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2014年10月27日月曜日

「ファッションで世界を変えられるか」という問い

2015年春夏のプレタポルテのコレクションで、
シャネルはストリートのセットを作成し、
フィナーレでプラカードを持ったモデルたちがデモ行進をするという演出を行いました。
それを受けて、
「ファッションで世界を変えられるか」という問いがあちこちから聞かれてきました。
さて、ファッションで世界は変えられるのでしょうか。

パリ・コレクションがファッション業界のトップであるとすれば、
底辺は木綿畑であり、羊牧であり、石油の掘削現場です。
その底辺からトップへいくまでの間に、
収穫する人、運ぶ人、生地を作る人、
デザインやパターンを作る人、
縫製する人、
検品する人、アイロンがけをする人、
荷造りする人、搬入する人、
売り場に並べる人、
そして服を売る人まで、
実にさまざまな種類の業種、そして人がかかわります。
ファッション産業は、時間軸で見ると、人間が衣服を作り始めたときからであり、
空間軸で見れば、それは世界規模の広がりです。
パリ・コレクションという一部の小さな狭い側面だけを見れば、
ファッションなどというものは、世界や歴史に対してとるに足らないものかもしれませんが、
裾野から頂上までを俯瞰して見るならば、
それは世界の隅々まで、そして過去から未来まで、
広範にわたり影響を与える存在です。

哲学用語で、「ホロン」という考え方があります。
部分は全体をあらわし、また全体もまたその部分と同じ構造であるという考え方です。
その考え方でいくと、
ファッション業界は世界の産業の部分であるとともに、
その構造は、まさに世界の産業そのものであると言えます。
そして、服を1枚買うごとに、
私たちは、この構造に参加することになります。
私たちが服を1枚買うという行為がファッション産業に与える影響は、
世界の産業に与える影響と同じものなのです。

ファッション産業は、「フェア」であることとは、ほど遠い産業です。
人権をないがしろにされる部分も多いです。
表に見えるきらびやかさ、美しさとは対照的に、
内部はあきれるほどに残酷で、腐っています。
1枚のTシャツを外から見ただけでは、
その来歴はわかりませんが、
木綿畑までたどってみれば、多くのものには、何らかの「フェア」でないことが存在します。
それは過剰な農薬かもしれませんし、児童労働かもしれません。

私たちは、服を1枚買うごとに、この構造に影響を与えます。
違う言い方をすれば、どんな服を買うかという選択する権利を持っています。

世界を変えることができるのは、この選択する権利を持っている私たちです。
私たちは選ぶことによって、世界を変えることができます。
つまり、「フェア」なものを選ぶならば、フェアな世界へ変える手助けをすることができます。

しかし、多くの人がここで、
「だけど」と言うでしょう。
「フェア」なものは高価で買えないと。
それは、確かにそのとおりでしょう。
なぜなら、私たちの多くもまた、ホロンの全体であるところの産業に組み込まれているからです。
私たちが買えないのは、
私たちが「フェア」な扱いを受けていないからです。
私たちの行為は、自分の尾を噛むウロボロスの蛇のように、
私たちにかえってきます。
「フェア」な扱いを受けていないから、「フェア」なものは買えない。
この悪循環から抜け出すためには、
「フェア」な行いによって、「フェア」な扱いを受ける方向へ乗り換えなければなりません。

過剰な農薬にむしばまれているのは、過去のあなたかもしれません。
劣悪な環境の縫製工場で事故に遭うのは、未来のあなたかもしれません。
それは、世界のどこか知らない地域の話でも、
自分たちに全く無関係な話でもありません。
それは、日本で言えば福島の縫製工場の状況でした。
そして現在のあなたが、「フェア」でない扱いを受けているのなら、
「フェア」な行為をしないことには、あなた自身も、
そして、世界も変えることができないのです。

「だけど」と言う前に、少し考えてみましょう。
いつもなら2枚買うTシャツを1枚にすれば、よりフェアなものが買えないか。
新しさだけを追求しなければ、より安価に、しかも高品質なものが買えないか。
リサイクルショップでなら、手に入る範囲で、熟練した職人が、フェアな対価で作った、
上等なツイードのジャケットが買えはしないか。
方法は、ほかにも幾らでもあるでしょう。

