンスにはスポーティをというように、
区分けされたスタイルで100パーセント完成することなく、
何か違う要素をミックスさせるスタイリングがおしゃれであると、
認識されるようになったのです。
その流れは今も続いていて、
そしてさらに進化しています。

実際のところ、男と女の境目は厳然としたものではありません。
特に女性は男性のスタイルを取り入れることに積極的で、
それはココ・シャネルが提案したボーイッシュなルックスや、
イヴ・サンローランのタキシード・スーツなど、
年代が進むごとに、男性が着るべきスタイルを積極的に取り入れてきました。

そのほかにも、
スポーツ・ウエアの日常着化、
エスニックやトライブと呼ばれる、
西洋とは異なった文化圏の装飾要素の取り入れ、
隠されるべきものであったランジェリーのアウター化など、
ファッションが進化するとともに、
今まであった境目を越境することに、
有能なデザイナーたちは腐心してきました。

その結果、当然のことながら、おしゃれに見えるスタイリングも変わってきました。

洋服のアイテムそのものの変化には限度があります。
何年たっても、スカートはスカートであり、
ジャケットはジャケットです。
シルエットの変化があるとはいっても、
それはタイトからビッグへ、ビッグからタイトへの繰り返しです。
いつでも新しいものを志向するファッションは、
その新しさをスタイリングに求めるようになりました。
それが現在です。

ポイントは、とにかく超えていくこと。
ジェンダーを超え、
民族を超え、
日常と非日常の境目を超え、
着られるものなら何でも取り入れ、
全体のスタイリングを刷新していく。

超えていくことは同時に、そこから自由になること。
男性はこうあるべきというスタイルから自由になり、
女性はこうあるべきであるというスタイルから自由になる。
スポーツウエアはスポーツのときだけしか着ないというルールから自由になり、
下着は見せてはいけないというルールを破る。

どんな文化圏に生まれようとも、
どこか遠い国の、見たことも、会ったこともない部族の衣装が好きならば、
それを取り入れ、
スカートの下は脚が出るというルールを無視して、
パンツをはき、
ドレスにウェリントン・フレームのメガネをあわせる。

図書館で見つけた、古臭いスタイリングのルールの本の指導を無視し、
境目を超え、ごちゃまぜにして、自由になる。
その組み合わせが、今まで見たことがないものになったなら、
それがおしゃれに見える。
現在、ファッションの進化はここまでやってきました。

これを普通の人がふだんのスタイリングに取り入れるにはどうしたらいいでしょうか。
まずは今まで、それとそれは合わせないと言われていたものをあえて組み合わせてみること。
見慣れた、その組み合わせから離れること、です。

シルクのドレスにスウェット地のパーカー、
パジャマのようなシャツにタイトスカート、
レースのキャミソールにランニング用のトレーニング・パンツ。
ロングドレスにスニーカーとウェリントン・フレームのメガネ。
真冬にノースリーブニットと肘まであるロングの手袋などなど。
いきなり、唐突に組み合わせられ、
今までのルールから遠ければ遠いほど、
それはおしゃれに見えます。

これらアイテムの組み合わせのほかにも、
例えば、素材とアイテムの意外な組み合わせというのも、
今のトレンドの1つです。
レースのトレンチコートはその代表例。
同様に、レースのスウェットシャツ、
豪華な刺繍やスワロフスキーのクリスタルが縫いつけられたジーンズ、
トートバッグやスニーカーにスパングルなど、
それまでその素材でそのアイテムは作らなかったというものを取り入れるのも、
今の気分を表現するのに最適です。

今の時代が私たちに要求しているのは、
スタイリングでどれだけ冒険できるか、
どれだけ境目を超えられるかということ。
男女の境も、
国の境も、
年齢の境も、
そんなものはしょせん幻。
今、それが着られるということ、
着たいということ、その気持ちがあるならば、
それだけを頼りに、アクロバティックにアイテムを横断的に組み合わせ、
その中でバランスをとってみる、
おしゃれに見えるポイントを見つけてみる。
創意工夫のあらわれこそが、おしゃれですから、
今はまさにその腕が問われるところ。
何も考えてこなかった、
やってこなかったのだったら、
この新しいスタイリングをものにすることはできません。

考えてみる、
試してみる、
実行してみる、
変更してみる、
改良してみる。
新しいスタイリングはこの繰り返しで習得できます。

やるかやらないかは、
もちろん個人の自由です。
けれども、少しでもおしゃれになりたいのなら、
そして、停滞を拒み、進化し続けるほうを選ぶのなら、
新しいスタイリングにチャレンジするといいでしょう。
簡単ではありません。
けれども、やったらやったなりに、
それは誰かの心に届くでしょう。



★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。