「ファッションで世界を変えられるか」という、その問いは、
問いの中に含まれる、世界に対するファッションという、
その前提が間違っています。
ファッション産業そのものが世界の産業の構造であり、
それは世界に含まれています。

ファッションが世界を変えるのではありません。
「フェア」なものを選ぶという行為がファッション産業を、
ひいては世界を変えます。
そして、最終的にはあなたを変えるでしょう。
その力を、私たちは持っています。


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2014年10月20日月曜日

コスチューム・ジュエリー

コスチューム・ジュエリーとは、本物の貴金属や宝石を使ったファイン・ジュエリーに対して、
本物ではない、
たとえばガラス、真鍮、スチール、プラスチック
などで構成されているアクセサリーについての総称です。
もとは、20世紀の初頭、本物のジュエリーの代理品として、
また、舞台や映画で身につける衣装のアクセサリーとして使われたところから始まりました。
コスチューム・ジュエリーで誰もが知っている存在なのはシャネル。
1920年代、シャネルはファイン・ジュエリーのデザインもしましたが、
同時に、偽物の真珠を使ったコスチューム・ジュエリーを発表し、
コスチューム・ジュエリーのモードでの地位を確立しました。
1920年代と言えば、1929年の世界大恐慌。
不況とコスチューム・ジュエリーは大いに関係があります。
つまり、本物に手が届かなくなったとき、
人々はfaux bijoux(偽物の宝石)を愛するようになるのです。

さて、洋服のシルエットが変わってくると、
それにふさわしいアクセサリーのボリュームも変わってきます。
しかもそれは単純に比例します。
タイトなシルエットの服には小さめの、
大きなシルエットの服には大き目のアクセサリーが、
全体のバランスをとるためにも使用されます。

2012年以降、洋服のシルエットは大き目な方向へ動きました。
それに伴って、アクセサリーも大きくなりました。
それまでのタイトな服の時代は、小さめでも偽物ではなく本物、
つまり貴金属や宝石のジュエリーをつけることができました。
ダイヤモンドや24金であったとしても、
小さいものであったら、多くの人が買えました。
しかし、ジュエリーにもボリュームを求められるようになると、
それをすべて本物でまかなうことは不可能です。
また、本物しか使えないとなると、デザイン的な制約も大きい。
ボリューム、そして自由なデザインの表現を追求できるのは、
偽物で作られているコスチューム・ジュエリーならではです。
そして、服のシルエットが大きくなったのと同時に、
にわかにコスチューム・ジュエリーは再び注目されるようになりました。

日本においては、洋服とはまた別のトレンドの中で、
長いことジュエリーについてキャンペーンが行われてきました。
初期は、真珠のジュエリー、
そして、それが行きわたったところで、
一粒ダイヤモンドのジュエリーです。

パールのネックレスを1本は持っているべきです、
どんなときでも使えます、
そして何よりおしゃれに見えますという、
お説教にも近いうたい文句に、
多くの女性は納得し、1本はパールのネックレスを保持するようになりました。
もちろんそれは日本が真珠の生産国であることも関係しています。
そうでなかったら、これほどまでに真珠のネックレスは広まらなかったでしょう。
しかし、それも多くの女性に行きわたったころ、
次のキャンペーンが出現します。
それが、「一粒ダイヤモンドのネックレスこそおしゃれ」キャンペーンです。
ダイヤモンドは宝石の女王、誰にとっても憧れの宝石、
それを自分のものにしようというキャンペーンは、
日本の円が強くなり、
以前よりダイヤモンドが手に入れやすくなった時期あたりから始まったと思います。
かくして、現在、一粒ダイヤモンドはかなり多くの女性が保持するにいたりました。

しかし、ここで思いだしていただきたいのは、
見慣れないものほどおしゃれに見えるという法則です。
多くの人に行きわたれば行きわたるほど、
見慣れれば見慣れるほど、それはもはやおしゃれには見えません。

パールのネックレスも一粒ダイヤモンドも、残念ながら、
今やそのような見慣れた存在になりました。
つまり、それをしているからといって、特別おしゃれには見えなくなったのです。

コスチューム・ジュエリーの特徴は、デザインのバラエティの豊富さです。
似たようなものがあるとしても、多くの人が全く同じものをするという状況にはなり得ません。
また、最近出現してきたコスチューム・ジュエリーは、
以前のものより進化していますから、デザインだけではなく、
使われる素材も、羽や布、リボン、クリスタルなど、より多岐にわたっています。
また、多くの有名、無名の作家がさまざまなものを発表し、
一点ものも多いです。
これをうまく利用すれば、自分にぴったりの好みの、
しかもほかの誰もが持っていないようなものを見つける、
そして手に入れることが可能です。
それはまさに「見慣れない」ものであり、よって、それはおしゃれに見えます。

デザインの点では多くのメリットがあるコスチューム・ジュエリーですが、
もちろん欠点もあります。
それは、あくまで偽物なため、最終的にはごみ、しかも燃えないごみになる可能性が高いということ、
そして、ものによっては非常にチープな質感であることです。

コスチューム・ジュエリーは、チープなファスト・ファッションから、
高価なハイブランドまで、どこでも売られています。
当たり前ですが、安いものはそれなりの質感です。
ただのガラスよりもスワロフスキーのほうが、
そして半貴石やクリスタルのほうが高価なのは当然です。
ある程度の大人であるならば、あまりにチープなものを選ぶべきではありません。
なぜなら、チープなものは、それを身につける人を安っぽく見せるからです。

また、どう考えても1年であきてしまうようなものをいくつも買いこむのも考えものです。
明らかにすぐ燃えないごみになるとわかっているものを買うのは、
21世紀の考え方ではありません。
最終的にはごみになってしまうとしても、
たくさんは持たないか、
分解してリフォームすることが可能なものか、
コットンパールや水牛の角のように燃えるごみになるもの、
もしくはシャネルのコスチューム・ジュエリーのように、
いらなくなったとしても、誰かが欲しがるものを選ぶのがよいでしょう。

コスチューム・ジュリーはいつも流行しているわけではありません。
また、本物のジュエリーは高くて買えないとしても、
コスチューム・ジュエリーなら買えるというものも出てくるでしょう。
何より、唯一無二の自分のために、
ユニークなコスチューム・ジュエリーを探すのは、
楽しい行為になることは、間違いありません。
購買可能な価格での一点ものも、コスチューム・ジュエリーならではです。

どんなものにも旬はあります。
コスチューム・ジュエリーはまさに旬のジュエリーです。
1つ足しただけで、それは今風になり、
自分らしさの表現もできます。

身につける人が本物ならば、
faux bijoux(偽物の宝石)さえ本物に見えてきます。
その逆に、偽物の人物が身につけるならば、
それは偽物のまま。
よって、コスチューム・ジュエリーはリトマス試験紙のような存在でもあります。
いかにも、コスチューム・ジュエリー(衣装宝飾)は、
世界という舞台で物語を演じる主人公に、
ふさわしいジュエリーではあると言えるでしょう。
本物か偽物かは、
そのパフォーマンス(演技)を見ればわかります。


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2014年10月13日月曜日

フォークロア

ファッションでは、フォークロアと呼ばれる民族調のスタイルが、
周期的に取り上げられます。
もちろんそれが流行る場合もあれば、流行らない場合もありますが、
ここ最近で大流行したのは70年代でした。
ヒッピー・ムーブメントと相まって、
より若く、そして自由な雰囲気を表現するために、フォークロアが流行りました。
70年代のフォークロアの特徴は、ボヘミアンと呼ばれたジプシーのスタイルが中心で、
主にチェコスロバキアなど、東欧の民族調スタイルを取り入れたが主流でした。
(わかりやすいイメージとしては、スティービー・ニックスのスタイル)

2014年現在、再びフォークロアが注目を浴びるようになりました。
しかし、それは70年代の主に東欧イメージのものとは少し違い、
もう少し範囲も意味も広く、地域性にこだわるよりも、
その手法、つまり「手仕事」としての側面に注目するものとなりました。
なぜなら、再びフォークロアが注目されるようになったのは、
これまで続いた、平坦で、変わり映えのしない、
退屈な大量生産の衣服に対する反動が原因だからです。

今回流行のフォークロアは、その手仕事が重要となります。
ですから、必ずどこかしら手で仕事をしたような痕跡、
それは刺繍であったり、アップリケであったり、
が加えられます。
繊細なレース編みや、複雑な模様編みのニットなども、
広義の意味ではフォークロアに入れてもよいでしょう。

また、今回の流行の特徴は、フォークロアとして取り上げる民族調の範囲が、
広く設定されていることです。
「手仕事」のあとが見られるものなら、それは地域を問いません。
東欧であっても、東洋であっても、
そしてたぶんこれから出てくるであろう南米やアフリカであっても、
機械ではなく、手を使って作られたあとがあるならば、
それはフォークロアなのです。

シルクシフォンのドレスに施された繊細な刺繍、
ウールのマントの上の動物や植物モチーフのアップリケ、
編んだひもでできたブレスレット、
羽や半貴石がついた、ロングネックレスなど、
このフォークロアの要素は、ありとあらゆるところに見られるようになりました。

日本に住む私たちにとって、
フォークロアは、大流行とはいかないまでも、
いつもどこかで何しら存在しているような、
身近な存在です。
中央線の中野から国分寺あたりまでの、
ヴィンテージ・ショップや、エスニック・スタイルのショップをのぞけば、
何かしら手に入りますし、それを今までも取り入れていた人たちは多いでしょう。

素朴な感じ、かわいらしい感じが、
特にナチュラル志向のファッションが好きな人たちに受け入れられてきた経緯があると思います。

ただ、今の流行は、それがあくまでモードの世界であらわれてきたもの。
素朴さや、ナチュラルそのままではなく、
もう少し洗練させて、より上等に、手の込んだもののほうがふさわしいです。
そんなフォークロア調の何か、
たとえばアクセサリーや、アップリケのついたバッグなど、
1つ全体のコーディネイトに付け加えるだけで、
そのほかのアイテムがいわゆるナチュラル・テイストではないとしても、
21世紀の新しいフォークロアを表現することができます。

民族調の地域は、どこでも構いません。
重要なのは手仕事です。
ですから、今回は自分たちが住む地域、
つまり日本を含むアジアのものを取り入れても、
それは構わないわけです。
アジア地域にも、さまざまな民族調の衣装があり、
それにはどこかしら、必ず手仕事のあとがあります。

手仕事は、均質化した、終わりのないほど退屈な機械化の、
対極のものとして注目されています。
手仕事の特徴は、均一ではない、ということです。
極度に発達した機械化は、人間の衣服を徹底的に均一なものに統一しようとします。
しかし、それを着せられる人間は、均一な存在では、全くありません。
一人一人違って、1つの価値基準では判断不能の、
ばらばらで、不揃いな存在です。
それなのに、すべてに同じものを着せるということなど、
無理なことなのです。
肌の色も、地域の文化や特色も、気候も、言語も、生活習慣も、
すべて無視して、ある1つの価値基準に統一しようとする流れに対する反動として、
今回のフォークロアが出てきたのであるならば、
その結果として、手仕事が全くばらばらであっても、全く問題はありません。
それどころか、手仕事が目指すものは、ほかには存在しない、
ユニークなものであるのです。
それはあたかも、私たち一人一人がユニークであるがごとく、です。

そんなユニークな手仕事と、どこでどんなふうに出会えるか、
それは人それぞれ違うでしょう。
それはスーパーマーケットの、均質なものが大量に並べられている棚からは、
選べないということだけは確かです。

誰とも同じではない自分が、
ユニークな手仕事の衣服やアクセサリーを身につける。
それが、21世紀のもっともファッショナブルなフォークロアです。



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2014年10月6日月曜日

おしゃれに見えるスタイリングは変わっていく

数学のように、どんなも問いに対しても答えが1つなら、
頭を悩ませることは、それほど多くはないでしょう。
しかし、芸術、音楽、文学のたぐいは、
答えが1つというわけにはいきません。
ファッションもまた、数学ではありませんから、
グレーに似合う色は?
何にでも合う靴はどんな靴か?
トレンチコートは1年じゅう着られるか?
などの問いに対して、答えは1つではないのです。
そして、その最たるものがスタイリングです。

たとえば、自分が子どものころのおしゃれな女の人の格好を思いだしてみてください。
あるいは、80年代のおしゃれに見えた雑誌のスタイルを思いだしてみてください。
残念ながら、そのスタイルをそのまま現在に持ってきたところで、
決しておしゃれには見えません。
80年代のスタイルを今そのまましたのなら、
それは単なる80年代のコスプレです。
ですから、スタイリングの教科書があったとしても、それはそのときだけ使えるものであり、
何年もたってから使おうと思っても、使えるものではありません。
シャツの裾ををパンツに入れるのか、入れないのかひとつとってみても、
どちらがよりおしゃれに見えるかは、
時代によって違うのです。

ファッションには流行というものがあり、
時代とともに、衣服のシルエットやデザインが変わるということは、
誰でもわかると思います。
しかし、変わっていくのはシルエットやデザインだけではありません。
スタイリングもまた、変化します。
しかもそれはいつでも進化しています。

「今後10年の流れ」で示したように、
基本的な西洋の女性用衣服の流れは、
男性服の取り入れと、より自由になるためのスポーツウエア、作業着、下着の格上げです。
それはスタイリングにおいても同様です。
時代ごとに流行るシルエットとデザインがあり、
その上により進化したスタイリングがのります。
タイトスカートにハイヒールを合わせるのがおしゃれに見えたのが、
時代が進むと、タイトスカートにスニーカーがおしゃれに見える、となります。
そうなったとき、以前のタイトスカートにハイヒールは一番おしゃれではなく、
タイトスカートにスニーカーと同位置になるか、
少し後退します。

その提案はほとんどの場合、スタイリストではなく、
デザイナーによって行われます。
テイラードジャケットのインナーにランジェリー、
スカートの下にパンツ、
ドレスにスニーカーなど、
そのオリジナルはストリート・ファッションであることもありますが、
認定を与えるのはデザイナーです。
ごく一般の人がやったら奇異に見られるだけの、
男性の着用するジャケットを女性が着ることをココ・シャネルが提案したならば、
それはそこからモードになります。
そしてその慣習は今でも続いています。
デザイナーによるお墨付きがされた、新しい着こなしは、
その後、安心とともに、多くの人に認められ、広がるのです。

「色」を除いては、
絶対にこうでなくてはいけないという、スタイリングの法則はありません。

チュニックの下にタイトなパンツをあわせるのがおしゃれに見えるときもあれば、
ワイドパンツをあわせたほうがおしゃれに見えるときもあります。
どちらがおしゃれに見えるかは、その「時代」により決まります。

そして、その時代感覚を取り入れないことには、おしゃれには見えません。
逆に、かたくなに時代感覚を無視するのならば、
その人はもうおしゃれな人ではないのです。
好奇心、柔軟性、行動力は、おしゃれな人にとって必須の要素です。
それは年齢の問題ではありません。
どんなに年をとっても、
そのときの新しい感覚を取り入れて、
スニーカーをはいてみたり、ダウンジャケットを着てみたりするならば、
その人はおしゃれになります。

おしゃれに見せたいならば、
「色」には厳格に、
スタイリングには柔軟になりましょう。
それは新しいものを買うか、買わないかの問題ではありません。
それは感覚の問題です。
どんなに古いものを着ていても、
新しい感覚を取り入れることは可能です。
ジャケットの下にはジーンズだったものをスウェットパンツに変える、
フレアスカートにスニーカーをあわせる、
そんなほんのちょっとしたことでも、その時代の空気を表現することはできます。

その時代の空気を知るためには、
常に好奇心を持って、
ファッションの情報に触れること。
電車に乗るときも、
街を歩くときも、
インターネットでサイトを見るときも、
いつでも、どんなところでも、
見ようとすれば、知ろうとすれば、
時代の空気を感じることができます。
あとはそれを取り入れる行動力があればいいだけのこと。

読んでいるだけ、
知っているだけ、
考えただけ、
お祈りしただけでは、現実は変わりません。
実際に行動に移さないことには、おしゃれは始まりません。
おしゃれと人生は、その意味において、似ています。
ドレスにスニーカーをあわせて歩き出したかどうか、
それが一番重要なのです。


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